小説《わたしを描く女》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/ディオニュソス・ザグレウス…世界の果ての恋愛小説22ブログ版









わたしを描く女

…散文









《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。連作

Prelude in A mainor, 1913, Joseph-Maurice Ravel









Διόνυσο, Ζαγρεύς

デュオニソス、ザグレウス













…どうするの?

ややあって、私は言った。

静華に言ったのではなかった気がした。あるいは自分に。あるいはそこにいない慶輔に。檜山に。…零一はもうどうするか、決めて仕舞っていた。

不意に振り向いて、静華は微笑んで、「檜山さんが死んだら、わたしのせい。」ささやく。「レイレイが死んだらわたしのせい。ふたりが死んでも、わたしのせい。どっちにしても、わたしのせい。…わたしがそんなこと望んでたと想う?…そんなこと。…なんにも、そんなの、望んでなかったのに。嫌でしょうがないけど、けど、…どうすればいい?…悲しい。そうなるしかないことが。…なんで?…悲しい。」

「死ねよ。」私は言った。…光が散乱する。

氾濫していた。

自らを、あるいはふれるものすべてを濫費し、あるいは、それらは濫費されていた。もはや無際限に。たぶん、生命体の小片のがひとつでも生れ落ちる前の、冥王期に降りしきった灼熱の雨の中でさえも。それがふれたものすべてに。

…見えた?

葉は言った。ささやくような、その声。その響き。かすかな、空気が触れただけの音響。…光。

温度などない。

光。

「想像した?…わたしとのキス」…どう?

素敵?

もえちゃう?…笑う。鼻でだけその笑い声を立てて、ちいさく、まばたき、「…なんで?…すうっごい、好きなの。あと一千億回、自分に向ってつぶやきつづけてもたりないくらい、」だれにも、「好き。」容赦もない神々の光の冷酷な氾濫を、防ぎとめるすべなどなどなかった。

すでに、私それ自体がその光そのもでさえあったから。

「想像した?…どうだった?…言って。」

「抱きしめた。いきなり。」

「…いきなり?」

「ぎゅっって。」

「…まじだ。」

「むしゃぶりついちゃった。…我慢できないから。」

「わたしは?」

あらゆるものが、

「抵抗した。むちゃくちゃ。」

光の中に

「なんで?」

停滞して、

「…知らない。女心、的な?」私は声を立てて笑い、「でも、」

…光。

「でも?」

神々の、

「でも、俺を見つめてる目つき、俺を欲しがってるから。」

光。

「…やだ。」

救済の。

「むすろ飢えてるからね。」

「…まじ?それ、」

「まじでやばいから。もう、女に、」

「やーんって感じ。」

「…めざめちゃった的な。だから、」

「押し倒したの?無理やり。」

「立ったままながーいキスした。」

「やばいね。」

「もう、なすがままだよ、お前。」

「ぐだぁって?」

「最初に唇がかさなった瞬間にもはや。」

眼差しの内部にさえ

「それやばい。」

あふれ返ったその、

「舌差し込んだら、」

光。

「抵抗した?」

光りさえしない、それら

「てか、むしろお前のほうが差し込んできたんだよ。」

無際限な、

「やだ。えっち。」

おそらくは無限にふれざるを獲ない、

「ぐっちゃぐっちゃでべったべったなの。」

光。

「えろいね。」

救済する

「べっちゃべっちゃ。」

神々の

「…まじか。」

光。

「お前、なかなかキスやめないから。」

「わたし?」

「俺もやめたくなかったしね。…ずうっと。」

「やーん。」

「失心しそうなくらい感じちゃって。俺。」

「あんた馬鹿?」

目醒め続ける光が

「くらっとして。倒れそうになって。」

停滞し続けた。

「…やば。」

あらゆるものをもはや殲滅して仕舞った

「ちらって時計見たら、十七分二十六秒たってた。」

救済の光が。

「なんで十七分二十六秒なの?」葉が声を立てて笑って、「それ、俺たちの最初のキス。」私は言う。「…知ってた?」

「知ってた。」笑い、葉は髪を掻き揚げるが、光。…私は光にむせかえるしかなかった。

いつする?…と、言った私に、葉は表情のない眼差しのままに、しずかな微笑をくれて、「いつがいい?」私の声を聴く。

「いつ、する?」

「明日?…あした。」

「いつ。」…ね。葉の吐かれた声にだけ、戯れた色づきがあった。「やっぱ、…朝?」

「なんで?」

「最初のあつーいキスは、やっぱ、朝なんじゃん?」

いいね、と、私はつぶやく。微笑むしかない口元が、私が言葉を吐くたびにかすかな筋肉のこまかい緊張と発熱をおびる。

いつものように。

「…こわい。」

と、言った、

おぁいん…

その口のなかに独り語散ただけの発音を、無様に乱した静華の音声は私には聴き取れなかった。…なに?と、私につぶやかれるまでもなく不意に静華が私を直視して、

いま、すべが

「怖い」

美しいの

そう言いなおせば、私は静華のあまりにも深刻すぎる眼差しに眼をそらす。…なにが?

