《浜松中納言物語》⑦ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑦
巻乃三
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之三
七、衣替えの賜り物のこと、大弐、京に上ること。
四月十日の宵の頃に、中納言の御君、想えば京の宮ならいまや御衣替えの頃であろうとおぼしやられなさられて、賜るものは、四尺の几帳ふたよろい、三尺のをひとよろい、青朽ち葉を三尺四尺ふたよろいずつ、紅を打った藤重ねの御衣ども、同じ色の織物ども、撫子の織物のうちをかさねて、尼の君の御料には、鈍色の御衣に丁子染めのうすもののうちき、象嵌の御はかまなどなんとも清らかに、ふたえに麗しくつつんで、ご伺候させていただく人々の料には綾衣、紅の衣をこまごまと取り具して、簾畳にさえお添えなさられて、衣箱にはいろいろの薫物(たきもの)ども入れておしつらえなさり、ちいさやかなる香の唐櫃一具に色紙薄様、上物の墨、筆なども揃えさせられなさって、上に、おもしろくも描かれた絵物語など入れ混ぜられなさられて、かの若き御姫君には、何に心を慰めてお過ごしであろうかと、心苦しく心に伺われるがままにおぼしやられなさられて、差し上げられる御文には、お顔を拝見させていただきに参ろうかとは想ったものの、なにかと人に紛らわしく想われるだろうから、なんとも粗雑な振る舞いとは我ながらに想えるけれども御文をばかり、何かにつけて覚束ないことばかりの日々をご推測させていただくばかりだが如何お過ごしか、これらのつたない絵物語など、都でだに生き難いのにこの奥山の生き難さはいかほどか、さればこの俗世の徒然のせめてもの御慰めになさられよ、物憂い御心の悲しみを推し量って思い遣られることかぎりもなく、などこまごまと心のひだの裏の裏にまでふれられてお書きになられていらっしゃられるその、御心の想い遣りの世の常ならざるを、尼の君は御心に騒ぎ立つ心地さえするけれども、唐土の御文ご拝見さしあげる夢など想い合わせて、まさに佛の御姫君がためにお遣わしになさられた御方ではあるまいかとこそ想う。
人々は寄り集まって、寄り集まった頭を揺らして中納言の御施しに、お互いに顔見合わせて喜び気色ばんだのもことの道理でこそあることか。
山の奥、行路の上り下りももはや見失われたその先の果ての山の樹木の茂みの影に、美しくも若やいだ御姫君があるといえば、必ず避けようもなく男らの色めきだってみるものだのに、かの人はだれの眼にも、耳にさえにもふれたことはないのだろう。
色気に酔った気配などかけらさえなくて清冽のままに、つれづれに慰められるべき絵物語を賜れた、貴重なる御心に御心時めかせられなさられて、こうまでしていただくその中納言の御心の程を決して浅からずお慕いして差し上げさせていただかれるその御心、中納言の君の御遣いにもの問えば、それらのもの、なかなかに心憎いところもなくて洗練されて、京の風、今のときの気配にさえふれた御心地さえなさられて、御返しの御文のことなど、こまやかに伝えてお聞かせになられる御姿、まさに眼に美しい有様であらせられた。
絵物語を、まことに時経つのもお忘れになられられてながめてられていらっしゃられるに、嬉しげに想っていらっしゃるとあるのは、いかようなる御心地のことかと、想いをはせていらっしゃられる御たたずまい、どこかしらに御姉后にお似通いなさられていらっしゃられる。
ひたぶるに世を棄てられなさられた御母宮にお添いになさられて、この奥山に籠れる人であらせられるといえば、かならずしも物の綾、世渡りのの道理を見知り、たおやかにもの懐かしき御有様にはあらずあらせられようと推し量られようものだけれども、さすがにた易く世になじみ、折りにふれて人に睦びよる気配のある世に穢れた風情はない。
とてもかくても言うすべもなく、想うすべもなく遠く離れて、遥かに睦びあうすべもなかった悲しきかの唐土の御后に、親しみあうゆかりのすべのかろうじて出で来たことに、いつかその人の気配の名残りさえにおわれる気がして、夜に昼にと心に懸けられなさられて、これこそは我が身の大事の事とこそ想われられて、かの御方にいかにしてお逢いさせていただこう、幼き頃に人に率いられて海をわたった御方、いかに生き難くお過ごしであらせられようかと慮られていらっしゃられれば、その想いの尽きることは無い。
そのころ、筑紫の大弐、京に上る。北の方、その娘君は大弐に先立って上った。
