《浜松中納言物語》③ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ③
巻乃一
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之一
三、月光の下の望郷の歌、そして琴の音の屋敷の女らのこと
八月十五日の宵、中納言の御君のおわします宮の高層の前栽、その葉々、枝々、花々が、月の光に匂うような色彩を与えられて、ことに美しく見渡されたその夕べに、御君、故郷を想い出されて、簾を巻き上げて、しみじみとその前栽の景色を眺めていらっしゃったところを、御付きの方々もみな、京の都を想い出されてさまざまの言葉を交わされあっていたなかに、ある心の機微を知る人がいて歌うのは、
むしの音も花の匂ひも風のおとも
見し世の秋にかはらざりけり
虫の音(ね)も、
花の香りも
風の音(おと)も、
我が君よ、あなたとともに見た
あの昔の秋の趣きに、
なんら変わるところなどございませんよ。
ものども感じ入り、その返歌を、みな肩を寄せ合って思案したものだったが、ややあって、中納言の御君、うち微笑みなさって、実に、…実にその通りなのだが、それでも、驚かされることも多いものだよ、とおっしゃるのに、その人、感じ入って、浅はかなみずからの言葉を恥じ入りていさえするものの、御君、その心をお察しなされば、
…しかし、ね。
置く露も、
霧立つ空も
鹿の声も、
雲居の雁も
変わらないことだよ。…そう、変わりはしない。
あなたの言う通りだね。
おく露もきりたつ空も鹿の音も雲居の雁も
かはらざりけり
…と、口ずさまれて、ものども、その御心に感じいること限りなく、ただこの歌を詠じるばかりで、もう先の歌をつづけることなどできはしないのだった。
十月一日、他よりも紅葉の盛ったさまの美しい内裏の西、《ようてい》という所に、御帝、行幸をなさる。
中納言の御君も仕う奉りたまえるのを、一目見ようと遠方の人々までもが残りなく集い来たって、そのご容貌有様をご拝見させていただけば、肝消える心地するほどのその美しさに言葉もなくて、驚嘆のこころ、想うところのある人など病に堕ちそうな気さえするのだったが、我こそはと、ひそかに心に頼むところのある人など、何とか御君のお眼に留まらないものかと願を掛けさえして、その心にただ、願ってばかりいたのだった。
御子の方々、大臣公卿らも集まって、文など作ってお遊びなさるものの、この中納言の君に勝るものもなく、めずらしくもまたとないこの人、まさに稀人であることよと、一体どこの世界の人なのか、まさかこの世の人ではございますまいと、御帝を筆頭に、ある限りの人が、ありがたくも拝見なさるのだった。
そのまたの日、三の御子、《かうやうけん》を尋ねたまうとお耳にすれば、御君、参上されて、風の荒れた凄馬じい夕暮れに、荒れた時雨の雨もときどき降って、煙をたてるほどの群雲[むらぐも]が、空を満たして、心細げなること限りもなく、かの類なき御君さえもが、恐ろしくも《あはれ》に想われるのだったが、不意に、興を惹く琴の音の鳴っていることに気付かれて、嬉しくお想いなさること限りなく、物陰にひそんで立ち隠れて聞き耳を立てられれば、その琴の音のするところ、京風の、檜肌をさらした風ではなくて、紺青を塗り固めたような色彩の柱、大方の調度も朱に塗られたそれら極彩色の、そして鮮やかな錦に縁取られた御簾なども、掛け渡して飾られて、その背後、巽(たつみ)の方角に、聳え立つ山より堕ちる滝の、高く飛沫[しぶ]きだって流れ散るのを、地のそこからわき返ったかのような無骨な岩が待ち受けた、それらのたたずまい、とても尋常のものではない。
たぎりたって水沫を煙らせた水の畔[ほと]りに、色醒めて映える木々の花々の、めずらしくも美しいさまは、目を楽しませずにはおかないのだった。
その端(つま)、女の住居にちがいないそこには、御簾を巻き上げて、かしずく女房[女官]たちも、麗しく髪を結い上げ、《くたい》領巾などして、時にはためかされるうちわの向こうに、恥じて隠れつつも、錦を敷いた縁(えん)に、十数人ばかり、並びたたずんでいたのだった。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之一
八月十五日のよひ、中納言のおはする高層(かうそう)の前の前菜、殊におもしろく見渡さるゝゆふべ、故郷をおぼし出てて、簾(すだれ)を捲きあげて、つくづくと詠(なが)めふし給へれば、人々も皆京を思ひ出でて、さまざま言ひあへる中に、こゝろばせある人、かくいふ、
むしの音も花の匂ひも風のおとも見し世の秋にかはらざりけり
と言ひ出でたる返り事を、集りてうそぶくめれど、やゝ程経ぬれば、中納言うちほゝゑみ給ひて、實(げ)にさることなれど、驚かされたるぞ多かると宣はするも、すゞろに恥かし。
おく露もきりたつ空も鹿の音も雲居の雁もかはらざりけり
と詠み給ふを、集りてこれをのみ諳(ずん)じつゝ、え言出ずなりぬ。
十月一日、外よりも紅葉の盛りすぐれたる内裏の西に、とうていといへる所に、帝行幸(みゆき)し給ふ。中納言も仕(つか)う奉(まつ)り給へるを見奉らむと、遠き国の人々さへ残りなく集ひて、容貌(かたち)有様見るに、肝(きも)消えて思はぬなく、及ぶまじきは病になりぬべく、我はと思ふ人々ぞ、かくておはする程だにも見え知られ、奉(たてまつ)らばやと、心をかけて思はぬはなかりける。御子たち大臣公卿(くきやう)集りて、文作りあそびをし給ふにも、この中納言にしくものなく、めづらかにいみじかりける世の人かなと、帝を始め奉りて、ある限りの人、めづらしがる事限りもなし。その又の日、御子かうやうけんに出でたまひぬと聞きて、参り給へれば、風すさまじき夕に、時雨(しぐれ)時々うちそゝぐほどの村雲立ち渡りて、心ぼそげなる事限りなく物あはれなるに、又知らずおもしろき琴(きん)の声を聞きつけたる、嬉しきこと限りなくて、さるべきものの隈に、立ち隠れて見れば、おはします所は、きやうのひはだの色もせず、紺青を塗りかへしたるやうに、唯大かたの調度(てうど)は赤きに、朱塗りたるさまにて、錦の縁さしたる御簾(みす)ども、かけ渡して飾られたるに、巽(たつみ)の方に、大きなる山より瀧(たき)高く落ちたるを、わきかへり待ちうけたる岩のたゝずまひ、尋常(よのつね)ならず。たぎりて流れ出てたる水の邊(ほとり)に、いろいろうつろひ渡れる木々の花の、いとおもしろきを、玩(もてあそ)ばるゝなるべし。そなたのつまの御簾捲き上げて、いみじうさうぞきたる女房、うるはしく髪あげ、く帯(たい)領巾(ひれ)などして、いろいろ団扇(うちは)をさし隠しつゝ、錦を敷ける縁(えん)に十余人ばかりならび居たり。
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