《浜松中納言物語》① 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ①
巻乃三
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之三
一、三吉野の山の奥にご来訪されること、聖、因果を語ること。
世の中の一般に尊ばれる吉野の山の、その高名を極めたところの更に奥なる三吉野というところであれば、かの、かつて唐土にお渡りした御方はそれなりの人々を選りすぐられてお集めになり、京を離れてお発ちになられなさったのだった。
華やかだった唐土渡りの御さまと違われて、この度は忍びやかに内密の御事として、随行させていただく人々も少なくてあれば、奥深い山を分け入っていかれなさるるのに、さすがにかつてなく心細くさえお想いになられられて、時の頃は三月の二十日、雪こそ降り堕ちはしないものの、谷の底には残り雪など乱れたままに、都にあっては皆、青葉になっていた花の梢も今こそ盛りに咲き乱れて、散り残っているのも風にさえ知らせようもなく人知らぬたたずまい、口惜しくさえ想われる美しさをただひたすらに拡げばかりで、いつか、唐土の御方の事をのみお想い遣られになさられれば、
花の咲くのは遅れても
恋しい想いは遅れもしない
咲き乱れて苦しいがばかりだ
三吉野の山の奥に
分け入ったところで
恋しさはおくれざりけり三吉野の山よりふかくおもひ入れども
やがて、かくあってお着きになられなされば、山の奥に御堂を趣も深くお作りになられて、その居所は廊らしきものを仮初めにお作りになられてお住まいになられたいかにも儚い御有様、鳴く鳥の声さえも世の常には聴くべくもない珍しやかな気配に、呉竹を隔てた向こうにその人の住居は見える。
誰がこのようなところに住んでいらっしゃるのかと、見回されなさりつつお入りになられられれば、聖は想いもよらずにあさましいほどに想い驚かれる様は限りもない。
弟子どもなども立ち騒いで、洗い清めて最上の部屋などご用意させていただいてお入りいただく。
聖は六十ばかりにて、ご出家のもとの御人柄は、口惜しく世の人の眼にも劣ったものではなかったのだろう、通り一遍の老人とも見えずに、もの清げに年をかさねられて賎しからずに、住まいなども穢げになさることもなくて、お作りになられていた御堂のたたずまいなどもいかにも眼に心地よい。
聖、まずは中納言の御君をご拝見させていただくのに、佛などの変化なさられなさってお顕れ賜うたものかと見驚かれていらっしゃり、穏かにもこの年頃の御物語りをお語り差し上げられておられれば、中納言の御君、答えてお語りになられなさって差し上げるのに、
唐土の三の宮の母后、日本のしかじかの聖に御消息お聞かせしたものを、その後如何になさったものか、その人のまだこの国にいらっしゃられるというのならば、聖にお逢いして差し上げて、かならずその御有様お聞かせさせてくださいませと、おっしゃられなさられた、その、かの御后の御消息などお聞かせなさられて、さらには、この国に還り来たって後に、すぐさま御便りなど差し上げさせていただこうとはしたものの、なかなかに居所も知らぬ文渡らせるすべをはもたず。また、周囲が大変に騒がしいばかりで煩事におわれ、今まで棄て置くがばかりになって仕舞ったこと、ただ辛くのみ想われていたところに、終にこの奥地に聖のいらっしゃる由を耳にして、参じて、いま、喜びにくれているものなのですよ、などとお語りになって差し上げられなさる。
聖のかの国におられたその年頃には、かの御后にご対面させていただいて後に、常にお召しいただいて、御后に、やがては泣く泣くこの御母宮の御事をお聞かせさせていただいて、懇ろに返す返すも仰せ事お請け賜わりさせていただいたものであれば、確かに御事の次第、存知上げさせていただいているところのことでございます。いかなる便りをさせていただいて、この御返りを差し上げたものかと、なかなか文に海を渡らせる機会をもたないままに、悲しんで想い侘びているばかりであったもの、御君の唐土にお渡りになさられるという由を、その頃には耳にさせていただくことも叶わずに、その御返り差し上げさせていただくことの叶わないままであったことを、忌々しくも想っていた此の頃に、なんとも嬉しいご来訪をいただいたものでございましょうかと、お答え差し上げさせていただく。
かのご母堂はいずこにかいらっしゃられなさるとお問いになられなされば、この東の対にあらせられまするとお答えになったのを、御君、驚かれられて、
こうまでも山深いお住まいを、いかがされたものであろうか。その因果、もともとは、いかなる事の次第の御帰結として、このようなご生活にいたっておられなさるのであろうかとお問いなられていらっしゃられれば、
