小説《わたしを描く女》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/ディオニュソス・ザグレウス…世界の果ての恋愛小説⑦ブログ版
わたしを描く女
…散文
《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。連作
Prelude in A mainor, 1913, Joseph-Maurice Ravel
Διόνυσο, Ζαγρεύς
デュオニソス、ザグレウス
「おもしろそうだね。」不意に私は言った。その、自分の声に、私は戸惑う。「お前。…まるで。…他人の不幸が」
「おもしろがってるみたい?」悲しみさえ渇ききって、枯渇した先に薄い歎きだけを停滞させた、そんな、どこかうつろな表情を崩さないままに、愛がつぶやいた。その、かすかにひらかれた唇に。「…かもね。」
「嫌いなの?」
んー…と、不意に鼻に音声を鳴らした愛は、「…たぶん。」私をは見つめない。絨毯の先の、なにかに視線を投げ棄てたままに、「わたし、嫌いって言うより」…ね、「憎んでるよね。」ね?…「…きっと。…むしろ。」
「なんで?」
私は声を立てて笑っていた。呆然としたままに、そして私がつぶやいた言葉を愛は聴いた。…なんでだよ。やがて愛はひとりで笑った。私の言葉には、その音声に、明らかに愛への軽蔑が感じられた。「…わかんない。」…なんでだろう?
言う。
「でも、…ね。」最初…さいしょ、…ね。「最初に来たときのあの子って、ほんとに穢いの。むちゃくちゃ穢くて…」もう…
笑う。声も立てずに、その音声をだけ乱れた息に荒らせて。…笑っちゃう。もう…「でも、…さ。」ほんと、…「…ね?」…笑っちゃうんだけど、…
「いまじゃ、お前のほうが穢いじゃん。」
私は声を立てて、間歇的に笑い続けていた。むしろ、愛は侮辱され、軽蔑され、差別的に蔑視され、罵られ、人格さえ否定され、家畜扱いすらされて、なじりつくされることをだけ望んでいる気がした。…お前なんか、
「もう、加齢臭ただよっちゃってさ。しみだらけ。口もとにも皺、見え隠れして。ひどいよね。劣化しちゃった感じ?…半端じゃないよ。もはや。もとから大した女じゃなかったんだろうけど、若けりゃともかくさ…体ももともと女の魅力ゼロじゃん?なんで俺がいかないかわかる?…無理。いけないの。お前なんか抱きたくないもん。無理だから。する気にもなれない。存在自体が無理。なんか、お前。穢いし。…知ってた?なんか、穢いのな。お前って。全体的に。むしろ記録的に魅力ないよ。だから、ホストなんか買うんじゃん?…お前。何人目?しょうもない男に金払って抱かれるの?…もう、女として終ってるよ。たぶんさ…間違いなく、」…死んだほうがいいと想うよ。そう言って、微笑みかけた私にやさしい眼差しをくれて、愛は、…ねぇ。
言った。
「あの子のこと、好き?」
悲しいほどにそれは、やさしいだけの眼差しだった。「お前よりは好き。ぜっんぜん…」眼差し。「比較できる対象でさえないよね。」
愛の黒目が、震えもせずに私を見つめる。
なにをも責めないままに。…知ってる。愛は、そうささやいた。言葉を吐いていく唇が、かすかにだけ言葉にかたちを崩していくのを、私は見守った。「俺が、…さ。」
愛を見つめる私の眼差しが、ただ、「あの女とできちゃったらどうする?」留保もなく嗜虐の色を曝していることは知っていた。
「殺す。」愛が言う。「…たぶん。…きっと。…間違いなく。…100パーセント。…それ以上。」
「なんで?」…ねぇ。
身を起こしながら愛がつぶやき、…ね?私に身を預けて、私は感じる。「ね。…ね?」愛の胸元の皮膚が腕にふれる、そのやわらかな触感。
垂れ堕ちる髪の毛。私の胸元に触れるた、雑に束なったそれ。息遣い。そして「知ってる?」体温。…わたし、
「あんたのこと、好きなの。」
「ばか?」
笑う私に、愛は反応などしない。「すごい、好き。」
「なに言ってんの?」
「信じられないくらい。」
「終に、頭、」
「初めて」
「ぶっ壊れちゃった?」
「初めて知った。…だれか、」
「てか、お前、」
「本気に好きになるって…」
「頭の中にさ、なんか」
「そっかぁ…って。」
