小説《underworld is rainy》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作:Ⅰ…世界の果ての恋愛小説①/オイディプス




以下は、とりあえずは《イ短調のプレリュード》という名前をつけられた連作中篇の、

ファースト・ピリオドです。


あの、モーリス・ラヴェルの短い初見練習用のプレリュードが、全体のモティーフになっています。

最初、念頭にあったのは、ソフォクレスの《コロヌスのオイディプス》でした。

父親殺しの事実を認識して、自分の両目を掻き斬って仕舞った、そのあとのオイディプスの物語です。


いわば、すべてが終った後、…なにもかも、為すすべもないがまでに、すでに終って仕舞った後の、そんな風景。

漱石で言うと、《門》とか。


ああいった風景の中での、壊れそうな恋愛小説、というか、心のひだの細かい推移の小説、というものを書こうとしたのです。


あとは、今年の自然災害。…

それに触発されたもの、です。


連作は、5連作になると想います。要するに、今、書いてるんですけどね(笑)


1《underworld is rainy》

2《堕ちる天使》

3《アダージョのスケルツォ》


お気に入りいただければ、ありがたいです。


2018.08.16

Seno-Le Ma









...underworld is rainy









《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。連作:Ⅰ

Prelude in A minor, 1913, Joseph-Maurice Ravel









Οἰδίπους ἐπὶ Κολωνῷ











旅行に行こう、と妻が言った。

何の前触れもなく唐突に言ったので、振り返って、…え?、と、そして、ベトナム人の妻は日本語が話せない。笑う。私はベトナム語がまともに話せない。

英語の、不意の響きに何を言ったのか聴き取れずにいると、日差しにまばたきながら妻が笑って見せるのが、むしろ私への軽い軽蔑さえ含んでいるようにさえ見えて、想わず笑うしかない。

雨の日の、その朝の、かすかな冷気が服を着る前の肌に、じかに触る。鳥肌を微かに立てたフエの褐色の肌に、日差しが堕ちた。









ベトナム、中部の町、ダナン市。

そして、この亜熱帯の町にも雨は降る。台風も来るが、それは数年に一度、故国、日本のそれに比べれば、子ども程度のひ弱さのものに過ぎない。単なる、風の強い一日にすぎないその日に、ダナン市の学校は休日になる。

誰も殆ど外出しなくなった、もはや廃墟じみた町の中を、過剰な風圧に晒されてながら、バイクを飛ばすのが好きだった。

結婚式があるのだと言った。

どこで?と言うのに、あくまでも微笑んでしかいない彼女が、結局は何を想っているのかはわからない。雨がやまなかった。静かに、日本の小雨のような雨が降って、やさしい光が私たちを、部屋の中に照らし出していることは知っている。

私は、見やるのだった。自分の陽に灼けた皮膚の褐色を、14歳も年下の妻の同じような褐色の腕のこっちに、眼差しの中で並べてみさえして、そして、私はまるでベトナム人のようだと言われた。ベトナム人にも、たまに顔を合わせる日本人にさえも。

雨はやまない。

あくまでも静かに、そしてそれは執拗なまでに、日本へはもう4年近く帰ってはいなかった。

雨は、日本にもやまない。LINEの無料通話でかけてきた母親が言った。土砂降りの雨がもう三日も降り続いている、と。

そう、と、つぶやいて、気をつけて。そう言うしかない私は、やがて画面の向こうで、当然のように母も笑う。当たり前の仕草を私たちは曝す。誰もがそうする、あるいは、そうするしかない仕草を、とは言え、ベトナムの雨。

開け放ったガレージの向こうに、薄い日差しの中に、裏庭のバナナの木の数本の羅列の向こう、広大な何かの廟が見えて、それらと、樹木もまた細やかな雨に打たれた。

妻の実家の家は大きい。敷地は広くて、日本の小さな町の公園くらいはあった。その中に平屋の古い、まるで廃墟か何かのようにしか見えないコンクリート造の家屋が、その三分の二を埋めていた。

最初、結婚する前にこの家を始めて訪れたときに、何事だと想ってしまったくらいの広さ、その。日本を含めた外国の企業のせいで土地は高騰していたから、売れば大金持ちになれるはずだった。

