小説《それら花々は恍惚をさえ曝さない》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作…世界の果ての恋愛小説⑫
それら花々は恍惚をさえ曝さない。
…散文
《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。
Prelude in A mainor, 1913, Joseph-Maurice Ravel
蘭陵王/小説
女は言った。
「誰の?」
叫んじゃっていいよ。
やぁれえのおぉお
「お前の、犬じゃん?」私は、言った。上目遣いに、彼女を見つめ、「決まってるでしょ?」…お前の…ね?
「お前だけの犬でしょ。」
「うそ」
うちょおおあー 女が叫んだ。大声で、笑い出して仕舞いながら。いま、為すべきなど、叫び、ただ叫び、泣き叫ぶがまでに、そして笑い、大声で、大丈夫。
誰にも聴こえはしないから。
朝の日差し。
「うそでしょう?」
うちょぇしやうぅ
まばゆいような。
「知ってるよ」
ちてりるおぅう
向かいにはショップのガラスが
「何人とやってるの?」
んにぇぇえ
反射光を曝す。どうせ
「何人に舐めさせるの?」
んにぇぇえ、ってぇばあ
だれにも見られはしない。
「何人妊娠させた?」
んにぇぇえ
反射光がすべてを
「何人降ろさせたの?」
んんんー
おおいかくして仕舞って
「何人、壊したの?」
んんー
すべて、ことごとくの
「泣かせて、」
にぇぇえ
すべてを
「ぼろぼろにして」
ええええぇえぇえ
むきだしのまま
「ぐちゃぐちゃにして」
っ、ってぇ
なにをも隠しえは
「生まれてきたこと、」
く、くぅ、く
しないままに
「…後悔させてさ」
く、んうぅう
ただ、光。その
「でもさ、」
んくぅんんんん
美しい
「あんたのこと、…」
にぇぇえ
光が
「想いきれなくてさ」…それ、さ。
「自分のことでしょ?」私は言った。「それ、お前の、…自分のことじゃない?」ボロボロにされたい?一瞬、堕ろさせられたい?戸惑って、棄てられたい?すぐに、そして女は笑む。
どうせ、俺のこと、…私は微笑む。「忘れるなんて出来ないから。」彼女のためだけに。…好き、と。
「死んじゃえば?」
ただ、好きなの、好きで、好きで、仕方なくて、と、そんな。それらの言葉を
「俺に棄てられたら、…」
貼り付けたような、みだらで、いびつで、
「…てか、」
穢らしく、だらしなさ過ぎる笑みが女の顔から離れない。
「てかお前、」
死んじゃえよ。私は言った。「いま、お前、死んじゃえ。」
「なんで?」
あんんぇえ
「俺のこと、見つめながら死ねるから。」いきなり、「幸せじゃん?」ひざまづいて女は私の唇に、噛み付くようにむしゃぶりついて、そして、本当にやさしく咬んでさえ仕舞うのだった。私のからだには、指一本触れないままに。ただ、飢えた唇でだけ。まるで、それが全世界共通の、淑女のたしなみでさえあるかのように。
やがて、ながいながい飽きもしない口付けのあとに、離された唇にいまだに、あきらかにその名残りをただ感じようとし続けながら、開いた瞳孔。潤んだ、女の。
女は、立ち上がってキッチンに行き、何日か前の朝に私が抜いてやった、その、赤ワインを持ち出して、さかさまに差し込まれたコルクを抜くと、無造作な音が立つ。
なぜか、女は声を立てて笑って仕舞う。
とっくに、酸化してして仕舞っているはずの、かならずしももとからたいして旨くもなかった失敗作のロマネを、逆立てたボトルに、口に含む。
ネックをくわえた唇の端から、ワインが垂れて、線を引く。肌の色はしろ。かすかにきな粉くさいファンデーションを、執拗になんども叩きつけられ、塗りこめられたそれ、…飛沫。
口を膨らませて、すぼめて閉じられた唇のはしからこぼして仕舞いながらも、女は私に、ワインを吹き付けるのだった。顔にまで飛び散る飛沫に、私は目を閉じて、閉じたまぶたのうちに、私は私を食い散らす、ナイーブで、ナーヴァスな、かすかな音を聴く。…しゃく、しゃく、しゃく、と。
なにも、食い散らせはしないのに。むしろ、噛み付くことさえできはしなかったのに。
私の体中を、彼女が吹き飛ばしたワインがぬらしていた。匂う。むせるような、倦んで、熟れた匂い。もはや、ヴィネガーのような酸味を立てているはずのそれの。女は一人で声を立てて笑っていたが、不意に沈黙して仕舞った理由を、私は見ない。
私の眼は、閉じられていて、かすかにしみこんだワインの、小さな痛みに涙をにじませているのだから。
ひざまづいたに違いない女の唇が、わたしのそれの先端にふれた。いつくしむように、唇をだけふれ、半開きのままに、おそれたように舌をはふれない。
いつも、誰かに、あるいはなにかに教わった、穢い音を立ててしゃぶりつく、馬鹿げた流儀でしゃぶりつくものなのに。
…年取ってから、
唇が、ゆっくりと、
覚えたの
下腹部の皮膚を上昇する。ただ、
えろい?
