《浜松中納言物語》② 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ②
巻乃三
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之三
二、御尼君、ご対面のこと、御后の御心、ただ想い遣られられること。
茂った呉竹の茂みの中に御母堂のお住まいへの通い路があれば、聖はこの御文を手ずからお取りになってお出向きになられたのだった。
御母君はその御文を一目にお見かけさせていただけば、今宵の夢に唐土の御后の御すがたお顕れになられなさって、心の片一方にただ、かの御方を懐かしく想し遣りながら為すすべもない、その日をすごしていた中の不意に、終にはこのような事を耳にするその御心地、夢か何かとこそ胸もうち潰れていらっしゃって、この御消息を開けてご拝見させていただかれなさるに、ひたすらに《あはれ》とも悲しとも眼に触れたもののすべてにお感じになられていらっしゃるのは世の常なることであることか。
こうまでも、この世のすべてを見棄てて背いた身の想い、この御消息をご拝見させていただくに及んで、猶も醒め難くさえお想いになられて、何の契りの果てに、さすがにも親子に結ばれていながらにして、朝に昼にと逢い交わることさえ叶わずに、燕の鳥の別れるように、何故に別かたれなければならなかったものかと想い続けられるばかりであったのも、前の世のすべてまでもが恨めしいこの御契りのせいであったこと。
聖は、通り一遍のあさはかな人では、踏み迷うまでもなく寄り付くことさえ叶いはしないこのような奥の地に、御自らご来訪なされられたかの御君の類稀なる御志、世の常にも決してあらざる御振る舞いを、是非ともこちらにお招きさせていただいて、つぶさなるかの御后の御有様など、語り聞かせていただきませぬか。是非に、とおっしゃる。
この世を想い限っただけの侘しい住まいなどの草の庵、恥ずかしいばかりの様であるのを、わざわざにお見せお知らせ差し上げさせていただくのも儚くも、世を背いた後の振る舞いとはいえただ恥ずかしきばかりの身辺を、お見せするにも憚り多くて畏れおおくのみお想いになられるけれども、この御文に、決してお疎ましがられることなどなく御みずから御物語って差し上げよとある。
さらには我が身の御代わりとこそお想いなられよとさえあれば、そうするべきでこそあったろう、この私の心などもはや、この世を遠くはなれて世に隠れて仕舞った後の朽ちたものにすぎないのだからとお想いなおされて、もはやいささかの恥ずかしさをさえもお覚えにはなられない。
もはやこの御消息のあまりの喜ばしさに、そのほかの憂いなど掻き消えてさえいらっしゃるのだった。
南面のせめても恥ずかしくないところを、とにかくも引きつくろわせていただいて、いよいよ調えば、さて、ご案内させていただけよとあれば、御母君の御許へ、御君をお招きさせていただく。
御君は、想い遣る方はるかにて、かの遥かなる彼方の御方の、せめてもの御名残りの方であることよとお想いになられなされば、言い顕わしようもなくただ懐かしくお想いになられなさって、なにもかにもが心もとないがばかりにさえ感ぜられていらっしゃられ、悦びつつ、ご参上して差し上げられなさるのだった。
黄昏もすぎて、山陰はそのかたちさえもはや曝しもしないものの、御堂の中に俗世の、わけてももっとも華やいでいらっしゃられる御方の御芳香のただよいあふれて乱れれば、人々、物恐ろしいがばかりに畏れさせていただく。
御簾の中にお招きさせていただかれなさって、ご対面差し上げてあらせられなさる。
始めて逢い見るおのおのの御心の中、類もなきかの稀なる御君の御ゆかり、さすがにみだりに御物語りなさりはじめるすべさえすぐにはお見つけになられられない。
辛うじて、御尼君はとにかくも、お想いしずめられになられて、その身のはしたない御有様はお語りかけさせていただくまでもなく、それとなく推し量っていただけるものであろうと、なにも申し上げないで済まさせていただく。
このように人にご来訪いただくにつけても御后の、いかに御返しをお待ち侘びていらっしゃられようかと想われていらっしゃれば、恥ずかしくも心憂きばかりにいらっしゃるものの、さすがに未だに俗世の浪の間にお留まりになさられたままのかの御后の御様の危うく心もとないのを、聖に御消息つたえ聞かされた後にては一層に《あはれ》にただ案じられて心も惑い、その御有様の御消息の一切を絶たれておられたその孤独の折に、もはやはるかに勝って心苦しく想いわずらっていらっしゃたのを、このふたたびの御消息に耐え難いまでの心の浪立ちさえ生まれて、鳥の声さえ聴こえては来ないこの僻地に、想いもよらなかった心地の乱れて騒ぎ立つのに、世を棄てたとはいえ俗世の、すべて絶ち果てることなどできはしないものよとうち泣かれて、
うつつには
決してありはすまいと想われた
いつか見た夢のかげろうなのでしょうか
今日のこの日は。…
うつゝにはあらぬ事とぞまち見つる夢まぼろしかかげろふかこは
と、おっしゃる気配、こうまでも山奥深い山の中に、世を棄て離れた山伏しとは夢の中にも想えはしない。
まだえも言われずに若やいで、懐かしくも匂いやかでいらっしゃるほどの御有様に、《雲居の外の人の契りは、…》と、かつておっしゃった唐土のかの人の御気配にも通う心地さえなさられるのに、もはや涙の押しとどめようななくていらっしゃられなさる。
うつゝとも夢ともえごそ名のられね尋ねるほどのこの世ならねば
