小説《わたしを描く女》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/ディオニュソス・ザグレウス…世界の果ての恋愛小説21ブログ版









わたしを描く女

…散文









《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。連作

Prelude in A mainor, 1913, Joseph-Maurice Ravel









Διόνυσο, Ζαγρεύς

デュオニソス、ザグレウス













海に、破壊的でない要素など何もなかった。雪が降っていた。

白濁した色彩の中に、麻痺し果てた皮膚はもはや温度をなど感じ取りはしない。すべてのものが、光り輝きもしないままにその微粒子の単位に至るまでのその内側から、光のない光を放っていたのには気付いていた。

神々の光。…そうとでも、名付けざるを獲ないもの。満たされていた。すべては光に。

容赦もなく。

雪が降り続け、私の眼差しはいつ私が死んで仕舞ったのかの、その瞬間の到来にさえ気付かないままに、ただ、見つめた。雪。

戯れ、舞い、散り、まっすぐに墜落し、あるいは乱れた。

雪。その色彩。

私はすでに死んでいた。

…光。

零一はさようならも言わずに部屋を出て行った。静華を、自分勝手に私の部屋に置き去りにして。

私は想い出す。いつでも常に光を見ていたことを。

あるいは、むしろ光そのもの中に見ていたことを。

結局は、すでに私それ自体が光に過ぎなかったことを。知っていた。

すでに。見ていた。

見飽きて仕舞っていた。

光など。

光のないあざやかすぎる光。…神々の光。

留保なき、容赦もない救済の。私たちにじかにふれ、それらの光はただ、救済をだけ志向して、…光。

気付いていた。もはや、静華の戯言がやんでいたことを。想いだす。静華がすでに沈黙していた事実を。私は静華さえもが終に眠ったに違いないことを確信していた。それが誤認であることなどすでに知りおおせて仕舞っていながらも。

伏せた眼差しが静華にふれ、…光。戸惑う。…神々の光が、そして私は静華の、…私たちを救済していた。光が。横たわったソファの上に横向きの眼が、はっきりと見開かれていることに。…輝かざるを獲ないものら。光。静華は息遣う。むしろ息をひそめるようなそぶりさえをも見せて、そして、眼差しは何も捉えない。すくなくとも私をは捉えもしないままに、「…ね。」…光。ささやいた静華の声が、私の耳の至近距離でなった気がした。…なんで?と、静華は、「なんで?」声。…止め処もない光。彼女の声に、明らかに私を咎めだてる、にもかかわらず絶望するばかりで、むしろやさしくいつくしむしかなかったその…神々の光。救いの光。…曝す。音色を曝す。「なんで、零を傷けたの?」言った。静華はそう言って、不意に私を見つめた眼差しに、すべての表情が喪失されていく。見つめる先から休息に、手の施しようもなく、…光。「なんで?」私は、まばたく。

「なにが?」その私の声をなど、静華は耳に入れてさえいないことなど知っている。泣いているに違いない、と、私は想った。まさにいま、静華は泣きじゃくっているのだった。何の表情さえもなく、…救済の光。あふれかえって、光。静華は。まばたきさえしないその眼差しを私は見つめ、「…知ってた?」そう言ったのは静華だった。「なにを?」

「…知ってる?」…わたし、酔っ払ってなんか、ないこと。言って、声を立てて笑った静華の眼差しが、無邪気な企みの色彩にまみれた。「ママにもばれてると想う。あの、中国人にも。…それと、…」…光。

「檜山にも?」私の声を、静華は聴く。刺し貫いた光の群れ。静華は一瞬、音声の手触りを耳になぜたが、あふれ返った氾濫。光の。噴き出して笑って、…知ってたよね?

言った。

「あんたも。」

違う?

私は、…神々はすでに光。うなづく。神々はすでに覚醒していた。到来し、素手でふれ、確かに私はすでに気付いていた。静華が酔っ払ってなどいないことには。零一が無理やり、壁にぶつかりながら静華を部屋に担ぎこんだときには、すでに。そのあられもない姿を目線に入れた何秒かあとには、もう。「…そんなわけないから。」…光の中に。静華がつぶやく。独り語散るように。「そんあわけないじゃん。酔っ払わないよ。わたし、あのくらいじゃ、全然…」

