《浜松中納言物語》④ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ④
巻乃一
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之一
四、琴弾く女のこと、女、はからずも涙すること。
名手の腕による唐絵に違わず、ひきあげた御簾のそばに紫の唐の末濃(すえご)の御几帳をひらいて、唐様式の紐がゆったりと垂れた向こうに、琴を弾いておられる方がいらっしゃった。
その女のたたずまいは、いまやつぶさに見えるのだが、御歳二十ばかりでいらっしゃるのだろうか、御顔のかたち細くもなければふっくらしすぎているわけでもない、ちょうどよいほどの肉付きであらせられて、すこしばかり鼻筋に難がある気もしないでもないものの、御色の白さは、《はり白玉》といえどもこれ以上ではあるまいとさえ想われるほど。お可愛らしさは匂い薫って、比べようもなく気高く美しく想われるのだが、唇は《丹》という紅を塗ったように、いささかの傷もない鮮やかさ、凛とした色香をただよわされて、大胆に上げた髪にも引き立てられた麗しき御姿であって、のどかにも、歌など歌いながらに琴をお弾きになっている。
御后、三の御子の御母堂にちがいなく、また、この世にも、このような美しさがあったものかとも、むしろ浅ましくさえ思えるほどだった。
日本の女の髪はただそのまま垂らされて、額に髪のうち乱れて掛かったりなどしたときにこそ、美しく想ったものだったと想い出されもするのだったが、麗しく簪(かんざし)して髪を上げられた御姿も、この女の人柄なのだろうか、これこそ女性美というものだろうかと見えれば、物の音さえ世の中に、知らずに知らずに聞こえるものだというのに、それも若い女房が七、八人ばかりも、天から舞い降りた天女の姿も、かくばかりかとこそ見えて菊の花をもてあそびながら、
《らんけいゑん》の嵐の、…
(注:1)
と、若いやいで歌うのをめずらしくも、人知れずにお住まいになられているのも稀なることよとも、中納言の御君は興に聞く。
御簾の向こうの人々も、
…嵐?
それなら、この花が
ひらいて後がいいですね、
(注:2)
と、答えて歌う。
中納言の御君の、歌を歌ってさしげたのを、御后は返答しないままなのに、御君、開いた花を見て後も、やはり歌を歌い合おうとするでしょうね、わたしは、と、独り語散て、もっとお親しくなさろうとすれば、御后、御簾を降ろして入ってしまわれるのだった。
手ごわくも、なかなか上ろうとしない月を見るような心地してじらされて、もはや耐えられずに花の近く、女の近くまで歩み出れば、とはいえ、御后ら、あきれ、驚いた気色を見せるわけでもない。
女の、少し隠れていたるところに、御君、花を取ってお近づきなさるのだが、
ふるさとを恋うる心さえ忘れてしまったのは、まさに
この美しい花を見た夕べだったよ…
ふるさとを恋ふる心も忘るゝは
この花見つるゆふべなりけり
試しに歌いかけてみれば、女、うちわを差し出してただ、見詰め、御君の一挙手一投足を待っている風情、たしかに日本の女たちの振る舞いと異なりはしない。
枯れ果ててしまえば誰であっても
花のことなど忘れるものでしょう?
名残りの匂いさえ棄てて
もう、ふるさと恋うた人さえも、
どこかへ行ってしまうのでしょう?
