《浜松中納言物語》⑮ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑮
巻乃三
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之三
十五、式部卿の宮、御君を婿に望まれること、御君、煩悶なさられること。
中納言の御君の、このような人々のうちに、このような異国を渡り歩いていらっしゃったと仰せでいらっしゃるのを、式部卿の宮は、このような人々を見置きて、わたしだったならばこの国になどふたたび還り来たりなどすまいとおっしゃられなさって、それでも猶棄て難くお想いであらせられるかの大将殿の尼の姫君とは、この世にもまたとなく優れた人であらせられるのであろうとお想いつきになられられるのに、御心に、口惜しく御胸に痛き心地さえなさっておられられたけれども、その折りの御事などいささかにも色にも出でさせなさられずに、唯、唐国のことを、たとえ鳥になってでさえも唯今にもひとたびだけでも飛び行って仕舞いたくお想いになられていらっしゃられる御君は、誠にかの后の御有様、お見かけさせていただけるならば、この命などいささかも惜しくはない。
御君の御心は浅ましいがまでに、とはい今はただ強く、その御心の深くに想い沈めて念じられなさられて、この世にながらえてある事それ自体に、もはや留め難く悲しき御想いを掻き乱されていらっしゃられるその御心紛れに、一の大臣の五の君の御事など、なおもお話しになられられるが、その容貌はと言えば、かならずしも世にその名を流すというほどではございませんでしたが、並みの人々に比べればもちろん優れておかしげでいらっしゃって、御手ずから筆を取り文をつくり、見事なまでのその才の、絵も言われずにすぐれていらっしゃって、御すがた顕されて遣わされた文、琵琶の音、またとなき有様であった御事、その歌の上手の御事など、お語り聞かせ差し上げさせていただいていらっしゃられれば、その文を必ずみせよ、世にも稀なるものを、なぜ今までひとりお隠しであらせられたか、何とも心憂い、と、式部卿は御恨み言さえおっしゃられていらっしゃられるのだった。
その血を引く男宮は、この式部卿の宮には一所にだけいらっしゃられる。
承香殿の女御とおっしゃ御方の御腹に、女宮もいらっしゃるのを、御方、心苦しくお想いでいらっしゃられることを御君の、お耳に入れさせていただかれられてお想い廻らされられるに、女御の御方のおそばに、頼もしかるべき後見などもなくて、心細い御有様でいらっしゃるのを、であるならば、この中納言に赦して仕舞えばいいではないか。
大将の姫君の御事はそれはそれとして、もはや断ることもありはすまいとお想いあたりになられられれば、今宵のこにようなこまやかなる御物語、心をお許しになられられてかすかにうち乱れていらっしゃられる御有様も、猶めでたくお想いになられていらっしゃられれば、まもやかに日々のあらましなどつつましやかにお語りになられられ始められたその序に、この世ももはや末の、存在の滅びの時に終になった心地して、心細く日々を感じられているばかりのそのなかにも、女宮の数多いるのがなんとも心に残って苦しいのだけれども、しっかりとした後見の人の頼もしい人々に、なんとかこの儚い世の頼みとして想って差し上げてみたいのだが、承香殿にいる御子、このわたしより外に見知っていただけるひともない儚いもので、常にもかすかにでも心に苦しく惑わせて、ただ想いわずらっているのだが、どうか、あなたがこの子を後しろ見してはいだけないものか、と、そう想うのだが、と仰せになられられる御事を、いかに為すべきであろうか。
恥ずかしくさえお想いであらせられれば、御君は、つつしんで畏まっておいでであらせられるのだった。
ご退出になられられても、例の尼の姫君の御方に、うちやすんでいらっしゃられられながらもまどろみさえなさられられずに、式部卿の宮からお託しの御事、御想い廻らされていらっしゃられれば、我とも覚えず御心浮き漂って騒ぎ立たれられて、かの御方は、この心を、いかにも世の常の人に等しく推し量られなさられたに違いあるまい。
いにしえより、このようなことの始末に、すべて露ほどにも心乱さないように、と、萬に御想いを冴えさせていたものだのに、かの異国の地に残した御方への為すすべもない想い、燃え立って浮き漂っているばかりなのであれば、かの御方の御所望の通りなどできようはずもない。
さらに御心は彷徨われなさられて、また、この日々の中にその女君にまた心乱れでもして仕舞えば、遠く遥かなる海の彼方に見棄てて、漕ぎ離れて仕舞ったかの人の御心、いかに憂く恥ずかしくお想いになられられようかと、お想いになられなさる。
かの人の心は一つにあらず、と。
例えば式部卿の宮の女の君にご懐妊のしるしが顕れて、年若き御姫君をにわかに引き込んで、式部卿の宮の婿になって、日々の事ども様変わりして仕舞ったならば、人々の想うだろうところのその心のひだのふるえも感じ取られられなさって、かつて夢に見、耳に聴いた尼の姫君のその世をお棄てになられられた折りの御歎き、さまざまに御想いお廻らしになられられれば、終にはかの口惜しくも口惜し足るまじき御髪を、削ぎやつして仕舞われられたその頃のこと、式部卿の宮も御心のうちにはよろしくお想いであらせられないに違いあるまい。
また、かばかり新しくめでたき御娘を、いたずらなものになして仕舞って、この身をすでに心やましいものにお想いでいらっしゃられよう宮の親なる御心のうちを想いつづけられなさられるに、ひるがえって、尼の姫君とかさねたこの罪、この世に遁れられはしないものとこそお想い至りになっていらっしゃられる。
