《浜松中納言物語》⑪ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑪
巻乃三
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之三
十一、御君、娘の君を想われること、娘の君、お渡りになること。
夕方になって、その中納言の御君の御文は、お忍びで届けられる。
想い遣るすべさえもない
暮れるがままに歎くしかないのだろうか
あなたになおも焦がれながら
思ひやるかたこそなけれ暮るゝまを歎きやすべきなほや待つべき
何となく、心は焦がれ、憧れて、乱れて惑うにうち泣かれられて
そま河におろす筏のいかにとも云うべきかたなくぞなかるゝ
そま河に下ろす筏のいかにか渡る
いうべきすべもなく孤独のうちに
ただうち泣かれるのです
ただ河に浮んで
あてどなく流れに流されながら
とあるのを、志のあるが故の御文であれば、誠に心は浮ぶ心地して、忍んで尼の君にお見せしてさしあげられなさって、この姫君の心苦しき気配も感ぜられればいかがしたものか想うのですが、そうは言ってももし世の中に漏れ聞こえることであれば、恐ろしくも難しくばかりなってしまうでしょう。
とはいえ、このままにすべて、お仕舞いにしてしまえば哀れというものでしょう。
このような色恋のことに馴れ親しんだ人であれば、慣れきったことなのでしょうが。
なかなか馴れないこのようなことには、どうしても息苦しくさえ感じられてしまうのですよとおっしゃっていらっしゃれば、確かに悩ましいことと尼の姫君もお想いになられられて、手の焼けることの出来するまえに、世に背いた道に誘ってみてもよろしいでしょうかとおっしゃられる。
道理でもあれば御君は、とはいえこれも誰のせいなのですか、あなたこそそうして世も私をも背いてしまったのですよ。
人は皆、又も女を背かせてしまわれたとこそ噂しようもですよとおっしゃられれば、尼の姫君、ただ御顔お赤くお染めになられて、ともかくも娘の君をこちらにお迎えさせていただくご用意をもてなされられて、御君は、こうもしていただくのはこの世に在り難くとおっしゃって差し上げられれば、かの御胸つぶつぶとふるえる御心地さえなさられておいでであらせられた。
これより後に、御暇のときなど在り難くてあらせられれば、男も女も、かたみ互いに哀れと想いあわれていらっしゃられながら、しばしは、行き逢うこともむずかしくあらせられた。
二十日の日の夕暮れの終わり、娘の君は宵のほどには夢の浮き橋にさまよわれる御心地さえなさって、あわれにかの御方を想い出されていらっしゃる。
衛門の督のいらっしゃって、こうこうの事がございましたと、それなりの長い日々に親しんだ御みずからを傍らにおきながらお語りになるのをご拝見させていただいても、御君とのふれあいを、この人も怪しいと必ず想いつかれるに違いなく想われながら、とはいえこうしたもの想いも、過ぎ行く日々の雑事に想い紛らわされなさって、いたしかたなく、さりとても御方のお出ましを黙ってお待ち申し上げるしかない身の上、まさに寄る辺もない蓬のごとき現状であれば、そうなるならそうなるしかあるまい。
何とも物欲しげに、心をまげて生きながらえても、とは言えこう言え、結局は同じところに行き着くにも違いないけれど、御君の、大殿の対にお迎えさせていただこうと想っているのですと、何のうら心もなくおっしゃっていただくのにもさえ、心に憂いは浮んでしまえば、かさねて、さりげなく、ただちに迎えさせていただくのも世の一般の声も煩わしかろうでしょうから、もう少しときをお待ちくださいませとおっしゃられるけれど、その御心はかたくていらっしゃれば、たしかにそうでございましょう、お心のままにとお返しさせていただいておられる。
六月十日の前後に、娘の君は、おほい殿の西の対に、なんとも見事に御装束よそいになられられて、おわたりになられなさる。
御儀式ご拝見させていただかんとて、中納言の御君とかくやすらがれていらっしゃられれば、我諸共にと立ち添うて、車五つばかり、御前数多に集って、ことごとしきまでにおもてなしさしあげさせていただいているのを、御君もさすがに御心に懸けてお感せられなさられる。
御母上のおっしゃられるように、それは確かにこよなき我が身の幸福でこそあろう。
示された御志のほどはどうであろうとも、我なればこれほどまでに取り繕ってもてなす事はできかねよう。
それらの人々の振る舞い、御想い留められなさって御心に深くお感ぜられなさっておられるけれども、やがては幽かなる山里にかの娘の君を隠し置いて、ときに忍んでかよわせていただこうか。
