《浜松中納言物語》⑩ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃二
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑩
巻乃二
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之二
十、御妹君とかたられること、月に想うこと。
夜も更けて仕舞えば、尼の姫君の御代わりに、御帝の嫡子であらせらる式部卿の許に嫁がれられる、尼の姫君の妹君たる中宮の方の御許へと参って差し上げられなさる。
かならずやお出ましになられなさるに違いないと、心憎いがまでに巧まれる人々は数多、薫香(そらたきもの)のたぐい、心殊に匂い満たせつつお待ちさせていただいていた甲斐あって、言い知れもしないがばかりに薫り満ちたかの御君、お参りになられていらっしゃられる。
稀なる御方の珍しさに、中宮もそっとお忍びさえなさられなさって立ち出でられなさいつつ御覧じになられなされば、想わずにも心ときめかせられなさるがほどに、《かうやうけん》の御簾の前、ふとお想い出されられなさって、御君にあらせられては、御想いも目舞うばかりの御心地さえなされられるが、さすがに御不在のときのうちに、かの姫もいまや様変わりされてあらせられる御姿を御垣間見させていただかれなさられて、お帰りになられられようとなさられなさったほどに、懐かしくも御言葉をおっしゃいになられられるかの御気配の愛でたさは、御君の御身にさえしみて《あはれ》に悲しくこそお想いになさられなさっておられるのだが、もはや御言葉などお交わしになられられるにも御心は空なるがままに、嘗てのその御姉君との過ちのことなどなにも言うべき言葉などさえなくなってお仕舞いになられら
れる。
御簾のうちにも御心は彷徨い出でられて、
想いさえしなかったものだ
紫の、皇后の位に
やがてあなたが就こうとしているということは
思ひだによらましものか紫の雲のかゝたぬならひなりせば
と御心のうちにのみ想うものの、とりたてて何が起こるというわけでもない。
中納言の御君を待ちわびさせていただいて、過剰にも用意して、御簾の内にもときめいた人々のささやきあううちに、
西へゆく月のひかりを見てもまづ思ひやりきとしらずやありけむ
西へ行く
月の光を見てもまずは
あなたを想っておりました心のうちを
ご存知ではあらせられないのでしょうか?
と歌う人があった。
いったい、それは誰だったのでしょう?
わたしの心に懸かっていた人のその想いは
夜の月を見てさえも、
いまも健やかなるか否か
故国に残したその想いのかけらに
想いをはせていたものですよ
たれなればかたぶくさ夜の月見てもありやなしやと思ひ出でけむ
夜な夜なに、なんども心のうちに想い出されて愛でられて仕方もないほどの御君の御気色、からだのうちにさえ染み渡るほどに想われた人々多かったが、さすがに御妹君にあらせられてももの《あはれ》染みわたられなさった御気色をお示しになられなさってうらっしゃれば、これ以上はぶしつけでさえあろうかとお察しになられなさって、御君、いまだ飽かぬほどにて御退出させていただかれなさられるのだった。
かがやき渡って西にかたぶく月影の、行方なげの歌の事にも《あはれ》にお想いになられなさって、歌詠んだ人をお尋ねなさられれば、少将の内侍という人であった。
気高くも趣を知る人と想えば歌い合わせられなさるのもおかしくて、
雲居の月の翳りにも通う心のあったならば
廻り逢ってまた寄り添いましょう
その翳をかさねて
雲居にもかよふ心のありければめぐりあひてかげならべはや
と歌ってさしあげられなさったのに、御君をお慕いする心はふるえたものか。その御返しに
月のゆく雲居をさして思ひしもながめし程のあはればかりぞ
月の行く
雲居を差してその光を
想ってながめる心にうかぶのは
ただ《あはれ》に想う
想いばかりです
