《浜松中納言物語》⑬ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三









浜松中納言物語









平安時代の夢と転生の物語

原文、および、現代語訳 ⑬









巻乃三









平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。

三島由紀夫《豊饒の海》の原案。

現代語訳。









《現代語訳》

現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。

原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。





濱松中納言物語

巻之三

十三、御君、唐土の御后想われること、転生の果ての再会をご祈願なさられること。


六月の宵の月のあざやかに赤く涼しきその光の翳りに、御遊びなどもお初めになられられて、尊くも趣もふかく時は過ぎて行く。

御父上にあらせられても御母上にあらせられても、ご伺候させていただくものらもふくめて周囲の人々の御心はそれらに愉しまれ御心から歓楽に酔うてさえいらっしゃるそのうちにも、御君ばかりは御心に嬉しくお想いになられられることの少なくて、さまざまなる煩事にざわめき立った御心の、やすらぐ日々のうちにしだいに落ち着かれなさられるにつけても、唐土にお渡りになられるその折りに、かの尼の姫君、その、今だ世を棄ててはいらっしゃられなかった花の御姫君にあらせられたその御姿に、心も深くお親しみさせていただかれられたのちに、ほどなく時経る間もなく異国へと立ち離れて仕舞われた御事に、その御方の、飽かずにも御心残りであらせられたのを、あれほどまでに遠く険しい異国への道を、御帝にわざわざ御暇お告げさせていただかれられて、にもかかわらず不意に想い立たれられて断って、まともな理由さえもなく故国、御姫君の御傍らにお留まりなられられるなど、世に赦させることでもなくて、そのような振る舞いなど怪しい心の惑いにすぎまいと御心を正されられて、御胸を砕かれられながらも想い立たれられて、海の上、浪にゆられられた時に、御姫君にあらせられては、その御心にこの想い、いかに推し量られておられようかと苦しくもお想いになられていらっしゃられた頃には、かの御身にはいちじるしくも御懐妊の御しるし顕れなどなされられて、いとおしくも心苦しく、取り巻く人々の御歎き、想い乱れていらっしゃったそのさまはいかばかりであったろうかとお想いめぐらしになられられるに、ただ万事為すすべもなく想われられるけれども、又幾許かも時経ずこちらに御立ち還りなさられて、こうして日々に睦ばれられて、御君の御もてなしも疎かなるものあらせられなければ、人々の御心をも、すこしはやすらいでいらっしゃられようものだが、その御契りの嬉しきにもあわれにはるかに隔たった、夢のようにお別れさせていただいて仕舞ったかの人、かうやうけんの御后、たとえその御方がこの身を何とも想わずに、歯牙にもおかけになられられなかったとしても、三の皇子の御心は深く、想いをかさねていただいたかの御気色、かつて親子と結び置かせていただいた御契りは、転生の果てに身を変えて、あまりにも遠く世を隔てても、不変にして永遠なるものにてあったかとお考えつかれていらっしゃられれば、御后も、せっかくに結ばれた御若君を、なんとも手放し難くただただあわれにお想いになられていらっしゃられたようにお見かけさせていただいた、その、異国の地にて、ふたたび逢いまみえることも叶わずに御心に悲しんでおられられようその御心の御有様の、なんとも想い遣るにしても切ない心惑いは為すすべもない。

世の中の事はなるようにしかなりはしないものとは言いながらも、世を棄て出家して岩の上に坐すような、そんな挙句に佛の御加護に期待させていただくでもほかにすべもない御事、さりとても御君は御心に、わたしの心にも想いはつもりゆきて仕方もないとお想いになられていらっやるのを、これはもはや、やがては後の世に身を変えて、転生の果ての濁世の来世にこそ廻り逢え、今はこの世にその身にお添いさせていただくすべなどありはすまい。

かの限りもなく美しき人、この世にあってはさんいうの春の夢を限りにして、睦び逢う時は尽きて仕舞ったに違いあるまいと、お想いなられつづけていらっしゃられれば、極楽成仏、俗世解脱の御望みはさしおかれても、転生の果てに生を変えて、互いに御心を通わさせていただいて、御身の御父宮に廻り逢わせていただいたその御事のように、やがてはいつか再び逢いまみえて、御后の御心のうちに、この心かさねて同じ風景を並んで見させていただきたいものと、御君は御想い侘びなさられつつも今はこの世、この身のままに、今一度だけでもどうかその御後姿、一瞬であっても垣間見せよと、佛に念じるでも以外に為すすべもなく、御心はただもの憂くていらっしゃられられた。