そうなれば、女はいかに心細くていらっしゃることかと、想い続けられなさられてお帰りになられられるのに、衛門の督、その御故郷はその道中であれば、その角の隅に、人翳もなく寂しいところがそこであった。
目に映るもの、なにもかにもがいかにも哀れにすぎて、想い断ち難くて故郷に下りられれば、簾をあげて人々は出で進んでくる。
声の群れのつらなり、唯今お下りになったことを口々に言って、心も憂きがままの奥の方から、老いさらばえた声の人出で来て、その時、衛門の督は渡られた。
御君はこの夕暮れに娘の君をお迎えにいらっしゃられて、ひとつの御車にて、二十人の御前、車いつつ簾あげて、人々は乗りこぼれるがばかりに、御ほどこしなど下されてねんごろに、それは騒がしいほどであらせられた。
ここでも御前にさまざまな御施しなどあらせられた。
あわれ、なんとあさましいことか、眼の前に、なんとも騒がしいことを見たことだと、言い続けて、その泣くさまのすさまじさは御乳母かなにかでいらっしゃるのだろうか。
もろもろの人々も聞きわずらって、嫉ましがるのを、御みずからも端のほうにいらっしゃってお聞きになる。
とはいえ、言い難く、聞き難くて、そしてその甲斐もないことだよ、言っても仕方あるまいと、忍びやかにおっしゃる気配、あでやかでさえあった。
いずれにしてもこの年ごろに、かの娘の君を、こう歎かせてばかりいて、このようなところにうずもれさせてしまったその結果して、このような次第の出来した事もまた事実であったろう。
衛門の督もなにも人々は、なお少しは、物言うべきところは言うべきではあったろうが、なんとあまりもななさりようかとこのような次第を、眼に入れなければならないのもまた因果なものかとおっしゃっておられれば、この涙、流れて止まるものならば流れすさんで止めて見せよとうち泣いておられる、そのさまは少し大人びすぎて、忍びやかにあわれであった。
なににつけてもとにもかくにも、涙ぐましき心に、御君は、御心に感ぜさせていただくところもあらせられて、御みずからもお立ち寄り差し上げられて、かの御心お慰めさせていただこうかとお想になられるけれども、ひたすらに歎き悲しみ想い騒がれておいでであるのに、不意にご来訪差し上げるわけにもいかれず、右衛門の督の見たところ、例もないほどのお迎えに騒ぎたっているのを聞き置いて、そんな折のそこにお慰めの来訪など、できるわけもなく想われれば、立ち出でてお帰りになるままに、右衛門の督は、なおも想いのままに、なんとあさはかにことをすすめてしまった人であることか。
實に人がらは若く盛りでありながら、空しさは空に満ちるがばかり。
さまざまのことを想い侘びて、世の常にならざるささいな心の動きにさえも、心惑わせる人であれば、ましてやこうも想いをかさねた人の御事であれば、心をすべなく惑わせるばかりでいらっしゃるのも道理ではありながら、と、やがて想い沈んで立ち去られたことは、なんとも心も憂いかぎりではある。
中納言の御君は、我が心もかの心もひとつになさられて、よからぬもの想いはもはやもどかしくこそ想われなさって、娘の君も、これまでの日々さまざまのことどもも、もとの北の方の御事などお語りあいになられて、その屋敷のうちにあらせられた頃にこそは、このようにも世に知られて、あざやかに想い並ぶ方さえもなく、日々を過ごしていらっしゃったものにと、人の恨み言を耳に入れるほどにお感ぜられれば、こうも親に背かせてしまった御心には、いかなることを想うていらっしゃられようか。
ただ、世の中のうわさの声、大将殿の御父上らのお感ぜられているらしいことども、さらには少将の乳母もさすがに心を砕いていられようかと案じられる心のうち、さまざまに想い案じられなさられるに、いずれにしても世の中に例のない我が身のありさまであることかと人のうわさも思惑も、綺麗に片付くこととてありはせず、世の中に声のやむ事などありもしないと、御君は、想われるにつけても、神佛を祀りつつも、御身の御行く先の宿命をもお知りになさられないがままにお契りになられられた。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之三
夕方になりて、そこの人の御文はいと忍びてある。
思ひやるかたこそなけれ暮るゝまを歎きやすべきなほや待つべき
何となく心あくがれ乱れくらすに、うちなかれて、
そま河におろす筏のいかにとも云うべきかたなくぞなかるゝ
