《浜松中納言物語》⑬ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑬
巻乃一
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之一
十三、御帝と長河に遊ぶこと、中納言、御后の山に登ること。
御祓いにまいられなさったかの長河、お住まい馴れられなさったかの国の大井川、宇治川などのように、急流なる大河である。
流れのほとりの水撃ちぎわに錦のひらばりなどうち渡して飾られて、胡坐などもこしらえ置いて、文作り遊び、龍頭に《げいず》の船をつけて皆たのしまれつつ、それはえもいわれずも愉しい。
御后こそは御悩み深くあらせられて山中も深くお籠りにおなりになられたけれども、三の宮の御皇子の御有様のかしこくもめでたくおわせられるのはこの御子の御威光のほどをはなにものたりとも妨ぎえるものではないが故にかとさえ想われる。
御帝にあらせられてもかの方を尊くも限りなきものにお想いになられなされば、かようの御出歩きのたびにもお連れなさられる御もてなしの様はことに他に異なるものに他ならない。
中納言の御君、とはいえかくのごとき御遊びにも御心まぎれないままにお想いになられていらっしゃられれば、すずしくも清らかなる水辺のほとりに御頬おつきなさられてつくづくと行く川の流れなど御ながめられていらっしゃるのを、その御容貌の似たものもなく清くて鮮やかにいらっしゃられるのを人々何とめでたい御方かとご拝見させていただくばかりではあって、御皇子もお目におとめになられていらっしゃれば、御君のたたずまられた御ところにお立ち寄りなされられ、御皇子の
恋しさを、
みそごうとはするけれども御神の
請けていただけねば心のうちに
すずしさなど一切
ありはしないのですよ…
恋しさをみそげど神のうけねば心のうちの涼しげもなき
さびしくもうち微笑みにおなりになっておっしゃってさしあげられるのに、いかにお想いであられることか、この罪も深い心のうちをと恐ろしきまでに恥じ入られる御心地なさられて、御君
みそぎの河
河の神に事触れてしまったもの
どうして知りえましょうや
恋の心など…
みそぎ川かはせの神にことふれてまたこそ知らね恋の心を
七月はなのかの日に、内裏に西王母、東方朔などとおっしゃられる御方々のお集まりになられる。
《ほうかでん》というところにて、御帝御文つくられ御遊びなさられるのに、中納言の御君、御召されられになられてご参上になられるのだった。
この御帝、御姿も御心もなまめいて美しくとも、御遊びの道にばかり御心差し向けたまわるばかりで、強く賢しいがほうはややお後れになられていらっしゃるようにも想われる。
一の大臣、后らに万事が万事首(こうべ)をお垂れになられられるばかりであらせられて、さばかりまでにも御心をお込めになられておられた《かうやうけん》の御后であらせられども山中への御籠りになられられてののちには、後も絶えて御行幸もなされないでおられるのは、そのお強くはいらっしゃられないであらせられるその故でもあらせられようかと、御君推し量りにおなりになられていらっしゃる。
夕暮れをいただく頃合に深まってたゆたう夕の風すずしげに吹いて、月のおぼろげな戴冠の趣もふかくおもしろいのに、御帝、空をばいたく御眺めなさられつつも天に在りては比翼の鳥に、地に這っては連理の枝とならんとかの《長恨歌》などそらんじて詠じるられなさるその御気色、御后の御事を想い出でなさられておいでのものかと想われなさられるに、中納言の御君、心苦しくもお感じになられられていらっしゃられるが、杯を回されてくみかわされるその御杯を御受け賜りなされられて、御帝の
交わした契りの杯など一切の甲斐もないものだよ
ほら、鳥は遠くの山の奥ふかくにまで逃げて鳴くのだから
