小説《それら花々は恍惚をさえ曝さない》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作…世界の果ての恋愛小説⑱

今回のピリオドで、《それら花々は恍惚をさえ曝さない》という短めの長編小説は終わりです。

とはいえ、連作は自体はまだ終らずに、《紫色のブルレスケ》という長めの中篇と、《わたしを描く女》という長めの長編が続きます。

あとは、《プルート/冥王星》という中篇連作が全編を総括して、終わり。

それぞれ直接的な続編でなくとも、お互いが補い合うように、あるいは反発しあうように、関係するものです。

もっとも、通して読む必要もなくて、それぞれ独立して読めるようになっています。

《紫色のブルレスケ》は《フエ》の物語で、完全にベトナムという、私にとっての完全な異国が舞台となり、

ある異国の少女が、自ら眼を切り裂いて果てるまで、を描いた物語です。

つまりは、オイディプス王、認識論と存在論の物語ですね。自分なりのオイディプス王の物語を、そして、おもいきり官能的で、’幻想的で、救いようもなくリアルに干からびた風景を、描いてみたかったのでした。

試みは、成功しているのでしょうか?


Seno-Le Ma 2018.10.16









それら花々は恍惚をさえ曝さない。

…散文









《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。

Prelude in A mainor, 1913, Joseph-Maurice Ravel









蘭陵王/小説













つぶやかれる、彼女の

but

声、その

I

唇を、

just

微笑む。

know

私は塞いだ。

it

口付け、として。台に、片足だけよじ登りながら。目を閉じないままのフエ、そして、私が見上げた眼差しの、彼女の微笑みの向こうに、天井にへばりついたフエ、その、見たこともない色彩も無い男の昏さが、横向きに血を吐き続けた。


唇が、彼女の首筋に触れる。フエ。

それが、唐突にはじめて仕舞った、愛しあう行為なのか、それとも単なる口付けなのか、それさえも私にはわからない。触れ合わせて仕舞った唇の処遇に迷いながら、増殖する私たち。

無際限に。

たとえ、この世界が崩壊したとしても、アインシュタインの数式がはじき出した多元論のどこかしらに、無数に。無際限に存在した宇宙の存在のそのいずものうちに。

たぶん。

指先がフエの腹部の皮膚に触れる。息遣われる、その、やわらかい運動体。

体温。

日差しが足元に触れる。


想いだしたように、フエが私の胸に手を当てて、私の体をすり抜ければ、手放されて仕舞ったドラゴンフルーツは床に、鈍い音を名残のように立てて、撥ねた。

床の反射光。もはや、明確な形態さえない白濁。

フエの後姿を追って、日翳をくぐる。木戸の先の正面庭に、ブーゲンビリアの花々が、土の上にその花を大量に散らして、なおも樹木の葉々を覆いつくして咲く。

あざやかな、あきらかに空間に、際立ちを穿った色彩。

フエは庭に出る。いっぱいに、水滴に満たされた庭が、土が、樹木が、敷き詰められた石の群れ、そして草と花。

それらの匂いと色彩。

匂う。それらがぬれて、無理やり引き立てられて仕舞ったそれらの固有の匂い。

土を踏む。フエは、庭の真ん中に立って、その頭から、正午の雲間の日差しに肌を曝す。

北のほう。わずかに切れた雲の先から、雲の先端をだけ黄色がかって染め上げて、光は堕ちた。

細く。

空の色彩。白濁したままの、まだ、もう一度雨は降るに違いなかった。フエの傍らに寄り添って、その女、愛すべき女、そして、事実、明らかに愛している女。

フエ。彼女を振り向かせると、その微笑を、疲れ果てたように、あるいは、倦み果てて仕舞ったように、ただ、曝している女の、その潤みを持った眼差し。

見つめられ、まぶたに口付けると、かすかにフエが唇を開いて仕舞ったことには気付いた。

まだ、その、もう一度の雨は降り始めない。

私は、唇を軽く触れたまま、そして、彼女の顔を唇の表面になぜると、匂うのはかみの毛の、そして彼女の体臭。褐色の肌は、いつでも彼女固有の体温を持つ。

菟雑多いほどに。

くちびるに、唇をふれあわせた瞬間に。ようやくフエは、諦めたように目を閉じた。









夜。

何時かは知らない。

昼間のうちに、あれから二回雨は振り、そして暗くなってからは一度も振らなかった。

静かに、雨の音が聞こえた。力もなく、やみかけの。何の意味もなく、その、音が止んで仕舞うのを待った。

十二時を回って、ベッドに入ったのだから、もうすぐ朝が来る、そんな時間なのかもしれなかった。覚醒に、堕ちるように目を覚まして仕舞った私は、たぶん、眠ろうとすればすぐに眠れるはずだった。その確信が、何の揺るぎもなく、頭のどこかにあった。眠気など、すでに跡形もなく消え去って仕舞っているにもかかわらず。

私に縋りつくように腕と足を回したフエの皮膚の、その触感と体温が、むき出しの皮膚にじかに触れる。

温度。大気には、肌寒いほどの冷ややかさがあった。すずしいと言って仕舞えば、その言葉にやさしすぎる嘘を感じざるを獲ないほどには。

光が、通風孔からだけ差し込む。

いつ、雨の音が止んで仕舞ったのか、その瞬間をは覚えなかった。

何の意味があったわけでもなく、たとえば、雨が本当に止んでしまったのか、それを確認しようとしたかのように、寝室の外に出ると、木戸が開かれきっている。音響が聴こえる。にぶく、遠く。