その筆つきも言いようもなく書き馴れて見所あるに、その気配なども憎からず、匂やかにさえお想いになられなさるものの、かつて大弐の娘の、想いを結ぶ手の、などと答えた気配など確かに比類もなくてあざやかだったと想い出でられなさられれば、御便りをお尋ねになられなさりつつ、御消息絶えることなくお賜りなさっていらっしゃられる。
今はただこの尼の姫君の御傍らを、終の住処とさえお想い果てになられなさりつつ、月の終わりには稚児の姫君の、みっつにおなりになられなされば、御袴着に寝殿にお移しになられなさって寝殿表(おもて)に佛を据えさせていただかれられて、その御飾り、眼も輝くがばかりになされられて、その内には姫君の御居所は北南にしつらてさしあげられなさって、薄色の織物の御几帳、おなじ織物の御几帳立ててわたされなさられて、見事極まったまでに清冽に美しくしつらわれなされつつ、東面(ひんがしおもて)に姫君の御方は、ことさらにちいさく瀟洒な御調度どもにてお揃えになられなさって雛遊びのようにおしつらえになられられ、御乳母ふたりばかり、人並みではなく優れたものをお遣えさせていただかされれば、大将殿の御父上も御母上も、この上もなく嬉しいこととお想いになられなさって、姫君の猶あるまじき華美に過ぎ身の上に過ぎた住居と深くお想いに沈んであらせられるのを、お諌めになられていらっしゃられるのを、中納言の御君、はかなくも辛くもあろう御子のこの世の生を、心のうちにも歎かわしくお感じになられなさられつつも、いまは如何したものであろう、為すがままに任せるほかにあるまいよと、誠に乱れがわしくて、憎からぬ御気色をお慕いして差し上げられなさるがままにお渡りになられていらっしゃるのだった。
尼の姫君は北西の対に人々の局をすべてしつらえて、中納言殿の御装束のことなども何もすべて、少将の乳母の監督にまかせさせられなさって、朝夕さしならんで引き隔てる御几帳さえも脇へどけて仕舞われなさられて、ご対面なさられれば御物語りなどなさられつつ、そのすこし侘びて華美を欠く屋敷のたたずまいはかならずしも美しいとはいえないものか。
とはいえ、かかるさまにしても誠に類もなくなまめいかしくも美しい御有様、比類もなくて愛でたければ、すこしも見苦しくは見獲もしない。
夜も唯御座(おまし)をならべられなさって、昔今の事どもを御物語られて書きつくし、御涙もお流しになられられれば御笑みをおもらしになられられつつ、今の生の逝く末も同じ蓮の上に、とさえおっしゃられなさっておられる。
限りなき御契りの心の御交わりを日々にお尽くしになられられつつ、佛の御日には月ごとに経佛供養をさせなさられて、《普賢講》など数多の念仏をなど、これらの御佛供養の営みのもろもろ、誠にこれこそ《妙荘厳》の御契りであらせられたのだろうと、その御二方の睦びの在り難さのあまりにも愛でたくあらせられるのを、大将の御父君も胸開く心地して想わず御口覆われなさられて言葉さえなもなき御様子であらせられなさるのだった。
親しきゆかりの御方々など、煩わしく御心をお騒ぎさせていただく煩事もなくて、果ては式部卿の宮のあまりにも及ぶものなく、待ち遠しいばかりに御心さわがせられなさられておいでであらせられるのを、ただ安らかに見澄ました御顔に、もはや二心もなくて寂にあらせらるのを、この世もかの世も想うままに、すべては御契りの御中にとさえ見えるのを、御父君、嬉しきこととお喜びさせていただかれなさる。
侍う人々も、名残りもなくご伺候させていただくばかりであったが、なかなかあることではない御有様に想い返しつつ日々参上して差し上げさせていただくばかり、宰相の君のそのころ、尼の姫君と御君の、そのつゆもゆらがないであらせらる御心栄えに、ただ《あはれ》に想われて、殊に愛でたくも優れたるご心情をお察しになれば、姫君の御母代わりに添うてさしあげられていらっしゃられる。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之二
