小説《ザグレウスは憩う》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/ザグレウス…世界の果ての恋愛小説⑤ブログ版







ザグレウスは憩う

…散文




《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。

Prelude in A minor, 1913, Joseph-Maurice Ravel




《in the sea of the pluto》連作:Ⅰ

Ζαγρεύς

ザグレウス

 










ヴーを筆頭に、クイの家族たちの中で、人徳者として公認されたフエは敬愛され、尊敬されこそしても批判されるべき対象ではなかったから、そのフエの撒き散らす理不尽は、為すすべもなく赦され理解されるしかないのだった。マイの沈黙と同じように。

やがて、私の立てた笑い声が、外の主幹道路のバイクの群れの騒音さえも届かない、内庭に寂たる大気の中に消え去って、ややあって、私が彼女から目線をそらそうとした瞬間に、タオは当然のように私を振り返った。私を見つめた。

ん?…と。

その言葉もなく、タオの眼差しはただ、なにかに追い詰められた色彩を見せ付けるままに、冷静に、自らが曝された危機をだけ訴えた。私に縋る気配さえ匂わせずに。ただ、私をさえ突き放して仕舞おうとしたような、無関心さをほのめかしながら。…どうしたの?

想う。私は、そして、「どう、…」

と。

「しました、…」その、「か?」…言葉。

言った、その私の言葉を両眼に、見つめた唇の動きに追いながら、タオは私を見つめつづけていた。「どう、しました、か?」わかるわよ。

じっと、

…ねぇ

見つめれば、

わかる?…わたし

言葉なんか、

ね?

聴きもせずに

かなしいの

分かって

わかる?

仕舞うものよ。…と、その悩ましげなだけで、なにも語りかけようとはしない冴えた眼差しが、私には、そうつぶやいている気がしていた。「…います。」タオが、ゆっくりと、ささやく。

いまっ

「上に、」

ううぇにぃ

「います。」

ぃいまっ

かすかに想いあぐね、何かを想いだそうとして、想い出しようもないことに気付いて、不意におののき、呆然としながら、それら、そんな心のかすかな動揺を、ほとんど変わりもしない表情の中で、うごき。小さくゆれうごく黒眼だけが、あからさまな鮮度を持って、私に曝す。

「chuột …が、」

そして想いあぐねた表情を一瞬だけ曝し、

「上にいます。」

chuộtんが

タオは

うぇぃいまっ

日本語を勉強していた。近所の、留学経験があるベトナム人が開いた塾で。いまどき、珍しくもなかった。片言の日本語が話せ、そして、教科書には出てこない鼠(chuột)という言葉をなど、タオは知っているわけもなかった。私はふたたび、表情を作ることを想い出して、眼の前の幼い彼女のために微笑んで、私はタオをふたたび見つめた。

物置兼クイの大量の書類置き場になってる離れの角から、喉を痛々しいほどに腫らした病んだ犬が、やっとのことで歩を進めて、のろのろと内庭に這い出してきた。木漏れ日が、その褪せた茶色の毛の上に斑で繊細な、消えうせそうな翳りを投げて、犬はそれに対して何の防御のしようもない。あるいは、防御する必然などなにもない。私も。タオも。私たちは木漏れ日に同じように翳らせられて、私は瞬く。瞬間、タオは声を立てて笑った。

タオが上方、指差した指の先を眼差しにたどると、背の高いその樹木の、一番低い枝、とはいえ、天井の高い家屋の二階の丁度真ん中くらいなのだが、そこにでたらめな放射を曝した枝のひとつに、死んだ鼠がその死体を曝して、引っかかっていた。どこかの猫に屠殺された挙句に、樹木の上にまで確保され、そして、その存在を忘れらて仕舞ったに違いない。あの死体を始末しろ、と、そう言いたいのか、ただ、その存在を知らせてみたかっただけなのか。あるいは、単に、自分が気を取られていたものが何なのか、その秘密を打ち明けなければならない必然に、彼女は駆られていたのか。

タオは、ただ、その枝に引っかかった樹木を指差していた。

蚊帳を上げて、ベッドに横たわり、帰ってくるのを待っていた。シャワールームに消えて行ったフエを。素肌を曝して、その体中にまとわりついたままの水滴をバスタオルに拭いながら、寝室に入ってきたフエは、…あら。

