小説《それら花々は恍惚をさえ曝さない》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作…世界の果ての恋愛小説⑬
それら花々は恍惚をさえ曝さない。
…散文
《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。
Prelude in A mainor, 1913, Joseph-Maurice Ravel
蘭陵王/小説
その、一ヶ月に渡る猶予。
サイゴンの外には北ベトナムの戦車隊が待機している。4月30日、シグナルコードの《ホワイト・クリスマス》をかき鳴らすラジオが鳴り止まない中に、米兵たちは完全撤退し、頃合を知ってから、誰もいないサイゴンに、北ベトナムの戦車部隊は突入する。そんな日の、記念日。
フエをは、起こさなかった。起こしてもよかったし、どちらでもよかった。人懐っこく、外国人馴れして礼儀正しいナムは、同じように外国人馴れした、職業エリート層のフエに愛されていたし、そして、ナムは大酒飲みだったから、その片一方で疎まれてもいた。フエは寝ていた。苦しそうに。苦悶の表情に塗れながら、彼女が大好きな睡眠をむさぼっていた。彼女を起こす必然性はなかった。私には眠るフエの頬に、軽くキスをくれて、出かけよう。
Đi chơi
そう言って私を誘うナムに従ったのだった。
ナムが気まぐれに、意味もなくふかして見せるエンジンは、追い抜かれる人たちを例外なく驚かせて仕舞いながら、バイクの後ろで、すでにどこかで何本か飲んでいるはずのナムの運転にゆられる。
君に、英雄を紹介しよう、と
Introduce hero Việt Nảm
言った。
誰だ、と言っても、ながいながい話なんだよ、と、
Long long story
それ以外には返そうともしない。声を立てて
Khó
大袈裟に笑って見せながら。
いろんな外国人と一緒に仕事をしたが、日本人とドイツ人が一番まともだ、と言った。中国人が一番ひどい。まるでベトナム人だ。そして彼は、いつも言う。ベトナムほど美しい国は無いと。知っているか?かつて中国人は言ったものだ。ベトナムのことを、南の果ての美しい場所、と。そして、ベトナムの軍隊は世界で一番強い、中国がなんどやって来ても、結局は負けたりはしないのだ。公式人口二十倍近い中国人の烏合の群れ如きには。
酒が入れば、いつも同じ事を、まるで初めて言って聴かせるように言うナムの後ろで、主幹道路を曲がり、ロン橋 Cầu Lông という、のたうつ龍をかたどった黄色い橋を渡る。
ハン川。昏んで仕舞った浅い夜の光線の中は、泥色の色彩を隠しとおして仕舞う。ハン川をまっすぐ言った、2キロにも満たない海からの部厚い海風が、このあたりのすべての橋には横殴りに叩き付ける。ここの風が止まることなどありえない。留まるとしたら、それは世界が終って仕舞うときでしかない。
ほんの十年足らずの新興観光地は、その中心部には、どこも彼処もイルミネーションが施され、眼差しを休める隙もない。空の、昏んだ表面さえも、うすく、朱や紫に染まっているしかなのだった。
橋を渡った向こうの、四車線一方通行の主幹道路を曲がり、その道路沿いの、けんかしてばかりのナムたち夫婦の居住マンションの手前、市場の通りの一番手前のブロックの、古びた廃墟じみた低層家屋の前にバイクを止めた。
一階の、ガレージと居間を兼ねたスペースのシャッターは完全に開かれきっていて、その奥の右の隅っこに、小さなテーブルを置いた老婆が、私たちを振り向いた。
ナムに気付いて、手を振る。
眼差しは、私をは、まだ捉えようとはしない。右目に翳りがある。斜眼なのかと思った。そして、白内障なのかと想った。最後に、それが義眼であることに気付いた。
