《浜松中納言物語》⑥ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑥
巻乃三
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之三
六、尼君、佛に祈願なさること、姫君、夕映えに御琴かなでられること。
この御姫君さえいらっしゃられなければ、尼の君は、ただ仏道に帰依することのみをその主眼として、他を決して振り返らずに、かの、仏説に言う龍女の仏道に帰依したがごとくにも劣らないだろうことは間違いない。
ただでさえ困難の多かるべき後の世の成仏を、わざとにもさらに妨げようと、魔性の者らの変じて生まれ出たものかとさえ疑って、夜に昼にとただ極楽浄土の御ことのみ、現世の身の始末など脇にさしおいて、乱れることのなきままに祈念して、せめても今生の想い叶え賜えと、佛を念じて祈祷さしあげさせていただくにも、想えば宿世の呪わしき身にて、この姫君の将来の立って生きるすべをおつくりして差し上げられもしないままに、もし尼の君の、この人に先立って事切れることでもあれば、姫君は、いかがしたもかと想い惑わせるところもあって、胸も潰れ、心はいよいよ乱れて、つとめておそく起き、昼寝をして時をせめても安楽にお過ごしになられようとはなさるのだけれども、なんとも始末におけぬ行く末の不安に、もはやなんとしたものかと心は千路にうち砕けて、危うくも由々しくも想い煩われておいでであれば、目に映るもの、肌に感ぜられるもの、なにかにつけてもただ歎かわしければ、まして尼の君御みずからの後の世を想うことなどもはや無益であるににすぎない。
この姫君の、せめてもの生きる寄る辺などお付け差し上げて、心安く想いおき、なにごとも想い残すことなくしてこそ、はじめて後の世の想いも叶うというものだろうと、この三年ばかりはまずはこの御祈りをのみ先に立てて念じていらっしゃられた折の夢に、なんとも尊げなる僧の御すがたの顕れ来たりて、唐土の后の、夜に昼にと生き別れられた親の日々のお暮らしを、耳にする事も眼にすることも叶わないでいらっしゃられる悲しさを歎かれて、いかがおはしますでしょうかその御有様を、せめても夢の中にも聞こうと、明け暮れ歎き佛を念じてしらっしゃられる、と。
孝養の心なんとも深くあはれ極まるばかりであらせられるけれども、海を隔てた異なる国の異なる土の人になって別れてこのかた、その想い叶うべくもなければ、その国の人に縁を結んで、人々にその深き心をお示しなされて、そして日々に祈られるもの想いのあまりにも切なるが故に、なんとか御后の御願いをおかなえして差し上げようとさまざまに手を突くしたところに、ここにまた、この尼の君の歎きを見留めれば、尼の君、姫君の行く末の算段をつけてこそ、心安く御みずからの後生を祈ろうとするのを見い出した。
心はここにひとつに行き逢って、この姫君の立つ瀬をも、この人こそはという人、その言葉に尽くす限りもなく清らなる男のいらっしゃられるのを、我を助けると見えて、もはや佛の変じて俗世に顕れたがごとき人であることよと、そう僧のおっしゃられるのを夢に見させていただいた折に、この中納言の御君のいらっしゃられなさって、風のつてにも聴くすべもなき、御后の御有様も委しくお聴かせていただいて、その御てずからの御消息をもご拝見させていただき、さらにはそればかりであることか、このような粗末なあばらやに夜昼と時をかさねていただいて、あさましくも荒れすさんだあたり、作り直され建て添えてさえいただいて、秋の田の実を積むべき御蔵を建てて、御荘園のものどもにもお集まりいただいて、もはや騒がしきまでにしていただいた、御佛のつくしていただいた手の在り難さに、尼の君は、我が後の世の疑いなどなく、ただただ何事も涼しく想い断っていられるのに、伺候していただく人々の、五、六人ばかりあるのにも、頼るすべもなくただ侘しげな山の奥には過ごすべきではなかろうものだろうにと、なんとも心苦しいのだけれども、とはいえ、こうでもしていただかなければ、確かに生きる心地さえしなかったものと、その感謝の想い、あふれ返った喜びの、譬えようなどありはしない。
姫君は、ご成長のうちに、次第に物のおわかりになっていらっしゃられるほどに、周囲の人々の、うち語らっては歎き侘しがるのを、御心にもの想わしげに煩われながら、その語らいあうのを御耳にいれられつつも、我は我、人は人よと心地落ち着けていらっしゃられた。
御心のおなぐさみに人の見るという絵物語などさえ、このような山の奥にはありはしない。
季節の廻るがままに、行き変わり時に従う花の色、鳥の声など、その御心に添うて同じうして愛で、眺め、愉しむものとてもなく、ただその御心ひとつに起き臥しながめられつつも、日々の手習いをだけひとりの供連れにして日々をお過ごしでいらっしゃられた。