Anh đẹp trái

ハンサムさん。

そう言って、笑った。微笑むわけでもなく、私はフエの濡れた髪を見た。未だに水滴を滴らせる黒髪は、いかに念入りに体をバスタオルが拭おうとも、さらにその上から濡らして仕舞う。そんな事には構いもせずに、フエはバスタオルをベッドの上、私の腹部に投げ捨てると、

綺麗な日には

引き出しの中に、彼女の

綺麗なからだを曝してみるの

喪服を探した。茶色い

雨降る日には

アオヤイ風の宗徒服は、確かに

青い涙を

フエの顔立ちに

流してみるの

似合った。派手なところのなく、そして、かならずしも

晴れた日には

可愛げのあるわけでもない

燃え上らせてみるの

顔に。

からだのすべてを

鼻歌を

音もなく

歌いだしそうなそぶりがあって、いまに

燃え上る

尻さえ

野生の

振りはじめるのではないかと

太陽の下に

訝るほどに、その朝のフエは上機嫌だった。

いまだに髪の毛さえ生乾きのままのフエを、私はバイクの後ろに乗せた。粗い喪服の触感が、気配として背中に感じられ、至近距離にふれ合えば、フエのいまだに濡れた身体と髪の毛の匂いが否応もなく、水気に倦んだ匂いを撒き散らして、背中にしがみつくフエの体温は私の背中を温めずにはおかない。庭先のブーゲンビリアが花を散らせた。晴れた空は、濃い光をその樹木に惜しげもなく降り注がせて、花々はきらめく。その、むらさきに近い紅彩を一切、色褪せさせもしないままに。

通りに出ると、焼け落ちたブロックはいまだにまともな再興を果たさないままに、むしろ片付けられはじめたせいで、より凄んだ惨状を気配させていた。家屋から運び出された燃え残りの残骸が、そのまま残骸として歩道のいたるところを埋め尽くし、時には車道にまでにもはみ出す。コンクリートの躯体の取り壊しをしようと言うのだろうか。鉄球をぶら下げた解体車両が車道の半分を塞いで止まり、とは言え、なにをし始めるわけでもなく、ドライバーはそのあるかなきかの日陰に煙草を吹かせているにすぎない。何をしようと言うのか、家屋の居住者たちは道端に適当にプラスティックの椅子を並べて話し込み、お互いの身の上を歎くのか、囃し立てるのか、ときに笑い声さが立つ。通りを隔てた無傷の向かいにはいくつかの飲食店が、やる気もなくいつもの閑散とした営業を続けていた。

何人かが、海際の橋から身を投げて自殺したことは知っている。ひとりは50代の男。家族の半数以上が、炎に焼き殺されるか、煙に窒息死させられるかしていた。ひとりはひどいやけどを負った三十代の女。顔と右腕に。夫と三歳の娘が、炎か黒煙にかに殺されて仕舞った。ひとりは、私も一度一緒に酒を飲んだことがある70代の老人。彼の家族のうちの何人かは、それでも生き残っているはずだった。その怪我とやけどの重度は知らない。所詮は人事にすぎない気配の中で、私は単なる他人の身の振り方の始末の仕方としての自殺に、どこかで自分勝手な無責任さをさえ感じて仕舞っていたのも事実だった。その感覚が、倫理的に許されるのかどうかはわからない。すくなくとも、死んで仕舞えば彼らは自由になれた。自分ひとりでさっさと死んで仕舞う気ままな自己放棄への容赦のない非難じみた軽蔑が、私の眼差しの中に芽生えていた。そんな感慨にふけりこむ自分の勝手で無自覚な無責任さと愚劣さをも軽蔑しながら。とはいえ、いずれにせよ彼らが直面しているは、留保もなき悲劇であるには違いなかった。

午前8時。近親者の弔いの朝の弔問としては、あきらかに遅すぎた。アンのように、6時くらいにはすくなくともいちど顔を見せておいたほうがいいに決まっている。町は、奇妙なほどに人翳がない。その理由などは知っている。日曜日の午前、人々は町の中心部に遊びに出かけて仕舞ったか、遅い寝起きのまどろみをむさぼりたいだけむさぼっているか、そのどちらかに違いない。クイのうちの前にバイクを止めると、氷屋も何も休業していて、仮設の葬儀場が一階に、いかにも派手派手しくしつらえられていた。

