《浜松中納言物語》⑤ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三









浜松中納言物語









平安時代の夢と転生の物語

原文、および、現代語訳 ⑤









巻乃三









平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。

三島由紀夫《豊饒の海》の原案。

現代語訳。










《現代語訳》

現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。

原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。





濱松中納言物語

巻之三


五、尼の君の御歎きのこと、吉野の姫君の孤独のこと。


山の中のこの宮の、あまりの孤立はその御父宮、上野の宮とても、ゆめゆめにさえもお逢いになられられるすべもなく、かつての父宮ゆずりの御尼の君の才、琴笛の音のすぐれたることのみを頼りになさられて、陰謀述作、処世のすべにとおくはなれられた素直さのままに、この世に過ごしていかれなさることは、寄る瀬さえもがすくなくて、ただただ生き難くてあらせられるのを、ましてや御帝に公のこととして御処罰いただかれなさられて、筑紫へお流しいただいておられるのに、その行く末の覚束なさはいかほどのものであったか。

もはやかつてお住まいになられた家などの、跡形もなくなられてあらかな行方もなき田舎にて、命さえ堪え難く行き詰られておられれば、心はかなくも、物の故、この世の道理さえ知りはしない乳母ばかりを具して流離、さすらいなさられるばかりなのを、見かねた大弐は尋ねられて、花の都に率いて帰ったのだけれども、その日々の雑事に追われれなさってただ棄て置くばかりになさられたにすぎなければ、その御身には何の色めきだつこともなくて、その大弐さえもが亡くなられたのちには、もはやひとえに寄る辺もなく悲しき日々をお過ごしになられたころに、師の宮の御事、その宿命の姫君のご懐妊の兆しさえ顕れて、かつて世に知られぬ数奇の宿世契りであれば、またふたたび、世を渡り人の眼に触れようとは想わぬと、こころ憂く想われなさって、尼になられなさって世にお隠れなさられておられるばかり。

山に隠れ、この身はもはや、だれにも知られないままに、かつてめぐり合った人々にさえも、かの人はもはや、お亡くなりになられてしまったのだろうとさえ想われているのだろう、その日々のおぼろげささえもがあさましくも悲しく、深い淵の底にでも突き落とされて閉まったかのように想われることも、とはいえ、命は所詮は限りあるわざ、御懐妊のその子の、悩ましくもうつくしい女の身などに生まれ堕ちてしまったものを、おなじく深い淵の底に我が身もろともに落としいれてしまったもの、この人をも世にふれさせることもなく朽ち果てさせてしまうものかと、恨みに想っておいでであれば、ご伺候させていただく人々、どうしてかくも類もなく優れていらっしゃる御子を、誰に嫁がせもせずに捨て置くことなどできようかと、悲しがりて、想い惑ってそのおのおのが、思案し想いめぐらすなかに、四つ、五つの頃、なんとも色めいておかしげにお遊びなどなさられるその御有様の、いまは唐土に手放してしまわれたかの御方に、違うところなくお似通いなさられていらっしゃるのを、それさえももはや心憂く、物悲しく想われるばかりのことであったのだが、いまはもはや、遠き唐土のかの御后に御消息などつけられよう手立てもないなかに、かつて、いまこそ唐土にとお旅立ちになられられるときに、いともおかしげに、宿命の牙の剝くものならば諸共にと、お互いを抱き締めあって語り合い、もう船に乗るときは過ぎましたとて、別れを急がされるさなかに交わした惜別の想い、見詰め合う濡れた眼差し、万感極まった身の契り、宿世のうさも由々しさも醒めて、この想い、決して忘れられる事などあるまいと、わなないた心の惑いの悲しさ、返す返すも俗世を棄てて、身を背いた今となっても忘れる刹那さえもないままの、その、涙をためた眼差しにお似通いされてさえいらっしゃるのを、かの人とは血を分けたつながりとは言えども、この世にてまたふたたびめぐり合い、言葉かわすべきすべもあるまい。

この、傍らに添う姫君こそは、こうまでも心細くおぼろげなるこの世の中の同じときの中に、心細くてあまりにもはかない我が身に添うべき人であろうとようやくにして歳を経れば経るほどに、つくづくと身にしみて想われてのちには、尼の君は、ひと想いに世を棄ててしまってみたのちにあっても、ただひたすらに限りもなく悲しく切なく、仏前の行いの暇々にも、かきなでてさしあげつつ行く末を想いやられていらっしゃるのに、姫君の、いまだかつて世にも知られないがばかりに美しく、なんど見つめて飽きもしないほどにご成長されていくのを、なにに紛れるということもなくつれづれに、眼にふれるままに心を慰められてばかりで、また、その御有様の言うに言われず高貴なる御さまにていらっしゃられれば、このような山の奥深くに、鳥獣の中に混じっていらっしゃられる現状の、なんとも憂いを解き放つ事はできかねる。

去年に今年は勝って、昨日より今日はその輝かしさをまして仕舞われる御有様を、なんとも、この方はこれから、どのような宿世をお過ごしになられる御方でいらっしゃられるのかと、我が身はいまや苔の衣にやつれて、松の葉を装うばかりで過ごすような日々の中に、うち添うて、鳥の声さえなごやかには聴こえもしない山ふところの日陰の暗がりにうずもれて、露もたまらぬあばら家の下に、何のしつらいもなくたたずむばかり。

