《浜松中納言物語》② 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃二









浜松中納言物語









平安時代の夢と転生の物語

原文、および、現代語訳 ②









巻乃二









平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。

三島由紀夫《豊饒の海》の原案。

現代語訳。









《現代語訳》

現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。

原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。





濱松中納言物語

巻之二

二、稚児の姫君ご成長のこと、筑紫に人々、お出迎えになること。


いまや尼になられなさったかの大将殿の御姫君、これら世上の噂どもをお聞きになられるにつきても、胸もうち潰れて、この日頃、いつであっても、侘しいこの世とは想っていたけれども、御母上の御もてなしを、あながちに背いて出家などして、想いも翳って、よからぬ心地さえして仕舞うこの頃だのに、中納言の御君のご帰国になられたことをまでお聞きになられれば、


果たしても、こうして尼になった今、御君はこちらにお渡りになられることもあるまいよ


と、想いあまられなさっては、少将の乳母に、


もはや、かの大将殿には、あの御方も、いらっしゃられるわけもないのだから、なにも飾らなくてよろしい。

ここにも、いまや人の来訪などほとんどなくなって仕舞うのが理の当然。

このように尼になった人は、おぼろげで、かすかなほどの長閑の住居に引き篭もり居てこそ然るべきものを、そのように御父上にも御母上にもおっしゃって差し上げなさいませ。


と、物静かにもただ恥らわれていらっしゃるのを、《あはれ》にも道理を知らされて、少将の乳母、言う言葉もありはしない。

大将殿の御尼姫は、御君の、


自らがこのような姿ではなくて、在りし日のままに愛おしく御方御身をお待ちしているものとお想いになられられているに違いない、


と、常よりも多くものの想いをかさねられておられるのに、

いずれにしても尼姫がこうおっしゃっておられるのだから、嘆かわしくも、とはいえそうするよりほかに手立てなどなく、その御父宮もその御母宮も、尼姫にただお従いになられて、ひがないちにち、かの人の御形見たる稚児姫を、御中に居(す)えさせられなさられて、抱かれられては、うつくしがられていらっしゃられるのにも、少将の乳母の、尼君の昨今のご心中をご報告さしあげさせていただけば、

それら御君のご帰国のことの次第をお伝え聞いてこのかた、ついに御君のご帰国になられらなさったと、喜ばれていらっしゃられることこの上もないながらも、かの尼姫の御心は、いよいよおし留めなくもお乱れなさってばかり、何を聞くにつけても、涙をだけほろほろとこぼされておいでになるのを、たしかに道理にとも想いながらも心に苦しくご拝見するしかなくて、

御母宮は、


どうしてこのような方に、稚児の姫君などお授けになられましたろう。

どうしてこのようなことになって仕舞ったのだろう、


と、惑われなさられるのも限りなく。

中納言の御君の、派手派手しく想われるのも心苦しければ、むしろ御ことの、我が過ちであったかのようにお想いになっておられなさられるような御有様であれば、生きているかぎりはこの身に添えて、朝に夕にお慕いお世話差し上げようという志と想っておられられるのを、尼姫の、こうも心を想い隔てられておっしゃられるのが、御心に憂くていらっしゃられる。

中納言は東の離れにこそあれば、殊にあるまじき御ことではある。

御母宮は、


今は言う甲斐もない御有様であらせられれば、ただ、御方の言うが想うがままにして差し上げられなさいませ


…とおっしゃられる。

御父君は、


殿のことは奥方に一任するべき事であればなにも言わないまでも、また、尼姫の、ともに御君のお近くに暮らされるのもいかにも憚り多く想われて仕方がないけれども、奥方のそう言うのならば、もて離されて、外に移らせて仕舞うのもよろしくはなかろう。

御君も、稚児姫のお生まれになられたとあれば、無下に御便りを差し上げないわけにいくまい。

いずれにしても、そうは言うとも、御君に、姫君のことなど知らせぬことにして仕舞うわけにも行くまいことから、今はただ、御方々のなされるがままに任すのいちばんよかろう。

さすがに心を立てて、まるでその御子のいらっしゃられないようにさえ、人に知られもせず気付かれもせず、もはや見棄ててあることこそは口惜しいことだ。

深く想いやり、心深く想って、ただ少々の世間の非難や謗りやそれらはあるに任せてのどかに心おちつけて人の世のなすがままに、そうすれば、いつしかに罪も消えて、なにごとも丸く収まって仕舞うものに違いなかろう。

