《浜松中納言物語》③ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ③
巻乃三
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之三
三、御妹君の御身の上のこと、御君、儚くお想いさしあげること。
御尼君は、御君の世にまたともないほどに稀なるその御宿世をお聞かせさせていただく御心のうちにも、さすがにひとり恥ずかしくも想われておられるのだが、今はひたすらに、かくのごとき山に籠った山伏の身であれば、この世の想い恥などはもはや、想いわずらうべき身でもない。
御消息にも、必ず頼みにさせていただくようにとあるのも、それでこそかとお想いになっておられれば、御尼君、この上猶も生きながらえさせていただくうちにはお世話にあずからせていただくこともございましょうかと、おっしゃるそのたたずまいに、御君は、御心を惹かれるところもあらせられなさって、お若くていらっしゃられた御時などは、いかにも趣もふかい女性であらせられたものなのだろうと、お想いになられなさるにも、實になんともこの世にはふさわしからぬ高貴なる御有様であることかと、かの御后にも劣られまじくお想いになられなさっておられられる。
京からの道のあまりに遥かに隔たった僻地、たやすく想いたって辿り着けるものではない奥地のこと故に、せっかくならばご来訪いただいた序(ついで)にも、しばしはこの室(むろ)にお留まりお憩いいただかれなさるようにと御宿りの手配もさせていだだければ、心ものどかに、とりあえずはこちらで暫しはくつろがせていただこうかとお想いなさられになってお立ち出でられた頃にはあざやかに、月も差し出でて周囲を照らしていた。
とかく見めぐらさられなされば峰にかたかけて、松原の下にささやかなる寝殿らしきもののあるもの、それは北の対であったのだが、なんとも荒れて人の声もせずに、深き山の中とは言えども仮にも人の住むところでありながら、いかにも心細くて哀れまれなさられて、山よりたぎり堕ちた瀧の音も耳に近く木魂して、松風の吹いてすさぶ、その心細さは限りもない。
とばかり見回していらっしゃられるに、身にしみるがばかりのすさまじい寂しさに、いかにして御方々はその日その日をお過ごしでいらっしゃるのか。
《かうやうけん》にいかにも清らかなる御たたずまいを尽くされて、御身は清冽を守っておられなさられるものの、なんとも甲斐もないことではないか。
只今にでも《こんすてう》というらしい鳥にでもなって海を渡り飛び行きて、こうして侘しくいらっしゃいますよとお告げさせていただきたくさえお想いになられながらお眺めまわしていらっしゃられたものの、聖の方へとお入りになられなされば、なかなかに弟子など、下法師などもさまざまにいて、人目も多いように見える。
御妹君も、そのものどもに等しく、この聖に頼って日々をお過ごしになられていらっしゃられるのであらせられようとお察しなさられるにも、なんとも《あはれ》にお想いになられなさって、かの妹君もこちらにおはされなさるのかとお問いかけになられられれば、そうでございます、こちらのどちらかにいらっしゃられましょう、と。
尼になられて後にお生まれになられた方であれば、御母上もただ心憂しと、世に忍ばせて、見ず知らす棄て置こうとばかりにおっしゃっておられはしたものの、次第に生い立ちご成長なさられるがほどにいかにも清らかにあらせられなされば、さすがに御想い絶ってお仕舞いになられることもままならず、御行いの折々にさえも心苦しく想い歎かれお案じなさられていらっしゃられたようにお見受けいたしまする。
御琴などもえも言われずに趣も深い名手でいらっしゃいますように、折々、お承りいたしておりますが、と語られるのに、その身をお歎きになられておられるのだろう御方ではあらせられようが、とはいえ、若い人のお住まいになられるところとしてはあまりにも恐ろしげなところではあろう。
昔物語などに、このような奥山住まいの姫君の話なども稀に耳にはするものの、なんとも珍しくも《あはれ》なる御身の上を聴くことか。
かの御后の唯一人の御ゆかりの御身の上に、御君、涙もろくもなられられなさって、このような荒れた御住まいを見棄て置き、そのままお立ち去りになられられる御心地もなされられない。
