小説《それら花々は恍惚をさえ曝さない》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作…世界の果ての恋愛小説⑨









それら花々は恍惚をさえ曝さない。

…散文









《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。

Prelude in A mainor, 1913, Joseph-Maurice Ravel









蘭陵王/小説













フエ。

ミーを立たせてふたたびひざまづき、メイクの修正をほどこしてやるフエ。美しい女たち。装われた女、留保なく、自分たちが女であると言うどうしようもない真実を装って表現しつくす女たち。ミーが、私のからだの上にその幼いからだを曝して、腰を使う。それが、夢だということには、すでに気付いていた。

あの時、メイクをもう一度施されなおすミーを見やりながら、不意に鳴った Line の無料通話の、向こうで、困り果てた顔をした美沙子の、老いさらばえた顔が、斜めにさした日差しの、画面を反射させた白濁の中に、

…地震よ。

顰め声で言って、すぐさま鼻にだけ笑い声を立てた美沙子の声には、なぜか軽蔑し、嘲笑うような気配があった。

白い肌が、色彩を失ったままに、私のからだは快感をさえ、あるいは、そのそもそもの触覚それ自体をさえ、発動させない。自分勝手に、ミーは腰を降るしかなく、彼女の顔は見えない。

ただ、色彩をなくし、暗い、彼女のそれは、私の眼差しを拒否しながら、関西よ。

美紗子が言った。

こっちもいっぱいゆれたよ。となりだからな、すぐ、と、諦めはて、軽蔑しきり、挙句嘲笑し、生まれてきたこと、それ自体を後悔させてやりたい、そんな欲望に突き動かされたはずなど無かった。そんなはずは、と、戸惑いを曝す私を、ミーは考慮しない。

穴を空けたように、開かれきった口が垂れ流すのは、鮮烈な血の色彩、…赤。

私は、彼女に壊される、上に乗ったミーに、彼女、私が壊して仕舞った残骸。…こっちも、と。

土砂が崩れたばかりよ。もう一度。

台風のせいで。

あのあと、すぐにね。

…美紗子。美紗子は水平に、血を流す。

静かに、ものも言わずに。

凄惨なまでの、日本の自然。叩き潰し、なぎ倒し、破壊し、破滅させ、それを繰り返しつづけなけば気がすまい、その。理不尽で、無慈悲で、容赦もなく、絶望的であること事態を、ただ恍惚として曝し続けるかのような。

ただ、過酷でだけあろうとする。

じかに、私の唇に触れたそれが、誰だかは知っていた。色彩の無い、彼。

両目から、血を流す。色彩。

冷酷なほどにその鮮度を誇る、その色彩、それは赤。見事なまでに、ただ、醜悪な彼。

もはやかたちを留めない、たんなる昏さ。

穢らしい、その。

目を背けることさえできずに、私は、朽ちかけの。

腐りかけの。

ボロボロの。

悲惨な

汚穢そのもの。

永遠に穢いもの。

破滅した。

原型さえない。

無慈悲なまでの。

ただ昏いだけのあなぼこで、色彩もないままに、決してその姿を曝しはしない、彼。

止め処も無い、両目の血。開かれた口からは、そして、それら、血。その、色彩。

私。

それは、色彩を喪失した私にほかなならない。

私はただ、昏く、彼は私を見つめもしない。昏いばかりのその、私を見つめるしかないその眼差しは。血の色彩の鮮度だけが、あまりにも鮮やかに私の眼差しにふれた。

あなぼこのままに、私はそこに停滞し続ける。

匂う。

傍らに添って、なぜていたはずの手のひらはいつかその目的と営みをさえ忘れて仕舞って、もはや私の腹部のうえに添え置かれているだけにすぎない。たんなる、やわらかい重みとして。

やわらかい、息遣う腹部の上に。結婚式の物音。騒音。ミーはビールを口にしなかった。何人もの《盗賊たち》が、…彼女の、…彼の?、違法なお仲間たちがかわるがわる彼を取り囲んで、媚をうり、はやしたてもし、…たとえば。

美しい、と。そのあまりに無慈悲な残酷さを眼差しに突きつけて、留保なき絶望として、眼差しを泳がせて仕舞うしかない、それ、…美しさの痛さ。

痛ましいだけの。とは言え、それは彼が短髪だから、と言うだけに過ぎない。彼に、すくなくともその時の彼に、悲劇性も、悲痛さも、残酷な何かのきらめきも、そんなものなどあったはずもないのだった。捉えられるべきだったのは、結婚式に、珍しく着飾って見せた十六歳の、トランスジェンダーか、同性愛者の少女が微笑んでいる、という、そんな風景にすぎなかったが、そして、眼差しが捉えるのはどうしようもない、痛み。私が血を流す。