黒目を暗示すべき部分には、まるで何らかの眼球疾患をわずっらているかのように、薄い灰色の丸らしきものが彩色されているだけ、どこからどう見ても、黒目とは見えようもない。眼窩の骨盤の異常か何かのように、そのサイズがかならずしも合ってはいないらしい義眼は、ふかく、ふかく、脳にめり込んだように落ち窪んで見えるので、とにもかくにも、右目の周囲に留保なき異常性をのみ、刻む。
なぜ、そんな効果をしかもたらさない義眼などがそれでも必要なのか、私にはわからなかった。
年のころは、60代後半。わかく、老け込まない70近い老人だということが、その、荒れてしわんだ肌に気付かされる。それでも、彼女はうすく口紅をぬって、そして、美容の刺青が施してある眉のラインを鮮やかに曝した。
年齢が、いまや、若い頃には美しかったのか、そうでもないのか、その名残りをでも感じることさえ禁じて、ただ、右目に異常のある老婆、としての情報しか、視覚にはもたらさない。
ナムが、いつものように人のいい微笑みを、その顔と、身振りのいっぱいに曝してみせながら、私の名前を教えて、日本人だよ、と言うと、老婆は、私の苦労をねぎらうような声をくれて、私の手を取った。
しわだらけの手のひらの、ふやけたようにやわらかく、そして火照った体温が、彼女の加齢を容赦もなく私に突きつけた。
彼はベトナムに住んでいるんだよ。彼の奥さんはベトナム人なんだよ。ここで、日本語を教えているんだ。…と、それら。
老婆の足元に屈みこんだナムが耳打ちする、私についても情報の数々に、老婆はなんども、ナムにだけ、耳打ちした。
フエが殺して仕舞った彼女の父親は、私が初めて彼に紹介された日に、古い皮の、反れてひんまがったパスカード入れの中に保管されている、軍役時代の、少年兵だった頃の写真を見せてくれた事がある。その後、初めて会う人間の片っ端からが、彼に見せられる写真であることを知った。
いずれにしてもその白黒の、褪せかかった写真の中に、一人の、老いさえばえてからの姿には名残りさえ残っていない痩せた躯体の、軍服姿の少年が写っている。幼くはあっても、精悍とは言獲ない。
年齢にして、たぶん十七八くらいなのだろうか。いずれにしても、1975年の時点で三十年も続いたことになるながいながい戦争の、最後の終わりが見え始めた時期に、彼は銃を取ったということになる。
あまりにも一般的で、通俗的にさえ感じられる感慨なのだが、目の間にじかにふれ逢っている人間が、その手に銃を売って、あるいは爆弾を投下して、理由はどうであれ、殺戮と破壊を重ねたという事実に、軽く目舞った。そんな、記憶があった。
ナムが、ネムという、練り物をバナナの皮で包み込んだ、よくあるみやげ物を老婆に手渡そうとすると、いきなり激しく拒絶して、かたくなに手を触れようとはしない。
あなたみたいな若い人が、わたしみたいな老いぼれにお金なんか使っちゃいけない。
渡そうとする者、渡されようとはしない者、その、いったりきたりの終わりのないありふれたやり取りが終らないままに、立ち上がった老婆は、不意に想いついてビールを取りに行ったのだった。奥の、埃塗れのくすんだ冷蔵庫の中から。
私の、彼女の背中を追う眼差しが捉えたのは、彼女のいかにも不自由な義足だった。
目のちょうど反対。左足に義足がはめられていて、それをどうしようもなく無様によろめかせながら歩いているのは、その明らかに質の悪い義足のせいというよりも、加齢のために弱った足腰全体のせいなのかも知れない。
ネムを包装したバナナの葉を開いて、テーブルの上の、干からびた何かを付着させた皿の上に出すと、置きざらしのくだものナイフで、練り物を切って行った。粗末で空気のように軽いプラスティック皿の上の、乱雑に描き棄てられた中華風の貴婦人の絵柄が、適当に撒かれるネムの茶色に消されていく。
薄汚い家屋だった。ブロックを積んで、それをコンクリートで固めた、中華風と言うのか、アメリカ風と言うのか、フランス風と言うのか、それとも要するにベトナム風なのか、この国によくある建築様式の建物であるに違いない。
