《浜松中納言物語》⑱ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑱
巻乃一
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之一
十八、中納言の御君、御后を想われること、御后、御母宮を想われること。
御匂い、言い知れずに香り出でて、立ち薫り、御二方のその芳香は中(ちゅう)に終にはふれあうものの、御君、
その薫り、わたしのからだに染み渡って仕舞った、あの春の夜の夢の名残りかわりもしないのを、
と、御心にお惑いになられられて想い出されておられるが、
御后の、この国の人にあるまじく想えて仕方がなかったその御気色お見知りおきさせていただいてからこのかたに、出会うすべてのこの国の人にもまして、《あわれ》にただ懐かしく憧れさせていただいていたが、さすがにぶしつけにすぎようと、人目も忍んでお伺いすることをも堪えていたものではあっても、
今こそは発つと想い立ったこの頃に、尽きもせずにただ想い歎くのも心苦しく、とはいえ實に、尊くも稀なる御方であれば、わたくしの一念の自由にさせていただくわけにもいかずに、さてはどうしたものかと想いあまっていたのですよ、
など、おっしゃられておられるほどに、その御気色、心の隔ても乱れも邪も鬱もなく、まじりもなくも澄み渡り、ただただ懐かしく匂い満ちたる御気色、語らう心地にどうしてまどかならざるものがあろうか。
御想い、おかくしもできずにあふれでて、騒ぎ発つのを無理にも沈めていらっしゃられれば、言うに言われず凜と畏まれて、御后の、御答えなどなさられておられるのも愚かしいがまでに愛でたくあらせられる。
御后、御身の有様、ふいに口に浮かんで聴かせられなさる。
かの、母なる方は日本にいらっしゃられる。
聖の渡ってきたときに、もしやかの国にそのような方がいらっしゃればと尋ねてみれば、その方ならば、大内山というところに尼にていらっしゃるという。
帰り渡られるにつけて消息を願ったものの、遠いかの地にあってみれば、確かな便りの届くでもない。
その聖も、託したものを無下に棄て置いたとも想われないながらも、覚束ないには違いなく、これより後に、いくら待ち焦がれたところで、風の便りにさえも、伝え聞かれることなどいかにも在り難く想えるのですが、
無理なお願いであるということは承知の上でお願い差し上げたいのです。
必ずわたくしの母君のこと、その御心にお留め置きになられなさって、かの山にたずねていただいて、多くの人々のかの国からこの国渡ってくるのにお託しいただいて、わたくしに母上の御返しの文をお届けになっていただけませんでしょうか。
もはやこの世にはあらせられないと知られれば、その次第をお書付けいただいて、そして、いずれかの方にこの箱をお託しになってくださいませ、
と、《沈(じん)》の文箱の、やや大きめにつくられてあるのを差し出されておいでであらせられれば、
御后、まことに酷にお泣きになられなさる御気配の、あの春の夜の夢にかわりもせずに、懐かしくもなまめいていらっしゃられるのを、もはや忍びもできかねられて、この世に感ぜられた《あはれ》に呑まれてそのままに、涙、留めようなくあふれでるのを、堪えに忍んで御君は、
浪のうえにさすらって、命絶えて仕舞ったならば、いたしかたなかろうが、そうでなければ仰せのままに、深き心のお求めになられたが通りに尋ね出向いて御身の上を、かの御方に語らせていただいて、尼の御返し文というものが、たとえ例もないものであったとしても何とかして、かの方の御返しいただいて、わたくし自らこの国にふたたびお持ちして差し上げましょう。
ともかくも、その案内がなにもなく、一切が絶えて仕舞ったならば、それは容赦もないわだつみの底に、あるいはいずこか道の空の下、いずれにしても空しく果てた命がことと、お想いなさってくださいませ。
と、御君のおっしゃられれば、日本には、男、女のことどもとかく乱れて、后女御の前に、こうまでもかたく誓ったりはしないだろうに、この方はさすがに厳しく、凛としていらっしゃるものとお想いになられなさって、このついでにも、忍び難い御心のうち、想いのたけをあふれかえしてみたくさえお想いになられておられるが、さすがに理(わり)もなくできかねて悲しく、御皇子も少し立ち寄られなさられて、御君の御前にある方々もそれぞれにもの語られあうののそれに紛らし、
ふたたびと
想いの逢わさることなどは
けっしてありはしますまい。どうしてなのだろう?
