小説《silence for a flower》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作:Ⅴ…世界の果ての恋愛小説⑥
silence for a flower
…そして、48の散文。
《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。連作:Ⅴ
Prelude in A mainor, 1913, Joseph-Maurice Ravel
Οἰδίπους ἐπὶ Κολωνῷ
外気が侵入して、解放された空気がそよぐ。解き放たれて。その、閉ざされた空間で過ごしたの夜を通した停滞から。
すべて、扉が開け放たれて仕舞えば、日差しは私のからだの上にさえ、自由に侵入する。
…光の温度。
#24
フエが、自分勝手に服を脱いで行った。
想いつくままに、あばずれめいて、好き放題に戯れてみせながら。
床に、ひとつひとつ放り投げて。
少年が帰って来たに違いない。
フエの背後に気配がして、フエに何か話しかけ、笑い声を立てれば、少年は庭に出て行く。正面の庭。広大な敷地に樹木が茂って、向こうに河が見えているはずだった。その見飽きた風景。
はしゃいだ笑い声を立てながら、フエが私の衣服を剥ぎ取っていくのに、私は逆らいはしない。
#25
ミーはココナッツの木の庭先で立ち止まると、何をするでもなくそんな事実などあるはずもないのに、それを生まれて初めて見たかのような眼差しを差し向けた。そのありふれた樹木に。
日差しの中に。…朝の。
何時?
8時にもならない、まだ。…その朝の光は急激にその鮮度を失う。いつものように。私は好きだった。朝の、早い時間。もっと。夜と、朝の、切れ目の。
境界線をまたぎさえした、そしてフエが何か、声を立てた。私のからだの上にまたがって。
自分のからだの褐色の、外側のすべてを洗いざらい曝してみせながら。
仏間。広い、無意味に広いその空間の中に。
#26
フエが微笑む。眼差しは庭に投げ棄てられる。
彼女の、その、笑みを過剰に含んだそれは。
からだに感じられた、彼女の体重。そのまま、私に身をあずけっぱなしにして。
ミーを、その眼差しは捉えていたに違いなかった。不意に家屋に紛れ込んだ猫を見留めた程度の、その、かすかに表面にだけふれるようなそれ。彼女の眼差し。崩壊する。
私の眼差しの中で、私が好きだった、朝の鮮度。
光の。
#27
夜の、さまざまな色彩のグラデーションに引き裂かれながらも、あくまでも単一のものとして統一されてあることを、飽かず
矜持していた色彩が、朝焼けの色彩、…紅?とは、どうやっても言い切れはしないその、無残なまでの色彩の、鮮やかな混濁。それに叩き潰され、
蹂躙され、
破壊され、
惨めな敗北を曝しもはや維持できない自分の固有の色彩を名残として、だけ、そこに。
それは露呈させて仕舞う。眼差しに映るのは、朝の
その、夜を引き裂いた、いずれにせよ二つの時間の共存する無造作な破滅。
#28
それは、無慈悲なまでに残酷な色彩だった。目の前にただ拡がった、その。
朝焼け。
夜の、見事に統一された色彩の無慈悲なまでの崩壊。…朝焼け。私が好きだったそれは、もはや
眼差しの中の地上のどこにもなく、もっと西へ。…もっと。
ただ西へ移動しさえすれば、それは、そして移動しなければならない。その色彩を、いま見出すためには。もっと西に。朝の鮮度を追い求めて?永遠に、西へと移動し続けさえすれば私たちはその鮮度にふれ続けざるを獲ないことになる。笑うだろうか?
フエは。
私がこんなことを言ったならば?
#29
…私が、それを言ったならば。
「行かない?」
Đi
かみの毛が乱れる。
「どこへ?」
Hãy đi
フエが、もがくように乱暴な動きを、曝して。
「西へ。」…どこでもいい。
đi tây
そのたびに。
どこでもいいから、…
からだの上にのった、その
「西へ?」
Go west
フエは、その褐色の皮膚を、もはや朝ではない光に曝す。
「…西へ。」
その、一部、ふれあった腹部の周辺をだけ。
「なんで?」
息遣い。聴く。フエの。
「朝が、見たいから。」いつものように。…朝を求めて。朝を
終らせないために。その
かすかに開かれたフエの唇は、
鮮やかな崩壊を終らせないためだけに。西へと。ただ
なにもつぶやきはしないままに。閉じられさえしなかった
西へと移動し続けたら?
眼差しは見下げられて、捉える。
その、鮮明な崩壊と、壊滅を
私を。
求め続けて。
フエは声を立てて笑った。
…愛。
ミーが、ココナッツの木によじ登ろうとして、そして、ほんの2メートル足らずで失敗して仕舞ったときに。
想い出したように。
フエが、声を立てて笑っていた。
#30
見て。…と。
私を見下ろすフエの眼差しが言う。あの子、
…あの、…
それは、華奢な少年。
何やってるの?…ねぇ。
ね?…と。眼差し、フエの、それが。
少女と言っても、おかしくはない
笑っちゃう。
殆ど筋肉を感じさせないか細い少年。ミー。
なに、するつもり?
明け方の侵入者。
ばかなの?…あいつ
私に傷つけられた、家畜のような盗賊。
笑っちゃう。
フエの笑い声を聴き取った
…ねぇ、
ミーが振り向いて、庭先の光の中でなにかジェスチャーをしたのには気付いた。
私は、彼の事など見もしないままに。その、気配。あるいは微笑んだフエの気配で。匂いたった髪の毛が乱れ、おおいかぶさって、掻き散った。
空間、またはフエの顔、そして、首、あるいは胸元に。
音さえも立てずに、その、空気のふるえだけを残して。
#31
ミーが、止血のために頭に捲いていたバスタオルは、はずれて地面に堕ちている。ひっくり返せば水滴が土をこびりつかせて仕舞っているに違いない。血の赤い色彩を、いまや黒ずませて曝した、その基本的には真っ白のバスタオルは。
#32
ミーという、その、朝のまだ明けないうちのひ弱な盗賊は、結局は飼いならされた子犬のように、もはやそこには明らかに自分の居場所があることを、無言のうちにも容赦なく明かしていた。
立ち尽くしたその木漏れ日の中に。
認識。振って湧いたような。その彼に勝手に認識されて仕舞った確信を、少年は無造作に曝した。
#33
朝と呼ばれるべき必然を失いかけた日差しは、それでもまだミーに、斜めの朝の角度を持って差す。
背後から。
正面西向きの家屋だから。
走り出せ。
そのまま、走って行って仕舞え、と想った。
その眼差しの方に。
走り続ければ、周回後れではあっても
朝の、私に殴りつけられ、蹴り上げられて、なぶりものにさえされた、その時間に回帰することができる。
#34
やがてフエの眼差しが、戸惑った。不意に、…唐突に。
想いあぐねて。
下から、彼女を見つめ続ける私の眼差しに。それにはなんども触れ合っていたにも関わらず、そのとき思い出したように唐突に、まるで生まれてからいままで、そんな眼差しにふれらたことなどなかったのだと。そんな。
曝される、容赦もない、かすかな戸惑い。そして、そらすことさえできずに、フエは私を見つめ、自分勝手に腰を動かして、結局は持て余したように、自分の指先を私の口に押し込んでみる。その、
#35
指先。右の。
いつも、右。右利きの彼女は、頑固なまでに。
何をするのにも。
私の頭を撫ぜるのも。
頬にふれるのも。
髪を掻き上げるのも。
眉をなぜるのも。
自分の顔に化粧を
施すのも。
すべて。
…なぜ?
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