見えない、壁の向こうのココナッツの木が、背後の庭では、同じように雨に打たれているに違いなかった。

その、広く、古い住居には、もはや私と彼女と、彼女の父親しかすんではいなかった。そして、その父親は彼女が殺して仕舞った。半年近くもまえに。理由は知らない。

いずれにしても、殺さなければならないほどに、その瞬間、彼女は彼を憎んだに違いない。

娘は一歳にならずに死んだ。去年の夏に大量発生した蚊が撒き散らした感染症か何かのせいで。私は、その英語名を知らなかったし、知ろうともしなかった。いずれにしても、Hoa、…花、という名をつけられたその生命体は、小さな顕微鏡サイズの生体の繁殖に破壊されたのだった。

私は妻を、…彼女が殺してしまった男の父親によって、Huệフエ、百合、と、そう名付けられたその女を慰め続けるしかなかった。この世界の苦痛の一切を、口から無理やり差し込まれた鉄柱のように飲み込んで、体内を破綻させてしまったかのような、ただ、無意味で、長く、とめどない悲鳴のような泣き声をあげ続ける、その。

Vợ đẹp.

妻が言った。私は振り向いて、

…妻は綺麗です。

え?

聞き返した。私は、…え、という、明らかな日本語で。たった一音に過ぎなかったにしても明確な、その、やがていたずらを仕掛けたような微笑みをくれ続けるフェは、そのまま私に、赤い案内状を差し出したのだった。

来週の日曜日だった。8月の29日。そして、それは日曜

日だった。新郎の名前は、Phạm Anh Tuấn ファム・アン・トン、新婦の名前はNguyễn Thị Yến Nhi グイン・ティ・イェン・ニー、場所は、近くの、日系の企業が開発したバナー・ヒルと言う巨大な遊覧施設だった。

その、新婦が綺麗な人だ言ったに違いないことを私は了解して、フエの頭を撫ぜてやった。

フエは、そうされたならば、そしなければならないかのように、そうされたなら、そうするようになっているかのように、ただ、私にしがみついて胸に顔を押し付け、擦り付けて、かすかな笑い声さえ鼻から立てるのだが、私はフエが、泣いているに違いないと、何の根拠も、何の必然もなく確信した。単なる錯覚に過ぎないことをは十分に認識しながらも。

彼女が、泣いているわけはなかった。



惨劇の風景。

散々迷ったあとで結局は、惨劇と、そう月並みな言葉で片付けてしまわなければならないほどの、鮮やかな、その。いずれにせよ留保無き惨劇。

その日、フエは朝早くに私を起こした。そのくせ、キングサイズのベッドに垂らされた蚊帳の中には、一歩たりとも入ってこようともしないで。いつもは、かけもちの日本語教師の仕事に、朝早く出掛ける私が、ゆすって起こしやらなければ目覚めもしないはずなのに。予感も何もなく、覚醒しきらない眼差しの向う、その日も雨の日の、白くかすんだ光の色彩に真横からさされて、フエは立ち尽くしていた。

フエは、憑かれたように、そして、どうしようもなく疲れきった声で、私の名前を、例えばアダージョのテンポでつぶやき続けていた。メトロノームのような律儀さで。

パステル・カラーのピンク色の、彼女の寝巻きの色彩。間違っても趣味がいいとは言えない、ベトナムでよく着られている子どもじみたその、そして、彼女は明らかに、その全身に誰かの血を浴びていた。匂うほどではなくとも。すくなくとも、かすかに鉄錆びた臭気の感じられるほどには。

それが他人の血に過ぎないことはすぐにわかった。呆然としながらも、フエの身体が壊れてはいないことは、すぐに私は直感していた。それとこれとには、明らかな差異があった。壊れかけていたのは、その頭脳の中の、あるいは精神と、…心と?言われなければならない、そっちの機能の方なのだった。

見れば、明らかだった。

私は、どうすればいいのか、身をもたげるまでの猶予の間に、考えをめぐらし、そして、結局は何も考えられてはいなかった。

…どうしたの?

その言葉を、英語で言ったのか、

What’s happen ?

ベトナム語で言ったのか、

Chuyện gì vậy ?

日本語だったのか、

Dou shi ta n de su ka ?

それさえ、そして、彼女は困ったように、人より端整なだけでたいして美しいとはいえない顔を終には泣き顔に崩して仕舞いながらも、声を立てて笑った。私を、必死になって慰めようとするかのように。彼女は涙を流す。

滂沱の涙。そう言っても差し支えない、むしろ、そう言わざるを得ないそれ。奔流、とでもいうしかないもの。

私は気付いていたのだった。その日が、特別な日になること。フエはアカウンターを勤める会社を休まなければならないだろうこと、そして私も、予定通りの授業などこなせないばかりか、たぶん、彼女と同じように大きな穴を開けなければならないこと、そして、そこから先のスケジュールなど、すべて、一時解消して考えなければならないだろうこと。あるいは、生活にさえ取り返しようもない穴が開いて仕舞うかもしれないことも?

