小説《わたしを描く女》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/ディオニュソス・ザグレウス…世界の果ての恋愛小説24ブログ版
わたしを描く女
…散文
《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。連作
Prelude in A mainor, 1913, Joseph-Maurice Ravel
Διόνυσο, Ζαγρεύς
デュオニソス、ザグレウス
「言葉なんかもう話さない。そう想ったら、話せなくなった。話さなかったから。言葉なんか。」
「なにそれ。」
葉が、声を立てて笑った。
「すっごい、切実な話なんだけど。」…わたし的には、…ね?「切実過ぎて、痛い。」…どうしようもないくらい、「痛いの。…痛い。」
握った拳が燃え上がってるのは知っている。
「…知ってる?」
私はその力まれきった拳を痙攣させるばかりで、
「花ってさ、…ほら」
もはや燃え上がった自分の身体に、
「雨に濡れた青系の…紫系の?」
抗うことさえできなかった。…なぜ?と
「花って見ると、なんか、」
生まれてきたことそれ自体を鮮明に
「…ね?」
後悔さえした気がしたがすでに、
「痛いんだよ。なんか、」
その想いは記憶にさえ残らずに、確かに
「頭の中が。…心って言うか、」
感じられているはずの炎の
「単に、」
灼熱と筋肉さえ燃えあがって
「頭の中。…そこだけ」
崩壊していくしかない容赦もない
「むしろリアルに痛い。」
苦痛はすでに意識されてさえいない。もう、
「だから…さ。」
わたしのすべては
「救いたいじゃん。…なんか。」
崩壊しているにも拘らず、なぜ
「人間だから。…わたし。」
私がいまだにたかが数十秒ではあったにしても
「人間的にやさしくってさ、…で」
生き残っているのかそのでたらめな
「…も。でもさ」
現実に戸惑うべきだったのだろうか?倦む。
「わかんないじゃん?」
もはや感じられはしなかった
「…ね?」
燃え上がる
「雨に、…」
全身の苦痛に、
「ぬれてる花の」
そして
「救い方。」
見上げらた空はただ青く、それは
「…笑う。」
私に対する絶対的な裏切りでさえあった。それだけは
「なんか、全部無理。」
違うとかろうじて滅びかけの
「なんにもできないの。」
眼球組織が捉えたその色彩に
「救いようさえない」
非議を叫ぶ。
「すげーつらいの。」
叫び声さえもはや
「…想うでしょ?」
あげられはしないのだった。私は
「言葉話さなくなったら、…ね?」
ベッドの上に身を横たえて。その
「楽ないなった、みたいな」
いつかの死にかけた
「…逆。すっごいつらい。…笑う」
最期の時間には。むしろ
「見えるものすべて、」
頭の中に無際限な
「辛かった」
苦痛が目醒めたまま
「…悲しいんじゃないよ。」
にもかかわらず
「つらいだけ。無理…」
その苦痛の束なりさえいつか、遠く
「とか想いながら」
薄い膜の張られた向こうの
「なにも話さなかった。」
垣間見られた風景の一つにすぎなく感じられ
「行ったけどね。…病院とか」
疑う。私は、
「精神科とか。」
私がまだ生きていること、
「カウンセラーとか。」
それ自体を。いくつかの
「脳外科?…その他。」
チューブの群れが
「…知りません。って。」
差し込まれた身体はもはや
「…え?なに?って」
身動きされない。目に映る覗き込んだ医師の眼差しに、
「…すみませんが、日本語話していただけませんか?って。」
戸惑った。あきらかに
「笑うよ。わたし、ずっと」
曝された疑いの表情に。
「そういう顔して、えらそうな先生見てるの」
まだ、生きていますか?
「だんだん先生の自信みたいなの」
まだ、いまも?