鮮やかな、色彩を、純粋な鮮度としてだけ静かに、音もなく。

撒き散らしていく。空間に。ゆっくりと。時間を嘲笑うように。徒刑囚のようなミーの、突き立った短髪に、日陰のやわらかい光は差しつづけているのだろうか?人々の、もはや祝福をなど、その目的も営みも、完全に忘れて仕舞ったパーティの声の連なりのざわめきの中に。

その先端を、白くきらめかせて。

腹部に添え置かれた手のひらが、そっと、…まだ。

おきないで。

まだ。胸に、すべって上がる。そのままに、と。

なぐさめて、ささやくようなその手つきに、華奢なその触感。どうしようもなく、へし折れそうな。不意に手のひらにつかんで、かたく握って仕舞ったら、一瞬でつぶれ、鮮血をだけ撒き散らして跡形もなく、消え去って仕舞う。…かも知れない、そんな。血。それを、握り潰した私の手は、それをかたく掴みとることもできないままに、結局は鮮やかな血の色彩にだけ、染まるしかないのだった。

私が血を流す。

一筋のその赤い色彩を流す、その見開かれたまんまるな眼差しはただ、昏い。どうして、…と。

想う。見開いているの。

無意味なあなぼこを、ただ、あなぼこにすぎないあなぼこが。

何も、もはや

なにも

いないのに

あなたは

何も

いまや

見ては

何も

もはや

見ては

何も

もう、…

いないのに

もはや、

寂たる、…

眼差し。何か言って御覧。

そうやって

血ばかり

流して

いないで。指先が、喉仏をくすぐる。やわらかくふれ、それがその形態を確認していることは知っている。華奢な、なぜ、と、…どうしてそんなことするの?

そう、確認して見たら、その指先は答えられるのだろうか?なにか、たった一言でも。為すすべもなく、戸惑いを曝しながらでも。むしろ、留保もなく沈黙して、顎をなぜる。

指先の、ゆっくりとした上昇。愛撫、というもの。

指先が愛撫する、ということと、指先が確認する、ということの、容赦もない差異を知る。それは、あるいは、皮膚は皮膚にふれてなどいないのかもしれない。ゆっくりと、その皮膚の触感を知って仕舞うだけなのだった。

指先が、一瞬のおどけたようなためらいの震えを、まるで不意に立てられた短い笑い声のように感じさせたその直後に、触れたのは唇。私は目を開けた。

傍らに、ミーがいた。斜めに差し込む翳のなかの光に、その形態をやわらかく昏らませて。

表情をなくして、頬杖のままに私を見つめながら。傍らに。ミーは、ただ、呆然として。なぜ、彼女は。

訝る。…そんな表情を曝す必要があったのだろう。野生の、すき放題の彼の生を、投げやりなほどに自由に、ただ、濫費するだけの存在なのに。指先は、唇に触れて離さない。

眼差しも。









向こう、パーティの騒音のほうを伺いもせずに、そのまま私に口付けた。自分の添えられた指先ごと。ブーゲンビリアに、手を触れることはできない。

そんな事は知っている。私は、なにもできないままに、画策し続けたのだった。

それらのただ停滞するだけの散乱を燃やし尽くして仕舞うことを。なにもすべがないばかりか、そもそもの手足さえもがもとから存在などしていなかったことは知っている。

あるいは、私など生まれたことさえあったのだろうか。なんども生まれ変わり、なんども喪失された記憶の中で、その繰り返しの現実さえもが無効化され、でるならば、なんども、生まれ変わることにいったい何の意味があったのだろう。私は、一度たりとも私の生まれ変わりとは出会わない。自分の体臭も、自分の体温も感じ取れはしないように。生が、死をは決して体験し獲はしないように。

なぜ、理沙はなんども生まれ変わって、惨殺されなければならないのだろう?繰り返し、何の必然性もなく、何の罪もなく、何の記憶さえなく。理沙にとって、それは単なるひとつの固有の死に過ぎなかった。

ミーの、あの、雨の日の残酷な死も、結局は

決してふれ獲ない

忘れられて、彼女自身のなかにさえ、その

永遠に体験され獲ざるもの

痕跡すらのこせない。せめて、…と。

想う。燃え上がって仕舞えばいい。あざややかに。未生の者たち。永遠に、生誕する直前に漂い続け、その、鮮やかな色彩のきらめきをかすかに明滅させ、変化させてやまないそれら、花々。

燃え上がって仕舞えば。…ブーゲンビリアの、燃え上がって仕舞えば、炎。

果てまでも、焼き尽くすことさえ出来ずに、永遠に燃え上がって仕舞う。音響さえないままに。見つめられながら、…私に。そうすれば、私は。

血を流す。

言葉にふれることもできない、私はただ昏く、血を流しながら、何をも見出さない眼差しは私を見つめていた。言葉もなく、見つめていたのはいまだに見開いていたままの、私の眼差しが捉えた、薄く目を閉じたミーの、至近距離の、その。