母宮の教え賜える琴を、教え賜えるよりにも勝って上手にお奏でなさられる、その妙音を心に留めて耳にする人もなき孤独の世界であれば、ただひとり、歎き侘びてはかき鳴らされつつ明かし暮らしなされることよりほかのこともないなかに、中納言の御君のお尋ね入りなさられたのを、世の常の人の行き来のすでに絶えて久しいこの世界に、あさましいほどに愛でたき人の、都の人の高貴なる住処はさすがに、想うにこうもすさんではあらせられないであろうものを、いかにこの荒れた風情をその尊い御眼に見留められていらっしゃられようかと、はずかしく、人々の想い喜んでいるをお眼になされられても、御心のうちには、
ここでさえも
所詮は浮世の山の中なのです
はたしてどこにあるのでしょう
この世の果ての
清き山の
その果ての奥は
誰もなほうき世のうちの山なるをいづこなるらむあらぬ所は
これよりも更に奥の奥、果ての果てにさえ焦がれていらっしゃられて琴を、ひたすらに掻き乱されていらっしゃられる夕映えに、人々はただ愛でたしとご拝見させていただいて、常日ごろは、この御琴の音をお聴かせさせていただくときには、もの侘しく御姫君の行く末案じられて、心にさびしくばかり想われたものだのに、いまはなんとも心愉しく想われることと、心地よげに興じているのも道理ながら、御姫君の御心のうちおひとつばかりはただ、恥ずかしく、浅ましくさえお想いでいらっしゃられるのだった。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之三
この人おはせざらましかば、我が思ひすまし行ふさまは、りう女(にょ)が成佛なりけむにも劣らざらまし。いみじかりける我が後の世を妨げむと、まえんなどの変じて生れ出で給ひけるやと、夜昼極楽のみぞ、身は傍にさし置きて、いとかう乱るゝ事なうて、今生の思ひ叶へ給へと、佛を念じ申し給ふも、かう思はば宿世のわろき身にて、この姫君のたつきの出で来べくもなきまゝに、もしこの人の、我に先だち給ふやうあらむとおぼすより、胸つぶれ心惑ひて、つとめて遅く起き、昼寝をし過い給ふも、こはいかにと心のみくだけて、危く忌々しく覚ゆれば、すべてやゝもせば、更にいたづらになりぬる後の世をだにもとおもふも不要なめり。この人の寄方(よるべ)ありぬべかめりと、心安く思ひ置くべきことのはしを出できさせて、おもひなく、後のおもひをだにも叶へ給へと、この三年(みとせ)ばかりは、まづこの御祈りをのみ先に立てて念じ給ふ夢に、いと尊げなる僧の来て、唐土の后の、夜昼我が親のおはすらむ有様を、え聞き知らぬ悲しさを歎き給ひて、いかでかおはすらむ有様を聞かむと、明暮歎き佛を念じ給ふ。けうやうの心いみじく哀れなれど、こと世界の人になりて、別れて後、この思ひかなうべうもあらねば、この世の人に縁を結びて、深き心をしめさせて、物思いの切なる故に、あつかはせむとはうべんし給へるに、こゝに又この女(むすめ)のたづきを見おきて、心安く後生祈らむと思ひ給ふ。心の一つにゆきあひて、この姫君のたづきも、この人なるべきぞといふ人、見やれば、いふかぎりなく清らなる男のあるを、我を助けむとて、佛の変じたまへる人にこそあなれと思ひて、拝むと見給ひしに、この中納言尋ねおはして、風のつてにも聞ゆべき様もなき、后の御有様を委しく聞き、御消息をも見おはせしより、その御勢ひ出で来て、こちたきまで夜昼と人目しげう、あさましう荒れこぼれたりしも、作り又も建てそへ、秋の田の實をつむべき御蔵を建てて、御庄々々(みしやうみしやう)のものどもも参りつゝ、騒がしきまであるに佛のほうべんあはれに、我が後の世の疑ひなく、涼しく思しやられ給ひつゝ、さぶらふ人々の、はつかに五六人ばかりあるにも、何の頼み所にてかは、いとかうたづきなう、侘しき山の末には過すべからむと、いみじう心苦しうとも、猶えかくてはながらへ難くこそなど、歎きつる心地どもも、あはれいたきまでおもひ悦びたること、譬へむかたなし。姫君は、やうやう物思し知るほどに、あやしの人々の、うち語らひ歎き侘ぶるを、いとほしく聞きわたりつゝ、我は人とても、何につけてか心地よくおぼされむ。御心なぐさめに、人の見るなる絵物語などだに、かゝる奥山には、いづこのかは見えむ。行きかはり時に従ひたる、花の色鳥の声をも、我が身同じ心に見はやす人もなく、唯心一つに起き臥しながめつゝ、手習ひを供にて明し暮し給ふ。母宮の教へ給へる琴を、教へ奉り給ふよりもすきてひきとり給へる、聞く人もなき世界なれば、眺めわびては掻きならしつゝ、明し暮し給ふ事より外の事もなきに、中納言尋ね入りおはしたりしを、尋常(よのつね)の人だに絶えたる世界に、浅ましうめでたう物し給ふ人の、都の人の住居(すみか)は、思ふにかうはあらじを、いかに見給ふらむと、はづかしう、人々の思ひ喜びたるを見給ひて、心のうちには、
誰もなほうき世のうちの山なるをいづこなるらむあらぬ所は
これより奥をも、たづねまほしう打ちながめて、琴をいみじうをかしう弾きて居たまへる夕ばへ、人々めでたしと見奉りて、年ごろは、この御琴の音うけたまはりつるは、そゞろ寒くすさまじく侍りつるを、今はしもいとおもしろく侍ると、心地よげに興じあへるも道理ながら、あな心うと、我が身一つのみ、恥ずかしくあらまうく思す。
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