御衣なども萎れて崩れ、ご伺候させていただく人々とてもこのような世界には誰がよろしき様したものなどいようものだろうか。

若き人々の声などとっくに尽きて、より添うてお語りあいさせていただく人もいない、外に行って遊んだとして、世の前例にもないこのような稀なる人は、はかなくも人の好奇の眼にもてあそばれて、かなしくも散らされてしまうに違いあるまい。

乳母の女ども、三人ばかりがかろうじて、穢げでもなく伺候していた。

それらも皆、歳衰えて、大姉はもはや尼になった。

今はのこりのふたり、そのひなびた姿を曝して、この御姫君の御有様をすてがたく、心苦しう想い侘びて、歎きながらもお添いさせていただいている。

それ以外の者といえば、この大和の国に住む《ことねり》という者であって、時々に通ってくる。

その者ばかりを、男の影として、匂い立つ男の気配などとうに消え失せて、すべて世の常に従い獲ることなどなにもなく、哀れにも悲しく日々を過ごされていくのを、尼の君、今はかならずしも我が身のこととしては苦しくは思われない。

ただ、この姫君の心苦しき御有様を、いかにしてお救い差し上げられるか、そればかりに心は焼かれた。





《原文》

下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。

なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。





濱松中納言物語

巻之三


この宮は父宮とても、世にあひ給ふやうにもなかりし、故宮腹(ふるみやばら)の我が身の才(ざえ)、琴笛の音のすぐれたるをのみ猛き事にて、この世に過し給ふことは、たづきすくなげにおはせしを、まして公に罪せられ給ひて、筑紫へ放たれおはせしに、いとゞ萬たじろぎ住み給ひし家などの、あとかたもなくなり、ゆくへなき田舎にて、命さへ堪へ給はずなりにしかば、心はかなく、物の故も知らぬ乳母ばかりに具して流離(さすら)ひ給ひしに、大弐尋ねとりて、花の都には率て帰りにしかど、我が御事も多くて、あつかふ事のみありければ、この御身には何のにほひもなくて、いとゞ大弐さへうせにしかば、寄方(よるべ)なく悲しき世を過し給ふほどに、師(そち)の宮の事さへ出で来て、世にしらぬ宿世契りなれば、又世を知り人に見えむとは思はざりつと、憂く思されて、尼になり給ひて隠れ居給へりしに、我葉たゞにもあらずなりにけりと思されしには、あさましく悲しく、淵河にも陥りぬべく思されしかども、命は限りありけるわざにて、いとほしげなる女にて生れ出で給へりしを、深からむ河などにも落し入れてよと、見じきかじと憎み給ひしかば、さぶらふ人々、いかでかかく類なくをかしげなる人をば、人にも取らせ侍はむと悲しがりて、さる心地して、おのおのおほし奉りける程に、四五(よついつゝ)にて、いみじうをかしげにて遊びありき給ふありさまの、今はとて唐土に放ち渡しし人の様に、違ふ所なく似給へるを、それしもこそあさましう心憂く思しことなれど、今は見ず知らずなりなむするぞかしと思ひし程、いとをかしげにて、いざよはば諸共にと、くびをいだきてさそひしを、船に乗るべき時過ぎぬと急ぎて、別れし悲しさの萬の身のちぎり、宿世のうさもゆゝしさもさめて、こは音にもいつか聞かむと思ひし心惑ひの、返す返す背きてもすてても、忘るゝまなきさまに似給へるも、かれは親子と契りながら、この世に又逢ひ、音にだに聞くべうもあらずかし。これこそはおなじ世に、かばかり心ぼそき我が身に添うべき人なめりと、やうやう年の積り物の心細きに思し知られて後は、さこそ思ひすて給ひしかど、限りなう悲しきものに、行ひのひまひまには、かきなでつゝ思し奉り給ふに、世に知らずうつくしう、何ごとも飽かぬ事なく生ひ出で給ふを、紛るゝことなきつれづれも慰み、又よろしやかなる御さまならば、かゝる山の末に、鳥獣(とりけだもの)の中にまじり給へるも、新しき思ひは宣しうやあらまし。去年(こぞ)に今年は勝り、昨日より今日は光をそふる御有様を、あないみじ、こはいかになり給ふべき人ぞ、我が身は今は苔の衣にやつれて、松の葉をあぢはひにて過すやうなるに、うちそひて、鳥の音だになごやかには聞えぬ山ふところにうづもれて、霞もたまらぬあばらやの下に、何のしつらひもなく。御衣なども萎れなえばみて、仕う奉る人とても、かゝる世界には、誰かはよろしきさましたらむ。若き人の絶え籠りて、添ひ聞ゆるかあらむ、外に行き散りて、世にあるべきやうにもあらぬ、稀々ある怪しのものどもは、はかなくもてはふらかし奉りぬべし。乳母の女(むすめ)どもぞ、三人ばかり穢げなくてありける。それも皆さだすぎおとろへて、大姉は尼になりにき。今二人はねびにたる姿にて、この有様を捨てがたう、心苦しう思ひわびて、歎きつゝ添ひ奉りける。三にあたるは、この大和の国に住むことねりそといふ者ぞ、時々通ひける。そればかりを、男かげには見給ひつゝ、すべてひとへに、世のつねめきたる事なく、哀れに悲しくて過い給ふも、今は我が身には苦しうも思されず。唯この人の心苦しき御有様を、いかでかくてのみ過しやりぬべからむ。



Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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