うつつとも夢とも
お想い惑うことなどございませぬ
手を伸ばせばとどく
この同じ大地の上のはかない
隔たりのあいだのことにすぎませぬ
唐土の皇子にご拝謁させていただくべき故があって、遥かに海を渡って罷りましたその折に、ただただ《あはれ》に悲しき事をのみ多く見聞きしておりました中に、今こそはと出向いたその異国の地に在って、《かうやうけん》にお召しいただきまして、さるべき人など数多いらっしゃいました中に、それらの御方々さえ差し置いていただき、なかなか生半可な想いではこのように海を渡っていらっしゃることなどできはしない遥かなる異国にいらっしゃられた御志けっして世の常の事ではいらっしゃられないのを、信じてお託しいたしましょう、かの国お還りになられましたらば、そこのいずこかに、萬隔たり生き別れて、その御行方さえ存じさせていただけない御方が、想うに世に在る甲斐もなく、萬事に心憂くて想い歎かれていらっしゃられようものを、必ず必ず尋ね逢われなさって、この託した御消息をお伝えさせられよとの由、皇子も御后も返す返すに仰せになられていらっしゃられませば、例えこれよりも山深い御住まいであったとして、必ずご参上差し上げなければならぬと想っておりましたもの、このように御身自らご拝謁いただきますに及びましては、猶夢の心地にこそあるのでございます、と、おおせられなさられる御さまなど、《あはれ》に御物語られはじめていらっしゃるのを、御尼君、お見かけさせていただけばなおさらに、もはや《あはれ》の想い忍びようもなくてただ、あふれかえるしかないのだった。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之三
たけの中に通ひ路(ぢ)ありければ、聖この文箱を取りてまうでぬ。君は偏(ひとへ)にうち行ひ給ひて、今宵夢に、唐土の后の見え給へりければ、片つ方の心には、思しやるつゝ行ひ暮し給ひけるに、かゝる事などうち聞きつけ給へる心地、夢か何ぞと胸潰れて、この御消息をあけて見給ふに、猶さめがたげに思されて、何の契りにて、さすがに親子と結びながら、聞き通はす事だになく、燕(つばくらめ)のあらむ別れのやうにては、別れしぞなど思し続くるも、前の世までいみじううらめしき御契りなり。聖、いとやんごとなくおぼろげの人の、おもひよるべうも侍らぬ山路を、みづから尋ね入り給へる御志、尋常にはあらざめるを、こなたに入れ奉り給ふて、具(つぶさ)なる事の旨を、聞しめし申させ給はむや。よくさぶらはむと聞ゆ。思ひ限りたる住居(すまひ)などの草の庵(いほり)、恥しきさまなるを、見えしられ奉らむも、世を隔てたる事とはいひながら、辱き御かげどもの、御おもてぶせにてもあるべきかなと、憚らはしう思せど、この御文にうとうとしく思ひ聞えず、みづから何事も聞えよとあり。身を代へたるとさへ思ひなせとあるは、さるべきやうにこそはあらめ、我が心も余りこの世の外になりにけるにや、ものの恥しさも覚えず。かたへはこの御消息のつたへに、よろづ忘れ給ふなるべし。南面だつかた、とかくひきつくろひて、さらばしるべし聞えよとあれば、かうかうおはしましなむやとなむ侍ると申す。思しやるかたなく、遥かなる御名残のあたりと思ふには、いみじうなつかしう、心もとなく思しつるに、悦びつゝまうで給ふ。たそがれも過ぎて、山陰は何のあやめも見わかねど、凡人(たゞひと)の御ありさまうち薫るに、物恐ろしきまで覚え給ふ。御簾の中に入れ奉りて対面し給へり。おのおの御心の中、類なき人の御ゆかり、かたみに聞え出づべき言の葉も覚え給はざりけり。辛うじて、とかく思ししづめて、身の有様は聞えさせずとも、おしはからせ給ふらむ。かやうに人にきかれ奉るにつけても、世づかず、いかに待ち聞き思さるらむと、恥しう心憂く侍れども、さすがに又背かれぬこの世のやみに侍れば、聖の傳へ申し侍りにし後は、哀れにいぶせき心地し侍りつゝ、かけてだに聞き通ひ侍らざりし折よりも、なかなか物思ひまさり侍るに、この御消息にいとゞしき心地し侍りて、鳥の声だに聞えぬ山かげに、思ひもかけぬ心地し侍るに、すべてえこそ萬別れ侍らねとうち泣きて、
うつゝにはあらぬ事とぞまち見つる夢まぼろしかかげろふかこは
と宣ふけはひ、かばかり深き山に、世を捨て離れたる山ぶしとは、夢の中にもおぼえ給はず。まだいと若いやかに、なつかしうにほひあるほど、雲居の外の人の契りはと宣ひし人の御けはひに通へる心地するに、いとゞ涙も溜らず。
うつゝとも夢ともえごそ名のられね尋ねるほどのこの世ならねば
唐土の皇子を見奉るべきゆゑ侍りて、遥かに渡り罷り侍りつゝ、哀れに悲しき事をのみ見聞き侍りし中に、今はとて此方(こなた)へ罷りかへりし程、かうやうけんにめしありて、さるべき人々をもおきながら、おぼろげの人渡り来べくもあらぬ世に、渡り来たる志尋常ならじを、猶必ずかへりても、思ひいでばよろづへだたり、その御ゆくへ知らぬが、世にあるかひなく、心憂く思ひ歎かるゝを、必ず必ず尋ね聞えて、この御消息を傳へ聞えさすべきよし、皇子も后も、返す返す仰せ事侍りしかば、これより深き住居なりとも、必ず尋ねまゐるべきものと、思ひ給へられしかど、かやうに自らなど聞えさせ侍りぬるは、猶夢の心地せられてなむとて、仰せられしさまなど、哀れに心深げに語り出で給へるを、聞き給ふに、猶さらにさらに哀れ忍ばむ方なし。
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