《浜松中納言物語》⑩ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑩
巻乃三
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之三
十、尼の君、寝乱れられること、お耳にかの人のこと、告白せられること。
あやしくも心苦しい、その、美しい人の御ありさまであらせられたことか。
これにて足れりということもなく、心尽くしきれることのないその御想いの乱れは、このように心美しく、なよやかなる人でこそはかろうじて、御想い引き留めなさられてしまえるわざでこそあったのだけれども、御心に懸かって終に離れずに、お断ち切りになされられもしなかったのもひとえに、その御志の深さのせいであったろうか。
寝静まった宮にお着きになられられれば、御車の音に目醒める人さえもない。
尼の姫君は、中納言の御君の、ご在宅の折にはさかしくも行き通う数多の人々も、こうしたものですよおっしゃりながら、御君ご不在の今はご来訪の人もなくて閑散とするのをむしろ心安く、想うがままに御堂にお籠りになられられて終日に、佛の行いをなされなさって明かし暮らなさっておられれば、いまもそちらにお籠りなっていらっしゃられるのだった。
ほのぼのと明けていく空の気色、春秋の露霧にも劣らない。
御君は、浅い緑の梢らの物言わぬままに何ということもなく霞みわたり、煙たって拡がった、そのたたずまいをお眺めになられられて、端に近く、柱にお寄りになられなさってお行きさられるに、想いもかけずにふれられたのは尼の姫君の、その艶なる寝乱れた御すがた、なまめかしくもお想いになられられて、御簾うちあけられなさってすのこの長押しにおしかかりなさられていらっしゃれば、なおもなんともつつましやかに、尼の姫君は、数珠などさらぬ顔にお隠しになられなさって紛らわされられながら、恥じらいをかすかにお顕しになられられて、例の薄鈍(うすにび)の御衣など、身に纏われた何ともなき御衣の裾にいたるまでも、見所も多くお着こなしになられておられれば、何を取り繕うというわけでもなくお打ち解けられなさる、御朝顔の薄化粧、見事におほどこしであらせられる御色合いは、なんとも気高くも清らかにて匂いたっていらっしゃられる御ありさま、珍しいがまでにおかしくご拝見させていただかられなさる御方の、月影よりもなおも在り難くも愛でたくていらっしゃられるのを、御仏の道に、心に取り澄ましてあらせられる尼の姫君の御心にさえも、なおも胸さえお潰れなさられて、想い飽きもなさられないでいらっしゃる俗世の縁の別れのことも脇にひとまずさし置かれられて、御涙さえおこぼしになっていらっしゃる。
お逢いするほどに
まずは心を乱されてばかりなのです
佛道の蓮の上にこそ
心を慰めていながらも
見るたびにまづも乱るゝ心かなはちすの上に慰むれども
…なんとあわれな、と、御心深げにもうち眺めなられていらっしゃる御さまは、唯今に、極楽の御迎えのあって、そのまま雲の上にと引き上げられていかれようとしたとして、なおも立ち還えりなんども振り返りみても、いかにも見過ごし難くこそある御気色であらせられた。
うなづきながらとまる心もありなまし蓮のうへの露もかけずば
浮世のうちに
もはや留まる心などありはしませんよ
あなたとともに
蓮の上の露になじんでしまったのですから
いつもならば尽きもせずに、世をお厭いに想われなさる御気色のみ、なんのこともない日々のお戯れの中にさえも匂わせられていらっしゃられるものを、今朝はあわれ、いまだ世を棄てぬままのごとくに睦ばれていらっしゃられるのも、なんとも心にあでやかに想われるものの、穢れもなく美しき若き尼と御ふたり清らかに、かろやかに装束をまとわられて、佛前に清水などお捧げさせていただかれられるに、ただの俗世のみなの人とはお違いになられなさって、なんと世の常にないふたりの営みであったことであろうかと御涙さえこぼされなさって、尼の姫君は御身の罪の深さを感ぜられなさられたのだろうか、常にもまして、あわれ心に極まられていらっしゃられなさる。
