《浜松中納言物語》⑧ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑧
巻乃三
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之三
八、衛門の督、大弐の娘を見初めること、母北の方、喜ぶこと。
中納言の御君のつれない日々のなさりようを、人の言の葉の耳にふれて聞き知るほどに、大弐は、なんとも情けなくに想ったものなのだけれども、やがては心劣りさえして終に、妬ましくも口惜しくさえも覚えはじめれば、かの筑紫の娘の母なる北の方、その人はひとえに華やかなる心映えした人であって、人の事も時にはないがしろに想うこともあり、後れて大弐が京に上ってきた頃には、いよいよ騒ぎ立つ心もあって、なんとか手はずをととのえて、ぜひにも娘の始末をつけなければならないと想うのだが、大将の大臣たる衛門の督(かみ)は中納言の御君の御伯父君にあらせられる。
北の方は師(そち)の宮の御娘、その人がらは時に難しい方でもいらっしゃったのだが、こよなく年も大弐に勝った年上の女で、督とはもともとの親しみも深く、心憎く想わなかったわけでもなくて、督は、年をかさねるうちにはなかなか想い断ち難くあって、終にはいつか不興に想うことも勝りはじめて、いかにも千路に想い惑わせられていらっしゃる。
この御方をどうせなら御娘に睦びあわせてみせようかとひとりで想い、まわりにおっしゃられもしていた折りに、この大弐ら、土忌みの日に旅処に仮の住まいをしていたのを、娘もろともに督は、不意にお眼にお入れなさって、なんとも色めき立った御心映えの興をそそられること限りなく、このような女であれば寄り添うに不満は無いと、お気に召されておいでであれば、大弐に親しく便りしてねんごろに、やがては隠しなく物言う仲になっていらっしゃった。
北の方は、年の数もこよなく経て、かつての御想いのささくれだっていった事の次第を語り聞かせれば、大弐の想うにその人の御人がらは申しぶんもない。
その御かたち有様なども、なんとも清らかでいらっしゃる方であった。
もとより女のひとりやふたりご存知でいらっしゃられようが、とは言えかの娘に心乱されぬ人などありはすまい。
婿を取るにも、何ともない公達、上達部などはもとより頭にもなく、御方に人がらの悪いところでもあればともかくも、ましてやゆくゆくは中納言の御君の耳にふれることもあろう。
これは北の方の想うところでもあって、督の御かたち世に流れるご声望、いずれも花やかであってに何の不足もなく、こうもねんごろにしていただくは誠に在り難いばかりとこそ想われて、ことごとしくも、ぜひに婿にとって差し上げなさいと言うさまは、今までの事の次第もわすれたかの有様。
かの督も、ただ公にはせずにお忍びでとはおっしゃられながらも、であればぜひにと想い立たれて、忍んでお渡りになられた。
娘の君はかく親らに言い定められながらも、ただちに請けがうわけもなくて、かの督、御歳三十五、六ばかりにして、なんとも盛りに華やいでいらっしゃる御気色だけれども、ひとたび中納言の御君の、世に比べられるものなくなまめいていらっしゃられた御気色、お見知りさせていただいておればもはや、なにものもなぞらえようのあるべくもあらず、せっつかれておもてなしさせていただくにつけても何となく、かの御方との言うに言われずものあわれに契らせていただいたその折の、あふれでる恋しさの譬えようもなかったことばかりが想い添われて、胸も千切れるばかりに歎きあかして、もはや母上さえをも心憂しとあきれさせる。
中納言の御君、そうお聞きになさられれば、想いのほかに懐かしくもいとおしげであったかつてのその御かたち御気配を、御心にしずかにお留め置きなさられて、いつか忍ばれて必ずふたたび逢いま見えんとお想いであらせられたのをと口惜しくもあらせられるけれども、大弐の娘の京に上ったのを、急いて懸想すると世にいわれるのは煩わしく、又、御身の周辺は只今は物騒がしく煩雑でもあらせられる。
のどやかに落ち着いてのちにみずからの御身ひとつでおうかがいなどなさられて、浅からぬ御心のうち、お見せ差し上げさせていただいて、御語りあわれながらも忍びやかなる山郷に、御娘君を隠しすえて置こうと想っていたのにと口惜しく、我ながら、気の長いその御心ののどけささえも御方には、あまりに怪しくお想いになられなさったに違いなくお想いになられられれば、であれば御方はいかがお過ごしであろうかと気色ゆかしく感ぜられなさられて、お忍びで、
くりかえし
さらにもまたくりかえしてもくりかえし
想い出して猶も想い出するたびに
そのたびごとに心変わりしてくださいなどと
契ったわけでもないはずですが…
くりかへし猶くりかへしても思ひ出でよかくかはれとは契らざらしを