もともとのご素性は御みずからお聞かせさせていただかれなさることもございましょうが、かつて、上野の宮(かんつけのみや)とおっしゃいます御方、この世にいらっしゃられたのでございます。
御身の才などこの国の器にはすぎて、いとも賢くいらっしゃられた頃に、御帝の御ために、御疑いをいただいて筑紫に流されてお仕舞いになられたのでしたが、母もいらっしゃりませぬ娘も一緒におられましたので、抗うべきすべさえお持ちになられないままに、口惜しくも都を堕ちて筑紫にお下りになられたのを、やがてはかの地にてその御父宮のお亡くなりになられれば、その娘君、心儚き乳母ひとりが添わせさせていただくばかりで筑紫にお住まいになられておられたその頃に、唐土のかの御后の御父君たる大臣が、公の御使いにてこの国お渡りになられたのでございますが、いかなる事の経緯にてございましょうか、乳母は御娘君にお引き合わせさせていただいたようにございます。
かの御后はその頃に、お生まれなさられて御歳いつつにおなりになられていらっしゃり、率いられなさられてかの唐土にお渡りになられなさったのでございます。
女は通えぬあらくれた海の道を、いかがして渡れようものかと歎き悲しんでいらっしゃられた頃に、海の龍王に御心よりお祈り差し上げてご祈祷させていただいていらっしゃられておられた夢に、
これはかの国の后である。
疾く率いて渡れ。
と、御顕れが見えて、お渡りになられなさったのだとか。
その頃、母方の御伯父に兵衛の督とおっしゃられた人の、大弐になり下がっておられたのが、非常にも懇ろにお通い渡っていらっしゃったのを、御身も人の世に知られもせずに、うずもれていくばかりの身の上の、ただただ心憂い御契りでございませばと世を儚んでお想いになられて、いっそのこと世の常の中の人々には見えも聴こえもしない影に隠れて仕舞おうと想うのですと、泣き悲しみになられておいでで、やがては尼になられて御身を世の中からお隠しになられつつ、その御宮も行方さえもわからぬ次第になられて、終には御交わりも絶えて仕舞われたようにございます。
御妹君は、その頃にお宿りになられた御方でいらっしゃれば、尼になられた後にお生まれになられた方でございます。
心憂くとも、哀愁の煩悩だけは心を離れもせずに、気の紛れることもないままに山の隅に、御世話差し上げる方もいらっしゃられなければ、御身に添わせなさっていらっしゃいます。
ちょうどその御妹君のお生まれになられて後に、このわたくしもすべて髪もおろさせていただいて、法師のように行いなどして、自らのみ頼みにしてこの山に、堂たてて籠りになっていた頃に、御尼君、わたくしもまた、世を棄てて籠って仕舞おうと想うのだと、こちらにお入りになられたのでございます。
故上野の宮の御世に、親しく交わり通いあわれた方々に、唐土の御后の御消息伝え聴かせるようにお願いはなさるものの、すべては《あはれ》に儚く終るばかり。
かの御尼君、さるべき人ではあらせられども、いかにもこの世を憚らねばならぬ御契りもあった人でございましたことでございますから。
であれば唐土にご拝見させていただきました御后の、かの国にあらせられて権勢極められた御様、ご記憶いただいていた御母君へのかたじけもないお心遣い、なんとも晴れ晴れしいことでございましたろうか。
何の影にもお隠れになる事もない高貴さの、まさに前の世のお行いのすべての御報いにほかなりますまい。
この現世には口惜しい結果したものであろうとも、転生の後には終には報われ、叶うというものございましょう。
御后の女の身にはあるまじきほどに賢くも尊い日々の御行いの在り難さ、才なども格別にお深くてあらせられなさって、聞き所も多くお聞かせ差し上げたところ、御尼君は、實にこの世にも珍しやかなる御契りは、この世を背いて後にあっても返す返すも在り難いこの身であることかと、お聞きになられるのも《あはれ》でいらっしゃられるようで、今日の日に、御君にご来訪いただきましたこと、いかにも遠く隔たっているところにお尋ねいただきました道中の御心細さお察しさせていただきながらも、なんとも嬉しいことでございましょうか、…などと。
この御文がためにここまで来たのです、と、御君は、そしてこの御消息をおおさめになり、御方にお渡しされよと、お渡しになられなさるのだった。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之三
世の中の深きためしには、吉野の山と名に流れたるよりも、猶奥なる三吉野といふ所なりければ、唐土に渡りしは、さるべき人数多して、いふかひなく漕ぎ離れにき。忍びやかに、人少なにて分け入り給ふ程、世に知らず物心ぼそきに、頃は三月の二十日のほどなれば、雪こそ積らね、谷の底などには、猶うち消えとまりつゝ、都には皆青葉になりにし花の梢、今盛りに開け、散りのこれるも、風に知らせむ惜しげに見え渡さるゝに、唐土の事のみ思しやられて、
