《浜松中納言物語》⑨ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑨
巻乃三
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之三
九、夜の月のこと、娘の君、連れ去られること。
衛門の督、大殿を辞したのちに宵もうち更けてひとたび帰り着かれて、娘の君の宿直のものらにご指示をあたえられなどなされば、今宵は宿直ら、いつもにまして数多ご伺候させていただいていた。
中納言の御君は、罷ん出ていちどお休みなさられて、大将殿には明日の夜にもまたご参上差し上げると言い置かれてご退出なされられるままに、彼処、かの娘の君らの仮り住まう屋敷に寄られなさって扉叩かせれられれば、暁にかけて出る月の、におわすばかりでまだその姿させ見せないでいるのを世の中の何の綾をも見分けることさえないままに、心はただ女に添うて、衛門の督は、娘の君も、ご在宅のままに御みずからを待ち焦がれていようと想われていらっしゃる。
人々、影に隠れて衛門の督のふたたび立ち帰られたものと想っただろう。
月が明けて日をまたぎ夜の闇の中に、門のうちにお入りになられれば、戸口のちかくに添われなさって、扇を鳴らしてさしあげられれば、うちの人もその人のどなたであるかをは、衛門の督として気付く。
なんとも眠たげな気配を曝して人々の出で来ることも、心に浅ましくお想いになられたけれども、屋敷の中をほのかに照らす火のゆらぎなども物の後ろに隠れて薄やかに、人もなにも寝静まっていれば、なにを物申すわけでもあらせられなくて、帳の中にお入りになれるが、おろされた娘の君の几帳を引き上げて入ってしまうのももの笑いの種にしかなるまいと遠慮する。
女ももはやそのときに、几帳の中に寝静まっておられれば、不意の御君のご来訪にうち驚かれて、あらぬ気配におののいて、浅ましくも見苦しくて娘の君は恥らうけれども、心のうちに夜に昼にと心にかかって想い出でられたその御方の、その御気配、紛れるもののあるわけでもなくあざやかに匂い立つのを、さすがに美しいと心にお留めになられていらっしゃられる。
心にかけて、いつしかここにお伺いしようと想っていたのですと、おっしゃって聞かせて差し上げさせていただかれるのにも娘の君は、どうしていまになどいらっしゃるのか、心ののどけさもすべて奪っておしまいになって、など、心に懸からぬ振る舞いを見せて想い惑われ、藻潮の煙、想いのほかにつれないなさりようの口惜しさをなど、露ばかり、すこしばかり匂わせて、ほのめかしていらっしゃれば、御君はもはやお聞き過ごなされるわけにもいかなくていらっしゃる。
どこかのだれかにお忍びのままにご誘惑いただいていたのでしょうと、その御心の一心に、さる御方に靡いていたらしきことの恨めしさをなじられなさるに、唐国の一夜ばかりの契りの頃の御事さえいつか心にも忘れられなさって、あまりのつれなさに、何知らぬ顔でいたずらに娘の君のつれなさを、我が身のつれないそぶりをは棄ておいて、ひとえになじってお恨みもうしあげるその、あまりに人の心を知らないなさりようは、少しは世を知ったものならば辱べき事ではあったろうか。
娘の君はひとえに恥ずかしく、なんとしたものかとお想いなさるにつけても、どうにも心ぐるして切ないままに、さのみ後瀬の山、またふたたび逢瀬させていただく御約束も、どうして口にできろうか。
わりもなく侘しくお想いになられながら、お恨みさせていただく御想いを、苦しげにお口にあげていらっしゃられるにも、こうもあでやかに取り澄まして添うている娘の君に、御君はもはや忍びさえできずに世にながらえるほどにはこうも遣る瀬ないめに逢うこともあるものなのかと口惜しさばかりが勝っていかれるのに、やがて、次第に心深くお語り合いなさられあっておられたころには、鳥の声さえ聴こえ始める。
女、おそろしくも理にかなわずと、歎かわしくさえ心になじっておられるのに、こうも世の人に貶め顰められながら、千切れる契りなどあったものでもなかろうものを、衛門の督の来訪の、昨夜の気配も、想えば飽かずばかりに理もない仕打ちだったことと、うち歎いておられれば、ならばいま、もうそろそろその御方もお帰りになられましょうからと、さらには、他のものどもも怪しみましょうから、そう言い置かれて御心にあわただしく想われながら、心あらざるばかりに昨夜に入った戸のあたりに娘の君をお誘いなさられて出て見られれば、月はまだ明るく冴えて、此処彼処に乱れた葉々は翳りに暗がり渡って沈み、端(つま)の間に近い橘の匂いに、ほととぎすの鳥の声うち泣いたのも、折りに添うてあわれを描く。
ほととぎす、花橘に
焦がれ隠れて影に添い
忍びの夜に心を忍ばせ
歎くしかない
誘いの鳥の声は鳴くままに
時鳥花たちばなにこがくれてかゝるしのびの音だに絶えじな
と、おっしゃった有様、せめて樹木の群れの茂った木肌に、このような艶なる暁の別れを忍ばせようかと、用意したわけでもなく口を付いて出た有様に想われたのに、さすがになまめかしく愛でたくとさえ想われたのを、女も終には限りもなきものに想われて
さらでだに花橘は身にしむにいかにしのびの音さへ泣かれむ
とはいうものの
花橘はすでに心に身に想いのたけを
