小説《紫色のブルレスケ》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/オイディプス…世界の果ての恋愛小説②



この小説のタイトル《ブルレスケ/Burlesque》というのは、確かドイツ語で、諧謔的な、とか、滑稽な、とか、そういう意味の言葉のようです。

ドイツ語なんか基本的な音楽用語以外なにも知らないので、よくわかりませんが、蔑笑、とか、くだらない、とか、いらだった、とか、そんな感じなんでしょうか。

私にとっては、《ブルレスケ》という言葉は、要するにマーラーの交響曲の第9番、その第三楽章ロンド=ブルレスケの表題の言葉、というか、演奏指示の言葉、というか、つまり、それです。

マーラーのあの第三楽章が見せてくれる、多義的で重層的な、あるいは、例えばシュレーディンガーの猫のような、《かさなりあった》風景を描いてみたかったのです。

気に入っていただければ、嬉しいです。


2018.10.23 Seno-Le Ma






紫色のブルレスケ

…散文

Burlesque màu tím









《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。連作

Prelude in A mainor, 1913, Joseph-Maurice Ravel









Οἰδίπους ἐπὶ Κολωνῷ













フエは知っている。チャンがフエを愛していることを。

少女の同性愛の、その理由付けはどうでもいい。いずれにしても、チャンが焦がれているのは、自分のこの褐色の肌にほかならない。そして、チャンにとって、どうしようもなく煽情的なまでに美しいはずの自分の顔に、あるいは、からだ、ときには仕草、気配、身のこなし、立てられた声、不意に吐かれた歎きに倦んだ息遣い、要するに存在そのすべてに。フエはしなだれかかるようにチャンにからだを寄せてやった。醒めたまま見た夢の残像がいまだに眼差しに離れようとしないままに、綺麗、と、

...Đẹp quá

十二歳のチャンがフエに言ったとき、そのつぶやかれた言葉には明らかな憎しみさえある気がした。

チャンの真新しい家屋。その、仏間とチャンの部屋を兼ねた最上階の西側の背後の窓からの逆光が、チャンの眼差しの中で、自分の褐色の皮膚をいよいよ黒く染め上げているに違いないことをフエはよく知っていた。チャンはダットの弟の娘だった。ダットは貧しく能力のない電気技師にすぎなかったが、その弟、Trần Văn Quý チャン・ヴァン・クイは町の成功者のひとりだった。

法律家のクイは人格者だったし、知性的で、法知識も能力も群を抜いていた。すくなくとも、人々はそう想っていた。持たざるものからは最低限度の報酬しか受け取らずに、ながいながいいくつもの戦争に区切りがついて、まだようやく十年しか経っていない疲弊した国土の、見棄てられたような田舎町で、豊かとは言獲ない町の人々の人望をただ一身に集めていた。そしてカンボジアとの戦争で、至近距離で爆発した地雷のために顔の半分を吹き飛ばして仕舞った、いわば護国戦争の英雄だった。

顔の左の半分を、ゆがんだ鏡に映したように捻じ曲げて仕舞って、駐留地の軍病院から帰還してきた包帯だらけのクイを見たとき、その母親は泣き崩れた。若いふたりめの妻は何も言わずに仏壇に線香を立てた。傷付きながらでも死なずに還ってきたことに、とりあえずは感謝したのだった。

フエの服は、その殆どがお金持ちのチャンのお下がりだった。それに何を感じるということもない。チャンは家族だった。豊かな家族が持たざる家族に金品を譲ることなど、当たり前のことに過ぎなかった。チャンの眼差しに、容赦もないほどの誘惑があることには、フエは気付いていた。ずっとそうだった。チャンは全部脱いで仕舞え、と言った。

小さく声を立てて笑いながら、その背後の、チャンの広く清潔な部屋の壁に、見たこともない色彩の無い老人がからだ半分だけ壁から生えさせて血を流しているのを見遣りつつも、フエは服を脱ぎ捨てていった。あきらかにチャンが望んでる、意図的に煽情する眼差しをくれてやって。声を聴く。

そんな薄穢い服など、全部棄てて仕舞えばいい。口を尖らせたフエは、矢継ぎ早のチャンの、自分勝手な焦燥さえ曝した言葉遣いに、とはいえ、それは大切なものだと口答えするわけでもない。だって、あなたにもらったものだから。だから私は、この薄穢い服を大切に着まわししているのだ。どんなに、この薄穢い服をあなたが罵ろうとも。しずかに、老人の、あなぼこの口の翳から血が、水平に流れていく。フエは瞬く。…お母さん。チャンが笑った。どうしてそんなに日に灼けているの?

Đen quá…

真っ黒じゃない。声を立て、その、甲高い空間にひきつるような声を聴く。でも、

Yêu không ?