もしやこの世におはしますならばなにとぞお大事にと、かの御方のお託けにもあらせられたものではあった。
御文にもそのように匂わされておいでであらせられたのだった。
なんとも御心残りにお想いになられなさって、聖にはしばしこちらに滞在するとおおせられなさり、京に御文お書きになられられてお遣わしになられなさる。
この国(地方)にあった御君の御荘園のものども、あるいは付近のところどころに人を遣わしなどなされられて、この吉野の周囲にご伺候させていただいていた庄の司(荘官)どもは、こちらに御君のあらせられるのをお聴かせいただければ、皆こぞってご参上あずからさせていただいて、聖の住居の周辺も、あまりに物騒がしいがまでに人々は満ち、あくまでお忍びに、さながら聖の近親者のように振舞って、御尼君の御方に恥ずかしくもないように調わせて参上させられなさる。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之三
世に知らずめづらかに侍りける宿世(すくせ)を、聞かせ給ひけむ御心のうち、恥しくも思ひ聞えさすれど、今はかゝる一向(ひたぶる)の山ぶしだちて侍る身には、この世の思ひはぢなどは、思ひ侍るべきにもあらずかし。御消息にも、必ず頼み聞えさすべきやうに侍るめるも、さるべき故にこそ侍らめと思ひ給うれば、猶生きめぐらひ侍らむほどは、心をかけ頼み聞えさすべきにこそなど宣ふも、残りある心地して、若うてはをかしうなどものし給ひけむかしと覚え給ふにも、實にいと世に似給はざりける御有様かなと、心おとりあはせであはれとのみ思ひやらる。道の程の遥けさなど、おぼろげにては思ひ立つべくも侍らざりければ、かく参りて侍ふついでに、暫時(しばし)この聖の室(むろ)に侍ひて、御宿直(とのゐ)などもと思ひ給ふれば、心のどかに、何事もとて立ち出で給ふほど、月さし出でたり。とかく見めぐらせば、峯にかたかけて、松原の下に、さゝやかなる寝殿だつものこそ、北の対にや一あれど、いみじう荒れまどひて人声もせず、深き山といへど、おのづから人の住むやうもありなむを、さすがにいみじく心ぼそくて、山よりたぎり落つる瀧の音、耳に近きに、松風の吹き合せたる、心ぼそさはいふかぎりなし。とばかり打ち見めぐらすに、身にしむばかりの凄う寂しきに、いかでかくて過し給ふらむ。かうやうけんにいみじき清らを尽して、我が御身はいつかれおはすれど、げにかひなきわざなりや。只今もこんすてうといふなる鳥になりて飛び行きて、かくなむおはしますとも、いみじう告げ奉らまほしう、とばかり詠め入りて、聖の方へ入り給へば、なかなか弟子ども、しも法師どもなどありて、人目しげきやうなり。この聖をたのもし人にて、過し給ひけるにこそはと見ゆるも、いみじうあはれにて、この若き人も、此処にやものし給ふと問ひ給へば、さらなりや、何処におはしまさむ。尼になりて後生み給へりければ、心憂しとて、かく忍びて、見ず知らじと宣ひけれど、生ひだちたまふまゝに、いと清らにものし給ふなれば、えおぼし捨てず、御行ひの紛れに、心苦しう思しなげくやうにこそうけたまはれ。琴をぞいとおもしろく調べ給ふやうに、折々承はり侍るとかたるに、身を歎きにおぼしたる人こそあらめ、若からむ人の住居(すまひ)には、いと恐ろしき所なりかし。昔物語などにこそかゝることは聞け、めづらかにあはれなることをも見聞くかな。唯一人の御ゆかりに、涙もろになりて、かゝる御住居を見置きて、立ち帰り給ふべき心もし給はず。若し世におはする事もこそとて、ことつけ給ふものあるやうに聞きし。御文にはさも書かれざりし。いとあてはかに思ひまさられて、聖にはしばしかくてなむ侍るべきとて、京に御文ども書きて遣す。この国の中なる御荘(みさう)どもの、大かた近き所々に人々つかはしなどするに、この吉野の邊(わたり)に侍ひける庄の司どもは、おはしますと聞きけるより、御まうけして、皆参り手侍ひければ、聖のかたも、あまり物騒しきまでにほひみちて、聖の志のやうにて、宮の御方にも、さるべきやうにて参らせたり。
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