歩道は言うまでもなく、前面の車線にさえ少しばかりはみ出してテントが張られ、日差しを避けたその翳りの中に、みっつばかりのパーティ用の丸テーブルが並べられていた。垂らされたテーブルクロスは中華紋様を曝して、アルコール飲料はさすがにない。それぞれのテーブルの上に水とお茶とグラスが並べられて、洗いもしないで、かわるがわるにそのグラスに水を取る。飲む。話しつかれた渇きを癒す。群がった人々の好き勝手な話し声が渦をまく。軒先の、皺塗れの白装束をまとったヴァンが手を振った。…よく来たわね。

あら

待っていたのよ。

ハンサムさん

参列者の数人が、

あなたも

かわるがわるに

来てくれたのね

私たちを振り向き見て、手を振るなり、微笑むなり、肩を抱いていきなり頓狂な声をかけるなり、それぞれに固有の仕草さを私たちにくれた。かならずしも、昨日、家族一同の命の根拠たる翁の遺体が戻ってきたばかりの家であるとは想えない。そんな陽気さと気安さがはり、私はいつものように戸惑う。彼らと同じように、いま、この場で、私も微笑んだり、声を立てて笑ったりしていいものなのだろうか?

確かに

笑ってごらん

彼ら現地人たちは、想い想いの

きっと

現地風のたたずまいを見せるのだが、

きみも

私のような異人種が、彼らに殉じて

笑えるから

同じような振る舞いをした場合、むしろ

きみだって

彼らの眼差しが

もっとすてきに

外国人の不埒な振る舞いとして

笑えるはずだって

捉えて仕舞わないというわけでもない気が

ぼくだって

した。私は、

知ってるから

彼らのようにあけすけに振る舞うのを遠慮するしかなく、それがむしろ彼らの目に、あまりにも慎ましやかな異国流儀に見えていることをは知っていた。テントの傍らにかろうじて確保されていた駐車スペースに、私はバイクを止めた。

親族は、二十人近くが顔を出していた。たぶん、これから埋葬まで一週間近く弔いの日々は続く。しつらえられた祭壇はお決まりの白い花々で埋まり、花々は好き勝手に潤んだ、どこか色気だった匂いを撒き散らして、女たちをさえ地味に隠して仕舞う。突き当りの壁一面に、亡くなったヴーの名前が印刷された巨大なビニール・シートが飾り付けられて、煙だった香の匂いが舞う。忌問者の到来を告げる太鼓とドラが鳴らされて、クイの息子たる二十歳すぎのカーKhaが私が差し出した供え物の線香の束を、盆にうやうやしく受け取った。

三度の礼を祭壇に捧げて、そのたびに床のござの上に膝を屈してひざまづき、そのいかにも宗教じみた礼拝法を、フエにならないながらたどたどしく模倣する。線香を、

ほら、…きっと

私はひとりで

きみにも

祭壇にささげる。傍らで、ただ

できるから、…ね?

つつましやかに

やってごらん。ぼくの

フエは、

するように

そんな私の仕草さを見守っているにすぎない。夫のいる女はその手みずからで死者を穢すことしない、ということなのだろうか。すくなくともアジアにおいては、その土俗的な感性において、日本のイザナギ・イザナミ神話を含めて、生命を生み出すものは生命それ自体に穢されているという、そんな感覚にもとづく作法が多いのは事実なので、ここにもそんな感覚のヴァリエーションのひとつが、人々の眼差しに映る風景を、その後景として支配しているかも知れない。いずれにしても、礼拝を私を任せるきるとき、フエはいつでもつつましやかに、背後に控える。いかにも貞淑に。

女たちは十人近く祭壇の裏、ヴーの遺体を収めた棺の傍らの床に座り込み、胡坐をかいてその、使いまわされすぎて褪せた白装束を皺だらけにまとったの集団は、白装束の下、本来純白で在るべき色彩の、文字通りできそこないの薄穢れた破綻した肌色の塊りにしか見えない。無言のままにざわめき立った眼差しの群れが連鎖しながら、時差を持って私たちを捉えて、それぞれ勝手にゆらぎ、ばらばらにうごめき、耳打ちの声さえ聴こえて、いずれにせよ、ようやくにして、かろうじて何かを哀れみ儚んでいる人々の気配にふれれば、これが埋葬の儀式の風景であったことにいまさら気付かされる。