交わしけむ契りの枝のかひぞなき遠山どりのよそに見ゆれば
と、奏されていらっしゃられますのに、我が心を得たりとさえ御君、はたとお想いにはなられられたものの、堪えられずもしおたれなさられて、
契りした昔の空を想いだしたとしても
なんとも想うがままにまいらぬのは
この世の宿命でございましょうか
契りけむ昔しの空にたとへても儘きせぬものは我が世ととぞ思ふ
かのようにも周囲にもてなされもてはやされておいででいらっしゃるものの、心の空疎空漠はまさに夢のごときにすぎないことを御心におかけられなさって、とはいえ、かの想われ人の御心の本当でさえあらせられれば、どうしようもなくて世に潜められることなどあらせられてもこうは後絶えて御消息さえもないことなどありはすまい、御方に御真心もあらせられなくて、なんとも心憂くもあるこの国の人であられることだろうかとせめてお想い落とされ仮にでも納得されてみられようとはなさられるものの、かの御方のかつて歌われもした《雲居の外の人の契り》は、なんとも空しくもただ悲しくお想いなされられて、うち泣かれなれなさって御答えなどなされられる御有様、いかに時のすぎさろうともこの御想いの渇くことなどありもしまいとさえ感ぜられなさる。
とめどもないがまでにも恋しくも懐かしいかの故郷の地も、かの御方にお会いもなさられないままに立ち去りお帰りになられるなどは、いかにもできはしないとお想いに沈まれなさるばかりに、秋も深まりおちていく。
長まっていく夜の御眠りなさられられぬ倦怠のうちにも、さまざまのもの想いのみ浮かんで消えてゆかれるばかりで、くらい御想いもほどけきらないその中に、世の中の煩い多いのみではあらせられるけれどもよくその御姿の似通われてあらせられる気のなさられた御后、想いだされられることしきりであれば忍び難く、御忍びで三の宮の御皇子の御消息をおとられなさられて、《そくさん》にご参上なさられれば、その山の様いかにも高く激しくもけわしく、瀧の堕ちる流れの荘厳、靡いて騒ぐ草木のたたずまいも尋常のものでさえなくて、御尋ねさしあげられなされたかの父の御大臣の御住まい、いうにいわれずおもしろくもめでたい。
御大臣の******ただただ心細く生きているばかりですよとおっしゃられなさるものの、御后、*月に御子をご出産なさられなさって、風のそよぐにつけても涙を流して、御姿をもほとんどお見せになることもあられなくて、佛の間に終日お籠りになられるばかりで昔今のさまざまの事ども、とにもかくにも悲しくのみ眺められておられなさるのに、ものども、日の本の中納言の御君のご参上なさられられるという御皇子の御消息を取り入れて差し上げる。
そうお聞きなさられれば、まさに胸も潰れようというものにほかならないものの、とはいえ、そうは言ったものの、いかなる賢者といえども、他なるひとの心のひだのすべてをまでお知り尽くさせなさるわけでもあるまいに、御みずからも夢の中に心通わすわけでもなくて、にもかかわらず此処までいらっしゃられるというのならば、なんともあさましいがばかりの御契りであることか、為すすべもない深い宿命でさえあるのだろうかと、むしろ御方をお恨みさしあげさせていただくこともなく、ただ前世の契りの宿命にこそ、心憂い悔恨をお感ぜられなさっておられて、つくづくと返す返すも想いかえされるも《あはれ》にも御想いは深まられてとめどもなく、そう差し向けられた御皇子も、この国の人とはすこしばかりお違いになられた御感性をお持ちでいらっしゃられるようにお見受けなさられるのだった。