「なんで?」

静華は私の声に、一瞥さえよこさなかった。

「…なんで、嘘ついたの?」…うそ?ややあって、静華は、…すでに光。つぶやき返す。「…振り?酔った、振り?…したの?」…なんで?その、私の声を、静華が聴こえなかったことにして無視して仕舞うか、それとも答えてやるのか、一瞬逡巡したことに私は気付いた。「悲しいから。」

ややって、…神々の光。すでてが救済された。静華は言った。「悲しくて、仕方なかったから。」

「なにが?」

「すべて。」

「なんで?」

「…知らない。」…ねぇ。まばたく。…光の神々。「本当に、知らない。」…理由なんか。…けど「悲しくなったの。耐えられないくらい。零くん…」…ね?「…零くん」幸せそうなの。

「幸せ?」

「そ。…そう。…そうなの。…そ。幸せ。なんか、完璧、幸せそうなの。だから、なんか…」…ぶち壊して遣りたくなった。「…想わず。…」

静華は言った。

「零一を?」

「自分を。…幸せな零くんに、幸せになってる自分の幸せすぎる幸せ自体を。」

「なんで?」

「耐えられなかったから。幸せすぎて。…ほんとに幸せなの。幸せすぎるの。だからぶち壊したの。酔いつぶれた振りして。」…たぶん、…ね「振りに、さ。最初に嘘に気付いたのハオだよ。あの、頭のおかしいの。…あいつ。すぐ、私に笑いかけたからね。次、檜山。てか、あいつは騙せないよ。結局。…もう、全部感づいてるかもね。たぶん…ママが最後。ハオの車の中で気付いたと想う。…その前かな?…零くんに尋問みたいなのしてるの、それ見てこいつにもばれちゃったんだぁって。」…でも、ね。「…無理。あんな、ママのむかつく尋問強制回答させられてても、零くん幸せそうだから。…馬鹿みたい。零くん、おどついてんだけど。でも、うそついてもなにしても、零くん幸せなままだとわたし、結局幸せになるしかないから。だから無理やり酔っ払ったの。振りしたけど、振りしてるとほんとに酔っ払ってくるじゃん…なのね。わたしは。」あらゆるものが、「わたしはそうなの。」あるいは窓越しの陽光さえもが、私の眼差しに触れるたびに光を見出させていた。神々の、その、容赦もない救済の光を。いつからだったのか。私が光をしか見出せなくなったのは。眼を閉じてさえも。眠りの中に在ってさえも。

「…知ってる?」

不意に、静華は言った。光のないその神々の光にうずまりこんで仕舞いながら。「人を好きになるってこと。」光につつまれて。

静華の鼻に、ちいさな笑い声が立った。「レイレイに逢って、初めて知った。零が教えてくれたの。生まれて初めて。結局、いまごろ」…もう、三十三だよ、私…笑う。まじ。…「人、好きになるとね…」…ぜんぶ、…んー。「自分の全部完璧に、純粋になっちゃうの」

わたしのおなかの中にイエス・キリストが宿っているの、…と、不意に、そんな人類救済の黙示の告白でも告げようとしたかのような、あまりに深刻な静華の眼差しに私は想わず声を立てて笑って仕舞い、光にむせる。私は、救済の、それら容赦もない氾濫に。

ただ、すべてのものを救い、報いることだけを意志した明確な、あるいはむしろ、あざやか過ぎる、輝きの一切ない光の氾濫が、そして、「まじだから。」…知らないの?

まだ、知らない?…静華の眼差しは私を無慈悲なまでに哀れんでいた。むしろ私をひとり置き去りにして。「知らないだ。…まだ、だれもほんとに好きになったことないんだね?」…お前、

「てか、お前さ。いつからお姫様になったの?…ただの年増のキャバ嬢だろ?」私は笑い、眼差しに浮んだ嗜虐的な悪意を押しとどめることができない。「…ばか。」静華は言って、

「いつでもずっと、わたしはかわいいお姫様だよ。」戸惑いも、迷いもなく笑った。…なんか、ね。

「もう、ぜんぶが純粋なの。眼にするものすべて。ふれるものすべて。わたし自身だって。ずんぶ、せんぶ、ぜーんぶ純粋すぎて、…ね?」…なんか痛い?

「零一、死ぬぜ。」…聴いてたろ?

