《浜松中納言物語》⑲ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑲
巻乃一
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之一
十九、三人の女、池に奏でること、琵琶の涙を流すこと。
うちより、三の宮の御君、でていらっしゃられれば、御あそびは始まるのだった。
ただ切なさに、何のものの音ももはや聴こえもしない御心地されていらっしゃられるけれど、今宵が限りならばと御心をお強くお念じなさられて、賜わられて琵琶をお手にとられていらっしゃれるけれども、現(うつつ)の心地などもはやなさられない。
御簾のうちに、琴の音の掻き鳴らされ始められたのは、かの《ひやうきやう》にてお聴きになられられたまさにかの音であった。
やがては御君、この国にあらせられる御方への思い出の形見にでもと、添い慕われて奏でられなさる。
今こそは旅立たんというこのきわに、えも言われずに懐かしく御言葉などおおせになられる御気配に御ありさま、耳にもつき心にも染みわたられて、肝さえ冷えて想い惑われ、さらにはものすらも言うこと叶わなくにこそなられていらっしゃる。
日本に母上を始め、大将殿の姫君の、見馴れたばかりに引き別れることになったことの《あはれ》など、比べられるものさえなくも、心に切なく想われてはおいでであらせられるが、
ましてや、旅に生きながらえば、三年のうちには帰りましょうと、そうおっしゃったものだからと、たびたびに想いかえされてはさびしい心を慰めていらっしゃった、かの方々の胸に、切なさの途切れる暇などあろうか。
であれば、この国に帰ってくることなどあり獲るのだろうかと想われなさるのに、いよいよ、よろづのものの目に留まってばかりで《あはれ》に歎かれられ、御后との出会いからの逢瀬のいつくつか、遠い異国に生きる人とは言え、大方の人々とは異なられた心もこまやかなその御たたずまい、御なさりよう、なににもかににも立ち勝っていらっしゃられて、御みずからの身、かの方の御身、さまざまに乱れがわしくも悩ましいことども出来したこの世の中の、想えば容赦も知らなければ慈悲もないつつましさに、想いを沈められるすべもなければ、恨んで抗うすべもなく、どうしたものかと想い乱れられていらっしゃる心のうちは、千散に乱れて言いようもない。
遠く海に裂かれてかけ離れ、この身を情けなくも忘れて仕舞われたならばいかがしたものか、とは言え、御若君のこともあって、であればたやすくこの身を想い絶たれることなどなかろうとお想いあたられば、心は不意に時めかれて、やがては寂と御心、静かにおしずみになられれば、暮れ行く秋の別れ、ただ、切なさは冴える。
明けて、出発の前日、御帝、春の宮の御方を始め、惜しまれ悲しまれること、かの国を発つときにもやや勝る。
その昼に、かの病を癒された一の大臣の五の姫君のもとより、えも言われずに《あはれ》に悲しく、趣も深い文を作って送られたのがあった。
唐の薄紫の紙にお書きになられた、その文字のつくり筆のさきなど、確かにかしこくも味が深く、奥の隅に、
きっと、いまこそ、いらっしゃる。
きっと、今日こそ、いらっしゃる。
かならず、きっと、いらっしゃる。
そんなふうに愚かにも、お待ちして差し上げることのできたのも
この同じ空の下だったからですね…
もうすでに、忘れてお仕舞いになっているのに。
今や問ふけふや見ゆると待ちつゝもおなじ世にこそ慰めてけれ
才のある人とは聴いてはいたけれども、すべて《かうやうけん》の御方に比べて仕舞われるがゆえにこそ、他の女など物の数でもなくお想いになられていたものの、とはいえ誠に優れて書かれたものかなと御君、驚かれておられれば、もはや旅立ちのとき、別れのときよ、というその《あはれ》も添うて、御返しの文に、添えられたのは、
