《浜松中納言物語》⑧ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃二
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑧
巻乃二
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之二
八、尼姫君、ご対面のこと、しげくお語りあわれられること。
宰相の君の語るに、この宮のうち、中納言の御君のご帰郷に喜び泣き騒ぎなどして由々しきがまでに立ち騒ぎ、さらには御君の心地よげであらせられるのをご拝見差し上げさせていただくにつけても、尼の姫君、つれなくも孤独をばかりむさぼられていらっしゃられて、その騒ぎを耳になされられるほどに、すでに御心にもないこの世の事に常よりもお想い乱れられていらっしゃられなさって、御几帳のうちにお入りになられられて、御殿にただお籠りあらせられるばかりに、萬の事にいたずらお想い煩わされつづけられなさって、あさはかなるものにこそお想いになられられるこの宿世に御想いめぐらされていらっしゃられれば、御枕もその御涙に浮んで仕舞うがばかりであらせられて、宰相の君の、御君のかの年頃の御消息お伝えさせていただこうかとお入りさせていただけば、御几帳の許にいざりよらせられて、姫君もまた宰相の君のあとに添うていらっしゃられられた、と。
御君、それをお聞きになられられれば御胸もうち潰れなさられて、かの日頃にもまして恥ずかしくも疎ましくも侘しくもお想いになられてお仕舞いになられられて、お起きあがりになられなさって御几帳のうちよりお出ましになられようとさえなされられるのを、宰相の君のお引きとめさせていただくはがゆい疎ましさは御身にも言うすべもなく想われになられていらっしゃる。
宰相の君は想いがけなくもあわてて驚かれはしたものの、いまはどうにしてもお諌めして差し上げるべきところでもなければ、御君はすこしばかりその御几帳の外にお出になっていらっしゃられる。
唐土に今はとお別れになられられたかの暁より、今宵までのことを泣く泣くお書き尽くしになられられながらも、お想いめぐらされられるのはかかる、想えばはしたなき事ども出来されて仕舞われたことさえも、前の世の御契りのあまりの深さの恨めしさも、言う甲斐もないふたりの名に添うたことなれば、宿命の清められることなど叶いはすまい。
事の、式部卿の宮の耳に入るところのあって、その宿命をお知りになられられたのであろう、世をお背きになってお棄てになられたに違いない。
なかなか書くに書き難くていらっしゃられて、いったいそれがどうしたというものだろう、かの宮にも聞こえて仕舞えばよかろうよとさえ、萬恨みにお想いにさえなられられて、不意にさし寄られて仕舞われれば、そのお差し出しになられられた御手にふれたその御手のてざわりの、かの、世にあった頃のそのままに、うつくしくも匂いやかでいらっしゃられるのを、終には御手ずからに、今にあってさえも麗しく華やいだ御髪の、ふれるも無残に短く断ち切られてあらせられるのをお探りあてになられられて、なんともかの匂いたつ艶やいだ御髪を、こうも一念に断ち棄てられて仕舞われたものかとお想い乱れていらっしゃられるに、御姫君の、むしろ何の歎きもお想いになられなさらず、声もお忍びさえなさられずに泣き乱れてお仕舞いになられなさるその御気色の心深さに、萬の辛ささえいつか消え失せてお仕舞いなられられる。
思ひいでよそこらちぎりし言の葉をいかに忘れてそむきぬる世ぞ
…なんという残酷を見るのでしょう。
あなたはお忘れになって仕舞ったのか
かつて、あれほどまでに焦がれあった契りの
その深さをさえも。
せめて、想い出されよ…
うち忍ばれられつつも、御涙の堕ちてお仕舞いになられられるにほかの事なく、かつての華やぐ御気色など夢にさえなくなってお仕舞いになられられた御すがた、かの日、この人にお別れさせていただいて、かの浅ましくも荒れ狂う異国への海のその浪の上に身を置いたのには、いかなる心の乱れのなせるわざであった事かとさえ、及ぶこととてなく在るまじきこととこそお想いひそめられて、この故国にあってさえそのいとしき御方の身を苦しめさせて、ながくも異国の地に遊び、いたずらにその御すがたを尼になどさせて仕舞ったことこそ悔しくも悲しくて、と、その御君のお乱れになられられるばかりの御心さえも御姫君は、ひたすら目にふれさせず耳にもいれさせずと、ただ想い棄ててお仕舞いになられられた人の御有様でいらっしゃられれば、このひとのあまりに想いつめられなさられてお仕舞いになられたことの、世の常にないことではあらせられても、なんとか取り返せはしないものか、いまこそふたたびと、御想いはあてどさえなくただお彷徨いになられられるしかなくて、このようにふれ獲る近さに語り逢われる事の浅ましさにさえも、