かれてさはこの花やがて匂はなむふる里恋ふる人あるまじく
…と答えたその風情、言いようもなく美しく、興を惹いて、御君、楽しく想われるのだった。
御子が出てこられたので、中納言の御君は居住いを正された。
趣の深い夕べであることよと、琴など出して御后に弾いて差し上げるのだが、目の前に見る御君のその姿の美しさは、立ち去られた後の朝の名残の匂いさえ、心にからだにしみこむような心地さえするものに違いなかろうと、もはや心にその匂いさえ染み付いて、鳴らされた琴の趣味の高さこそ耳には入るものの、見惚れ、聞き惚れるばかりで、だれもそれにあわせようとはしない。
女、御簾のもとで、つくづくと中納言の御君を拝見すれば、なんと、すべてにおいてまたとなく優れた方であろうかと、この方の故国に帰られた後、この御姿の見えなくなった孤独こそは《あはれ》であるかと人知らず涙さえ流す、この人の家柄は、唐の太宗とおっしゃる方のご子孫のご末裔であって、むかし、その家に秦の親王という方がいらっしゃったのである。
(注:1)和漢朗詠集秋の部菅三品
《けいらいえん(ノ)嵐攫(レ)紫後、蓬莱洞月照(レ)霜中。》
(注:2)和漢朗詠集秋の部元積
《不(二)是花中偏愛(一レ)菊。此花開後更無(レ)花。》
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之一
上手の書きたりし唐絵(からえ)に違(たが)はず、上げたる御簾のほどに、紫のからの末濃(すそご)の御几帳(みきちやう)うちあげて、唐組(からぐみ)の紐(ひぼ)、長やかに麗しきを押しやりて、琴(きん)ひき給ふなり。后のおはすると、ことことなく見ゆれば、御年二十ばかりにやおはすらむとおぼえて、御顔の容態、細くもあらず、ふくらにもあらず、よき程なるが、中少し盛りたる心地して、御色の白さは、はり白玉(しらたま)といふとも、これには優らざりけむと覚ゆるに、愛敬(あいぎやう)いみじく匂ひ薫りて、眉ものよりけだかく見なし給ふに、唇は丹(に)といふもの塗りたるやうに、いさゝかもねぢけたる所なく、あたりまでも匂ひて、髪上げ麗しき御さまにて、長閑(のどか)に詠(なが)め出でつゝ、琴(きん)を弾き給ふ。この世にかゝる事をみるやと、あさましきまで覚ゆる。日本の人は、髪は唯うち乱れ、額髪もよりかえなどしたるこそ、我がかたざまに懐かしくなまめきたる事なれと思ひ出づるに、うるはしく、簪(かんざし)して、髪上げられたるも、人がらなりければにや、これこそめでたくさまことなりぬれと見るに、物の音さへ世に知らず聞ゆるに、若き女房七八人ばかり、天降りけむ少女(をとめ)の姿かくやと見えて、菊の花もてあそびつゝ、らんけいゑんの嵐のと、若やかなる声合せて諳(ずん)じたる、めづらかに聞こゆ。御簾の中なる人々も、この花開けて後と、口ずさび諳(ずん)ずるなり。殊に男(をのこ)は歌よむめるを、女はえ詠(よ)まぬにや、花を見ても文を諳(ずん)じあへる、いと知らまほしきに、后、御簾をおろして入り給ひぬ。あかずなかなかになかばなる月を見る心地するに、え堪へず花のもとに歩み出でたるを、いたうあきれ驚きたるけしきもなし。少しはた隠れつゝ居たる所に、花を取りて立ち寄り給ひて、
ふるさとを恋ふる心も忘るゝはこの花見つるゆふべなりけり
とこゝろみに言ひかけたれば、うちはさし出で、たゞまち取るほど、我が世の人にことならず。
かれてさはこの花やがて匂はなむふる里恋ふる人あるまじく
と答へたるけはひ、言はぬにはあらざりけりと、をかしく思さる。御子出で給ひぬれば、居なほり給ひぬ。おもしろき夕なりとて、御琴ども取り出でて賜はせたる、ありつる御面影のめでたさは、名残のにほひまで、我が身にしみぬる心地して、琴(きん)の音(ね)のおもしろささへ耳につきつゝ、掻きたつべき方もおぼえず。后の御簾のもとにて、つくづくと御覧ずるに萬(よろづ)めでたく優れたりける人かな、この人帰りなむのち、見ずなりなむこそあはれなれと、人知れず涙落ちておぼされけり、この后の御本体は、唐(たう)の太宗と申しけるが御子孫の末にて、秦の親王といへる人ありけり。
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