さすがなる、人々の賢しき心らの気はどこまでつよくて、もろもろの俗世の仕業の差し出がましいがばかりに想われるばかり、御君のご帰還かなってみればさまざまに、ことはさらにも乱れもするだろうか


と、あるいは、


いかにも、これらの御有様を何としたものか


…など、嘆息交じりに覚えられなさっておっしゃられなさるのだが、


實に、そうでございますこと、


…と、少将ん乳母も、恥ずかしくさえ想えられれば、その御前を立つときにも、御二方の、近く参られて人も聞かないところにて、いかに消息したものだろうかと、ゆかしげにお問いになられにおなりなのも、心苦しく《あはれ》にばかりいらっしゃられなさって、

宰相の君の御許の御前の方々も、稚児の御姫君をお引き寄せさせていただいて、お逢いさせていただけば、かいま見るだに、さしあたりの憂さも辛さも名残りさえなく忘れられるばかりにあらせられて、

心深く《あはれ》に、浅からずつつしまれていらっしゃられて、


尼の姫君の、この世を棄てた道に馴れ親しんで、もはやへんになおざりの俗世のお頼みごとなど、ことよく言い続けてよい方ではいらっしゃられないのは当然ながらも、

無下には浅からぬかかわりのある人である以上、憚る言の葉のいくつかでさえも、この世にあればそのうちには交わさせて差し上げたいものだ


と、このまま棄て置くにはあまりにも忍びなく想われられて、

かの大将殿の姫君の、尼になると思い立たれたことすぐさまの、その、想えばあまりにもお考えもなく御心幼さなくさえ想われるのが、心に憂くさえ想われているのだった。

御父君、御母君のおっしゃられなさられたこと、その御たたずまいのほどなど、尼の姫君にお伝えしてさしあげれば、


浮世を見も聞かずも離れて仕舞った我が身の上ながらも、さばかりにも想い世を離れてみた甲斐もなく、所も変えずに旧所にかくてあるのだけれど、

御父宮のそうおっしゃられるのは誠であられようとも、その御奥方はそうでもなかろうよ


と、涙もこぼされて心憂く想っておられるけれども、こうも常日頃、言葉を交わしあっているということに、むしろこの世から離されきったところなどありもしなければ、離れて逃げて隠れて仕舞うのも逆に疎まれてはてるには違いなく、この限りなくある命でさえもが道理もなく想われていさえいらっしゃられれば、山の梨の花の心憂き(注:1)というのを思い知らされなどして、

その一方に、御母宮はいままでの年月の降ったのに飽きたはてた息苦しさの感ぜられる心地して、御帳、御几帳の帷子をはじめ、女房、下仕えの装束にいたるまで、つくろいなおして改めてみられなさるのだった。

我が御装束、夜のこれ昼のそれと、この年頃よりも、世にもなき色合いにもと想され急いであらせられる。

この頃にも、中納言の御君の、かの国より御送りを従えなさられてご帰国なされられたと御帝にも知らされられなさられて、かの国へ賜るべき御志、贈らせ差し上げるべき黄金など千散にもあまらせるほどちりばめられなさられて、筑紫への御使いに、容貌のみならず、才などでも秀でておられる左大臣の御子の、権の中将なる人をお下しにおなりになられたのだった。

筑紫には、中納言の御君がお着きになられておはします。太宰大弐を始め国々の司ども、こぞって待ち喜びご歓迎差し上げていただくのも限りもない。

御迎えの人々、そして、中将の乳母も、昼夜分かたずはせ参じて参っていらっしゃる。かつてないがほどにも、ただただ恋しくてどうしようもないとまでに想い惑われていたその焦がれた御有様を、ついにご拝見させていただくにいたっては、その嬉しさにまずは物も考えられぬが程に掻きくれているのを、御君も珍しく稀なことにもお感ぜなられられて、かつての凜として若やいでいたこの人の、この年頃、年中もの想いにふけっては昼夜わかたず昔をのみ想い歎き泣いてばかりいたもので、ひどく痩せて衰えて、顔つきでさえも変わって仕舞ったように見えてお仕舞いになられているのを、御母宮にあらせられても、かくのごとくにおわせられるのだろうものかと、《あはれ》とばかり御覧じでいらっしゃられるのを、御君、若君の御ことをお忍びなさられになって、殊にかの国の御后の御腹とはけっしておっしゃられはなさられないままに、