別るべき後のなげきを思はずば待たれましやは朝なのゆふに
別れて仕舞ったあとの
為すすべもない歎きの深ささえ厭わないと
おっしゃいますならお待ちください
深く、深く、
やがては引き裂かれる肌を合わせておきましょう
明日にはこの国を立って仕舞うからにと《かうやうけん》にお参りになられられたが、今宵は昨夜のような御声をだに聴くことかなわず、涙を流されて留まっておられれば終には姿をだけはおあらわしになられる。
言葉もなく別れさって仕舞うことの憂い、例え海を隔てようとも休み暇なく騒ぎ立つもの。
せめて。
この世に添うことなどできはしなくとも
言の葉をだけでも添わせておきたいのだ
いとせめて結ぶばかりにあらずとも言の葉をだに聞くよしもがな
そう、お想いになられておいでではあるけれども、いずれにしても、受け入れるよりほかはない。歎き明かすのも甲斐もなくお想いになられれば、泣く泣く立ち去ってお行きになられるのだった。
さらに、昼の五の姫君の文、稀に見るようにも想われていらっしゃれば、一の大臣のもとに忍んで御立ち寄りなさられる。
翳も濃く深く更けた夜の月、浮雲だにたなびきもせずにただただ澄んで、遥かに広き池の中島に作って架けた楼台に、三、四、五の姫君、琴ども掻きあわせて月を眺めておられる頃であった。
やがて、此方にと案内されれば、中島の汀より拡がって、楼台の上をまで疎らに覆って色彩に染めた紅葉の、さてもまことに夜のくらさに縫いこまれた錦(注:1)の絵のように見えたのに、御簾捲きあげて几帳ばかりをうちおろして、御方々、いらっしゃるのだった。
常の日もかくてあらせられるのであろうか。
趣もふかき池の水面のさざなみに、紅葉の翳は色を添えて、えも言われずに麗しく髪を上げていらっしゃる、月影ともその御姿とも、いずれともなくただ絵のようにてあらせられる。
三の君の琴、四の君の筝、五の君の琵琶、掻きあわせておられる楽の声、いづれともなくおもしろい。
琴はさすがに《かうやうけん》の御琴の音に並ぶことなどありはしないが、最後の宵の時の趣もあって、それでもおかわいらしくお聴きなさっておられるのだった。
筝の音も悪くはないが、琵琶は特に秀でて聴こえ、親の比べようもないご寵愛も、たしかに道理にと想われておいでであらせられる。
御君も、この音どもに合わせて笛をお吹きになってさしあげ、別れをおしまれておいでになるうちに、しだいに空は明けを知りゆき、
日本の山より昇る月を見てさえ
まず今宵の月は恋しかりましょう
日の本の山より出でむ月見てもまづぞこよひは恋しかるべき
琵琶の御君にさし寄られなさっておっしゃってさしあげられれば、耐え難きがまでにかきくらす涙に、女君の、声もかすれて言い出しもなさられないので、琵琶にて歌う
かたみとぞ暮るゝ夜ごとに詠めてもなぐさめやはなかばなる月
かぎりもなく、いとしい人の
無き御形見にと、
暮れた夜ごとに眺めても
もはや慰められ獲はしないでしょう
このなかばまでの
想い果たせもしなかった月の光は
泣く琵琶の音はすべてを語る。比類もなく、ただ、味わいも深い。さて、その後この女、琵琶を決して手に取ること無くて、その名手、ただかの人の想い出にだけ添わせられたらしいということ、これもまた一つのあわれなる挿話であったろうか。
(注:1)古今集秋部、紀貫之《見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦なりけり》
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之一
