《浜松中納言物語》⑬ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃二









浜松中納言物語









平安時代の夢と転生の物語

原文、および、現代語訳 ⑬









巻乃二









平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。

三島由紀夫《豊饒の海》の原案。

現代語訳。









《現代語訳》

現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。

原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。





濱松中納言物語

巻之二

十三、聖の足跡探し当てられること、御君、吉野にお旅立ちになられること。


ああもばかりに稀にも愛でたくていらっしゃられなさるその御身の身代わりに、どうかお想いになられよとかの御后に、おっしゃっていただかれられること、かの稀なる御君みずからにあらせられてもなんとも過ぎたることかとお惑いにさえなられなさられるのだった。

女姉妹(おんなはらから)もいらっしゃられる様子と御心得なさっておられられれば、細やかに捲いて差し上げていらっしゃられる御文をお開けなさられて差し上げられれば、こそこそ御妹君の許へに差し上げられなさられたものにお違いなく。

お書きになられなさった、後の世の転生に身を代えてでも果たさない限りには、逢いまみえはすまい御望みのもはや絶えてあることの御歎き、御君は、その心憂さかつて世にいまだなきがごとき深さにこそお想いになられていらっしゃられる。


なにも知らないままに宿命の風に

もてあそばれて心細く

咲いた花の匂いをどうか

想い尋ねてはくださいませぬか。…


知らずとも吹きくる風のおとなひににほはす花の香をば尋ねよ


とあって、


かの中納言の率いられなさられてお渡りになられなされた稚児君は、想い棄てさせていただくことさえも叶いはしない《あはれ》なる御子にほかなりまぬものを、もしもお逢いになることのございましたならばどうか懐かしくお想いになられましてお可愛がりくださいますように


とお書きになられていらっしゃられるのを、御身にさえしみわたっていらっしゃられて、《あはれ》にかなしとお想いになられられるのはまさに、この世の常なる道理にほかならぬ。

元のように封じ込めさせていただかれなさられて、その御想いの御名残りも胸せきあげられなさられて堪え難くていらっしゃられれば、只今にても鳥になりて、かの国に飛び行きて、《かうやうけん》にご参上させていただきたくさえお想いになられなさる事は限りもなくていらっしゃられる。

御想いめぐらされなさって、かの唐土におわたりになられたという聖はいずこにいらっしゃられるやとお尋ねあわせさせて差し上げられなされば、御方、吉野のどこそこに三吉野というところに御堂をお立てになられて、其処にお籠りになられていらっしゃると言うものを、まずはかの聖にお逢いさせていただいてより御母堂をお尋ねさせていただくべきかとお想いになられなされば、尼の姫君に、

唐土より渡って帰り来たられた聖に、かの国の皇子の、人づてではなくて御身みずからお伝えして差し上げよと仰せあずからせていただいた御消息がございますものの、聖の、吉野の山の奥にございますようであらせられれば、常々、この身みずから是非にお探し尋ね当てさせていただかねばと想ってございましたところ、この国に帰りつけばすぐにもと想いはしていながらに、ついつい日々のいたずらに今日に過ごして仕舞った次第にございます。

はるか唐土にまで連れて行き、海の彼方からまたふたたび連れて帰ってきて仕舞いました、あなたをお慕い申し上げさせていただくこの想いでございますものの、暫しの隔てのお許しいただかねばなりませぬこと、どうにか覚束なくお想い賜ることなきようにお願い申し上げるのです。

その吉野に出会わせていただいたらなら、御身が為の御行いなどもさせさせていただきたく想ってございますならば、…

などこまやかにお話しになられなさっていらっしゃるその御うちにも、御君の、いつか御涙さえもうかばせてお仕舞いになられなさるのを、尼の姫君にあらせられてもただ《あはれ》にお想いになられなさって、かように世を背いて棄てて仕舞われた聖のそれならば、たしかにお尋ねさせていただきたい住居であらせらるものよと、


このわたくしであっても世に背き

世を棄てて果てては吉野の山の

果ての奥地に浮世を見ようと

想っているこの頃なのでございますよ


そむきてはよし野の山の跡絶えてうき世を見じとおもひしものを


とうち泣いて仕舞われられるその御さまの、見事なまでに《あはれ》に愛でたいばかりにあらせられなさるのを、この方と、同じに罪に染まったわたし以外には、終に後の世、後の罪、佛の想し召さんところなど、辿り着けはしないものだろう、我ながらにも在り難く、とお想いになられなさるにも、その御想いは限りもなくてあらせられて、それ以外には御心にさえなくなってお仕舞いになられられる。