しみわたらせているもの
あなたの切なさ、みずからの切なさを
いまさらどうして泣かれましょう
たとえ、世に忍んでさえも
とおっしゃる気配も、なんともおかしく懐かしいがばかりであらせられて、誠に見棄ててしまうに惜しくお想いになられれば、ならばやがてどこかに奪って隠してしまおう、どう想う、あなたは、などとおっしゃられれば、ほのかにうちうなづかれて、今少しは靡き寄られて、どうにも美しく、心苦しいばかりではあらせられたけれども、今は少し想い留められなさられて、とはいえ衛門の督は、わけても親しくしている方ではあって、こうした御振る舞いのほどはさすがに心苦しくも後ろめたくも想われもなさられるものの、我こそは先にお契りさせていただいていたのだから、と、お想いなおされられれば、さて、これらの契りの世に聞こえては、さまざまの聞き耳もたって、とにもかくにも煩わしいことばかりであろうならば、いっそのことこのままあなたを誘い出してどこかに隠してしまおうかなどと、御心のあわれなるままに、こまごまとお語り置きになられながら、まだ夜も深いのを、闇に紛らわされながら娘の君を連れ去って、出ていらっしゃったほどに、人ひとり起きて出てきたが、なんの御言葉をくだされられたわけでもなくて、そのままに薄い闇に紛れて御車のなかに連れ立ちお立ち去りになられるのだった。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之三
宵うち更けてかへりまゐりて、宿直(とのゐ)するを見おきて、今宵は数多侍はせ給ふめり。罷出てうちやすみて、明日の夜侍はむとて出で給ふまゝに、彼処によりてうち叩かせ給へば、暁かけて出づる月の、まだ出ぬほどなれば、何のあやめも見わかず、衛門の督(かみ)、立ちかへり給へると思ふなるべし。明けて入れつれば、戸口のほどによりて、扇をならしたれば、うちの人もさ思ふなるべし。いみじうねぶたげなるけはひにて入るゝも、やゝましういとほしけれど、火なども物の後にてほのかなるに、人も寝しづまりたれば、物もいはで帳の内に寝たりけるに、うち驚きて、あらぬけはひと見るに、あさましくいみじけれど、夜昼心にかゝりてのみ、思ひ出でらるゝ御けはひ、紛るべうもあらずしるく見ゆるに、あさましながらさすがなり。心にかけて、いつしかと待ち渡り聞えさせしに、上り給ひぬと聞きても、のどやかならむひまをと、心もとなく思ひしに、思ひかけずに、いかなる喪潮の煙の口惜しさを、などか露ばかり、驚かしほのめかし給ひたらましかば、さては聞き過さざらまし。忍びて誘ひ出で給はましと、我が一心にもてはなれ、靡ぎたる恨めしさを、唐国の一夜ばかりの契りの程は、心にも入らず、余りのどけきは、我が心のおこたりをば、知らず顔にて、偏に人の浅きに取りなして、恨みつゞけ給ふを、世馴れたる人ならば、我がおこたりならぬ人のつらさをも、少しは恨みかへしつべきぞかし。偏に恥しくいみじと思ひ聞えたるも、らうたく心苦しきまゝに、さのみ後瀬の山をも、何かはおぼしのどめむ。理(わり)なう侘しう思ひながら、恨み給ふをば、苦しげに思ひ歎きたるも、かばかりさまことに思ひすましたる、我ながらもうち忍びてえさらず、世にながらへむ程の心安きものには、見つくべくもありけるかなと、口をしさ勝るに、いよいよ心深く契り語らひ給ふ程に、鳥の音も聞ゆなり。女いと恐ろしうわりなしと思ひたるを、かう人よりは、おぼしおとしめらるべうも契りえざりしものを、衛門の督の昨夜(よべ)のけしきも、いと飽かず理なしとうちなげくめりしかば、今のほど立ちかへらむと、他人(ことひと)よりはいとほしからむかしと、心あわたゞしく思さるれば、昨夜入り給ひし戸のほどに、あながちに誘ひ出でて、押しあけ給へば、月のいと明きに、こゝかしこの下葉は暗がり渡りて、つま近き橘のにほひ、時鳥うち鳴きたるも、折あはれにをかし。
時鳥花たちばなにこがくれてかゝるしのびの音だに絶えじな
と宣ふありさま、かきまぜのきはだに、かやうの艶なる暁の別れを忍ばせむと、用意せむほどは口をしかるべうもあらざらむに、ましてえならずなまめかしくめでたきを、女も限りなく見いられて、
さらでだに花橘は身にしむにいかにしのびの音さへ泣かれむ
といふけはいも、いとをかしう懐しきに、誠に見捨てがたければ、いざやがてゐてかくしてむ、いかに思すべきと宣へば、ほのかにうちうなづきて、今少しなびきよりたる、いとらうたく心苦しけれど、我葉今少し思ひまさられて、まろより衛門の督は、おとなしうものしきを、又えさらぬなかの、わきて親しう頼みかはすに、かばかりのふるまひだに、後めたういとほしう覚ゆれど、我こそさきに見なれしかと思ふに、何のとゞこほりもなく覚えて、ゆかしう思ひよりにしを、さて誘ひ聞えては、世の聞耳もさるものにて、かの思ひ給へらむことのいとほしければ、さよさらさらましかば、やがて只今、いと能く誘ひかくしてましなど、あはれなるまゝに、こまごまと語らひおきて、まだ夜深からむめるを、かうて見る見るは、え出づまじとて、うちに率て入りて出で給ふほどにぞ、人一人起き出でたれば、ともかくもいはで、かいまぎれて出で給ひぬ。
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