物がぶつかり合う音。

ささやき声の群れ。

なにかとなにかがふれあい、そして、あるいは。

息遣いのつらなり。

衣擦れ、ときには、体のふれ逢う音、それら。

音響としか、言いようさえなかったそれらは、木戸の向こうから小さな、空気にふれて触っただけのような揺れとして聞こえ、ミー。

彼女が何かを遣っているに違いなかった。

木戸に立つ前には、すでに暴力の匂いがした。容赦もなく。庭に、怒号のように、ただ、音響が掻きむしる。もはや、轟音、としてだけ感じられたほどに。

血まみれのミーが**されていた。無造作に立てられる笑い声が不意に連なり、声が煽る。《盗賊たち》。ミーの、あの、それぞれに半裸になった下僕たちが声を立て続けるが、誰一人としてそれを聴いているものなどいない。お互いに。泥に塗れた肌を曝す。水滴を滴らせる庭。その中央に、血まみれのミーが失心しかけて口だけを開く。二十人ばかりの男たち。結婚式で、一緒に騒いだその彼ら。

私とだれかが目を合わせ、とはいえ、何を言うわけでもない。だれかが声を立てて笑った。群れて、バラバラに立った男たちが、泥に塗れたミーを下敷きにした男の背中を見下ろして、立てられるのはやじるような、気まぐれな怒号。哄笑?…まばらに、笑い声は立って、消え、起こり、そして、もはや顔の原型をとどめない、目さえ開けられないミーのむき出しの肌に、白さはどこにも現存しない。その、すべてを泥と血が覆い隠す。

私は、後れて、やっと息を飲んだ。

だれももはやフエを振り向き見もしなかった。フエは私の背後に立ったまま、何も言わないで立ち尽くす。彼らが、と、私は確信した。この町の住人たち、彼らが、《盗賊たち》を買収したに違いない。《盗賊たち》に、そこまでミーを破壊しなければならない、追い詰められた怒りなど、かけらさえもなかった。その必然も。単なる他人事として、ミーは彼らに破壊されていた。すべては手遅れに違いなかった。

何もかもが。

奇妙な方向に向いて、かかとを曝したミーの左足が、男が腰を使うたびに揺らぎ続けた。かろうじて、息遣っているだけの、想う。破壊された、不意に、肉体。認識した。

私は。

フエが殺したのは彼女の父親ではない、と、それに私は気付く。私が、私の父親を殺して仕舞ったのに違いない。何の間違いかは知らない。フエは、その父親をは殺さなかった。

殺したのは、私だ。

フエは、その手で、私の父親を殺した。私が、憎しみに塗れて殺して仕舞うべきだった、あの父親を。

想う。もはや、と、ひょっとしたら、もう、ミーは死んで仕舞っているかもしれない。ただ、息遣っているだけで。すでに。そして、一瞬で音響につつまれる。

ただ、ひたすらな轟音。夥しい羽音。小さな羽ばたきの音が、群れ、連なり、反響しあい、かさなって。

見あげた空に、無数の、無際限なまでの鳩が舞った。わななき、羽音を撒き散らしながら。撒き散らされた羽根が舞う。

無数の羽根が舞って、止め処もなく降り注ぎ、空間をただ、純白に染める。暗い夜の薄い光の中に、それ自身を浮かび上がらせて、明滅さえさせながら。

雪。

まるで、雪のように。

わななく。

なきさわぐ。

舞う。

ミー。すでに、彼女はもう失われて仕舞ったに違いない。何ものも、救われることなどなく、罰せられさえせずに。

他人の死。目の前に、そして雪。

羽根が舞う。

空間に。

降り注ぎ、地を埋め尽くそうとばかりに、白の氾濫。

ミーの血と泥の色彩をさえ隠す。






それら花々は恍惚をさえ曝さない。…散文



明け方、ふたたび遠い怒号で目覚める。寝室に引き下がって、フエを抱きしめ、やがて眠って仕舞った私は。明け方。かすかに、空が白み始める。

街中が、怒号を立てていた。なおもフエは目覚めない。

ガソリンが匂い、煙の臭気が、室内にまで混入していた。

シャッターを開けると、町が炎につつまれていた。無数の家が、そして人々は、逃げ惑うことも出来ずに、立ち尽くしていられるわけでもなく、ただ、路上に惑い、怒号を上げる。燃え盛る家屋の三階から、燃えながら子供を抱いた女が飛び降りた。大量に、そのブロック中に撒き散らしたガソリンに、だれかが火を放って回ったに違いない。《盗賊たち》。

彼らの報復。町の人間たちによって、彼らの最愛の、愛すべきミーを、ボロボロに破壊された挙句に殺されて仕舞った、彼らの報復。自分たちが下した、彼らのミーのための、留保もなき当然の制裁。

無差別な炎が、一体どれだけのものを、人の命さえ含めて破壊し去ったかは知らない。

匂う。煙が、そして、無数の何かが、人体含めて焼き尽くされる、その。

体が熱い。

眼差しの向こう、炎があぶる。

煽る。

舞う。

朝焼けがかろうとする空の色彩にさえ、眼差しは気づかない。

破壊。舞う。

ブーゲンビリア。

花々は、炎を背景に、逆光の翳りの中で、その色彩の恍惚をさえもはや曝しはしない。

炎は、ただ、破壊した。

炎が舞う。

肺の中さえ熱い。





2018.09.01.-9.05

Seno-Lê Ma






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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