《浜松中納言物語》⑪ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃二
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑪
巻乃二
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之二
十一、佛をお想いになられること、御若君と御姫君、愛でたきこと。
御君、山の翳に池をおつくりなさられて、しつらえられたえもいわれぬ堂の愛でたさ、うつくしく装われなさられて姫君に急いで賜りなさられられれば、ある時には、有明の月のかがやく日に、諸共に佛の前にお渡りになられなさって、《後夜》にお起きになさられて行かれられたその折には、夜の明けるのをさえもお知りになさられないがままに過ごしていらっしゃられたのを、宰相の君もあさましいがほどに悲しくとのみお見かけさせていただかれていらっしゃるのだった。
この女も暫しこそまばゆくも片腹いたい住居(すまい)かなと、いとわしく理(わり)なくお想いになられになっておられたが、とはいえ我が心一つに親と申したとしても、その御翳にはいかにしてか想い行き渡った功徳の事など想いも寄らないでいらっしゃられて、とはいえ行いを心にしめてうちうちの御心は乱れるべくもあらず、ひとつの御心に後の世の転生、あるいは救済を想う御勤めは、いわば《あはれ》にも嬉しき友に逢うがごときものかとお想いいたっていらっしゃられれば、今はあながちに隔てられなさられることなくうちとけて馴れ親しまれていらっしゃられる。
尼の姫君にあらせられては、すこしも翳るところなく、その御かたち有様の、見所多く優れていらっしゃられなさるのを始め、心栄えも類なく麗しく、想い遣りも深く、何の言うところもない御有様など、飽かぬところをご拝見させていただかれられるがままに、いまだに現世濁世にお留まりなさられなさっていらっしゃれば、さらには稀なる宿命の人ではなくて、人ざまの幸に恵まれさえなさっていらっしゃればよろしかったろうにと、来し方口惜しく悲しけれども、とはいえ御君、御身は未だにこの世の人であって、我はいまだに濁世の人、とお想いあたりになられなさる。
世の宿命の常に添うて行けない稀なる気質はこの身の尋常ではない愚かしさの故にと、おのずから恨みにお想いになられなさる折もあるのに、御行いも懈怠なくおなさりになさられて、後の世に御想いをおはせになられなさることも多くていらっしゃられなさる。
これはいかにしても、目の前の恨みの瑣末、我人の区別などもあるべきにはあらぬ、これこそ《あはれ》勝るべきわざである。
大方には、いつであらせられても、世の有様御身の上などお語らいになられなさいつつお過ごしになられなされるものの、心にふれることも多くていらっしゃられて、この年ごろ、乳母たちを御もてなして賜られるものの、それも限りがあれば、ただ一人お休みになられなさった折などは、寂しくも心細くもお感じになられなさって、この世にもかの世にも御想いはせる御心地さえなさられて、人々の御恨みも歎きをもみな醒まし、見苦しからざるほうにお誘になって賜られなさる。
中将の乳母は今はほとんど中納言殿に顔を出さずに若君の御許にのみかしづかさせていただいて、いささかも外に出てくることもなければ、中納言の御君も心強くさえお想いになられなさって、乳母の居の宮にも近ければ、日々にお渡りになられなさってご対面されて差し上げなさられるのだった。
ある時は、夜にも立ち泊まられて差し上げなさられる。
申し分もなく限りなきものにお想いになられなさって、御心より愛でていらっしゃられるのだった。
稚児姫の御有様にさえお見劣りなさられるわけでもなくていらっしゃられて、まさにこの世のものならなくてあらせられるのに、《あはれ》に悲しく片時たりとも見離ち難くお想いになられていらっしゃるけれども、猶暫し人には知らせずに置かれようとお想いになられなさって、御隠し置きになっていらっしゃられる。
御母上も、ゆかしくお想いになられなさって、御方互いにお渡りになられなさって愛でて差し上げさせていらっしゃられなさる。