とあるを、志のあればにや、誠に浮ぶ心地して、忍びて女君に見せ奉り給うて、心苦しきけはひのしたれば、すさまじうも覚えぬを、えさらぬなかに、もし漏れ聞えば、いと恐ろしう便なかるべし。さりとてかくて止みなば哀れなり。この方にしほじみたる人は、いかなるも心安げなり。ありつかぬかやうの事は、所せうこそありけれと語らひ聞え給へば、いとほしと覚えて、かゝらざらむさきにこそは、誘ひ給ひてましかと宣ふ。道理なれば、これもたれゆゑぞ、うちうちこそかう背きはてられ奉りたれ。人ぎきに、又人をなたへ奉らじと思ひ侍りしぞと宣へば、唯御顔のみ赤くなり渡りて、ともかくも聞え給はぬ用意もてなし、猶いとかばかりなるは、この世にありがたくこそとうち守り聞え給ふに、御胸つぶつぶとなる心地せられ給ふ。それより後ひまいとありがたくて、男も女も互(かたみ)にあはれと心をかはし聞え給ひながら、行きあふこといとかたし。はつかに夕暮のまぎれ、よひのほどほどは、夢の浮橋の心地して、あはれに思し出でらる。衛門の督わざと来て、かうかうの事なむ侍ると、年比になりぬる人をおきながら、かゝるありさまを人も怪しと、必ず思ひ侍らむと思ふ思ふ、さるべきにや、これも過さむ事に思ひ紛はして、やむまじく、さりとても出でて通ひ侍らむも、たづきなく寂しき蓬の本ならば、さても侍りぬべし。豊かなるたづき求め顔に、ねぢけがましきにながらへ侍らば、とてもかくても同じ事なるべけれども、大将の対になむ迎へてむと、思ひなりにたると、うらもなう言ひ合せ給ふも、いとほしければ、さりげなうて、忽ちに迎へ給はむも、世の音きき、すこし顕証(けんそう)に、もて出でがほにこそあらめと聞けど、いみじう心入れて思ひ給へる事を、あしかなりと聞えむも便なければ、げにもさもありと聞え給ふ。六月十日よ日、おほい殿西の対に、いみじうしつらひてわたい給ふ。儀式見むと思して、中納言とかく休らひて見給へば、我諸共に立ちそひて、東五ばかり、御前いとあまた、ことごとしうもてない渡い給ふさま、いみじう心に入りげなり。母のいふらむやうに、こよなき幸福(さいはひ)なりかし。志いみじうとも、我はさこそえかうもてなさざらまし。女のためにいかに心細からましと、思し続けて帰り給ふに、衛門の督、御故郷は道なりければ、かどのほどに、人かげもせずさびしげなり。いかゞあはれ過ぎ難うており給へれば、簾あげて人々出で進むなるべし。声々唯今迎へらるゝ事をぞいひあさみ、心うかりける奥の方より、おいしらへたる声したる人出で来て、只今ぞわたり給ひにける。殿はこの夕暮に迎へにおはしまいて、ひとつ車にて、二十人の御前、車五つ簾あげて、いみじう乗りこぼれ、御まうけなど心に入れてこそおぼし騒ぐなれ。こゝにも御前にかづけものなどしけり。あはれあさましや、目の前に、さわがるゝ事もありけるはと言ひ続けて、泣くさまのいみじきは、御乳母などやうの人なるべし。いとゞ人々も聞きあざみ嫉がるを、御みづからも端つかたにおはするなるべし。さばれ、聞きにくくかうないひそ、いふにもよらぬものなりと、忍びやかに宣ふけはひ、あてやかなり。いでや年ごろも、かうのみ物をおぼしめいて、うづもれすごさせ給うてのはてはては、遂にかゝる事も出来ぬるぞかし。猶少し人はいふべきことをも、仰せられたるこそよけれ、いとあまりなると見奉るつもりの、かゝるめも御覧ずるぞかしといふなれば、泣くにしろとまるものならばとうち泣きたる、少し大人び過ぎて、忍びやかにあはれなり。すゞろにいみじう、涙ぐましう心まさりして、我立ちよりて、とぶらひもやせむとおぼしけれど、ことことなく歎き入り思ひ騒ぐに、ゆくりなうさし出でたらむもおもなく、右衛門督の聞き給はむ所も、例さもあらぬに、迎へ騒げるを見置きて、こゝにとぶらはむも、もどきがほに便なければ、立ち出で給ひて帰るまゝに、右衛門督は、なほ思ひのまゝに、あさはかに物し給ふ人なりや。實に人がらは若く盛りに、空しきそらにみちぬばかり、いみじき事を思ひわび、世のつねならむ心にだにいとにくからず覚ゆる人なれば、ましていとかう物思ひ入れたらむ人は、心を惑わし給はむも、いと事わりながら、やがてかきうつろひても出で給ふ事、いと心憂き事なりや。我が心ひとつすみて、よからぬ心にはもどかしう思されて、女君も例のありつる事ども、もとの北の方の御事など語り給うて、世におはしまし侍らむ限りは、かやうにもて出でて、あざやかに思ひならぶるかたなく、過し侍りなむとこそは、人の恨みを見聞くまゝに覚え侍れば、かばかり背かせ給へる御心には、いかならむ事をも、實に何とか思しめさむ。唯世のおとぎき、大将殿の思ひ聞え給ひけむさま、少将の乳母の、心を砕きけむなどの思ひやり侍るに、うちうちこそ世づかぬ御ありさまなれと、人ぎきはすべてけざやかに、かゝづらひたる事なくて、止みなむとのみぞ思ひ給ふに、何事につけても神佛をかけつゝも、我が御ゆくさきの心もしらず契り聞え給ふ。
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