夜更けぬれば、中宮の御方へ参り給へり。必ずやあらむと用意したるさへ、心にくき人々あまた、薫香(そらたきもの)、心ことににほひ満ちつゝ、まち聞えけるかひありて、言ひしらず薫り満ちて参り給へり。いと珍しきを、宮もいと忍びて、立ち出でつゝ御覧ずるにやと、心ときめきせらるゝにも、かうやうけんの御簾の前、ふとおもひ出でられて、物遠き心地するにも、さもさすがに事変りて帰らむとせしほど、懐かしう物など宣ひし御けはひのめでたさは、身にしみて哀れに悲しと思ひ出でらるゝにも、物などいふも心はそらにて、僻事せられぬべくぞ思さるゝ。御簾の内にも心かくるにや、
思ひだによらましものか紫の雲のかゝたぬならひなりせば
と心の中に思ふも、めざましうおほけなきことなかりかし。いたく用意して、御簾の内にもはかなき事ども聞ゆる中に、
西へゆく月のひかりを見てもまづ思ひやりきとしらずやありけむ
というふ人あり。
たれなればかたぶくさ夜の月見てもありやなしやと思ひ出でけむ
うちたどり思ひ出でけむほどの気色、中に身にしむばかり思ふ人多かるにも、かたへは珍しきにやあらむ、紫の雲のよそへにも、物哀れなる気色を見て、言ひすごしもしつべく覚えければ、飽かぬ程にて罷出(まかんで)給ひぬ。さしわたりし月影の、行方なげの事にも哀れにおぼされて、尋ね聞き給へば、少将の内侍といふ人なりけり。けだかう聞ゆる人ぞかしと、聞き合せ給ふもをかしうて、
雲居にもかよふ心のありければめぐりあひてかげならべはや
などあるを、待ち見る心よろしからむやは。返り事には
月のゆく雲居をさして思ひしもながめし程のあはればかりぞ
手もいみじう清げに書きなれて見所あるに、けはひなどもにくからず、にほひ多かりしかなと思すにも、大弐の女(むすめ)の、などむすぶ手のなど答へたりしけはひなど、こめかしうらうたげなりしは、さばかりのなみには類あらじと思し出でらるれば、便りを尋ねつゝ、御消息は絶えざりけり。今は唯このあまのとまやを、ねぬよの住処と思しはてつゝ、晦日(つごもり)がたに姫君三になり給ひければ、御袴着に寝殿にうつし奉り給ひしに、面(おもて)に佛を居(す)ゑ奉り給ひて、その御かざり、目も輝くばかりしつくし給ひつゝ、中に御居所(ゐどころ)は北南をして、薄色の織物の御几帳、おなじ織物の御几帳立て渡して、いみじう清らにしつらひつゝ、東面(ひんがしおもて)に姫君の御方は、殊更小さき御調度どもにて、雛遊びのやうにしつらひて、御乳母(めのと)二人ばかり、なべてならず思ひかしづき聞え給ふさまのこちたきを、大将も上も嬉しと思して、姫君の猶あるまじき住居(すまひ)と、ふかくおぼし入りたるを、いといみじうむつがり諌め聞え給ふを、我が御心がら、はかなうもうらうもあらぬ世を、心より外に歎かしう、涙こぼれて思しつゝも、今は如何し給はむ、かくこそはありつきてもてなし給へと、誠に乱れがはしう、憎からぬ御気色見奉り給ふまゝに任せて渡り給ふ。北西の対に、人々の局(つぼね)皆しつらひて、中納言殿の御装束の事も何も、すべてさながら少々の乳母にあづけしらせ給ひて、朝夕さしならびたるやうにて、絶えず引き隔て給ふ御几帳なども押しやりて、向ひ聞え給ふに、見どころ少し後れ給へらましかば、いとほしからまし。かゝるさまにてしも、誠にさまことに、なまめかしう美しげなる御有様、類なうめでたければ、見苦しう見え給はずかし。夜も唯御座(おまし)を並べて、昔今の事どもをかき尽し、泣きても笑ひても聞え尽し給ひ、今行末も同じ蓮(はちす)の上にといふ。限りなき御契りを尽し給ひつゝ、佛の御日には、月毎に経佛供養(きやうほとけくやう)せさせ給ひ、ふげんかうあまたの念佛など、かゝる方の御いとなみ諸共にし給ひ誠にこれこそむしやうごんの御契りなめれと、かうてしもめでたくあらまほしきを、大将も胸あき口おほひ給ひぬ。親しきゆかりなりなど、あなづらはしき御心もなく、式部卿の宮のあまりにおよびなく、待遠にのみ胸潰れてしづ心なきに、いと安らかにありつき顔に、別るゝ御心もなきを、この世もかの世も思ふさまに、深き御心ちぎりの中と見えたるを、嬉しき事に思し喜ぶ。侍ふ人々も、名残りなうひきうつろひにしかど、いちなかなかあらまほしき御有様と、思ひかへしつゝ参れど、宰相の君のそのほど、つゆも動きなかりけむ心ばへは、哀れにあり難きものに思して、殊にいとやむごとなきものにし給ひて、べちにとりはなちて、姫君の御はゝしろに添へ給へり。
0コメント