かるく、寄り添うように触れるだけで。女のかみの毛の醗酵した臭気が匂う。汗と酒気を含んだ。ナイーブな音が、私を食っていく。ナーヴァスな音を立てながら。
彼女の体にはふれない。私は目を閉じたままに、ひざまづき、おろされただけの両手は、なにものにもふれないままに。
唇。胸に這って、両方の乳首を、なんども確認する。ふれるのは、その唇と、彼女の、もたれかかるかみの毛だけ。
そして、吐かれたなま暖かい息。
みぞおちを、喉を。そして顎を這いかけたとき、溜まらずに女は舌を出した。
舐める。
やがて、飢えを満たさなければもはや生きてはいけないように、私の唇をもう一度むさぼったとき、私は、この女がすでに私に愛されてなどいないことを、知りすぎているほどに知っていることに、何度目かに気付いた。
もっと、と、想う。
見ればいいのに。
もっと。
求めればいいのに。
もっと。
ひざまづいて。
もっと。
自分の魂をさえ崩壊させて仕舞いながら。
たとえば、自分の喉を掻き切っても飽き足らず、地獄の底にまで焼かれながら堕ちて仕舞えば。
もっと。
むさぼればいいのに。
それしかできないのだから。
それしか能がないのだから。
生きている根拠も、生まれてきた理由も、そのそもそもの存在原因それ自体が、愛してもくれずに心に留保なき軽蔑をしかもってはくれない私にただ焦がれて、憧れて、求めて、慕い続けて、そして壊れていくことでしかあり獲はしないのだから。
私の閉じられた眼は、何をも見出さなかった。何を見見出さない、閉じられた眼差しの中の、まぶたごしにかすかに明滅するのは、光の、その穏かな残像。
その向こうに、女の息をひそめた眼差しが私のからだを見ていて、愛して止まないもの。ただ、欲しくてしかないもの。彼女は見つめ、そして、触れようともせずに、私の眼差しがふたたびひらいて、むしろ彼女を奪って仕舞うことをだけ、求める。
夕方の6時、その日の空は焼けなかった。曇っていたから。5時あたりから急激に雲を知り始めた空は、南のほうから黒ずみを曝した雲の群れに支配され、ときに小雨をさえ降らせた。
夕方は、ただ、ゆっくりと光を失っていくだけに、その光の色彩の変貌をとどめる。
それは別にそれでいい。夕焼けの空は、好きではない。
ナムがひさしびりに私たちのうちの裏道に、彼の白いスズキのバイクで乗りつけたとき、ミーは出て行ったままだったし、フエは相変わらず寝ていた。いつもの、眠りに堕ちてあること、それ自体が苦痛以外の何ものでもないのだと、そんなたたずまいを、その折り曲げた全身に曝して見せながら。
ひさしぶりだね
笑いながら、彼の不意の
Long time no see
訪問に、開かれたシャッターに凭れて私は
Lâu rồi không gặp
手を振って、今日帰ってきたばかりだと
久しぶり
ナムは言った。ナムは、私と同じ年で、インドに1ヶ月ばかり出張していた。若い頃、ロシア、当時のソビエト社会主義連邦という国に留学して、発電技術を学んだ。故国は中国だかカンボジアだかといまだに戦争をしていた。いま、中国の企業と、その安価さを根拠としてメインに、ときに、日本の企業と、その技術的な正確さを根拠としてサブに、技術協力を受けながら、ベトナムのあちらこちらに発電所を作って回っていた。その現場管理が彼の仕事だった。そして、要するに現地の技術者たちと、仕事が終った後に飲んで騒ぐのが。
英語を専門的に勉強したことはない。私と同じように。日本語はそもそもが読めもしないから、結局は私たちはむちゃくちゃな、想いつきの英語文法で、でたらめな会話を繰るのだった。
今日は何の日か知っているか?
