《浜松中納言物語》⑭ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑭
巻乃三
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之三
十四、御君、偽って物語られること、式部卿の宮、唐土の話しに感じいること。
色めき立って燃え上る夕映えのなんとも見る甲斐のあるのを、いま初めて見るということなどではもちろんないのだけれども、独り、不意にめずらしきものを見るようにその御眼差しに見い出されられて、今、御近くに添わせていただいてご伺候させていただくものどもらもない丁度よい頃合なのだからと、式部卿の宮、例の唐土渡りのことの次第を、言い出させられなさられて、なんともまたとないものを、あなたのその眼は見たのでございましょうよ、と、何を見られたのか、あなたは。
そうお問いかけいただかれられれば、この眼の見た風景、それは眼も及ばぬがほどのものでございましたが、と、御物語りなされられるに、この国はやはり同じこの国の同じ風情、珍しくうち眺めるようなことも少なく想いまするがと、その御言葉に式部卿は、ならば、その眼の見た珍しきとは何事かと、御言葉を誘ってさしあげられなさられる。
何を申して差し上げるべきかお想いであらせられるうちに、ひやうきうの八月十五夜の月の宴に、かうやうけんの御后の、琴をお弾きになられられたその御有様をこそ、まずは、と、お想いになられられていらっしゃられるその時には、もはや涙ばかりが先き立たれていらっしゃられて、御心につつんで、舌の先にすべらせられて仕舞われたままに御口お閉ざしになられていらっしゃられれば、式部卿の、御耳さえもそばてられていらっしゃられる御そぶり、お断り差し上げさせていただく余地もなく、ただ、お話しなさいませとお言葉をいただく次第であらせられれば、夜の寝ずの御物語りにでもなすべき御事を、当たり障りのある事らをは言い残されられながらも、お話し始められなさられて、かの人ひとりへの御想いの故にばかり、この世の光さえ翳って見えて仕舞われるがばかりなのも御心に口惜しくさえお感ぜられなさられながら、想わずに、言いためらいなさられられて、御言葉濁されるそのうちに御君は、男の才も悟りも深く賢く、絶妙であるのも世の常ではあれども、女はなかなそうとはいかないものでございましょう、と、想いつかれられてお語りはじめになられられた。
たしかに。…それで、と、式部卿はお問いかけになられられる。
かの国の一の大臣の娘、春の宮の御母一の后という、才は鳴り響いて学識も豊かでいらっしゃられた御方の許にご成長なさった御姫君が、上の姉妹にも劣ることなく、姉妹らみな、すべてのものごとを上手に手の内のものしていらっしゃられるなかに、とりわけて優れていらっしゃいました。
なにもかにもが人に優れて、もちろん文の道にも暗くてはいらっしゃられませぬ。
御言葉遣いにも心も深く文などおつくりになられているその御有様、並々の博士ごときは及ぶところでさえもなくて、かの人のお送りさせていただいた文の片端を語るにつけても、かの国の御帝より始め、みなのものら驚き騒ぎ、涙留めることさえ出来かねる次第にございました。
さて、かうやうけんというところにお住まいであった御后、第三の大臣の娘、その御かたち限りもなくてその名を広め、楊貴妃なのどのようにも御帝に時めいてお想いいただきながらも、一の后をなどはじめて、数多の御方に嫉み憂えられて、内裏のうちにもご伺候ご遠慮差し上げさせていただくがほど、ただ、かうやうけんに留まっていらっしゃっていたものの、その宮のあたりにご伺候させていただく末端のくだらぬ人々などでさえ、この国の人に物言い、仕草する有様も寸分も違うことなく優雅でありました。