とあるのを、娘の君は忍びて見るに、絵も言われずにおかしき書き様などご拝見させていただくにつけても、あの日、今こそ京に上るという別れの朝に、あでやかに想い乱れられた御気色も、御心深く言葉を賜られた御かたち御気配も、世の常の人を見て比べるほどに心にしみこんで想い出でられるのに、そんなになじられるべき由縁などありはしないものをと口惜しくさえ想われて、御返りの文も、心のあわれを添えて書き送って差し上げさせていただく。
契りしを心ひとつに忘れねどいかゞはすべきしづのをだまき
契った心ひとに結び
決して忘れたわけではございませんこと
とはいえいかがしたものでしょう
しづのをだまき
昔と今は、周囲のみが変わってしまったのです
…なんとも、意のままには流れぬ意外の世の中であることですよ、と、おかしげにもお書きになったのは、いかにも気色ばんで色気を出したというわけではなくて、ただ想いのむくままにと見えるのも、なんともうつくしくもあわれであって、よくも自分でおてずからお書きになられたものだと感服なさられておいでであらせられたが、大将殿の大臣たるかの衛門の督、風邪を引いて悩んでおれば、大将殿にみな参上させていただくなかに、衛門の督はひとり、夕暮れに紛れ出て、此処に彼処にとしばしの暇を乞いてまわった。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之三
人の思ひ聞えさせたる程よりは、情なうこそおはしけれと、心劣りして、妬う悔しう覚えれば、母北の方、おしたち花やかなる心ばへしたる人にて、人をもしばしないがしろに思ひて、大弐のぼりなば、そゞろ心ありて、はかばかしうもなさじとおぼえければ、大将のおほい殿の衛門の督(かみ)、中納言の御伯父ぞかし。北の方は、師(そち)の宮の御女(むすめ)、人がらはいとあてなれど、こよなく年まさりければ、もとより志もいと深からざりければ、年積るまゝには、去り難きばかりこそあれ、すさまじさはまさりて、いかで思ふさまならむ人もがな。これをさる方にて、えさらむものにてあらむと思し宣ふに、この大弐のつちいみに、たびどころにありけるを、不意に見たまひて、いみじう色なる御心ばへにて、かやうなる人を見ばやと思し渡るに、違う所なければ、いとわりなく思しいられて、親しき便りありて、懇に宣ふ。北の方は、年の数こよなう、御思ひすさまじきよしを語りければ、人がらいとやむごとなし。容貌(かたち)なども、いと清げにおはする人なり。素より人おはすとて、我が女おろかに思す人あらむやは。別く方あるまじとても、何となき公達上達部は、さてもおぼえなく、人がらわろからむをば、何にかはせむ、中納言の聞き給はむ所もあり。これは北の方もおはすと思うこそあれ、容貌世のおぼえ、花やかにやんごとなくて、かう懇に宣ふは、ありがたうこそあらめと思ひて、ことごとしう婿とり聞えなどせむも、もとのうへなきになすやうなり。かの殿も、たゞ忍びてと宣ふなるも、さる事なりと、ゆくりなく滞らず思ひ立ちて、忍びてわたい奉りてけり。女はかく言い定めつれど、ただちにかゝるべきものと思ひよらぬに、年三十五六ばかりにて、いと盛りに花やかなる御気色なれど、中納言の世にしらずなまめい給へりし御気色、見知りにしかば、なぞらへよるべうもあらず、おしたちてもてない給ふにつけても、何となういみじう哀れげに契り給ひし、恋しさの譬へむかたなきに、胸せくばかり歎きあかして、母上をもいと心うしと思ふ。中納言かくと聞き給ひて、思ひの外に、懐しうらうたげなりかしかたちけはひを、さる心やすきものにて、忍びて必ず見むと思ひしを、大弐の女の上りたるを、けしやうするといひなされけむ世のきこえも便なく、又只今は物騒しからむ。長閑にありつきなむ後にぞ、みづからばかりに、浅からむ心のうち見せ知らせて、語らひよりつゝ、忍びやかならむ山里に、隠し居(す)ゑたらむと思しつるも口をしければ、我が心のどけさも、あまり怪しきまで思し知られて、いかゞ思へると気色ゆかしくて、いと忍びて、
くりかへし猶くりかへしても思ひ出でよかくかはれとは契らざらしを
とあるを、女忍びて見るに、いみじうをかしき書きざまなど見るにつけても、今はとて上り給ひし暁に、思し乱るゝけしきも、心深う宣ひし御かたちけはひも、尋常(よのつね)の人を見るにつけても、心にしみて思ひ出でらるゝに、かくて思し出でたるにもあるべきものをと、心づくしまさりければ、御返り事も、かくぞあはれをそへて聞えける。
契りしを心ひとつに忘れねどいかゞはすべきしづのをだまき
あらぬ世ぞうきと、をかしげに書いたるを、気色ばみ事離れてはあらで、思ひけるまゝと見ゆるも、らうたくあはれにて、いかでみづからと思すに、大将のおほい殿、風起り給ひて悩めば、大将殿のうへ皆渡り給へるに、衛門の督(かみ)、夕暮に紛れ出でて、此処彼処にいとまこひけるなめり。
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