直接にお会いするには、いろいろなさしさわりもございましょうからと、御堂の口に褥(しとね)を敷かせさせられなさって、こちらにおいでくださいますようにと差し向けられなされられれば、その歩み出でになられなさった御姿、かくも深い辺鄙な山陰に見るにはいかにも珍しく目も輝き始める心地さえする艶姿でいらっしゃられるに、御后もさすがに想われるところのあらせられなさって、少しいざりでて御姿をごはいけんさせていただかれなさられるにつけても、御想いはただお深まりになるよりほかになすすべもなくていらっしゃられるのだった。
御消息をお尋ねになられていらっしゃるのに、御后、答えようもなくておられなされて、
身のうさに
草分け入ったこの奥山に
どうして尋ねる人など
いらっしゃいましたものでしょうか…
身のうさにしをらで入りし奥山になにとて人のたづねきつらむ
そう仰せになられていらっしゃるのを、所柄、この《あはれ》も忍び難くお想いになられられて御君、うち泣かれていらっしゃられるのだった。
知らぬ山
立ち入れぬ山などありはしますまいよ
深き心をこめて
捜し求めて
踏み入ったならば
をちこちの知らぬ山路もなかりけり深きこゝろを入れて思へば
内も外も大気は凛として潤い、御簾の中の匂い、えもいわれずに薫り出でたるその様は、春の夜の夢の名残り、未だに御身に染みかえって、その夜に香った袖の移り香は地の果てまでにも漂ってやまないがばかりで、世の常の薫物(たきもの)にも似ずに、飽かず悲しき癒し難くも堪えられない恋の形見とお想になられられたかの匂いに入れ混ざる心地して、はからずも、涙、ながれおちていらっしゃられる。
主人の大臣、かくの人のいらっしゃられなさられた御事お聞きになられられてうち驚かれられて、
中納言が御君の
御噂も耳にさせていただいて、
なんとも立派でお懐かしい方であらせられようかとはお想い差し上げていただかせてはいたものの、
山も深き住まいであれば、
何と言ってもお立ち寄りになどいただけはすまいと
口惜しくも思わせていただいていた折に、
こなたにおいでになられられるとお聞きした次第
ただ喜びもふかくて、
と御消息さしあげられる。
かの人、五十あまりの御年であらせられて、清らかにも凛とされた御人柄であらせられる。
中納言をご拝見させていただきなさられるより、途端にもほろほろとお泣きになられなさって、かの昔に日本にお渡りになられられて年経らされられた御有様などこまやかにお語られになられなさるのだった。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之一
住み馴れにし国の大井川、宇治川などのやうに、はやく大きなる川なり。水の邊(ほとり)に、錦のひらばりうち渡して、胡坐どもを立て居(す)ゑて、文作り遊び龍頭げい頭(す)の船つけて、皆楽しつゝ、いみじうおもしろし。后をこそはしたなめ奉り、山深く籠り居給ひしかど、皇子の御有様の、かしこくめでたくて、世にはけたれ給ふべくもあらず。帝も限りなきものに思ひ聞え給へれば、かやうの御ありきのほどなども、かくかしづかれたまふさまは、いと異なり。中納言の、かゝるにも紛れず思さるれば、いと涼しき水の邊に、頬杖(つらづゑ)つきて、つくづくと詠(なが)め入りたるに、容貌(かたち)の似るものなく清げなるを、人々めでたしと見るに、皇子も目をつけて御覧じて、居給へる所に立ち寄り給ひて、
恋しさをみそげど神のうけねば心のうちの涼しげもなき
ほゝゑみて宣はする、いかでか心え給へる、我が心のうちぞと、おそろしきまでに心はづかしければ、
みそぎ川かはせの神にことふれてまたこそ知らね恋の心を
七月七日に、内裏に、西王母(せいわうぼ)、東方朔(たうはうさく)などいひける人の、今日は行き合ひける。ほうかでんというふ所にて、帝、文作り遊びし給ふに、中納言召されて参り給へり。この帝、御かたち心なまめきて、遊びの道に心を入れ、強く賢しき方は後れてや物し給ひけむ。一の大臣后たちに、萬(よろづ)劣りくたびれて、さばかり御心に入れておはせるかうやうけんの后を、跡絶えてものし給ふは強き所ぞおはせざるべきと、中納言は推し量り給ふ。暮れかゝる程の夕風、涼しう吹きて、月さし出でておもしろきに、帝空をいたくながめ給ひつゝ諳(ずん)じ給へる御気色、后の御事を思ひ出で給へるなるべしと、中納言心苦しう見奉るに、杯まゐりてさし給はするを、たまはりて、