今朝は、乱れ心地も悩ましくていらっしゃられる御君を、お渡りになられ賜うたとて、いつもの御方の者らに御声かけていらっしゃられれば、ご伺候させていただく人々は眼を醒まして騒ぐ。
疾くお渡りさせていただかれませと、たびたびのお声がけの止まなければ、時はすでに遅すぎていようものの、さばかりにも周囲も騒げば、お断りするのもはしたなくて、お渡りになられなさって、三尺の御几帳、なおも絶えず引き隔てていらっしゃられるのをおしやられなさって、お近くにお添いして臥して差し上げられなさられれば、大弐の娘君の御事など、お語り聞かせてさしあげられて、今宵のうたたねのに飽きもせずに鳴くほととぎすの声の歌のことなどまでも、余すところなくお語りになられられて尼ならぬ世の常のありさまにて、御君をお待ちになられていらっしゃろうならば、取り乱してお引止めさせていただくのも浅ましくお想いになられられれば、御君は、悩ましいがばかりに疲れ果てましたよとて、御足のお手当てなどいただかれながらも、御傍らに御殿籠りになられられたのだった。
彼処には衛門の督の、すこしも飽かぬ気色にて、屋敷にお出ましになられたままひとり想い煩われていらっしゃれば、娘の君のお立ち返りになられたのを心得て、お出迎えになった北の方にもことの始末、お尋ねすれば、北の方、うち微笑まれて、家柄よろしくはない娘の心移りは、なんとしたものだろう。
大弐の想うているかの御方、中納言の御君に、あなたはすこしも見劣りもしないものだのに、と、北の方みずからおっしゃっていたというのを聞くに、娘の君は、御胸潰れてかの御方のお耳にさえお入れさせていただくことなどできはしないと、侘しくお感ぜられておいでであれば、例ならず起き出でられなさられるのに、ご伺候させていただく人の衛門の督の御文あわててお取り入れになさられたのも、中納言の御君のくだされた御文が人の眼にふれてはと御心想い煩われた故にとはいえ、人々はいつになく、怪しい仕草とこそご拝見させていただく。
御君の御文の、あなたに夢の中にさえ忍び込まれてはもはや手のうちようもなく、とお書き添えであらせられて、
ほととぎすの一声にさえも
飽かずと想ったあまりにも
短い夜のはかない夢よ
秋の夢にも醒めない心地がする
一声にあかずと聞きしみじか夜も秋のもゝよの心地こそすれ
とあるのを見終わられることさえおできにならされずに、硯ひきよせられて、上を黒く塗りつぶされて、紛らわしておしまいになられた頃に、母北の方はお渡りになられたが、いつ来た手紙であるかと眼に留めていらっしゃる。
あまり打ち解けないのもよろしくはございませんよと、なんとも後ろめたいなさりようでございますことよ、そう企んで心地よげにうち笑っていらっしゃるのに、娘の君の御顔は、赤らんでいつかおうつむきになってしまわれて、こぼれかかる髪のかかり、簪などのなんともおかしげでいらっしゃるのを、北の方、この、世の俗の知恵のついた御方は、いかに愚かしくさえ想われたことであったろうか。
娘の君は、中納言の御君の、こうまでも御志をお見せ差し上げられなさったのを、心強くも見留めさせていただかないわけにも行かなくなった今、今更に胸苦しくて妬ましく想われる。
衛門の督に御返りなどして差し上げれば、煩わしいことばかりが多くなろうものを、御文を取ってみられれば、いたしかたなくて、とはいえ心地悪いといって臥していれば、さすがに怪しいなどとお想いはすまいよ、とは大弐の心にも、似通ったものであろうか。
かかわり獲もしない人に心を添わせて、故もなくよからぬことをなさってしまわれたものよと、北の方のむつがり言をお聞きになられるに、心地悪しきがまでに行く末難しく想われなさって、にもかかわらず一向にお聞き入れなさらぬようであれば、言い煩って北の方はお帰りになられた。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之三