どうして見て仕舞った、
あんなに鮮やかな夢だったのだろう?
二たびと思ひあはするかたもなし如何に見し世の夢にかあるらむ
忍んで、お渡しになられになる。
夢として、
まさに夢として現実に
わたしたちの想いがあふれたのですよ
唯の幻であったならば
見る甲斐などないでしょう?
夢とだに何かおもひも出でつらむ唯まぼろしに見るは見るかは
もはや隠されようもないその御想いの切なさに、誰に告げるというわけでもあらせられずに、ほのかに紛れて奥にお入りになられてお仕舞いになる。
人目さえ気にもしなければ、無理に引き留めようものを、なにごともないふうの装いの伏目に、賢くも御想いはつつまれておられなさる。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之一
御匂ひいひしらず薫り出づるにも、我が身にしみかへりたりし、春の夜の夢の名残にかはらぬを、心まどひせられて思ひ出づるに、宮のこの世ならず、思ひ聞え給へる御気色見知り侍りにしより、見る世の人よりも、哀れに懐かしう思ひ聞えながら、さすがにすゞろにやと、人目もつゝましうて聞えざりつるを、今はと思し立つ程、尽きせず思し歎きためるも心苦しう、さりとても實に限りある御有様をば、いかゞと見奉るも、人やりならず、思ひ余りてこそなど宣へる程、けはひありさますべてとほどほしう、変わりたる事まじらず、あてに懐かしう匂ひ満ちたる御気色、聞く心地いかでか疎(おろか)ならむ。つゝみあうべくもなく、騒ぐ心を理(わり)なく静(しづ)めて、いみじう畏まり、御答(いら)え、聞え給へるなどいふも愚かにめでたし。后身の有様、おのづから聞き給ふやうも侍らむ、母に物し給ふ人は、日本にぞおはすらむ、聖の渡りたりしに、若し世の中に、さる人や物し給ふと問うはせましかば、大内山といふ所に尼にてなむおはすと聞きしと語り侍りしかば、帰り渡りしにつけて消息(せうそこ)聞えしを、世にだにおはせば、さりともたしかに告げ侍らむ。その聖、さりともあだにはせじと思ひ侍りてなむ、よしなきやうに侍れども、必ず御心に入れて尋ね聞え給ひて、これはたしかに傳えさせ給ひて、かの世界の人は、絶えず渡り来るやうに聞ゆるを、あだならず思しかまへて、御返し見せ給へ、世になくなりにきと聞き給はば、そのよしをも書きつけて、この箱は返し給へとて、沈(ぢん)の文箱の、少し大きなるをさし出で給ふ儘に、誠にいみじう泣き給ふけはひの、春の夜の夢にかはらず、懐かしうなまめきたるに、忍びもあへず、大方の世のあはれに託けて、涙せきやる方なう流るゝを、あながちに忍びつゝ浪のうへにもさすらへて、命絶え侍らずば、まかりつかむまゝに、深き心の及び侍らむほどは、尋ね聞えて傳へ奉りつゝ、御返しは例なき事に候ふとも、みづから必ずもて渡り侍らむ、ともかくもこの案内聞し召さずば、まかりもつかぬわたつ海の底に、道のそらにて、空しく捨てにける命にやと思しめせなど申し給ひて、日本には、したのかよひこそ乱れがはしくもあれ、后女御なくこそとありけれと思せば、この序(ついで)にも、忍び難き心のうちを出でぬべきにも、さすがにあらず理(わり)なく悲しきに、皇子も少し立ち出でさせ給ふに、御前なる人々も、おのおの物うちいふにやと聞ゆるまぎれに、
二たびと思ひあはするかたもなし如何に見し世の夢にかあるらむ
いみじう忍びて紛はし給へり。
夢とだに何かおもひも出でつらむ唯まぼろしに見るは見るかは
忍びやるべうもあらぬ御気色の苦しさに、いふともなく、ほのかに紛はしてすべり入り給ひぬ。おぼろげに人目思はずは、ひきも留め奉るべけれど、かしこう思ひつゝむ。
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