照明はただ、天井から裸電球が二三個刺しているに過ぎない。ガレージには、座席シートの合成ビニールをいっぱいに罅割れさせた年代物の自転車が置いてあって、何かの飲食店が、かつて此処で営まれていたに違いない名残りが四方に感じられた。
私の肩をたたき、壁を指差したナムの、そのほうを見れば、壁の一面に、さまざまな賞状と、色あせた写真パネルが飾られている。
賞状に何が書いてあるのかはわからない。写真はどれも、若い彼女が誰かにどこかで表彰されている記念の写真であって、6枚ほどもあるその中の一つに、この国の、最初の国家主席たる、ホー・チ・ミンと並んで移された写真がある。
ハノイ市の、巨大な廟の中に未だにその遺体が安置されている社会主義国の象徴的国家主席なのだから、その待遇の程が推測された。もっとも、ホー・チ・ミン、現地ではかならずバック・ホー(ホーおじさん)と呼ばれる彼は、1969年に亡くなっているので、その意味では、彼が一度も統一国家たる現ベトナムの国家主席であったことはない、とは言える。結局のところ、南ベトナムと北ベトイナムとは、内戦を繰り返してばかりの、あるいは、繰り返させられてばかりの、お互いに正規の国家承認のされていない不法支配領土に君臨するふたつの非合法政府にほかならず、そして、彼はその、優勢な片一方のリーダーだった、と言うことになる。あくまでも、正確に言えば。
いずれにしても、その国家的英雄に、彼女は肩を抱かれて祝福されているのだった。苦難を耐え忍び、戦う国民のアイコン、あるいは英雄、要するにナムの言う Hero として。
彼女はヒーローなんだ、と、ナムが私に、なんども嬉しそうに笑って見せながら話しかける。
町の、中心部のど真ん中にあるので、ふきっさらしに、庭の隔たりさえない車道沿いの家屋の中には、ひっきりもないバイクの音と、通り過ぎる韓国人旅行者たちの集団の、それら声の群れまでもが、切れ切れに飛び込んでくる。韓国軍も、かつて、あの戦争で、南ベトナム側の援軍として介入していたはずだった。ライダンハンという、韓越混血児の問題を撒き散らしながら。
いつかどこかで聞いたかもしれない、自分に銃を向けた韓国語を、彼女はどんな風に聴くのか気になった。もっとも、それを言えば、その韓国人たちが、たとえば私が話しかけたときに、かつての宗主国言語だった日本語をどう聞くのか、とも言える。
いずれにしても、老婆はよろめきながら、冷えたサイゴンという名の南部製のビールを持ち出してきて、…そして、それは、その銘柄がナムのお気に入りだったから、に過ぎないのかも知れが、老婆が、私たちのために缶ビールを空けてくれるに任せる。
小さな、彼女のテーブルに、ばらばらの椅子を持ち寄って座り、いま、彼女の身の回りの世話は全部、国がしてくれているんだ、と、ナムは言った。
この家も国が配給したものだし、毎月の食事代も、それに医療費も全額無料だ。そして、と、彼は繰り返す。なぜなら彼女はヒーローだから。
Vì là chị hero
エロー、と、なぜかフランス語風の読みかたで。
アメリカ軍が、ダナンに侵攻してきたときの、最初の捕虜の一人なのだ、と言った。
30キロもの資材袋を担がされて、山の上まで上らされたものだ、と言った。山の上の在留拠点まで、毎日運ぶのよ。なにが入ってるのかなんて知らないわ。苦しい仕事を与えるのが彼らの仕事だもの。彼らだって何が入ってるのかなんて知りはしないわ。もちろん、その時には、もはや、目と足は吹き飛ばされていた。いうまでもなく、米軍が最初に侵攻してきたときの、空爆や、陸上の銃弾、それら、硝煙と轟音と血と悲鳴が散乱する、その時のどれかのなにかのなんらかのときに。
子供の写真もあるので、夫を得て、出産したのかも知れない。とはいえ、すくなくとも、いま、彼女の身の回りにはいない。生きているのか、死んでいるのか、その詳細を問う気にはなれなかった。
飾られた色褪せた写真の群れは、彼女と子供たちの、徴兵などには無縁だった幼いある時期をまでしか見せてはいないのだから。