あるいは十月ばかり、時雨の雨に、故国に焦がれてもの侘びている頃に、御簾捲きあげて、菊の花を眺めて、琴をお弾きになられていたその御方の御かたち有様、琴の音さえもはや心にも及ばず、夢に見たようなその御姿をご拝見させていただいたのでした、と、御語られていらっしゃられれば、…《蓬莱洞の月》、と、…そういう風情か。
そう若やかに懐かしき御声をあわせられなさって、式部卿の宮の、ふと御口ずさみになられなさったのは、そのところの事については御心にも、珍しく優れてお感じられなされられたということであらせられようか。
また、三月ばかりの月霞みの頃に、おもしろく遊んだ折に、さんいうという、人々の月を見花を玩ぶところに、群がったものらの中に、なんとも稀にもめでたき御方まじられていらっしゃられたのでした。
また還り来たりましょう、いつかかならず、と、その別れを惜しんでやまないがうちに、やがてはひやうきうというところに、十五夜の宴が開かれたその折りに、それぞれの道々の物の上手どもの、優れた才を見比べていたほどには、その琴笛の音も文のみやびやかさも華やぎも、なんとも絵にも言われぬ有様でございましたものでございます。
月はやがて差し出でて、隈もなく澄みあがって冴えた頃に、御帝の御前に、女房ひとり召し出でられて、琴をお弾かせになさられましたその女、かたち有様、琴の音、この世もかの世も世に類もなかろうと嘆息したものにございますが、と、唯ひとりの御方の、唯ひとつの御姿を御心に想い浮かべてさせてうただかれられながら、いつか御心に染み渡り、想いつかれられるがままに御物語りになられられていらっしゃられれば、そのみやびの趣はいかにも深く、濃く騒ぐ。
かの国は女に優れた国と言うべきなのでしょうか。
楊貴妃、王昭君、李夫人などとおっしゃって、かつての世にもその数は数多いらっしゃられたようにございます。
かの玄宗帝の世の話しに伝わる、ご存知でございましょうその上陽宮にて眺めた女というのも、眼差しは芙蓉に似て、胸は珠に似ていたりと褒められてございます。
式部卿の宮の、ならば男はどうか。
だれかこのようにみやびあるいは美しさにおいて、その名を広めたものなどいたものだろうかとのお問いかけに、御君は、むかし、かうやうけんにいらっしゃられたという、はんがくとおっしゃられた御方などこそ、その名を伝えていらっしゃりまする。
いずれにしてもこのごろは京のなかにも、容貌も気配もたたずまいも、見苦しくは無い人々は数多いらっしゃいますが、かの日に見た女房らには並び獲るものではなく想われまする。
ましてや楊貴妃、王昭君など、ただただうるわしくていらっしゃられたものなのでございましょう。
言葉に絵に、喩えられているそのさまは、これほどの容貌はいかがなものであったかと想いつきもしますまい。
愛敬づき、にほやかなることの、あたりにまでこぼれて漏れ出すほどに見えることこそ、まさに稀なる事となど、御君は御語りになられられていらっしゃられつつも、式部卿の宮は御心に、その御物語りなさられる折々に、ゆらめて移り変わられる気配、たたずまいの、なんとも限りもなく美しく感じられなさられて、その眼にまざまざと描かれたように想い出でられ、心にじかにおとしこめられるその語られた唐土の風景に、なんと、この人は優れた人であったものかと想い遣られなさられて、どこまでも才にあふれ、何ともありがたく、いかにも稀にして珍しき人か、と、想わぬ感嘆さえ御心におつぶやきになられられていらっしゃられるのだった。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之三