うちより皇子出でさせ給ひて、御あそびはじまる。何の物の音も覚えぬ心地すれど、今宵を限りと思へば、心強く思ひ念じて、琵琶賜はり給ふも、現(うつゝ)の心地はせず。御簾のうちに、琴のこと掻き合せられたるは、ひやうきうにて聞きしなるべし。やがてその世の御おくりものに添へさせ給ふ。今はといふかひなく思ひ立ちはてぬるを、いと懐かしう宣はせつる御けはひありさま、耳につき心にしみて、肝消え惑ひ、更に物覚え給はず。日本に母上を始め、大将殿の姫君に、見馴れし程なく、引き別れにし哀れなど、類あらじと人やりならず覚えしかど、ながらへば、三年が中に行きかへりなむと、思ふ心に慰めしにも、胸のひまはありき。これは又、かへりみるべき世かはと思ひとぢむるに、萬目とまり哀れなるを、さる事にて、后の今一度のゆきあひをば、かけ離れながら、大方にいと懐かしうてなし思したるも、さま異なる心づくし、いとゞ勝りつゝ、我が身人の御身、さまざまに乱れがはしき事出で来ぬべき世のつゝましさを、思しつゝめる道理(ことわり)もひたぶるに恨み奉らむ方なければ、いかさまにせばと思ひみだるゝ心のうちは、言ひやる方もなかりけり。いとせめてはかけ離れ、情なく辛くもてなし給はばいかゞせむ、若君のかたざまにつけても、我をばひたてぶるに思し放たぬなめりと、推し量らるゝ心ときめきて、消え入りぬべく思ひしづみて、暮れ行く秋のわかれ、猶いと切にやるかたなき程なり。帝春宮をはじめ奉りて、惜しみ悲しませ給ふさま、我が世を離れしにも、やゝ立ちまさりたり。實(まこと)やかの病をやめし、一の大臣の五の君の許より、えもいはず哀れに悲しく、おもしろき文をつくりて奉りけり。からの薄紫の紙に書ける、文字のつくり筆のさきら、いとかしこくおもしろき、奥のかたに、
今や問ふけふや見ゆると待ちつゝもおなじ世にこそ慰めてけれ
才(ざえ)ある人とは聞きつれど、すべてかうやうけんの御あたりより、外の事はおぼえで過ぎぬるを、誠にかしこうありけるかなと驚かるゝに、今はと思ふに、あはれも添ひて御かへりの文に、これもそへ給ひて、
別るべき後のなげきを思はずば待たれましやは朝なのゆふに
明日とてかうやうけんに参りたまへれど、今宵は昨夜ばかりの御声をだに聞かず涙を流し留めつゝ、遂に逢ひ奉る。言なく別れ去りなむうれへ、世々を経(ふ)ともやすむべきにもあらず。
いとせめて結ぶばかりにあらずとも言の葉をだに聞くよしもがな
と思すも、無下に屈じにける心なりかしや。歎き明さむかひなければ、泣く泣くまかり出で給ふ。更に昼の文、珍しう思されければ、一の大臣の御許に、忍びて立寄り給へり。深き夜の月、浮雲だになびかず澄めるに、遥か広き池の中島に作りかけたる楼台に、三四五の君、琴ども掻き合せて、月を詠むる程なり。やがて此方にとて入れ奉れば、中島の汀より横はりおひ出でて、楼台の上にさし覆ひたる紅葉の、さても誠に夜の錦かと見えたるに、御簾捲き上げて、几帳ばかりをうちおろして入れ奉れり。常はいかゞあらむ。おもしろき池の上、紅葉(もみじ)の影にて、いと麗しくさうぞき、髪上げて居たる、月かげともいづれともなく、絵にかいたるやうなり。三の君琴、四の君筝の琴、五の君琵琶、掻き合せたる声々、いづれとなくおもしろし。琴はかうやうけんの御琴の音に、ならぶべきことならねど、折からなればにや、をかしく聞ゆ。筝の琴もおもしろき中に、琵琶はいみじう優れて聞こゆれば、親のならびなくわきてかなしかるも、道理(ことわり)にこそと思す。男君も、この音どもに合せて、笛を吹き給ひつゝ、別れを惜しみ給ふに、哀れも悲しさも、取り集めたる心地するに、やうやう明けければ、
日の本の山より出でむ月見てもまづぞこよひは恋しかるべき
琵琶の君にさし寄りて宣へば、いとゞかきくらす涙に、声もたがひて言ひ出でねば、琵琶にて、
かたみとぞ暮るゝ夜ごとに詠めてもなぐさめやはなかばなる月
いと能く聞えて弾きすましたり。似るものなくおもしろし。などて月ごろ聞きならざりつると、これさへ飽かぬ思ひ添ひ給ひぬるとぞ。
巻乃一 了
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