怪しう心苦しう、らうたき人のありさまかな。いとおよびなく、心つくさざらむかきまぜのほどは、かやうの心うつくしう、なよゝかならむこそ、思ひ留めらるべきわざなりけれなど、心にかゝりて覚え給ふも、愚かならむ御志なればなるべし。宮におはしつきたれば、又驚きたる人もなし。姫君は、殿のおはする程は、さかしう行ひ入りて見え奉らむも、かゝるさまといひながら、うたてあれば、おはせぬほどは心安うて、御堂にて行ひ明し給ひければ、やがてそなたにおはしましぬ。ほのぼのと明け行く空の気色、春秋の露霧よりも劣らず。浅緑なる梢の、何となくけぶり渡りたる程を眺めて、端近う柱に寄り居て行ひ給ふに、思ひもかけず、艶なるぬくたれの姿、なまめかしうて、御簾うちあげて、すのこの長押におしかゝりて居給ひぬれば、猶いとつゝましうて、数珠などさらなぬ顔に紛はし、もてかくい給ひつゝ、はぢしらひ聞え給ひて、例の薄鈍(うすにび)の御衣ども、何となき御衣の裾までにらむ色あはひにて、いと気高う清げににほひ多かる御言葉、珍しうをかしと見たまへる人の、月かげよりも猶物ごとにありがたう見え給ふを、いみじう思ひとりすましたる心も、猶胸潰れて、飽かざりつる別れは、傍にさし置かれて、涙ぞ落ちぬる。
見るたびにまづも乱るゝ心かなはちすの上に慰むれども
哀れと、心深げにうち詠め給へるさまは、只今極楽の迎へありて、雲の上に乗るとも、立ちかへり見過し難きけしきなり。
うなづきながらとまる心もありなまし蓮のうへの露もかけずば
常はつきせず、世を厭ひ思したるけしきのみ、なげの戯(たはぶ)れ事にもかけ給ふを、けさはあはれすてぬさまにいひなし給へるも、いと心づくしなるに、けうらなる若き尼、二人清げにて、軽らかにさうぞきて、あか奉りなどするに、人に違ひて、さま異なる御いとなみにやと、涙こぼれて覚ゆるを、罪の深きにや侍らむ、常より物あはれに侍りや。今朝は、乱れ心地もなやましうはべるを、渡らせ給ひぬとて、例の御方に入り給へれば、人々驚きさわぐ。疾くわたらせ給へと、せめてたびたびあれば、せめてしぶらむも、さばかりにては、よのつねびうたてければ、渡りたまひて、大弐の女(むすめ)の事は、語り聞え奉りにしかば、今宵のうたゝねに、飽かざりつる時鳥の声のことなど、残ることなく語り聞え給ひて、尋常(よのつね)のありさまにて、待ちうけ給はましかば、ありつかぬやうのふるまひなどは、思ひより侍らざらましと思ひ侍りつるに、かきみだり、なやましくさへなりぬとかこちて、御足などうちすさませて、御傍に御殿籠りたる。かしこには衛門の督の、さばかり飽かぬ気色にて、出で煩ひたまへば、立ちかへりおはしにけりと心得て、北の方に聞ゆれば、いと嬉しげにうちゑみて、めでたからむ人の心も留めざらむは、何かはせむ。大弐のいみじき事に思ひ聞え給へる人に、いづくかはこれは劣り給へらむなど宣ふを、女は胸いとゞ潰れて、聞きや合せられむとわびしければ、例ならず起き出でゐざり出でたるに、衛門の督の御文とり入れたるも、まづ人や見むと、心のさわげばふと取り給ふを、人々は例ならずと見る。夢にさへ見え給へるに、おそはれつゝと書きて、
一声にあかずと聞きしみじか夜も秋のもゝよの心地こそすれ
とあるをは見はてず、硯ひきよせて、上をいと黒うかきみだり、まぎらはかい給ふ程に、母北の方わたり来て、何時のほどにありける御文ぞとよ、物ぐるはし。あまりいとけるもいかゞと、後めたうあるわざなれと、心地よげにうち笑ひたまふに、面(おもて)さと赤みてうつびしたるに、こぼれかゝる髪のかゝり、簪などのいとをかしげなるを、少し物おぼし知らむ人の、いかでかおろかにはおぼされむ。中納言のさばかり志見せしを、心強う見留め給はずなりにしかば、猶今に胸苦しう妬く思ひけり。御返りなどせむれば、かゝらむともなきに、取りて見給へば、せむ方なくて、心地あしとて臥しぬるを、いと怪し、など聞え給はであるべきぞ、大弐の御心にも、いとやう似給へるものかな。すゞろなる人に心をつけて、故もなうよしなき事をしいでられたりしよと、うちむつがり給ふを聞くに、心地悪しきまでむつかしうて、聞き入れぬやうなれば、言い煩ひてかへり給ひぬ。
0コメント