夕ばえいと見るかひあるを、今はじめぬ事なれど、独り珍しう御覧じて、近く侍ふ人もなき程なれば、例の唐土の事いひ出でさせ給ふて、さしもなき事の、ことなくこの世にまさりたりと、見ゆる事やありしと問はせ給へば、見侍りしことに、いと目も心も及ばぬ事のみ候ふめりしかど、この世には同じことにて、こよはうかはりて、珍しう見ゆることもさぶらはざりしをとて、珍しうは何事をかは申しはべるべき。ひやうきうの八月十五夜の月の宴に、かうやうけんの后の、琴弾き給ひしをこそ申し出でめと思ふより、涙のさきに立ちぬべきに、つゝみて、さきざきも申し出でて止みにしを、かう常に問はせ給ふに、夜がたりにもしつべかりしことを、残しつゝ差し出でぬ事、人よりの御故、尽きせず恋しく、世の光を隠すやうなるも口をしければ、いみじう思ひためらひて、男の才(ざえ)さとりの深うかしこう、妙なるも常の事にて、女の勝れたるこそ、いと珍しう侍りしかと申し出で給へるに、それこそいといみじかりけることよ、ゆかしくこそと問はせたまふ。かの国の一の大臣の女(むすめ)、春宮の御母一の宮、才さとり、世の政かしこう、おぼえやんごとなかりしを、初三四もおとることなく、皆物の上手に侍りし中にも、五はすぐれて侍りき。まんな、かんな人に優れて、文の道くらからず。詞ぎき心深うなむ作り侍りしありさま、並々の博士は及ぶべくも侍らざりきとて、かの送り遣(おこ)せたりし文のかたはしを語り給ふに、帝よりはじめ奉り、皆驚き騒ぎ、御涙留め給はず。さてはかうやうけんといふ所に住み給ひし后、第三の大臣の女、容貌(かたち)限りなき名とりて、楊貴妃などのやうに、時めきおぼされながら、一の后をはじめ、数多の御方々にそねみうれへられて、内裏のうちにも候ひ給はで、かうやうけんにおはせし、その宮のあたりの人などは、この世の人に、物いひ有様も違ふ所なう侍りき。十月ばかりにうちしぐれつゝ、故郷の事恋しう思ひ侘び参りて侍りしかば、御簾捲きあげて、菊の花をながめて、琴弾き侍りし人の容貌有様、琴のね心もおよばず、いみじき人をなむ見給へりしと語り申せば、「后にやありけむ。」と問はせ給へば、さしも侍らじ、それは思ひわかれ侍らず、光輝くとは、これをいふべきなりけりと、見え給へりし女房七八人ばかり、いみじう麗しうさうぞきて、菊の花の中にまじりて、「蓬莱洞の月。」と、いと若やかに、懐しき声を合せて、ずんじ候ひしこそ、その所の事にては、珍しう優(いう)に見え聞え候ひしか。また三月ばかりの月かすみ、おもしろう候ひしに、さんいうといふ所に、月を見花を玩ぶ所に、人々の中に、いみじうめでたき人こそまじりて候ひしか。又罷り帰り侍らむとせし別れを惜しみしに、ひやうきうといふ所に、十五夜の宴せられしになむ、道々の物の上手どもの、勝れたる才ども見給へりしこそ、琴笛の音も文のつくりもいみじう候ひしことよ。月さし出でて、隈なく澄み上るほどに、帝の御前に、女房一人召し出で、琴弾かさせたまひし、そのかたちありさま、琴の音、この世もかの世も、世に類あらじと見給ひしと、唯ひとりの御事を心にしみて、覚ゆるまゝに語り申せば、いみじう興ありけることかな。かの国には、女すぐれたるなるべし。楊貴妃、王昭君(わうせうくん)、李夫人などいひて、あがりての世にも数多ありけり。上陽宮(じやうやうきう)にながめたる女も、眼(まなこ)は芙蓉に似たり。隣りなる女、これを思ひかけて、三歳(みとせ)まで見侍りけるを、はんがくはえ知らず侍りける。このごろもぞ京の中に、やうめいけしうはあらぬ人々侍りしかど、この見給ひし女房たちには、並ぶべきは候はざりき。いみじき楊貴妃王昭君なども、唯麗しう候ひけるなめり。たとへたるさま見侍るに、こればかりのかたちはいかでか侍らむ。唯麗しう気高うのみもあらず、愛敬づき、にほやかなることの、あたりまでこぼるばかり見え候ひしこそ、珍かにもと語りつゝも、うちかはるけしきの、限りなうも見留めけるかなと、心えさせたまふにつけても、おぼろげならざりけりと、ゆかしうめでたう思しやられて、なほ世にありがたく、珍かなる人なりや。
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