どうしたの?

再び言った私に、その言葉をは、フエは直感的に理解していたにすぎない。フエだって、何語が話されているのか、意識さえしていなかったに違いがない。

起き上がって、たれさがった真っ白い蚊帳をはぐると、血の匂いがした。蚊帳を通さずに直接触れた眼差しは、捉えられた彼女の体中を汚したその誰かの血の色彩の鮮やかさに、ただまばたいかざるを獲なかった。









結婚式は、フエの働いている日本の貿易会社の、同僚の結婚式だった。もちろん、私は会ったこともなかった。

花嫁は、勝気なフエがそう言うのだから、為すべもないほどに美しいか、あるいは、民族的美感覚の差異をこえて、美しいという言葉の意味を彼女に再び教えてやらなければならないほどのひどい出来であるか、そのどちらかに違いない。なぜだろう?

なぜ、と。

なぜ、フエを抱きしめてやりさえしなかったのだろう。目の前に、涙を流しながら笑っているフエを。その血まみれの彼女を。

彼女は明らかにそれを求めていた。何も言わなくとも、何の仕草をするわけでなくとも、そして、本当に彼女を抱きしめようとしたならば、間違いなく血に穢れたからだをよじって、あるいは声さえ立ててそれを拒否したに違いなくとも、彼女はそれを求めているばかりか、そうされることが当然であることを、たぶん、知っていた。

私と同じように。それを、はっきりと求めたわけでさえもなくて。

私は彼女を抱きしめなかったことに、あとで気付いた。そして駆られたのは彼女への裏切りじみた行為への後悔だったが、結局は、私が何かをしたわけではなかった。埋め合わせとしては。その埋め合わせようもないものをは。

フエが、わたしのその明確な裏切りにさえ気付いていないことをは知っていた。そして、彼女が、いま、彼女が裏切られたことを確実に自覚しているに違いないことをも。

寝室のドアは開き放たれたままだった。蚊帳を出ると、フエはそのまま、私を見つめたまま後ろ向きに後ずさりをして、ときどき躓きながら、私を先導した。

バイクに、壁に。そしてテーブルに、放置された椅子に。

私から目を離さずに、そして彼女は涙を流し続けた。涙腺が破壊させられて仕舞ったような、涙の、完全に壊れてしまった流出。あるいは留保無き過剰生産。

たぶん、私はもう、私がどんなものを見なければならないのか、気付いてさえいたのだった。目の前に血まみれの女がいるのだった。そして、彼女は笑っているのだった。私を、いつくしんで、少しでも私を傷付けないで済むように、やさしく、ただただやさしさをのみ心がけるその。そして、泣き叫んでいるのだった。目の前に存在しているその眼差しでだけで。

私は見ていた。後ろ向きで私を先導し続ける彼女の、周囲の、いまだ屋内に収容されているままのバイクや、テーブルや、洗濯かごや壁に派手にぶつかり、ときに、激しく撃った背中は息をさえ詰める、混乱してばかりの惨状を。

いたずらのようになんども繰り返されて、そのたび彼女を傷めさえして、そしてその馬鹿げた騒音を聴き、フエは私から目線をはなし獲ずに、私もまたフエを見つめていたのだった。

もはや、彼女はいかなる声さええあげられないで、荒い、乱れた息を、唇と鼻の両方から吐き出すだけだった。

ソファにぶつかって、フエは後ろ向きにひっくりそうになる。

何が起こったの?

と、私は、それでも疑問をばかり抱き続ける。言われなくても、見ればわかる。何が起こったのか、そして、わかっている。知っている。気付いている。だが、同じ強度で、私は何もわからない。

フエに、ついていく。なんども躓いて、ひっくり返りかかる彼女を、一度も抱き留めさえしなかったのは、なぜなのか。

フエの、胸元が汗ばんでいて、乱れてい。荒く。骨格を内側からへし折って仕舞おうとするかのような、胸元の上下。

彼女が導いた、その父親の部屋のドアは開け放たれていた。フエがそのままに、背中からその部屋に入っていくのを、私は見つめた。

彼女が何をしたのか、私にはすでにわかっていた。言葉以前の、明確ではないが、鮮明な認識として。

部屋の中は荒れていた。

突き当たりの壁に、吊り下げらたハンガーを引きずり倒して仕舞いながらぶつかって、フエが息を詰める。凭れた。背中ですがりつくように。







Joseph-Maurice Ravel 1875-1937

Prélude in A mainor, 1913


Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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