私の声を、…光。静華は聴いている。救済の光の只中で。私とともに。静華は聴いていない振りをする。私の「零一か、」声を。「檜山さんか。」耳をしずかに澄ましながら。「…どっちにしても、だれか死ぬ。」瞬く。

静華が。

「お前が殺したの一緒じゃない?」

…知ってる。と、私の言葉が終る前に静華が言った。「それでもいいの?お前が自分勝手に純粋になる代償で、頭吹っ飛ばされた銃殺死体がひとつかふたつか、いくつかたくさんか。どっちにしてもだれか死ぬ。…そうじゃなきゃ駄目なの?お前が単に感じちゃっただけのわけのわからない自己満足の純粋さってのは、そこまで価値があるものなの?頭おかしいんじゃないのお前?」

…ねぇ。

静華の唇が言葉を吐きそうになるのを私は許さない。…光。

あふれかえる。…至純の光。

「ただの年増の妄想でしょ?だいたいいままで何人のおっさんのその純粋さを踏みにじって金捲き上げてきたんだよ。何人といちゃついて、何人と適当にやってきたんだよ。前から後ろからケツの穴から口の中までさ。むしろ馬鹿?お前なんかクズだろ?クズがいきなり純粋になりましたって、自分だけ適当に救われたつもり?檜山はどうなるの?単に遣い棄てただけじゃん?零一だってどうなの?お前の純粋さに遣い棄てられるだけなんじゃないの?…ほんと、まじ馬鹿なの?むしろ、」静華は「死んだら?」静華は涙さえ流さない。ただ私を見つめて、表情さえなく、眼差しは息吹きさえなく冴えるしかなくて…光。

どうして、と、その疑問符を想いつく余地さえもなく救済の光がすべてのその内部に巣食い、救い去って仕舞う。

すべてを浄化しないままに、そのままに無残に放置し果てて、惨状は飽きもせずに曝されつづけたままに、すでに、満たされきっていた光。

絶望的なまでに容赦もない、神々の救済。「…知ってる。」

静華は言った。「ぜんぶ、種撒いちゃったのはわたし。レイレイ誘惑したのもわたし。…知ってたから。零くんがわたしのこと、もう、好きになっちゃってること。…分かってたから、だから、受け入れるしかなかったの。」

「勘違いだよ。お前が錯覚してんじゃん?俺とのことだって知ってるんじゃない?あいつの女はお前じゃないよ。あいつの男は結局は俺なんだよ。いまだにあいつ、お前の事なんか好きじゃないよ。…聴いたろ?愉しんでるんだよ。あいつの遣り方と流儀と必然で。あいつも頭おかしいけど。けど、言獲るのは確実にお前なんか好きじゃない。…だいたい口説いたの一方的にお前のほうだろ?零に気なんかなかったよ。うざがってたんだから。年増のくそばばぁって。…違う?」

「…ね?」…知ってる?

瞬いた一瞬の闇すらもが、…光。あまねく空間のすべてを満たした光を、…そして氾濫する。防ぐことなど出来なかった。…光が。

「こころとこころが素手でじかにふれちゃうとき…なんていうの?…魂と魂がもう、ほんとうにじかにふれあっちゃったときって、純粋に、ぜんぶ真っ白になっちゃうの。なんか、ぜんぶ破壊されちゃうの。抗うことなんてできないの。償うこともできないの。ただ、ぜんぶ、なにもかもが純粋なの。疑問符もなにもないのただ、Yesしかないの。みじかい、Yesよりみじかい肯定しかないの。」

「お前のレイレイはべつにお前のこと好きでもないよ。」

「…知ってる。でも、零くんと愛し合ってる。」

「言ってることがめちゃくちゃだよ。」

「知らないんだよ。…」静華の眼差しは、ただ、「まだ、人を好きになるって事。」私への「…なんにも。」憂いに翳った。

…どうするの?

ややあって、私は言った。

静華に言ったのではなかった気がした。あるいは自分に。あるいはそこにいない慶輔に。檜山に。…零一はもうどうするか、決めて仕舞っていた。

不意に振り向いて、静華は微笑んで、「檜山さんが死んだら、わたしのせい。」ささやく。「レイレイが死んだらわたしのせい。ふたりが死んでも、わたしのせい。どっちにしても、わたしのせい。…わたしがそんなこと望んでたと想う?…そんなこと。…なんにも、そんなの、望んでなかったのに。嫌でしょうがないけど、けど、…どうすればいい?…悲しい。そうなるしかないことが。…なんで?…悲しい。」

「死ねよ。」私は言った。





Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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