かの国ありしときに、想いも寄らずに、想いも寄らないことの次第のはてに、このような御子を授かって仕舞ったものを、見棄てて棄て置きはてるのも《あはれ》であれば、御母なる人は引き放たれ難くお想いになられられていらっしゃられたものを、此処までも率いて来たもの、

自然のこととして、生い立ちその出生因果の、行く末には隠れなく顕らかになろうことは当然ながらも、いまはせめて、異郷の地の異様の契りの御子であること、しばらく人には知らせないでおこうと想うのだが、

荒々しき男などの中にのみあらせて仕舞っては、このことのしばらくがうちでも内密にしておくことなどできようはずもなく、だから、此処であなたに預けておこうと想って、此処まで迎えに来させたのだよ、


と、おっしゃられになられて、抱きかかえられなさってみせられなさるその稚児の御有様、大将殿の稚児なる御姫君を、もはやこの世にかつてなくこのうえありはしないものに想って差し上げていたその人でさえも、その目に映る御愛でたさ一向に劣られなさるということさえなく、まさに匂い立たれるがほどであらせられなさって、御君の御ことを写してはてたようでさえあらせられなさる。


乳など御口に含まれられもなさられなかったろうに、いかにして男らだけの中にてご成長なさられなさったものか、なににつけてもこの御色かたちの、つゆもわずかも痩せ衰えさせてはいらっしゃられないことよ、まずこれにつけてもそら恐ろしいがばかりにありえない御方、かくては此の世の御方にはあらせられなさられずに、佛などの変生なさられなさったものに違いなかろう、