知っているよ。…と。4月30日。サイゴン陥落。その40数年後の記念日。初めてベトナムに来たときの4月30日は、ちょうどその40周年だった。しかも、そのサイゴン、…そのちょうど40年前の日に、ホーチミン市へと名前を変えた、旧南ベトナムの首都に住んでいたから、町の中心部はお祭り騒ぎだった。とくに、フランスの植民地だった頃にフランス人たちが、菜食日さえある根強い仏教国に作って仕舞った、聖母マリア教会の周辺などは、でたらめなほどに。
フエと、出会ったばかりだった。フエは、私が協力していた、縫製会社の海外出店のコンサル仕事の、その現地法人のアカウンターだった。いまは、やめて、もっと大手の、日本の貿易会社のアカウンターを、していた。
会社に、日本人が来たとき、はじめまして、と、日本語で挨拶したら、本気で驚かれたといった。
夫が、日本人なんです。
おとわにほんでぃんえっ
そう。…すごいですね。
喜んでくれた、と言って、私に喜んだ。その現地法人に日本語が出来る人間など一人もいない。結局のところ、日本語を教えたところで、まともな会社に就職するためにはなりはしない。英語と専門能力しか求められない。
日本語をどれだけ勉強したところで、価格価値の格差にもまれて差別的なバイトに明け暮れるために日本に留学するか、日本の地方の下請け企業に《有償奴隷》として買い叩かれるか、それ以外には展開のしようもない。あいうえおさえもまともに知らない人間たちが、一流企業の現地法人の、その管理ポストを占めて、かの、世界一習得困難な言語を、外国人のくせに無理やり習得した人間たちには、《奴隷》にでもなるよりほかにない、そんな、容赦もない理不尽なねじれが、彼らを襲うことになる。そして、私もそのねじれの一端の中に巣食って、いまだに持たざるものたちのなけなしの金をふんだくりながら、《奴隷》になるための教育というものを、施しているのだった。
かの国の、自国語しか離せない類の人間たちに愛されるための、最低限度の礼儀作法を教えなどして。まるで、奴隷に下僕服の上品でエレガントなな着方を教えようとしているかのように。国際倫理公認の、留保なき《奴隷商人》たち。
Trơi ơi...
と。ナムは、
マジかよ
私が4月30日の意味を知っていることに、大袈裟に驚いてみせ、サイゴン陥落。ベトナムでは南部解放、それは、その日に南ベトナムの首都サイゴンが陥落した、という意味をは表さない。実際には、サイゴンおよびサイゴン政府など、その日にはすでに陥落していた。崩壊し、政権としての実体さえなく、アメリカに見棄てられた後の戦後処理に終われていたと言っていい。殖民地以下の存在根拠しかない、冷戦戦略上の単なる傀儡国家が。4月の始めにはすでに、実質的には決定して仕舞っていた戦争の、戦後処理と撤退だけが、在留米軍をも含めた彼らの仕事のほとんどすべてだった。
名目としては、未だに終戦をは宣言しない中での、一ヶ月をかけた、ぐだぐだでへろへろの完全撤退への猶予。敗北の確定へと至るしかない、すでに敗北して仕舞っていた彼ら、南ベトナム人、ある意味で、二重に《故国》に見棄てられて仕舞っている人々。その軍人、民間人、そして米兵、民間アメリカ人、韓国兵、彼らが見た、約一ヶ月に渡るいつ唐突に終るとも知れない、信用の一切出来ない猶予の風景は、どんなものだったのだろう?日本の8月15日とは、全く別の風景のはずだった。もう終っている、しかし、まだ、終ってはいない、のだ。
日本の8月15日に、一気に起こった旧・大日本帝国の完全崩壊は、もはや国家が存在しないと言うことであって、同じ一つの国が戦前と戦後の変化を体験したなどとは言獲ない。それはひとつの国家の留保なき消滅と、新国家の樹立に他ならない。連続性など何もありはしない。天皇でさえも、同じ天皇制のもとでの在位ではない以上、新天皇制が新たに擁立した、単なる新しい君主の即位にすぎない。同じ天皇が人間宣言をしたなどとは言獲ない。人間宣言を許に、新しい王は即位させてもらえたのだ。
そうした、容赦もない断絶を経験しなければならなくなるまでの、その、一ヶ月に渡る猶予。
サイゴンの外には北ベトナムの戦車隊が待機している。4月30日、シグナルコードの《ホワイト・クリスマス》をかき鳴らすラジオが鳴り止まない中に、米兵たちは完全撤退し、頃合を知ってから、誰もいないサイゴンに、北ベトナムの戦車部隊は突入する。そんな日の、記念日。
フエをは、起こさなかった。
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