「変な虫飼ってる?」
「こういうことなのか…って」
「大丈夫?むしろ、」
「死にたい。なんか」
「変なもの喰ったでしょ?」
「見つめたまま死んでもいい。…いやだけど。」
「おねがい。」
「死にたくないけど。…絶対。けど…」
「死んで。」
「でもね、…別に」
「きもちわるいから。」
「幸せになりたいとか、…ないよ。」
「やばいよ。お前。」
「いいよ。別に」
「ばかすぎ。まじで、」
「愛されなくても。でも」
「まじで無理だから。」
「…ね?でもでも、…さ、」
「もう、終ってる。…お前、」
「好きなの。…死にそう。」
「まじで無理」
「好き。…好きなの。」
「頼むから、」
「…好き。」
「消えて。」
のけぞるように顎を突き出した愛は、上目遣いに笑っていた私を見つめる。表情は歎き続けるままに、変わらない。ずっと。私は軽蔑をだけ曝す笑い崩れた顔を、彼女の目の前に突き出したままその、眉をなぜた。
指先が優しく、そのやわらかく、短い毛先の触感を感じて、
「なんか、お前…」
なぞる。そっと、その
「存在自体が穢い。」
まぶたの形態。かすかに、
「鏡見たこと在る?」
まばたく、それ。繊細な、
「人類史上最低だよね。…」
そして指先は、鼻の隆起をおびえながら
「おもはや恐ろしいよ。」
這う。息づく、
「体全体でお前、」
皮膚。潤った、その
「**だもん。…てか、」
愛の皮膚。息づかう、彼女の
「***。…匂うよ。」
吐息に近い息がふれて、
「生きてて、お前…」
やがてふれた唇に、指先は
「恥ずかしくない?」
恥らう。そのやわらかすぎる、
「…人間の*。お前、」
触感に。
「むしろ****以下だよ。」
私は彼女に口付けた。その唇に。不意に愛の***を這った指先は、***************、愛は戯れようとする私の指先を受け入れ、その閉じられない眼差しが見つめているのは私だけだった。
不意に、愛が笑った。…なに?
「どうしたの?」
言った私に言葉も返さずに、私を上目に見つめ続けながら、声を立てて笑い続ける愛はその眼差しに何かを確信して、私を戸惑わせるほかないのだが、私は微笑む。愛に。愛に見惚れてしまいさえしながら、老いさらばえかけた女。あきらかに、その皮膚のたたずまいのすべて、色彩以前の色あいにおいてすでに、これみよがしに彼女にすべてに老いていく、その突端の劣化があざやかに目醒め続けていた。いかなる明確な劣化をもいまだ曝し始めないままに。愛は色褪せ始めていた。私は微笑んでいた。
「…なんだよ。」
つぶやき、ささやかれた私の声を聞く。愛は。そして私の指は彼女の**をいつくしむ。その形態を、決して傷付けはしないようにこまかな注意と、ときに唐突なおびえをさえ一瞬だけ曝しながら、なぜるように、やわらかく、そしてそれ、つめを立てて引っ掻いて仕舞えば、簡単に傷付いて仕舞うに違いないもの。
愛。
笑う。彼女が、声を立てて。
聴く。
乱れた息。
なにかの唐突な発作のような…。
その、彼女の間歇的な笑い声に、不意に乱れる、それ。
…息遣い。
曝された腹部の、胸元の、うすく浮いたあばらの形態の、不規則で荒れた浪立ち。
彼女の肌。産毛のかすかな光沢。…ねぇ。
「笑っちゃうの。…」
「なに?」…知ってる?
言った。
「感じてるの。」…わたし。「…いま。」
もはや、耐えられないように声を立てて笑った。愛が。そして、私も彼女のために笑ってやった。彼女と同じように。空間に、私たちの笑い声が、それらだけ、絡まりあって消え去っているに違いない。為すすべもない。
きったなくて、…ね。穢くて「…笑うしかなかったの。」…そう、愛は言った。葉の事を。まともに、自分の身の回りのこともできないの。まともな、お風呂の入り方も知らない。…だって「だってさ。…ね、」…笑った。「一緒にお風呂、入れたら中でおしっこしちゃうのね。笑う。」…まじ。…ほんと、「まじ笑うよ。」笑った。…ひっぱたきそうになったけど。…「パパ慈善家だったから。」…じゃん?「で、パパの遣ってること、正しいわけじゃんじゃん?」…じゃない?「人道的に?社会的に?人間として?日本人として?…みたいな?」…でしょ?「…なんか…」…わかるよね?…だから、「言えないの。」…じゃん?