君すまば我も吉野にあと絶えてかばかりも世にめぐらざらまし


君の住むというのならば、

わたしだって吉野の山に身を棄てて

もはやこの世に

彷徨いはしない


年頃は御母上のお歎きを痛んで差し上げるがばかりに世を棄てることを、お想い留まりになられていらっしゃられたものの、今はそれよりもあなたにこの想い添わせようとさせていただくが故にこそ、この世に背き獲ないでいるのがその意味なのですよと、心憂くさえ想いになられなさるが、一時の御外出には違いなくてあらせられようとも、御心もお深くお立ち離れ難くげに、御不在のうちの、萬に御指示をいきとどかせられなさっていらっしゃられる。

かつて世に知られぬがほどに御心深くていらっしゃられなさる。

御父君の御許にさえお立ち寄りさせていただかれられれば、暫しの程にも覚束なきことのございませぬようにと、返す返すも御願い申しあげさせていただかれなさって、《あはれ》この事をわたくしの遺言にもお想いになられ賜いますようにとおっしゃられなさったその御さまに、想い出でていらっしゃられるのにさえも御涙留められること叶わなくなっていらっしゃり、御母上にもお暇をお申しあげさせていただかれなされば、また何処へ発って仕舞おうとお想いにございますかとうち泣かれられてお仕舞いになられられて、唐土にでもとお笑いさせていただかれられれば、その可憐なる御いたずらの御心にお想いあたりなさりさえもなされないがままに、こうも稀にあらせられて、決して人並みにお似通いなさられない御心のあまりにもななさられようが、ご心配差し上げるにも侘びし過ぎるがほどで、どうしてこの上にふたたびお別れすることなど耐えられましょうやとお泣きになられなさるのを、愛おしくもさも道理にもとお想いになられなさってあらせられた。





《原文》

下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。

なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。





濱松中納言物語

巻之二


さばかりこの世ならずめでたかりし御身に代りたるを思せと宣へる、我が身さへも、いみじうぞ思さるゝや。女兄弟(はらから)の又あるなめりと心得て細やかに巻きたるをあけたれば、これぞ妹の君の許へなるべき。誰とは知り給ふべきと思ひ侍りしより、心に懸らせ給ひてなむ。身を代へざらむ限りは、あひ見奉るべき思ひの絶えて侍るこそ、心憂く世に知らずおぼえはべれ。

 知らずとも吹きくる風のおとなひににほはす花の香をば尋ねよ

とて、かの中納言のほ率て渡る稚児は、思ひするまじきやう侍れば哀れなるを、若し見渡り給はば、懐しう思せと書き給へるを、身にしみ返り、哀れに悲しとは尋常(よのつね)なり。元のやうに封(ふん)じ固めて、名残も胸せきあげて堪へ難う、只今も鳥になりてかの世に飛び行きて、かうやうけんに参らまほしき事限りなし。とばかりためらひて、唐土に渡りし聖は、何処にあると尋ねさせ給へば、吉野のあなたに三吉野といふ所に堂立てて、其処になむ籠り給ひけると申せば、まづかの聖に逢ひてこそ尋ねめと思して、女君に、唐土より渡りて侍りし聖に、皇子の、傳へよたしかに人づてならで、と宣ひし御消息の侍るを、吉野山の奥にて侍るなれば、みづから尋ねとらせ侍らむとてなむ、立ち返りにもと思へども、おのづから日比経る事も侍りなむ。唐土まで思ひ侍りにし心なれど、かやうに見奉りては、暫時(しばし)の隔て、うちつけに覚束なう覚え侍るかな。そのほどまぎれなく、御行ひなどせさせ給へと、こまやかに聞え置き給ふまゝにも、涙のうき給ふめるを、女も哀れに覚え給ひて、かやうに世をそむきなむ人は、尋ねまほしかなる、聖の住処(すみか)にも侍るなるものかな。

 そむきてはよし野の山の跡絶えてうき世を見じとおもひしものを

とてうち泣き給へる、いと哀れげにめでたきを、我ならざらむ人は、後の罪、佛の思し召さむ所など、更にたどらざらまし。我ながらありがたう、心はすましはてたりかしと思ふも、かつは又限りなく、思ふ事より外の事おぼえぬにやあらむ。

 君すまば我も吉野にあと絶えてかばかりも世にめぐらざらまし

年ごろは上一人をほだしに思ひ聞えつるを、今はそれよりも思ひ添はせ給ふこそ、この世を背きやるまじき契りにやと心憂けれなど、かりの御ありきと思せども、心深く立ち離れにくげに、萬を聞え置き給ふ。世に知らず心深げなり。わが君の御許に立ち寄り給ひて、暫しの程も覚束なき事を、かへすがへす宣ひ置きて遊ばしつゝ、いで哀れ、この事を我が方ざまにと書き置き給へる事、思ひ出づるも涙留まらず、上にも暇申し給へば、又何地(いづち)思し立つぞとうち泣き給へば、唐土に渡り侍らむやはとうち笑ひ給へば、いでや御心ざまを知らず、かく人に似ぬ御心のあまりなるが、心づくしに侘しきを、いかで見ずもなりなばやと泣きたまふを、いとほしと道理(ことわり)に思ひ聞え給ふ。





巻乃二 了






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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