萬の想いでを想起して焦がれるこの、
命など限りあるものにすぎなかろうとも
その命も想いものまだ尽きもしないままに
いま、ここに
あることそれすらもが心憂いのです
思へども命はかぎりありければ、なほあるものと知らるゝぞ憂き
と、うち泣かれられて仕舞われる、その可憐であらせられる御たたずまいはお変わりもなさられずに、語られ逢われなさられるほどに、ただその稀なるばかりに《あはれ》なること限りもない。
遥かなる行く手の未来の果てまでも添うておるべき人を来し方行く末の想いやりも深いままに、ただ乱れさせてお仕舞になられられた御ことを、決しておぼろげではあらせられない御心、ましてや佛を想う心を知らないものでさえあらせられないままに、こうしてはしたなくも為して仕舞った事はたしかに、あってよいことであるとは言獲ない。
御身互いに涙をせき止められにくく、冬の夜の一夜を語り逢いかわされてお明かしになられられたのだった。
なにごとも、もはやその御有様の切なるを書き続けることなどできはしない。
あまりに心深いことどもは、筆のなすべきところでさえありはしないのだから。
親の御心の在り難くていらっしゃられる事は、大将殿のかの様、稚児の姫君の御たたずまいをご拝見させていただかれられてもお疑いさせていただかれるすべもない。
ひとたび御対面を果たされてお仕舞いになられられれば、さすがに外にお渡りになられられることもあらせられはしない。
御目の前にて御対面されて、あますことなく口惜しいことなどお語りつくしていらっしゃられる。
かく尼になって仕舞ったとて、疎んじられ始めたとでもお想いになられたものかと御過剰にもお案じなされられて、孤独の日々のいかにも覚束なかろうと、暮れればまた疾くお渡りになられなさって、少将の乳母をお召しになられられてこまやかに問われられる。
御気色のえもいわれえもせずに《あはれ》でいらっしゃられれば、ありのままに宰相の君を召し出でられなさって日々の御消息お聞かせになられられて、その後に従われて尼の姫君にお逢いになされられて、その夜の明けるまでお語り逢いになられられる御気色など、決して御心の浅いなさられようではあらせられない。
これから尼の姫君の許に渡るというのを御耳になさられるが度に、御親君の、うち微笑まれるばかりでいらっしゃられることは、親の心の誤りではあって、後の世にかかる罪のことなどに御想いをお向けになられることさえもなく、むしろ浅からぬ御心の気色をお察しになられなされば、佛くさくもてなして差し上げさせていただいて、念佛まじりにもてなして差し上げさせていただいていてはやがて、お見えになられなくなって仕舞われようとさえおっしゃられなさって、御君のなんとも一途なおなさりようであらせらることかと涙ぐみさえなさっておられなさる。
稀なる人の御帰郷に、珍しがって萬の人々の参り来る騒がしさにも紛れられなさらずに、こなたにお入りなられられて、姫君をお遊ばせになさられて、御歎きさえ御心にお感じになられなさって、《あはれ》の浅からぬかのかつての忘れ形見の御すがたにも劣られなさられずに、切なるほどにおかわいらしい御方よとお想いになっていらっしゃられつつ、かき抱かれなさられて、万事の流転していくままのこの世のなかに、我もまたまかせて仕舞うべきものなのかと殿のうちの障子を通ってお通いになられられる御溺愛を、人々あきれるほどにご拝見させていただく。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之二