ほんの十数年前まで、第三次インドシナ戦争が片付くまで、中国、カンボジア、いずれにしてもずっと戦争ばかりしていたのだから、この国にいる国民とは、基本的には戦火の生存者であるにほかならない。
膨大な量の、生き残らなかった死者たちは、言うまでもなく存在する。
時々、アメリカン人が来るのよ、と言う。英語で。取材のために、だろうか。学生の歴史調査?いずれにしても、インタビューのために、と彼女は言った。
そのたびに、私は何も話せなくなるのだ、と言った。耳に残って離れない英語の響き、…かつて聴いた米兵たちの英語の群れの中にいた日々がいやおうなく想起されて、どうして何も話せなくなる。だから、もう、なにもかも、そう言うのはお断りしているのよ。
…と、話す、彼女の英語を、私は耳を寄せるようにして聴く。かつて、短期間でも、この国の宗主国であった国からながれついて来た、この私は。
そんなに長い時間、老いた女を煩わせるわけには行かなかった。そして、そして、ナムもすでに何杯も友人たちと飲んだ後だった。頃合いを見て、私たちは辞した。
家まで送ってくれたナムを握手の後に見送って、フエの家には明かりさえもまだ、つけられてはいない。私が出て行ったときそのままの、開けっ放しのシャッターをくぐって、点在する夜の光にだけ照らされた薄暗い室内の、なにかの残像のように見えるもの翳を、眼差しにただふれさせる。
室内の暗さに目がまだなれない。
その馴れない眼差しの、翳を追うしかないおぼろげさを、私がつけた照明の鮮明さが、名残りも何もなく一気に破壊して仕舞う。
まばたき、フエの気配さえもない。ミーは、まだ帰っていないようだった。
振り向いた、ソファの黒いビニールの上に、あの男が座って、血を流していた。いまや、両目からさえ、細い血の筋を垂れ流して。
フエの父親。娘に殺された男、あるいは、娘が自分を殺して仕舞うことを許した男。見たこともない、ただのあなぼこ。その、色彩のない昏いその実在に、静かに、音もなく上方、天井に向けて、血の鮮烈な色彩を垂れさせていく。
私に向けらた眼差しは私をは見てはいない。
なぜ、と想う。なぜ、こんなところに目覚め続けているのか。あるいは、なにも破壊しもせず、何も救済せず、それどころか、なににもふれる事さえも出来ずに、何をも見出すことことすらできはしないくせに。
寝室に行くと、フエは横たわったまま、寝ている。…そう想っていた。垂れ落とされた蚊帳をはぐって、ベッドに腰掛、背中を向けたまま彼女の頭をなぜると、不意にフエの手のひらが私の手をつかんだ。
Đi đâu ?
どこへ
フエ。
行っていたの?
とっくに目覚めたままに、身を転がしていたフエ。照明をはつけないままの室内の暗がりの中に、たしかにあの、苦悶の佇まいはなかったのだった。ただ、目が閉じられていただけに過ぎない。
ナム、と、彼の名前だけ口にすると、フエはなんとなく、事の次第を察して仕舞う。…そう。
彼と。
手の甲を彼女の手のひらが包み込んで離さない。
もう、8時を過ぎていた。たしかに、さすがに、目を覚ましていないわけもなかった。暗がりの中で、彼女の肌はいよいよ黒く、沈み込む。
遠くに、近くのロン橋の広場で行われている何かのイベントの騒音が、かすかに聞こえた。風に乗って、あるいは風に邪魔されて、その、若干不安定な音響の向こうに、鮮明に、あの、私を食い尽くしていく、ナイーブで、ナーバスな音が拡がる。
音が、音をたてながら、私を食っていく。
牙さえも無くて、なにに立つ歯もないので、噛み付くことさえできないくせに。おなかがすいたわ。
Đói quá
つぶやいて言ったフエの眼差しは、私を振り向きもせずに、ただ、つかんだその手の平にだけ私の存在を確認する。
あるいは、澄まされた、その五感のすべてで。
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