この心はなんとも深く、罪深きほうにばかり沈んでいくものか。ただ、歎かわしいばかりだ、と、ひとり御心にお想いであらせられる。

その御想い離れられはなさられぬがままに、御心に愛されて仕舞われた御方を、せめてのかりそめにでも時を同じうなさられようと御志たてられなさられて、世の人々のお笑い種になられられるがまでにも、御心に堅く御想い、文にもおしたためもなさられた甲斐もなく、かの異国の遠く手も届かぬ人に、夢のような御契りを結ばせていただいて、長きこの世の想いをもただ重く、辛くさせて仕舞って、この世もかの世もいたずらに罪に沈めて仕舞った心地さえするこの契り、世に類もなく恨めしく、悲しくと、ただ想い侘びなさられていらっしゃられつつ、三吉野に御みずから、この俗世に留まられた御姿のままで詣でられようとはお想いにはなられられない。御消息は、四五日を隔ててお送りにりになられられていらっしゃられる。

こまやかなる御心おつくしなさられられりその御有様などは、すべて想い至らぬ隈などもあらせられずに、多くの海山を隔てられ、契りをむすばれられて、いまや燃え渡る御心の救魂の炎はさめようもあらせられなくて唯、片時も怠らず、佛を想い御営みなされられていらっしゃられるつつましい日々であらせられれば、何の異変の兆されることもない。七月七日の夕方に、内裏へご参上なさられれば、風も涼しくなごやかに、御前の前栽の樹木、緑、花々、いろいろにおもしろくて、かつて尼の姫君を求められた式部卿の宮もご参上なされられていらっしゃられて、殿中に源中納言の御君のご参上お告げさせていただく声のすれば、こなたにとお召しになられられるので、御君は、御参りさせていただかれなさる。





《原文》

下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。

なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。





濱松中納言物語

巻之三


六月の月、いみじう赤う涼しきかげに、御遊びなど初まりて、この夜もかの夜も、尊くおもしろうて過ぎぬ。人々の御心行き給へるが、嬉しう思ふ事なうて、心皆落ちゐぬるにつけても、唐土に渡りし程、かの姫君を見なれて、程もなく立ち離れむ、飽かずいみじかりしを、さばかりの道を、公にわざと暇申して、思ひ立ち俄にとゞまらむも、その事となきに、いと怪しかるべしと心を尽し、胸をくだきながら思ひ立ちて、いかに思すらむと、推し量り思ひしよりも、著きしるしさへありて、いとほしう心苦しう、人々の歎き乱れ給ふけむと思ふに、いみじけれど、又いくばくも経ず立ちかへり来て、かくながらも、我がもてなし疎(おろか)ならねば、人々の御心をも、少し思しなほるべかめるも、嬉しきにも哀れ遥かに隔たり、夢のやうにてわかれ奉りにし、かうやうけんの后、我をば何と思さずとも、三の皇子の思したりしけしき、親子と結び置きつるちぎりは、身を代へ世をへだてても、かはらぬものなりけりと見しりにしかば、この若君を、いとあはれに放ちがたげに思したりと聞きしに、又行きあひ見給ふべきやうもなくてうち思しおこすらむ御心のほど、思ひやるかなしさせむかたなし。世の中(うち)のことは、あるまじうて思ひなることなれども、岩の上のためしを頼む事にて、さりとも我が志、積り行く事ありなむと思ふべきを、これは身をかへてのみこそ、今はかの御あたりによるやうもあらめ。この世には、さんいうの春の夢を限りにて、止みぬるぞかしと思ひ続けては、言はむかたなう、心も肝も惑ひうする心地のすれば、極楽の望みはさしおかれ、生(しやう)をかへても、互(かたみ)にさぞかしと思し交して、我が父宮に逢ひ奉りしやうに行きあひ奉りて、后の思すらむ御心のうちを、見まほしく思ひわびつゝ、今は唯この御あたり、今一度あひ見せ給へと、念ぜらるゝ事より外になきも思へば心うし。我が心は、いとかく罪深き方に身を沈め、歎かむとや思ひし。その思ひ離れむとてこそ、にくからず見留めつべき人をも、せめて過し聞き入れば、世の人にももどき笑はれぬべきまで、心強う思ひしたゝめしかひなう、知らぬ世界の及びなき人に、夢のやうなる契りを結びて、長き世の思ひをも重くなして、この世もかの世も、いたずらになしつる心地する契り、世に似ずうらめしう、悲しうおぼしわびつゝ、三吉野に、みづからこそありしまゝにえまうで給はね。御消息は、四五日を隔てて奉り給ふ。こまやかなる御心しらひなどは、すべて思し至らぬ隈なく、多くの海山を隔てて、契りを結び奉りて、燃え渡る胸のほのほ、さむる事には、唯、この事を片時怠らず、思しいとなみてもあふ道ならねば、何のしるしもなかりけり。七月七日の夕つかた、内裏(うち)へ参り給へれば、風すゞしうて、御前の前栽いろいろおもしろきに、式部卿の宮候はせ給ひて、殿上に源中納言参り給へりと聞し召して、こなたにと召したれば、まゐり給へる。 






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

0コメント

  • 1000 / 1000