「へし折れてくるのね」
疑われた私に声を上げるすべはなく、
「最初は」
生きていますよ。
「普通の眼つきなんだけど」
届かない声が、
「だんだん疑いの目に変わる」
無際限に反芻された。
「わたしの仮病疑ってんじゃないよ」
私の声の群れの
「うそはついてない」
内側にだけ。
「話せないし、聴こえないから。」
瞬きもしない眼差しは、
「…わたしがそう決めたからね。」
それは私の眼差しに他ならない。それは
「わたしの…なに?」
見つめる。もはや
「むしろ」
何を見ているのかすら
「存在自体が疑われちゃってます的な。」
はっきりとは認識できなくなる意識の
「むしろ笑うよ。…で、」
失堕の閾に
「それ、こえるとね。」
ふらつきながら。
「露骨に」
まばたく。
「ぼく困ったなぁ…的困惑。」
日差しがじかに
「自信喪失権威失墜未来絶望人類殲滅的な…ね?」
眼に触れる。南国の
「だれもわかんなにから。」
光。燃え上がるような、
「治療法も。」
熱気が大気に
「病名も。なにも。」
ある。顔の半分を吹っ飛ばした
「本当はね。…だから。もう」
銃弾の
「このまま、」
与えた痛みはもはや
「殺されてくのかなって想った。」
感じられはしなかった。血に、そして
「薬と点滴と注射塗れにされて。」
あふれ出した体液に
「なんでか、頭のレントゲンとか、」
塗れている泥のさえ穢された
「CTスキャン…っての?」
死にかけの身体は、その
「耳の裏切開されたことあるよ。」
姿をもはや
「…笑う。」
捉えはしない。私の
「そのうち頭の中もぐちゃぐちゃに」
眼差しは。…死。ミンダナオ島の
「切開されるのかなって」
光。飛び散ってはいない。
「アスピリンみたいな薬飲んで、」
脳漿は。知っている。
「病院で朝、」
たぶん。まだ
「窓の外見ながらそう想った。」
意識があるから。葉。
「不意に。…笑うよね。」
ざわめく。野生の
「…さようなら。」
樹木の茂った
「世界さん。さようなら…って。」
葉の群れ。
「笑うでしょ?」と、葉は言った。微笑み、不意に笑い声を漏らして。ちいさく。私はまばたく。まぶしくもなかったのに。まだ夜は明けはしなかった。葉はどこか、あきらかに疲れていた。疲労が鮮明に葉の眼差しに浮び、同時に、冴えた意識の押し付けがましい鮮度が、うざったいほどに私の目の前に曝されていた。静華が去って行って、私は何かしようとして、結局は、なされるべきなにものをも取り立てて想いつけないままに、やがては慶輔の傍らに身を滑り込ませて、その静かな寝息を聞きながら眼を閉じて、寝た振りをして時間をやり過ごす。私に出来る事はそれくらいしかなかった。
その日の夜、早めに目醒めた私たちはいつもの喫茶店で時間を潰した。風鈴会館の一階のそこには、日本のやくざと、水商売の人間たちが自分勝手に自分たちの縄張りを張って、要するに自分たちのお決まりのテーブルを疎らに占めていた。夜に空を暗めた空間の、電飾に染まった浮かび上がるような明るさが、窓越しに、ガラスに映った反射のかすかな色つきの白濁に邪魔されながら、それでもかすかに歌舞伎町が、自分の時間を迎えたことの矜持を無意味に曝し始めたのを、私の眼差しに伝えた。慶輔が先に、ひとりで立って出て行った。美容形成外科か何かのオーナー女医を待たせていたからだった。すでに45分近く遅刻してた。「…もっと。」慶輔は言った。「もっと待たせて遣ったほうがいいけど。…」つぶやく。「好きなんだよ。実は。放置されるのが。」
「もんもんとするのが?」
「…そ。もう、たまらないよ。90分くらい待たされるとね。」何回も鳴った着信を、その女医のぶんだけ慶輔は律儀に無視し続けていた。「…今日は、ちょっと早過ぎるけどな。」
慶輔の後姿が、《パリジェンヌ》の、出ることしか出来ない区役所通り側の自動ドアに消えて行った。私が、その姿を見送りきらないうちに、だれかが背後に私の肩をたたいた。ハオだった。振り向いたそこに、長身のハオは照明の逆光の中に立って、翳りながらも彼があきらかにやさしく、ただやすらかに媚びるわけでもなく微笑んでいるのが、私の眼差しには確認された。
「元気ですか?」
ハオは言った。私の眼差しは、どこか呆然として彼を見つめていた。「…どうしたの?」一瞬で、「元気ない?」曇る。ハオの私を見つめる眼差しが。
不意に。
私は気付いた。ハオが、そもそも慶輔と同じ種類の男たちである事実に。慶輔がホストなどして、ときにその性欲の対象でさえない性別の人体を抱いてやっているのと同じ、滑稽さをハオも曝していた。本当に、静華の母親の男であるというのなら。
ハオの眼差しは耐えられないようにひたすらに、むしろ純粋に私へのいたわりだけを曝し、そのやさしい心情にただ困惑の色彩をだけ曝していたのだが、
「大丈夫なの?」
ハオは言う。私の前の椅子を引いて、勝手に座り込みながら。目の前の、慶輔の飲みさしのアイスコーヒーの、悪趣味なステンレスの太ったフルートグラスをどかしさえしない。でたらめなギリシャ風装飾が施されたフルートグラスは、汗を大量にかいて、みじめに濡れていた。
「気をつけて。…からだ、大事…ね?疲れるね、休む。…それ、一番だからね。」…だれの?
ハオの、不意に下降線を描いて空中に停滞した指先の下に、フルート・グラスがあった。「これ、…」
「慶輔。」…そう。言って、一気に飲み干すハオを見る。喉仏が二、三度なまめいて動くと、ハオはすでに飲み干していた。息を大袈裟に吐いて見せたとき、意図的にハオは笑って、「…ね。」
ようく、冷えてる。…ね。
「…おいしい。」言った。「日本人なの?」
不意に言った私に、ハオが動じる事はなかった。
「私?」…そう、と、唇だけが動いた私の無音を、ハオは見つめる。「…でも、それは…」
ん?
んー。
…ね、
いやぁ…
ん。
ん?
んー…
ややあって、
「…難しいね。」
ようやく言ったハオは、声を立てて笑った。
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