となど、言っている。

中将の乳母は、御気色ただただ麗しく、浅はかな世の浅はかなものなどではありえないさる稀なる御方の御名残りなのであろうかとも、ご拝見させていただく。


(注:1)古今六帖《世の中をうしといひてもいづくにか身をはかくさむ山梨の花》





《原文》

下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。

なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。





濱松中納言物語

巻之二


尼姫君、これを聞きたまふにも、胸うち潰れて、年ごろもつきなき住拠(すみか)と思ひつれども、上の御もてなしを、あながちに背き渡らむも、思ひ隈なくさま悪しき心地しつるに、おはすと聞く聞く、かくてあらむが便なくもあるべきかなと、思し余りては、少将の乳母に、かの殿にもはやおはしぬべかなれば顕證(けんそう)ならむかし。此処にも、今は人しげからむ事はいとつきなかるべし。かゝるさましたる人は、かすかに長閑(のどか)なる住居(すまひ)にてこそよかるべきを、かやうに殿にも上にも申しなせかしと、尽きせずうちはじらひ給へるものから、哀れに道理知られて、宣はするをいかゞはせむ。かゝらむ御有様にて、待ちつけ奉りたまへなど思はましかばと、常よりもいみじう物を思ふに、いとゞかくのたまはすれば、うち泣かれて、實(げ)にさも思し召しぬべき事なれば、殿も上にならひて、児(ちご)姫君を御中に居(す)ゑ奉りて、抱きうつくしがり聞え給ふに、かうなむ思し召されたる御気色にてと申し出でたれば、殿は帰り給ひぬとうち聞き給ひしより、嬉しながら、今一かたの御心乱れ勝るに、これを聞き給ふにつけても、涙のほろほろとこぼれ給ひぬるを、道理にいとほしう見奉り給ひて、上なぞなどてか此方(こなた)にかくて物し給はむ。顕證(けんそう)に思されむ心苦しう、我があやまちのやうに見奉る御有様なれば、生きて侍る限りは身にそへて、朝夕見奉らむをだに志と思ひ侍るを、かう猶おぼし隔てて宣はするが心憂きなり。中納言は東(ひんがし)の対(たい)にこそ侍らめ、更にあるまじき御事なり。今はいふかひなき御有様にて、唯聞えさするまゝにて物し給へとのたまふ。殿はいかにも上に任せ奉る御事なれば、ともかくも宣はせねど、實(げ)にひとつにおはせむ事は、さも憚り思されぬべき事なれど、上のかうのたまふを、せめてももてはなれ、外にうつろひ給はむも便なし。児(ちご)姫君ものし給へば、無下に便りなき事にもあらず。さはいふとも、姫君などをいさ知らずと、おぼめき給ふべき御事にもあらじと思せば、今は唯この御おもむきのまゝに、おはせむぞよからむ。さすがに心をたてゝ、おはしますまじきやうにさへ、人に見え知られ給ひにしこと、口惜しき事なり。いみじき思ひやり、心深きながら、唯せうせうの世のもどき謗られ、いたうたどらずあるに任せて、おいらかに人のもてなすまゝに、いと深からざらむは、罪も消えて、こゝしうらうたかるべきわざなり。さすがなるさかしら心のきは高く、さいまぐれたるやうなる、帰りてはうたてありやなど、この御有様を、尽きせずいみじと覚えて宣はするも、實にさる事と恥しければ、御前をたつきにつきて、おはして、人聞かぬ処にて、いかに御消息はありやと、ゆかしげに問ひ給ふも、心苦しう哀れにて候ひつとて、宰相の君の許なるも御前なるも、引きそばめて御覧ぜさすれば、うち見るに、さしあたりたらむうさもつらさも、名残なく忘れぬばかり、心深く哀れに、浅からずかきつくろひ給へるを、この道にしほじみて、偏に等閑(なほざり)のため言の葉など、ことよく言ひ続け給ふべき人にもあらざめるを、無下に浅からむに憚る言の葉をば、世にあらばかい給はじかしと、うち置き難う見給ひて、いとゞ滞りなう思し立ちたる御心をさなさをぞ、いみじう心憂く思されける。殿上(とのうへ)の宣はすること、姫君に聞えさすれば、憂き世を見ず聞かず思ひ離れなむ我が身ながらも、さばかり思ひ離れしかひなう、所もかへずかくてあらむよ、猶上こそはさ宣はすとも、殿はげにさてあらじと思されよかしと、涙こぼれて心憂けれど、かばかり常に言ひ合せ給ふに、あらぬ所はなきものから、出で離れ逃げ隠れなむも、いとどけしからず疎まれはてられ奉らむも、限りあらむ命の程は、理(わり)なう思さるれば、山梨の花の心憂きを思しいるに、上は年月の胸あく心地し給ひて、御しつらひ、御帳御几帳の帷子を初め、女房下仕(しもづかへ)の装束に至るまで、つくろひたて給ふ。我が御装束、夜の昼のと年頃よりも、世になき色あひにと思し急ぐ。これにも心ことにやんごとなき人々、かの国より御送りに渡りてと、公にも聞し召して、志おくらせ給へき黄金(こがね)などちゞにもあまりて、筑紫へ御使にて、此の頃容貌(かたち)のみならず、才(ざえ)などたらひたる左の大臣の御子の、権中将なるを下させ給ふ。筑紫には、中納言おはしまし著きぬ。大弐を始め国々の司(つかさ)ども、挙りて待ち喜び聞えさせたる様なども限りなし。御迎への人々、中将の乳母、夜昼わかず急ぎ参りたり。年比恋しう理なしと思ひ惑はれつる御有様を、うち見奉る嬉しさにも、まづ物覚えずかきくらしたるを、君もいと珍しう思さるゝに、いと清げに若やかなりし人の、この年比物おもひに、夜昼昔をのみ泣きければ、いたう痩せ衰へて、まみなどもうちかはりたるやうなるを、上もかやうにおはすらむと、いと哀れに見給ひて、若君の御事を忍びて、こときさきの御腹とこそあらはかい給はねど、かの国にありし程、思ひよるまじきあたりに、かゝる人の出で来りしを見捨てむもいと哀れにて、母なりし人は引き放ちにくうぞ思ひたりしかども、此処まで率(ゐ)て来たるを、おひだちの行末、おのづからかくれなかるべき事なれど、外の世に生れたるとは、暫し人に知らせじと思うふに、荒々しき男の中にのみあらせては、このこと暫時(しばし)のかくろへもあるべきならねば、此処にてこれあづけ奉りてむとて、迎へ聞えてしなりと宣はせて、抱き出で給へる児(ちご)の御有様、大将殿の児(ちご)姫君を、世になきものに見奉る人も、思ひ聞えせたるめでたさにも劣らず、さまことににほひいみじきものから、君の御顔もうつしたるやうなり。乳(ち)など聞し召さず、いかで男の中にておはしましつらむに、この御色容貌(かたち)の、つゆも痩せ衰へさせ給はぬ事よと、まづこれにつけてなむ、そが恐ろしきまで浅ましきなり、ねをなむすべてなからぬ、この世のものにはあらず、佛などの変じ給へるとなむ覚ゆるなど宣ふ。御気色いみじう、浅からずおぼしける人の名残なめると見えたり。









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Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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