交わしけむ契りの枝のかひぞなき遠山どりのよそに見ゆれば
と奏したるに、心えてけりと思すに、え堪へずしほたれ給ひて、
契りけむ昔しの空にたとへても儘きせぬものは我が世ととぞ思ふ
かやうに、いみじうもてはやされて過(すぐ)せど、心の中は、夢のやうなりし事を心にかけて、さりとも我が身の人ならましかば、いみじくつゝむ事ありとも、いとかくは跡絶えざらむまし。女も誠にえざえなく、心憂くもありける世の中かなと、せめて思ひおとせど、雲居の外の人の契りはとうち泣きて答へしけはひありさまは、すべて世々経とも忘るべうもあらず。いみじう恋しう理(わり)なうなりたる故郷(ふるさと)も、この人にあひで見で帰らむ事は、えあるまじう思ひ渡る程に、秋も深くなり行く。いとゞしく夜長きねざめも、さまざま物のみ覚ゆるに、思ひあまる世の中の気色、煩はしからぬにはあらねども、能(よ)く似給へりし心地せし后をおもひ出で奉りて、忍びて宮の御消息取りて、そくさんにまゐりたれば、山のさま高くはげしくて、瀧の落つる水のながれ、草木のなびきも尋常(よのつね)ならぬさまに、大臣の御住所(すみか)、いといみじうおもしろくめでたし。欠欠欠とくもあらず、かすかに心ぼそげに欠欠欠としてしめじめとあるに、后は欠月欠欠なしう給ふまゝに、風の欠欠に添へても涙を流し欠欠欠けかたちをも見え給はず、佛の欠欠つと籠りて、昔今の事をかね、悲しう詠(なが)め出でて行ひつゝ、日の本の中納言参り給へるとて、宮の御消息取り入れたり。かう聞き給ふに、胸潰れ給ひぬれど、さこそいへ、賢き人の御心に、彼も我と知りたるにもあらざりき。みづからも、夢の中に心を通はす事もなきに、いとあさましきちぎり、さるべきにこそと思し知るには、人を疎く思ふべきにあらず、前(さき)の契りこそ、心憂く恨めしきわざなれと、つくづく押し返し思すには、あはれも浅からで、わざと尋ねられたるに、宮も世の人には似ぬ心なり。人づてならで逢へしかしと思されたるは、思すやうこそあらめと思して、御堂(みだう)の口に褥(しとね)さし出でて、此方(こなた)にとあるに、歩み出でたまへる、山陰にて見るは珍しく、目も輝く心地するに、后もさすがに思されければ、少しゐざり出でて御覧ずるにつけても、思す事どもぞ多かりける。御消息申させたるに、答ふべきかたもなければ、
身のうさにしをらで入りし奥山になにとて人のたづねきつらむ
仰せ事なるに、所がらこの哀れもえ忍び難うおぼされて、うち泣かれ給ひぬ。
をちこちの知らぬ山路もなかりけり深きこゝろを入れて思へば
内も外(と)もしめじめとして、御簾の内の匂ひ、えもいはず薫(かを)り出でたるなど、春の夜の夢の名残、いまだ我が身にしみかへり、その夜通ひし袖の移り香は、ひやくふの外にもとほるばかりにて、尋常(よのつね)の薫物(たきもの)にも似ず、飽かず悲しき恋の、かたみと思ふ匂ひに紛へる心地するに、思ひもよらずながら、すゞに涙も留まらず。主人(あるじ)の大臣、かく人おはしたりと聞き驚きて、いみじうゆかしと思ひ渡る人なれど、山深き住居(すまひ)、その事となくては、何につけてか立ち寄り給はむと、口惜しう思ひ渡りぬるに、喜びながら、こなたにと御消息あり。五十よばかりにて、いと清げなる人なりけり。中納言を見るより、ほろほろとうち泣きて、我がむかし、日本に渡りて、年経し有様など細かに語り給ふ。
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