私は愛の首を抱いてやり、愛は、その背中を私に預けた。私たちは微笑みあいながら身を曲げて、その、私の指先が愛にゆっくりと、出入りしていくのを、見ていた。体液に濡らされながら。
あの子が、何やっても。…と。
言った。「…スパゲッティ、手で食べ始めても、」…まじ。「何、…」ね、…「なに食べもくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃべったべったできったなくってもうさ、」ね?「んー…ね。」…でも、「疲れた。…すうっごく、…」わかるよね?…「なんか、一緒にいて、」ん?…ん、「すごい疲れた。」
「殺してやりたいくらい?」
「んー…」…いや、なんか…「てか、ね?…」消したい。…消しゴムで。全部。消してやりたい。…「…むしろ。」
愛の足の指がのけぞって、拡げられていた。私の腕を挟みこみもせずに、ただ大きく開け拡げられただけの太ももが与えた完全な自由の中で、私の腕がかすかな動きを空間に刻む。指に体内の温度がる。暖かいとは決っして感じられないほどに、単なるありふれた温度。いかにも、ありふれた触感。人体のそれである以上、そうでしか在り獲ないだろうその質感。ふれられるべき、あるいは、ふれれば感じられてしかるべき、当然の感覚の群れの散乱。拡げられた股の向こう、眼差しの先に拡がった、広い、絨毯の白い光沢の少し先で、不意に色彩が失堕していた。愛。幼い、見たこともない少女が私を見つめて言葉を失っている。その、色彩をなくした少女がただ血を流す。床にさかさまに張り付いて、彼女は両手、…らしき、たこの触手のような何本かのやわらい突起をゆっくりと、時間の中で行為するということ自体を嘲笑って哄笑し、侮辱して辱めきったほどの緩慢さで上下させ、吐かれる血。
…ねぇ。
流れ出す。
ね?
耳元に、愛が言う。
「信じられる?」
「…なに?」
まっすぐに、彼女の吐いていく血の鮮明な色彩が、斜めに下降してどこまで堕ちていく。私はそれを見つめる。目と、鼻と、口と。それら、色彩の細い線は束なって、ひたすらにあざやかに赤く、空間に自由に戯れながら、
「愛してるの。…」
笑う。かすかに、小さく。短く。
ほんの数秒の。
「信じられない…」
滅びたもの。その色彩さえをもも滅ぼして仕舞った、愛、その少女の昏い翳に、もはや表情などない。あるいはもとから。すでに。なにも。そこにただ存在しながら、永遠。彼女がむさぼるしかない永遠をただ、自分で、その一切の自覚もないままにむさぼり続けているに違いない、翳りの抱え込んだ永遠。血。…なぜ、こんなにも、
「…ねぇ。」
鮮やかなのだろう?
「好きなの。…」
口付けて遣った、愛の頬に、かすかにうぶ毛にあれた、やわらかな触感があった。唇は
「なんで…」…じぶんでも、
ふれる。
そんなこと、…「ね?…」信じられもしないのに、何で、「…ね?」
至近距離の愛の眼差しはむしろ、私を見留めさえできないままに、呆然と、そして彼女は私を捉えて離さない。
「わたし、あんなたのこと、」…やだ。…ね?「まじ?」…やだ。…「愛してんの?」
なんで?
鮮血。…色彩の鮮度。
声。
耳元の愛の声だけを聴く。
愛が、いつか涙ぐんで、泣きもせずにただ、その、自分の悲しみにだけ淫していたことには気付いていた。「なんか、かわいいね。」
愛が言った。
「なんで?」なんで、こんな…「なんか、…」ね。なんか、「…めちゃくちゃ、かわいいんだけど…」その、眼差しが、自分のそれと、それと戯れた私の指先を見ている事は知っている。
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