「なにが?」

音響が連鎖する。私の頭の中に想起されたその短いみっつの音と、口に吐かれたみっつの音とがすれ違いながら連鎖して、さらし反芻されたその音は自らをかさねた。

私は光にむせ返る。

為すすべもなく。

「純粋すぎて怖い。」

むしろ、私は静華に微笑んだ。ただ、いつくしむようにやさしく。…ね。

静華が言う。

「なんか、痛い。自分が純粋すぎて耐えられない。…つらいの。壊れそう。」

「壊れれば?」

「もう壊れてる。…耐えられない。…私、純粋すぎる。」

静華が、意図したわけでもなくこれ見よがしに、押し付けがましくその表情いっぱいに曝された留保もない絶望に、私は心にあざやかな哄笑をだけひびかせながら、ただ眼差しは彼女をいつくしんで見つめる。

微笑まれた私の眼差しをさえもはや、私を直視しながらも、静華がなにも見ていないことなどすでに気付いていた。

「…ね。」

その短いひとことを言い終わらないうちに私に抱きついて、縋りつき、私の皮膚に静華と、その着衣の触感がじかにふれた。

「やばい…死んじゃう。」

静華は言い、私は彼女が望むように、彼女を抱きかかえたまま床に身を横たえるが、静華の吐く息、そのうすく体中にかかれた汗と、にじみだすように放たれた体臭のすべてが大量の酒気を放って、私は見つめるしかない。光の散乱の中に。

無雑作な。

無残な。

ただただ光は惨状だけを曝した。

救済のその光の只中に、あふれかえってあることの惨状を。「むしろ、好きにして。」仰向けになった私に覆い被さって、静華はささやいた。「めっちゃくちゃにして。」なんの煽情をさえ曝さずに、声をただおびえにふるえさせて仕舞いながら、「…穢して。」まともに服さえ脱ぎ捨てないままに、「穢ったなくしちゃって。」私の体にしがみつく静華の「ぼろぼろに穢し果てて。」乱れた髪の毛を私はやさしく「…たぶん、それでも耐えられない。私、」なぜてやる。「…純粋すぎる。」

生まれて初めて見た、と、私は想うのだった。その時、最期のときに。

海の上に振り続ける大粒の雪を、あるいはそれは、美しいというべきだったのだろうか?そう言って仕舞えば、私はその瞬間にその失言を後悔して仕舞うに違いない。

美しいとはとても無雑作に言い切れはしないながらに、それはただ、美しいとでも言い切ってやるしかなかった。

相変わらずのおびただしい救済の光は散乱し、密集し、為すすべさえない。死の時刻には、終にはふれない。

なんど死んで、生まれ、その中に死を迎えようとも、私は終に死にふれたことなどなかった。

意識がその眠りを意識し獲ないのと等しく。

死にさえふれられないままに、私は死を迎える。

海に雪が降った。雪は海にふれ獲はしない。触れようとしたしたその刹那の一瞬の手前には、結晶を破壊された雪はすでに海水に溶け込んで仕舞っているに過ぎないから。…光が。

光がふれ続ける。

永遠に。

いつものように。

素手で。

私に。

私は声を立てて笑った。最期のときの、出来すぎの、あるいはあまりにも不出来な雪のみもふたもない暗喩に、私が立てるしかなかった笑い声は、もはやその高度すぎる機能を失った唇を、肺を、腹部と喉の筋肉と神経の組織を、ふるわせることもなくいつか、意識のどこかにちいさく意識だけされていた不在の音響にすぎない。…早く。

と、むしろその、四十九歳の私はそう想った、痙攣する四肢の苦痛などすでに意識することさえ出来ずに、ただただ遅滞している気がする死へ没落に、もっとはやく。すぐに。どうせ死んで仕舞うのなら。

あるいはもう死んでいたに違いない。

残存した記憶がどこかで、消え残った最期の時間を、無際限に反覆して仕舞ったのかもしれない。

瞬きさえしない。

静華は。

床の上にあお向けて横たわり、乱れた着衣に下半身だけを曝した。夕方の日差しが静華と私に斜めに当った。赤らんだ暖色の光には光がある。肌に触れる。

光に瞬く。

私は。そして、私はその静華の傍らに立って見下ろしながら、静かはもはやなにかが壊れているとしか見えない。呆然とした静華の痴態は。私にしがみつてもてあそんだ静華が、これみよがしにじかに穢した私の肌は、こびりついた彼女の汗を、彼女が終ったと同時にすぐさま洗い流し、私は、シャワー・ルームから出てきてもなおも、あれから時間など一切流れてはいなかったとでも言いたげな静華を見つけた。

静華の周囲にだけ、穢わしいほどに明らかに、時間は停滞していた。逆行さえしないままに。腐り堕ちさえしないままに。ただよった。匂った。澱んで。「…帰れよ。」私は言った。

静華は無視した。むしろ、私は私がなにも口に出しはしなかった錯覚にさえ捉われ、息を吐く。ながく。私は。…ため息?吸う。私の鼻は。呼吸。たしかに私は生きていた。

夕暮れる空が窓越しにその色彩の残骸に過ぎないあざやかな破滅を曝す。暖かい。

その光は。

最後まで辿り着くこともなく、その体内でもすぐにもとのかたちに戻って仕舞ったそれが、頭をたれてぶら下がっていた。夕焼けた日差しのあたたかさがただ、まだかすかにシャワーに濡れた潤いを感じ続けるそれと、下半身に、素手でふれていた。眼差しの下で、静華は完全に、表情を失っていた。

なにもしなかったような気さえした。私の全身は、彼女の肌にふれた事実などもはや指一本にさえ、記憶などしてはいなかった。静華はただ、無防備な眼差しを壁の方に投げ棄てて、あるいはまどろもうとしているのかも知れなかった。静華だって、まともに寝てはいないはずだった。彼女に襲いかかっているかも知れない安らかなまどろみの、そのどうしようもない心地よさが、私に鮮明に感じられた。

「…ね。」

静華は不意に声を弾ませた。

「零一、待ってるかな。」

むしろ意図的に少女じみた気配を含まされたそれが、私には痛いたしいだけだった。目に映るのは

「…私のこと。」

明らかに女じみた肉体を半分曝した、三十過ぎの女にすぎない。

「どこにいるの?…あいつ。」

「私の部屋。…神泉の。」






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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