好きなんでしょ。フエはつぶやいた。わたしのこの肌こそが。聴こえなかったはずもないその声を無視したチャンの眼差しには、褪せたプリントのTシャツを無造作に脱いで、そのベッドの上に放り投げていくフエを見つめる逡巡を、あきらかに曝されていた。目をそらすことさえ出来はしないままに。

午後遅い窓越しの日差しが、背中にじかに触れて、見ればいい、フエは想う。もっと、好きなだけ見つめればいい。わたしは美しいのだから。美しいものは必然として、見つめられなければ済まされはしないのだから。たとえ、ひそかな偸み見であったとしても。

下着だけになったフエに、わざとらしい嬌声を上げて見せながら、チャンはとっかえひっかえ、自分の衣類をその褐色の身体にあわせていった。お母さん。可愛そうなお母さん。フエの、壁に流された眼差しが見つめた昏いハンは、ただその昏さそれ自体のうちに色彩を失って、無様なあなぼこの眼差しを曝し、なにものをも見出さないままにフエを見つめていた。迸るのは鮮血。神々が、光る。神々の光が、フエ自身の内部そのもの、細胞の息吹きのひとつひとつにさえも、じかにふれて息遣っていることには気付いている。救いを。すべてのもに、救済を。

...光。ハンが、血を流す。口から、ただ、その昏いあなからしずかに音もないままに、ゆっくりと、速度というもの自体を嘲笑ったかのように、間延びして、堕ちていく鮮血のあざやかすぎる紅。不意にチャンの指先がフエの腹部の皮膚にふれた。そっと、皮膚と皮膚の表面をだけかさねあわせるように。ふれていることを、あくまで感じさせないで済まして仕舞おうとたくらまれたかのように。そっと。自分の正面に、片膝にひざまづいたチャンの頭を、フエはなぜてやった。

チャンの完全に瞳孔を開ききった眼差しは、みじめなくらいに歎きをだけ曝すのだった。何に葛藤しているのでもなく、何に想い迷っているのでもなくて、理由も、根拠さえもなく、チャンンはいま目にしているものそれ自体の前に、自分の存在自体をさえ持て余していた。感じられているのはただ、無慈悲なまでに鮮明な絶望以外にはなかった。

飢えているとさえ言獲ない、どうしもようない渇望が、どうすれば癒されるというわけでもなく、チャンの眼差しの中に巣食った。たとえば、その、美しい褐色の肌に唇をつけ、舌を這わし、あるいは咬みつき、あるいはむさぼり食ってみたところで、その容赦もない飢餓が満たされるはずもなかった。

フエは、ただ自分を絶望させ、破壊して仕舞うためだけに生まれたとしか、潤んだチャンの眼差しには想えなかった。手のひらに、チャンのかみの毛の、やわらかく、そして無機質なだけのてざわりがあった。ふれる。

チャンの十六歳の誕生日パーティを解散させた後で、フエはチャンをバイクの後ろに乗せた。風に乱れたかみの毛が無造作にふれる。

ふたりで海を見に行く。夕方の四時に近くなった店内には、薄穢れた男たちがまばらに集まり始めて、飲んだくれる男たちが撒き散らす饐えた酒と熱帯の汗と体臭の交じり合ったその臭気を、チャンは嫌悪していた。穢らしいものは、その眼差しにふれさせることも嫌だった。父の顔の半分は穢らしかった。だから父を嫌悪した。ベトナムの町は穢かった。だから、そこを嫌悪した。テレビが流す祖国の戦勝のフィルムの荒れた白黒の画質は穢かった。だから、その国の歴史そのもを嫌悪した。海は美しいのかもしれなかった。とはいえ、穢らしかった。

例えば、その潮の、あまりにも生物的な芳香は。まるで、腐りかけの生き物の内臓が不意に曝した籠った臭気のような、そんな執拗な生臭さをチャンは激しく嫌悪しながら、眼差しに映った日差しに光る海は、あまりにも美しかった。それは、美と醜をめぐる巨大な謎だった。それ、浪打ち、青空に浮かんだあまりにも暴力的で、あられもなく剥き出しで、ただただ原始的に無造作な、燃え盛って単なる光の塊に過ぎない太陽のぶちまけた光に差されるがままに差されて、そして時には青空の色彩に青く染まって見せながらも浪の間に、反射光の白濁をざわめかせ続けて終には、それみずからの色彩をなど曝さない。その、あまりにも醜悪を極めた悪臭が、潮の匂いただそれだけが、それみずからの実在証明なのだとばかりに、触感。

潮の。肌になまぬるくべとつくその潮の触感と味覚。

海にはどうしようもなく解き難い疑問があった。そこから生まれてきたにすぎない陸上の生き物たちは、なぜ、いまやその只中で生きていくことさえできないのだろう。その生の存立根拠それ自体を海の中に預けておきながら、にもかかわらずその故郷自体は拒否されてあらなければならない。ただ、垣間見られて、見つめられもしない眼差しに、ときには美しいとただ抽象的な言葉をだけ投げ棄てられるにすぎない、その。

海。

あるいは、それでもなおもそれが遁れ難いまでに美しいのだというのならば、その美という概念は、いったいどれほどまでまでに破滅的な概念だったのだろう?チャンはアオヤイを着ているままだったから、海の近くには近づこうとはしなかった。フエも泳げるわけでもなかったし、海の近くの町に育ったせいで、ほんのちいさな子供のとき以来、ありふれた海になどほとんど近づきもしなかったせいで、とりたてて海に入りたいわけでもない。家に帰る気にもなれずに、そこにいたいわけでもなく、どこかに行きたい場所があるわけでもないときに、結局はつぶやいて仕舞う海に行こうという