一宮(ひとみや)の中、喜び泣きさへ、ゆゝしきまで立ち騒ぎ、心地よげなるを見聞き給ふにも、すゞろにあいなき有様にても、気近く聞くかなと、心より外なる世を、常よりも思し乱れて、御几帳の内に入りて、御殿籠りたるやうにて、萬思し続けて、あはつけき御身の宿世(すくせ)を思して、御枕も浮ぶばかりになりぬるに、宰相の君の御消息申しに入り来りて、御几帳のもとに膝行(ゐざり)寄るに、やがて続きおはしにけり。胸うち潰れて、昔よりいみじう恥しう疎ましう侘しければ、起きあがりて、御几帳の側より出で給はむとし給ふを、引き留め給ひぬるねたさ言はむ方なし。宰相の君は、ゆくりなくと驚かるれども、かくとも今始めて諌め聞えさすべきならねば、少しゐざり出でて居たり。今はと別れ給ひにし暁より、今宵までの事なくなく書き尽し、かゝる事どもし給ふけらむも、知らず過(すぐ)しける我がおこたりも、前の契りの怨めしさも、いふかひなき御名の、忽ちにきよまはらせ給ふべきにもあらず。式部卿の宮の聞き給ふ所ありて、うきを知り顔に思してぞ、背き捨てさせ給ひけむかし。なかなか昔ぎき疎ましう、うたてあるやうにぞ、かの宮に聞き給ひけむかしと、萬聞えあはめ恨み続け給ひて、さし寄り給へるに、御手あたり有様は、唯ありしながらに、らうたうあてやかなるに、御髪(みぐし)のふさふさと短うて、ゆらめきかゝりたるを捜(さぐ)りつけて、あないみじさばかりめでたかりし御髪を、いかばかりかはかくあさましう思しあまりて、かくしなし給ひけむと思しやるに、何のなげきも思されず、声も忍ばず泣き臥し給ふ御気色の心深さに、萬のつらさも消えぬべし。
思ひいでよそこらちぎりし言の葉をいかに忘れてそむきぬる世ぞ
うち忍びつゝ、涙の落ち給ふより外の事なく、さらでの気色は夢にもなきを、さしあたりて見奉り給ふ折は、いかばかりの心づよさにて、かばかり哀れげなる人を置きてさしもあらましき浪の上に漕ぎ離れ、及びなうあるまじき事をさへ思ひそめて、人の世にてさへ身を苦しめて、長く此の御有様を、いたづらにはしなし聞えさせけむ、悔しう悲しきに、姫君は、ひたすら見じ聞かじとのみ、思ひすて給ひにし人の御有様なれば、いとかうせきかね給ふさまの尋常ならぬにも、いとゞ取りかへさまほしきそのよの事も、只今の心地し給ひて、かやうにけぢかう、見え聞かれ奉り給ひぬる事のあさましきにも、
思へども命はかぎりありければ、なほあるものと知らるゝぞ憂き
とてうち泣き給ひぬる、よしよしうあてに、愛敬(あいぎやう)づきたる御けはひも変らず、うち聞きつけ給へる程の、珍しう哀れなること限りなし。ゆくてにかけつゝ、見渡し給ふべき人をだに、来し方行くさきの思ひやり浅からず、うちとけて乱れより給ふ事、朧げならではなき御心の、まいて佛の思さむ心をしらでは、あるべきならずかし。互に涙をせきわびつゝ、冬の夜一夜聞え明し給ふ。何事もまねびやるべき方なし。あまり心深き御事どもは、書き尽なむ方もなかりけり。親の御心のありがたがりける事は、大将殿、児(ちご)姫君を見ていかゞ思ふらむ。対面やし給ふらむ、猶外へこそ渡し奉るべかりけれ。さすがに目の前にて、殊に口惜しき事など歎きつくす。かくなり給へりとて、もてはなたれたる気色を見聞き給はむが、いみじう、いとほしうもあるべきかなと、つゆまどろまず思し明して、さすがにいと覚束なかりければ、又いと疾く渡り給ひて、少将の乳母召してこまかに問ひ給ふ。御気色のいと哀れれなれば、ありのまゝに、宰相の君召し出でて、御消息聞え給へりしかば、申しに入り侍りしに、やがてつゞきて入らせ給ひて、明くるまで物聞えさせ給ひつる御気色など、浅くも聞えざりつ。今こそ出でさせ給ふめれと語り聞えさするに、うち笑みて、親の御心のやみはあやまりて、後の世の罪など思しやられず、かくながらも、浅からぬ御気色にてだにあらばとおぼしおきて、けさうちかけめひさきゝねぶつしいりて、な見え奉り給ひそと教へきこよなど宣ひて、いであなこころう、よろづおもはずなりける御ありさまかなとて、涙ぐみたまひぬ。めづらしがり聞えて、よろづの人まゐりつどひて、いとさわがしきにもまぎれず、こなたに入り給ひて、姫君あそばし、をこづり聞え給ひて、哀れに浅からぬわすれがたみの御ありさまにもおとらず、悲しうらうたしと思ひ聞えさせ給ひつゝ、かき抱き奉りたまうて、みづあさみになりにためる世の中に、我しもつゝむべきかはとて、中の障子をとほりて、ゆくりなく入りおはしましたるに、人々もあきれぬ。
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