群れた白い塊りに、縋るつくように駆け寄ったフエは、すでにその眼差しの中、女たちの群れのうちに、自分が取りすがるべき人物を見出していたのだった。それはヴーの妻だった。八十代半ばのヒエンHiềnという名の老婆は、物言わないままの皺としみにまみれた歎きの表情に、その眼差しをいっぱいに悲しみをみなぎらせていたフエの、倒れこむように自分に縋りついた仕草さを愛でて、その頭を抱く。私に微笑むかける上目のヒエンの眼差しに、私は弱々しい微笑をただ、返してやるしかない。いずれにしても、寄り添った女たちの集団の中にだけ、確かに、かすかなものではあっても歎きは鮮明に存在していた。

クイの姿はどこにも見えない。断りきれない所用のために、どこかに出かけているのかもしれない。町の名士にして、カンボジア戦役の英雄にして、著名な慈善家たるクイに、たとえ父親の弔いの週ではあっても、体を休める暇などない、ということなのかもしれない。父親との反目があったとも想えない。振り返って、私はそして棺を覗き込めば、ヴーの濃い死化粧を施された花々に埋もれこんだ遺体の曝した顔は、インターネットで見たどこかの国の死体の腐らない奇跡の聖人だとか、そんな風にさえ見えた。あきらかに化粧が濃すぎて、まるで蠟細工のようしか見えない。苦しみの痕跡は見えない。それとも、地肌に刻まれていたその痕跡を、もはや塗料と化した化粧が覆い隠して奪い去って仕舞ったのだろうか。苦しみながら彼は死んだのだろうか。その最期に。苦しむ隙さえもない、あっけない死だったのか。あるいは、死に先行してすでに消滅していた意識は、鮮明であるべき苦しみさえ知覚しないままに、一切その匂いにもふれもしないままにやり過ごして仕舞ったのだろうか。一度だけ胸元に、ちいさく手を合わせた。

九十歳を超えている長老なのだから、彼は戦争で人をひとりふたり殺したことがあるどころか、さまざまな風景を見出して北に違いない。フランスによる占領下、殖民地支配の風景。そこからの独立運動、あるいは局所的暴動、突発的な抗争、不意のゲリラ、やがてかつての大日本帝国の到来。彼らによるヴィシー政権との共同統治。そして敗戦と供に彼らはいなくなれば、その八月に北のほうで勃発する八月革命、だれかがふたたびこの地に殖民地支配に来る前に、どこかの国が勝手に宗主国たることを宣言してしまう前に、彼らは勝手に独立を宣言し、いずれにしても彼らには此処にすでに固有の国家が存在することを、世界中の人間たちに明示し告知してやる必要があった。攻め込んだフランス兵との再会。そして新手のソヴィエトの軍人たちのロシア語が飛び交い、アメリカの軍人たちのアメリカ英語が飛び交い、独立戦線に協力し始めた一部の残留日本兵がクアン・ガイに違法なる非承認国家たるベトナムのためのゲリラ兵学校を作った。さまざまな場所で、さまざまな思惑による紛争が勃発して、ながいながい戦争の時代が来る。ヴァンの前半生どころか、その最期の二十年たらずを除けば、ことごとくが戦争か、紛争か、独立闘争の時代にあてはまめられて仕舞う。フランス兵の軍用銃から、日本軍の日本製の歩兵銃、アメリカの、ソヴィエトの機関銃、あるいはどさくさに紛れて中国人と韓国人の発砲した銃弾をまでヴァンは知り、そして、フランス兵が、日本兵が、アメリカ兵が、韓国兵が、この地の女たちに生ませた子供たちを見てきた。時には報われることの少ない愛によって。そしてその大半は容赦もない戦場地域にありふれた単なる日常的な暴力のひとつとして。生きているという事は、生き残っていると言うことにすぎない。その当たり前の事実を隠すことも出来ない時間の無造作な集積に、ヴァンはその人生の大半を浸した。

なにか、いつか自分勝手に想いあぐねて、歯軋りしそうなほどに感傷的な、どうしようもないはらわたに滲みる惨めったらしさを、誰にと言うわけでもなく感じて仕舞いながらも私はその場を離れようとし、表で、近親者たちの雑談に交わる気にもなれなかった私は、私に向って振り上げられたいくつかの手と喚声に、気付かなかったことにして、奥、ひとりで裏庭に出た。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

0コメント

  • 1000 / 1000