恋しさはおくれざりけり三吉野の山よりふかくおもひ入れども
かくておはし著きたれば、山の方に堂いとをかしう立てて、我が居所は、廊だつ物を、いかとりそめに造りて住ひたる有様は、鳥の音だに、尋常(よのつね)なるは聞ゆべうもあらぬ世界に、呉竹(くれたけ)を隔ててぞ人の家は見ゆる。誰かはかゝる住ひする人のあらむと、見つゝ入り給へば、聖思ひもよらず、あさましげに思ひ驚きたる様限りなし。弟子どもなど立ち騒ぎ、きよめし、よきおましなど参りて入れ奉りけり。聖は年六十ばかりにて、もと人柄は、口をしき際にはあらざりけるにや、なげの老人(おいびと)とは見えず、物清げにさらぼいて賤しからず、住ひなど穢げならずしなして、堂どもあらまほしげなり。まづうち守り奉りて、佛などの変じ顕れたまへるにやと見驚かれて、うち泣きつゝ、年ごろの御物語申し、我も宣はせて、唐土の三の宮の母后、しかじかの聖に御消息聞えしを、如何なりにけむ。その人はまだ世にやおはすと、その聖に逢ひ奉りて、必ず尋ね聞えよと宣はせて、御消息傳へ給へるを、返りまうで来しすなはちも、えたづね出し奉らず。又いと物騒がしく、紛はしきことどものみはべりて、今までになり侍りにけるを、辛うじてなむ、この世におはすると聞きつけ奉るまゝに、喜びながらなど宣ふ。聖かの国にはべりしほど、案内申ししかば、常に召しつゝ、なくなくこの母宮の御事を宣はせて、いみじう懇(ねんごろ)に仰せ事侍りて、御消息つげ坐(おはしま)したりしかば、たしかに傳へ申し侍りき。いかなる便りして、この御返りを申さむと、悲しび思したれど、いづこの便りにかは侍らむ、渡りおはしますよしを、その程とうけ給はらで、この御返り事を告げ申さずなり侍りし事を、いとほしう思ひ給へりしに、いと嬉しう侍る事かなと答へ聞ゆ。何方(いづち)にかものし給ふと問ひ給へば、この東(ひんがし)になむものし給ふといふに、驚き給ひて、いとさしも深き住居(すまひ)をば、いかにし給ふぞ。本は何人のいかなるついでに、さるさまに珍しき契りはものし給ひけるぞと問ひ給へば、ほんたいは、おのづから聞かせ給ふやうも侍らむ、かんつけのみやと申しし人世におはしき。身の才(ざえ)などこの世には過ぎて、いと賢うおはせし程に、公(おほやけ)の御ため、すぐならぬ愁へをおび給ひて、筑紫に流され給ひけるに、母もおはせざりける女(むすめ)一所おはしましければ、心はかなき乳母一人につきて、筑紫におはしける程に、后の父の大臣は、公の御使にて渡り物し給ひける程に、いかゞありけむ、乳母の入れたりけるとかや。かの后は生れ給ひて五才にてなむ、唐土に率て渡り給ひける。女通はぬ道を、いかゞせむと歎き悲みて、海の龍王に、いみじう祈り行ひ給ひける夢に、これはかの国の后なり疾く率て渡りねと見て、渡り給ひにけるなり。そのころ母方の御伯父に、兵衛の督と聞えける人の、大弐になりて下り給ひにけるが、唐土へ渡りし姫君の母を、尋ねとり聞えて、率て上り奉り給うけるに、師(みち)の宮の忍びて、いと懇に通ひ渡り給ひけるを、おのれいと世に知らず、心憂き契り悲しき身なれば、尋常の人に見え知られむと思はざりつと泣き悲しみて、尼になりて隠れつゝ、逢ひたまはざりければ、この宮も、行方も知らず歎きて止み給ひにけり。そのほどに孕まれ給ひにければ、尼になりて後生れ給へり。女にてものし給ふなるべし。心憂しとても、哀愁(あいしう)の煩悩離れがたきものなれば、紛るゝ方なき山の隅にも、見知るべき人なければ、身に添へおのれをたのもしきものにおぼいて、この山に堂立てて籠り侍りにしほど、我も猶世に、かくてあらじと思ふなりとて、入り給ひにしなり。故宮の御世に、親しう参り通ひ侍りしを、后の御消息傳へ申し侍りにしより、いとゞ頼み覚いたるも、哀れにぞ見給ふる。さるべき人と申せど、いとかう世に、類なき契りおはするも侍りけり。されば后のかの国に、かざり居(す)ゑられ給へる御おぼえ有様などは、御覧ぜられけむ、いといみじう候ひきな。さる御女のかげにもえ隠れ給はず、前の世のさるべきものゝ報にこそはと見えさせたまへる。この世は口をしうおはしける人の、後の世はしも、必ずかなひ給ひなむとす。女の身にては、いといみじうかしこう行ひつとめて、才などもいと深うぞものし給ふべかめるなど、聞き所多く語り聞かせ奉るを、實にこの世に珍しくありがたき御契りは、返す返すそむきても、道理(ことわり)なりける御身かなと、聞くもいとあはれにて、わざとかく尋ねまゐりたるを、遠うものし給はましかば、又とかく尋ね参らましほども、心もとなからましを、いと嬉しかりけるわざかな。さらばかくなむ参りたるとて、この御消息を奉り給へとて、取らせ給へり。
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