京にて噂をお聞かせさせていただくに、中納言の御君は大納言の姫君の、世を背いた御方に寄り添われてその傍らに落ち着いていらっしゃられると聞くに、さればよ、筑紫にて娘に御志おっしゃられなさったその際に、想いの定まったところもあらせられないでもない御けはいもあらせられたこと、あえて見過ごそうとして仕舞ったところに、想いのほかに在り難く、娘の君に御志いただいて、お睦びいただいて、やがて等閑にも心のどこかでお頼み申し上げさせていただいておれば、いつかはふたたび訪れていただけようと想わせていただいていたものが、御君の三吉野に入ると噂にお聞かせさせていただくにしても、筑紫に御消息さえなさられないでいらっしゃるのを、こうもひとたび見馴れた姫を、御君の、華やぐ京に上られたとはいえどもなしのつぶてに捨ておかれる御心のうち、いかがなるものかと想い惑う。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之三
四月十日よ日の程に、御衣更(ころもがへ)とおぼしくて、御衣更とおぼしくて、四尺の几帳二よろひ、三尺の一よろひ、青朽葉、三尺四尺二よろひばかり、紅の打ちたるに、藤がさねの御衣ども、おなじ色の織物ども、撫子の織物の裡き重ねて尼上の御料には、鈍色の御衣に、丁子(ちやうじ)染めのうすものの裡き、ざうがんの御袴など、いみじう清らに、二重(ふたへ)にうるはしうつゝみて、侍ふ人々の料には、綾衣、紅こまごまと取り具して、簾(すだれ)畳さへ添へ給ひて、衣箱にはいろいろの薫物(たきもの)ども入れ具してちひさやかなる香の唐櫃(からびつ)一具(ひとよろひ)に、色紙薄様、よき墨筆どもなど入れて、上におもしろう書かれたる、絵物語など入れまぜて、若き人は、何に心を慰めてか過ごし給ふらむと、心苦しく見えしまゝにおぼしやりて、御文には、立ちかへりもと思ひ給へりしかど、紛はしく見給はする事、多う侍るころにてなむ、うちつけのやうに侍れど、いみじう覚束なう思うひ聞えさせ侍りて、しづ心侍らむまゝには、猶それよりあさう出でさせ給ひぬべうは、いかに嬉しうとて、この絵物語は、都だに暮し難き徒然の慰めと、引きならされ侍るを、まして何にかは慰めさせたまふらむと推し量り聞えさせてなどあるを思ひ至らぬ事なく、細々(こまごま)とこちたきまである、御心しらひの尋常(よのつね)ならぬを、尼上はそぞろなる心地し給へど、唐土の御文見給ふ夢など思し合せ、佛の御方方便又さるべきにこそはと思す。人々の頭(かしら)を集へて、見合ひて思ひ喜びたる気色どもぞ道理(ことわり)なるや。高きも下れるも覚えぬ所に、若き人ありと聞きては、必ず過しがたうけしきばみよるを、さる人ありとは委しう聞き給ひけむな。うちつけにけしきばみ見ゆることもなくて、徒然慰むべき絵物語を、ふりはへ思ひさり給へる御心のほどを、あさはかにあらず、なべてならざりける御心なりやと、浅からず思ひしたれたまへるを、御使に物かづけば、なかなか何の心憎げなくて、世づき今めいたる心地すれば、御返り事ばかりを、あるべかしう細やかに聞え給へるぞ、實にめやすかりける。絵物語をぞ、誠にくれがたう詠め侘び侍るに、嬉しげに思ひて侍るとあるは、いかやうにかあるらむと、姉后にや似奉りてあるらむ。一向(ひたぶる)に世を捨て給へる母宮に添ひて、さる奥山に籠り給へる人と思ふに、物のあやめ見知り、やをやかに懐しき有様にはあらじかしなど思ひやれど、うちつけにふと思ひより、睦びよらむの心もなし。とてもかくても言う方なく、思う方なく思ひ隔て、遥かにすべなう悲しき人の、御ゆかりのあつかひぐさ出で来ぬるぞかしと、その御名残ある心地し給ひて、夜昼心にかゝりて覚束なく、私の我が身の大事の事出で来ぬる心地し給ひて、我が君をもいかで見奉らまほし。幼き程を遠く率(ゐ)てまうでむ、所狭しとおぼしわづらふ。實や対には、北の方、女はさきに立てて上りにける。京にて聞くに、中納言は、大納言の姫君の、世を背き給ひしに定りたまひて、よこめなくありつき給ひにたると聞くに、さればよ、筑紫にてさばかり志聞えたりしに、うち思し定むるかたありければ、見過ぐし給ひてしに、殊の外なる御志してしに、等閑にたのめ給ひてしかば、何しにかは音づれ聞えむと思ふに、三吉野に尋ね入り給へるほどにて、御消息だになきを、さばかりも見馴れ給ひしものをのぼりにけりと聞き給ひて、なげのひとくだりを、などかうけ給はざるべき。
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