御心お尽くしになられなさったその御扱いの在り難さはこれまた格別にあらせられた。
この御若君を我が許にて、稚児の姫君と左右にあそばせさせていただかれなさって、飽かずご拝見して差し上げたくお想いにあらせられても、猶お想いめぐらされなさる御事あらせられれば、いまは籠め置きて差し上げていらっしゃられなさる。
尼の姫君におかれては、この世の事もかの世の事も残りなく、長き寝醒めの御物語りにさまざまに、つつみかくしなく語られつくしていらっしゃられる御中に、御君、《かうやうけん》の御后の御事ばかりはその御心のうちにのみ深くお残しになられなさって、菊見た夕のその御かたち、琴の音の麗しさなど語り聞かせて差し上げるべきこと多くお想いになられなさりながらも、まずは先立つ御涙におつつまれになられれば、言い出すことさえおできになられなくていらっしゃられる。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之二
山かたかげ池に造りかけて、えもいはぬ堂のめでたき、べちに立て添へて、奉り給はむ事を思し急ぎて、或時には、有明の月のいと明きに、諸共に佛の御前に渡り給ひて、ごやおきして行ひ給ふ所は、明くるも知らで過ぐべきなからひを、我も人も、いくほどの年も積らぬに、此方のいとなみに、いみじき事を思ひ契り過すも、あさましう哀れに悲しうのみ見奉り給ふ。女も暫しこそまばゆく傍(かたはら)痛き住居(すまひ)と、厭はしく理(わり)なく思されしが、いみじうとも、我が心ひとつに親と申すとも、その御かげには、いかでかかう思ふまゝなる功徳の事など思ひよらましを、行ひを心にしめて、内々は心を乱るべうもあらず、ひとつ御心に、後の世の事を思しつとめたるは、哀れに嬉しき友に逢ひたる事と思し知られにたれば、今はあながちに隔てむすぼれ聞え給はず、うちとけ見馴れ聞え給ふ。少しかたはなる事まじからず、御容貌有様の、見所多く勝れ給へるを始め、心ばへもいとらうらうしう、思ひやり深く、何のふしもいふかひある御さまなど、飽かぬ事なきを見るまゝに、例ざまの世の常にてあらましものをと、口惜しう悲しけれど、さばれ猶我は例の人にて、世にあらむとやおもひなし。尋常(よのつね)のなからひならむには、我が世づかぬ有様愚かなりなど、おのづから恨みらるゝ折もあらましに、行ひもいと懈怠なくせずなどして、後の世の思ひ紛るゝ事にてぞありなまし。これはいかなりとも、目の前の恨み、我も人もあるべくもあらず、かゝるにしもぞ、哀れ勝りぬべきわざなるべき。大方にはいつとても、世の有様身の上をもうち語らひ合せつゝ過すに、飽く世なくたづき出で来たる心地して、年比いみじう乳母たちもてなししかど、限りあれば、唯一人寝たりしは、寂しう心細かりしを、この世もかの世も、思う様なる心地し給ひて、人々の御恨みをも歎きをも、みなさまし、めやすくさる方にあらせつけ奉り給ふ。中将の乳母は、今は中納言殿の事をば知らで、若君の御かしづきをのみまたなくして、いさゝか外に別るゝ事なくありければ、いと後安うて、宮も近きほどなれば、日々に渡り給ひつゝ見奉り給ふ。或時は、夜も立ちとまり給ひけり。およすげ給ふまゝに、限りなきものに思し、我も見給ふ。稚児姫君の御有様にはつゆ違ひ奉り給はず、この世のものならぬに、哀れに悲しう、片時も見放ち難けれど、猶暫し人に知らせじと思して、隠し置き奉り給へりけるなりけり。母上もいとゆかしう思して、御方違(たがへ)に渡り給ひて見奉り給ふ。おろかに見奉り給はむやは。これを我が許にて、姫君と左右にあそばせて、見まほしう飽かず覚えたれど、猶思ふやうありて籠め置き給へり。尼姫君には、この世の事もかの世の事も残りなく、長きねざめに聞えつくし給ふ中に、かうやうけんの后の事ばかりぞ、心の中に深くのこし給うて、菊見給ひし夕の御容貌、琴(きん)の音ばかりなどは、いみじう聞き所ありて、語り給ふべき物語なれど、まづ先に立つ涙につゝまれて、え言ひだに出で給はざりけり。
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