色彩。いままで日の光にあたったことなどないのだと、そう確信しているかのような白さ。ラインの引かれた、濃いまぶたの色彩。描かれた顔。黒く、そしてかすかに褐色めいて黒く、描かれた、そして、光沢のあるまつげがふるえる。

ときに。

ときどき。

たまに。

ふいに。

長い、唇と唇が、ただ、そっとかさねあわされただけの口付け。まるで、無意味な。あるいは、口付け、と、そう呼ぶことさえためらわれなければならないかのような。何をも生み出しはしない。新しい命さえも。

わたしたちは口付けていた。

やがては離された唇はかすかに脱力されたままに、そしてミーが見つめる眼差しにはただ、留保も無い絶望だけがある。何に望みを立たれたのでも、何に、何かを救って欲しい、そのすべが明確に目の前で明白に立たれて仕舞ったその悲しみの事実を抱えたわけでもなく。

ただ、絶望する。

もはや、眼差しは絶望としてしか、なにをも見出さない。見つめられた私は、彼を見つめるしかない。美しい、ミー。

声を立てて、ミーは短く笑った。不意に身をひるがえし、勝ち誇ったように振りかえり、アオヤイをひるがえして。

最後に、私を微笑みのうちにもう一度見つめ、なんどか繰り返し私に振り向きながら、パーティの方に立ち去って行くミーを見る。


Line で美紗子が私に送ってきたのは、彼女たちの家の周辺の、自然災害の画像の10枚近くだった。見馴れているといえば見馴れていた。雪崩込んだ土砂。崩れて、薙ぎ倒して、土の色、…やがてはそれに帰るのだと言われ続けるところの、その土の色そのものが、それが破壊した樹木も河も家屋も、そのことごとくに比べて明らかに醜悪で、美しいという感性自体にいまだかつてふれた事などない色彩を曝していること。

氾濫する川は、なぜあんなにも穢らしいのか。それはたぶん、土の色に染まっているからだ。崩れ、罅割れた山の傾斜が、なぜあんなにも穢らしいのか。それはおそらく、隠されていた土の色彩が、無防備にも曝されて仕舞ったからだ。いずれにしても、遁れようもなくも壮大な破壊の風景。…あるいは、すべてが、かならずこそに帰還しなければならないところの、留保なき破壊と壊滅。美しくも、大いなる海さえもが、その美しさ、大きさそのものを曝しながら、時にはすべてを破壊しつくす。

大変よ、と、キャプションを添えて、そして、最後の一枚は介護ベッドの上でピースサインを曝す、もはやまともに言葉も話せなくなった父の、満面の笑顔だった。…あいかわらずげんきです。と、短い平仮名だけのキャプションに大量のうごめくスタンプを添えて。パーティのざわめきは、静まりつつある。

そして、まだ、続く。午後、一時すぎ。まどろむのに飽きて、起き上がり、庭に出ると、素手でさわる日差しが、日翳とはいえ不意にまぶしい。細められた眼差しの向こうに、私に気付いて振り向いた数人が笑い声をくれるが、知った顔はもちろん一人もいはしない。

フエとミーは、花嫁を取り囲み、ミーの傍らに寄り添って、彼の恋人は背後に立つ。…ハン。彼女たちに囲まれた花嫁は、飲まされた数杯のビールに、胸元を桃色にまで上気させた。庭の、敷かれたコンクリート地の上に、野菜のクズと吐き棄てられた牛骨の破片と飲み干されたビールの空き瓶が転がされて、歩くたびに足に触れる。床に、そのまま転がすのが、此処では作法だ。それが美しいか、正しいか、そんな事は私の知ったことではない。私は異郷の人間に過ぎない。ある意味において、故国を棄てた、自分勝手な亡命者が如きものだったとしても。

であれば、なおさら。

亡命したものは、常に、どこにあっても異郷の人間である、と言うことだったのかもしれない。そして、そうなりたかったには違いない。フエが私を振り向きもしないままに、近づいた私の手首を握る。

おかえり

声。

あなたがいるべき場所は

無数の。

ここ

もう、残っているのは十五人ばかりしかない。彼らのすべてが、《盗賊たち》であるわけではないのだろう。単なる友達もいれば、ひょっとしたら、親戚の人間だっていたかもしれない。いずれにしても、フエは不意に私を振り返って、大丈夫?

飲みすぎたの?

眼差しが私を伺う。花嫁は盛んに、膨張色にいよいよ肉体の豊満さを、無様なまでに強調しながらミーに何かを語り続けていた。まるで、年上の男性の友人のように、ミーはそれを聞いてやる。澄んだ眼差しがある。ミーの、それ。知性をなど、一切感じさせないままに、英知も何もないただ澄んだだけの眼差しが、花嫁を見つめる。やわらかい笑みだけを浮かべて。顔を包帯でぐるぐる巻きにした、あの犠牲者の男が私に新しいグラスを差し出すと、フエがあわてて拒絶した。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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