...Đi chơi biển

その、お互いのどちらが言ったという記憶すら曖昧な言葉の結果に、ただ辿り着いたにすぎない場所で、事実、嬌声を立てながら時速50キロで飛ばして走ったそのバイクを海に止めた瞬間に、鼻に衝いた潮の臭気とともに、海にまで辿り着いて仕舞った絶望感のあざやかさを感じざるを獲なかったのだった。地元の人間たちだけが、夕暮れていこうとするにはまだ早い暮れかけの、暮れ始める寸前のやわらかい最期の青空の明るさの中にまばらに海べにたたずんで、そして何をすると言うわけでもない。サンダルを砂間に脱ぎ捨てたままに、フエは嫌がるチャンの手を引いた。

声を立てて笑いながら、かならずしもそれを求めたわけでもないままに無理やりチャンを海に連れ込んで、無造作に走る四つの足がでたらめに水滴を撥ねると、チャンの純白の光沢を持ったアオヤイはすぐに海水に染まっていく。暴れてみせるチャンを羽交い絞めにしながら腰まで海で浸かりこんで、チャンの汗ばんだ皮膚とかみの毛が匂う。

濡れる。海はもう干上がって仕舞ったのだろうか、と、彼女は想う。かすかに、吐息をひそかに吐いたように、そっともれだしてにじんだ血でもはや真っ赤に染まりこんで仕舞った手のひらに、かすむ眼差しを堕としながら彼女は、その少年を知っている。閉じられた眼差しのうちに想い出す、その少年、廃墟に作りこんだ住居の翳に、樹木を育て続けていたその。

放って置けば、もはや人間の土地でなど在り獲なくなった廃墟の群れのいたるところに、多様を極めた樹木の群れなど勝手に繁殖して無造作に、破壊的なまでに、一切の秩序をなど否定して、地表のすべてを覆い尽くして仕舞うに違いないのに、その少年はブーゲンビリアの木を植えて、育て続けようとした。

いつか少年は自らその繁殖の種を捲いた無数のブーゲンビリアで、彼の生存領域さえ奪われて仕舞うに違いない。その少年、やがて大人になって、わたしを終には何度目かに殺してくれるその少年、と、そしてフエは彼に見覚えなど一切ない。かつて、なんども転生のたびに、無根拠なほどに時には愛し続けた来たはずの少年。神々が光る。

その、一切の光を放たない救済の光の手は、彼女の体内をさえすでにつかみ果てていた。光、差す。上空から、その雲間の切れ目からも。その少年に長く伸ばされた、ひっ詰められて、垂れ、やわらかくその褐色の首筋に触れたふれたかみの毛。もはや赤らんだ空から注ぐ、荒れるよりほかにすべのない野生の太陽の光。

その真っ白な髪の毛にも、神々の光は籠って、そのきらめきさえ発さない光を失った光が、ただ静かに彼の細胞の、あるいは存在のすべてに宿ってめざめつづけた。知っていた。無際限に生成したいくつもの宇宙のそのすべての果てまでも、私たちは出逢っては愛し合い、あるいは殺しあったに違いない。ときには舌と喉に自分のいきりだった血の味をあざやかに感じるほどにも憎しみ果てさえしながらも。目を閉じたくらがりのその背後に、その音が涙を流しつづけているに違いないことには気付いている。ずっと前から。彼女に対する最期の涙を。やがては自分で、最期の始末をつけてやらなければならないはずの、そして、彼女はもはや目を開けようともしなかった。眼差しに捉えるべきものなどもうあり獲はしなかっただろう。すべてが、色彩を失い始めてもはや、鮮やかな白濁にだけ染まっていこうとしているのに。まるで、地表のすべてを雪で埋めようとしたかのように、すべてのあふれ返った色彩さえもがただ白い光の残像としてしか、そして眼差しはあらゆる形態を白濁としてしか捉えなくなっていこうとしていたのに、白い、かすんだ世界。その眼差しの外では、滅びて仕舞ったその世界の固有の、いわば野生の色彩をさえ誇っているには違いない、その。匂う。…なにが?

と、想った瞬間にフエは、それがチャンの海にぬれた体の匂いであることに気付く。海水に、戯れるだけ戯れて、かみの毛さえまでぬらして仕舞ったチャンの、びしょ濡れのフエをいたわるように抱きしめた手のひらが、めくりあげられたTシャツのなかにフエの背筋をなぞった。その、やわらかく、はっきりとした背筋の凹凸を。フエよりも背が高いチャンがむしろ羽交い絞めにするようにフエに覆いかぶさって、頬に頬をふれれば、フエは目を閉じたままのチャンの頭をなぜてやった。チャンの濡れた髪の毛が乱雑なたばになってフエの顔にへばりつく、その匂いの先に、いつか暮れ始めた日没が紅蓮に焼けた。






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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