やがては成り行きのそのままに、世を背いたものなのだからとお互いに立ち離れて仕舞うものが必定だというのに、その尼の姫君の御身のおそばを、限りもなき寄る辺として添わせていただいていることに、大将も御心に嬉しくお想いであらせられよう。
尼の姫君も、今はなんというでもなく打ち解けていらっしゃられるようものの、為すすべもなき別離のことなど出で来たときには、この心のうちの有様などいささかも変わりなくあろうとも、その御心は乱れて仕舞われようことなど当たり前のこと。
そうならないさきに、いかにしてのどかなにやすらいだ日々に為し修め獲ようかと、御心にさまざまにお想い廻らしなられられるうちに、とはいえ御想い至られられることもなくてあらせられれば、もはや浅ましくさえお想いになられられて、この心、すでに世を棄て行いをし山伏のように山路を歩みゆくがごとき有様なものの、ただ心の想うようには行かないのがこの世というものであろうか。
つつしんで、日々に清らかに暮らしていながらにして、そうはなりきらぬこの日々の煩事がうとましい。
人づてではなく、おのづからおっしゃっていただいたその御所望を、いかにお申し上げお断りすればよろしかろうかと、千路に想い余りなさられて、尼の姫君に、こうこうの事を仰せ付けられたその御身の御想いのほどを、泣く泣くお打ち明けになられていらっしゃられる。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之三
かゝる人の世の中をさへ渡り行きて見たると仰せらるゝを、式部卿の宮は、さる人々を見置きて、我ならば帰らざらましと宣はせて、猶捨てがたう思ひたる大将の姫君は、この世にまた勝れたる人にこそあらめとおぼすに、口をしう胸痛き心地せさせ給へど、色にもかへさせ給ひなまし。我は誠にあさましう、心強う思ひしづめ念じて、世にながらふると思ひ続くるも、留め難う悲しきまぎれに、一の大臣の五の姫君のこと、猶奏し出でて、容貌はいと名を流すばかりには候はざりしかども、なべての人に比ぶれば、いとをかしげにて、手書き文作り、まことしき才の、いといみじう勝れて、出で立ちしほどに、遣(おこ)せたりし文、琵琶の音、いみじかりし事、歌など語り申せば、いみじと聞かせ給うて、その文必ず見せよ、世に珍しき事を、今まで心憂くとさへ恨みさせ給ふ。男宮は、この式部卿の宮一所おはします。女宮は、数多あはしましけり。承香殿(しやうぎやうでん)の女御ろ申す御腹に、女宮おはしますを、心苦しきことにおもひ聞えさせ給うて、女御の御方ざまに、たのもしかるべき後見などなくて、心細き御有様なるを、かくてあるほどに、中納言にゆるしてばや。大将の女はさまことにて、承る事あらじと思しとりて、今宵かゝるこまやかなる御物語、気近う打ち乱れ奏したる有様も、猶めでたう思し召しければ、まめやかなる事ども仰せらるゝ序に、世の中の末になる心地して、心細うのみ覚ゆるに、女宮たちの数多ものせらるゝ、いと後めたけれど、かたがたの後見たのもしきは、おのづからさりともと頼み思ふを、承香殿なる御子、我より外に又しるべき人もなき心地して、いと幽(かすか)に心苦しう思ひやらるゝを、この御子の後見せよとなむ思ふと、仰せ事あるにいかがはすべき。辱ければ、いといたう畏まるさまにて候ひ給ふ。罷り出で給うても、例の尼姫君の御方に、うち休み給ひてもまどろまず、うちの上の仰せられつる事思ひ続くるに、我が心を尋常に推し量らせ給ふなるべし。いにしへよりかやうのすぢに、すべてつゆも心を乱さじと、萬思ひすぐして、知らぬ世の及びなき事に心をしめにしより、我とも覚えず浮き漂ひてのみあれば、やんごとなく畏(かしこ)き御あたりに、御覧ぜらるべきやうもなし。又その中に、この女君に、ゆくりなうみだれあひて、ほどなく遥かなる世界に見捨てて、漕ぎ離れにし女の心、いかばかりかは憂く恥しうと思し入りけむ。心一つだにあらず、著きしるしに顕はれ出でて、乙姫君(おとひめぎみ)を俄にひきこえて、宮々に婿とり、事ども変りけむほどを、人々の思ひいひけむさまの、この御心にさしあたりて、見聞き給ひけむほどの御なげき、さまざまに思し続けて、さばかり惜しげなりし髪を、そぎやつし給ひけむ程は、心のうちよろしかりけむや。又かばかりあたらしうめでたき御女(むすめ)を、いたづらになして、我を心やましうつらしと思ひけむ親の心のうちを思ひ続くるに、この罪この世に遁るべうもおぼえず。やがてそのまゝに、世を背き給ひにけりとて、立ち離れましかばさてもあるべきに、このあたりを、かぎりなきよるべと定めて出入りするを、大将もいと嬉しと思されためり。女君も、今はさるものにうちとけ給へるめるに、なみなみならず、止むことなき事出で来なむを、我がうちうちの志は、さりともおろかにあるべきにはあらねども、必ずさやうの事ありなん。さればよと、はしたなう思されむこと、世に知らず心苦しう、ある人々の思はむ事を思しやるに、あらまし事さへ涙落ちつゝ、我が心も行ひをし山ぶみし歩かむも、唯心にまかせたらむこそ、この世のとりどころなれ。慎みつくろひて居たらむほど、ならはぬ癖はいと苦しかるべし。人づてにだにあらずおぼせられつるを、いかゞ申しやるべからむと、千々に思ひ余りて、女君に、かうかうの事こそ仰せられつれ、我が思ふやうなど、泣く泣く聞え給ふ。
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