小説 op.5-02《シュニトケ、その色彩》中(一帖) ⑤…木漏れ日の中の、君を見る。



このピリオドで、《一帖》は終わりです。

次に、《brown suger》とう、短いインテルメッツォを挟みます。

それは、Thanh タン という少年の、短い思春期を描いたものになります。

《上》に出てきた、あの少年です。


ところで、今回のピリオド、お茶会が出てきますが、

個人的には、このあたりの描写、結構気に入っています。

気に入っていただければ、ありがたいのですが…


2018.06.17 Seno-Le Ma










シュニトケ、その色彩

一帖









皇紀が Nhgĩa-義人の肩をたたいたが、彼は何を言われたのか分からない振りをしている。彼が、振りをしたことを皇紀は微笑んだ眼差しごしに確認している。視界に、空全面を覆いかけた部厚い雲の白さがあって、それが山の連なりの頂にぶち当たって斑の白の奔流は雪崩れを起こしていた。それは静止していて、寧ろ山が帯びたむごたらしい積雪の残骸のようにさえ見た。あるいは、ありえない大津波が襲い掛かった瞬間に、それらの全てが凍結し凝固し、飲み込もうとする破壊の振りかぶった瞬間ごと永遠に停止させられてしまったようにさえ。「なぜ、ベトナムに来たと思いますか?」加奈子はしゃべり続ける皇紀の唇を見ていた。「友人が居ます。」…ねぇ、「韓国人の。かれも桜桃会の会員ではないが、」もういいよ。あんなたが、「我々に魅了されています。外国人は」気違いだってことだけ、みんな「魅了されますよ。」わかったから。「だれでも。」よっく、…ね?「理解できませんから。」よおぉく、「自己の尊厳にかけて腹を切るなんてね。」わかるから。「彼らのことを非=工作員と呼んでいますが…」なにも工作しているわけでもない。皇紀が笑う。実際、彼らが思っていることを、誰もがそうしているように、ネットにアップしているだけ、ですから。「でしょ?」皇紀の笑顔の先に「彼らが今、」見詰められた窓の外の「インターネットで何をしているか知っていますか?」雲の群れが白く「韓国で慰安婦問題にかこつけた反日運動を煽動し、」白濁した。「ベトナムでライダンハン問題にかこつけた反韓運動を煽動しようとしている。どの国にもあるでしょう。そういう、穢い過去がね。民族性に訴える、穢された過去がね。彼らは今、沖縄でも反米運動をやっている。基地問題に関してね。今のところこれだけ。あとは人員と言語能力の問題で…ただ、まだ、これから増えますよ。」支配したいんですか?私は言った。「あなたが。…あなたたちが?」









新しい、あなたが作りだす新しい日本国を?

「まさか。政治家じゃない。支配力を求めるものは、みんな、家畜ですよ。誰かに飼われている家畜だから、支配したがるんです」あんたも、と、言った加奈子と目が合った。「家畜じゃない」

「汪の?」私は、言って、そして、同時の…ああ、と、その「社長ですか?」皇紀の声を聞く。皇紀は言った。「死んだんでしょう?」あんなたが、ね?加奈子が「殺したのは誰よ?」皇紀に、寧ろ笑いかけて、でも、…ね。なんで、「あんたたちそんなに暇なの?」言ったが、「お金があるからです。」皇紀は悪びれずに「社長もそうでしょう?…お金持ちか、食いっぱぐれないちっぽけでありきたりのやつらの惨めな狂気が、世界の知性の限界なんじゃないですか?」皇紀は声を立てて笑った。「いずれにしても、社長はなくなったので、…殺したのが私でも義人でもだれでもいいんですが、もう、彼を、」息を付いた皇紀が私に微笑む。「彼の思い出を穢すことだけはやめたい。」利用することも、…ね?


最早語らない口を無理やりこじ開けて見せるのも、なにも、かにも…そう独り語散って、言葉を濁し、皇紀は肩をすくめて見せた。あいつも、と、まだ日本に居るときから、加奈子は皇紀をなじったものだった。「汪の女の癖に、自分だけは関係ない、みたいな顔してるの。」汪は、桜桃会はもともと汪が皇紀の本名、その桜子という女性名から取ったものだと言ったが、「いけない」汪は言った。

桜桃会のお茶会に参加した皇紀が女性として和装で現れた瞬間に、いけない、と。皇紀は、…桜子は、まさに美しかった。顔をしかめて、そして舌打さえした加奈子に、「妬いてんの?」

「まさか」

「うそ」だって、と言う加奈子の声を聞く。「パパはさ、なんでもいいんだよ。甘えさせてくれればね。はべらせてくれればね。あいつって、」と、「女にほれたことなんかないよ」くれた目配せの「愛したことなんか、ない」意味を私は「…誰も。」探り、「愛?…って?」おまえは?


「お前は、どうなの?」言った私を「誰か、愛したことなんかあるの?」

「ない」振り向きもしない。「たぶん。…あるけどね、」と、あるよ。


「ある。…めっちゃ、ある。」…いっぱい。加奈子は言った。麻里子のそばにいるとき、気が遠くなりそうな気がした。私は明らかに彼女を愛していたが、愛されることを承認してしまえば、膨大な時間だけが残されていた。

どれだけの時間を、私は浪費してしまうのだろう?愛している、という、自分自身信じても居ない薄っぺらい言葉で、そう言うしかない現実を生き抜くために、私たちはどれだけの時間を濫費し、無駄なスキンシップに時間を浪費し、時に性交、あの、単に動物的に過ぎない行為によって確認し、そして、その無意味な言葉をその、無意味さの故に、その、封印してしまったら、それは、私たちが二人でいる、その、意味もまた、決定的に喪失された。

逃げようがない袋小路が私たちを待っていた。

もう、経験したくはなかった。

慶介が、例えば発狂して、今私を殺してくれたなら、と、時に思った。そうすれば、もっと楽なのに、と、そして、聡明な慶介がそんなふしだらな行いには無縁であることなど知っていた。人間として、その、精神的存在として、明確にふしだらな、その。


そのふしだらさには寧ろ私のほうが近かった。私の手が血に染まるかも知れない実感が、時に私を恐怖させた。終わらせられるのは受け入れ獲る。しかし、終わらせることは受け入れられない。「嫌いに為った?」三年前、桜桃会の人間たちに強姦された次の日に、彼女の部屋に見舞った私に加奈子は言った。「…ね?」

「誰を?」

「私を」むしろ、微笑んで、「なんか、穢されちゃって、もう、駄目って。もう、愛せないって。要するに、…」

痛々しく、包帯を腕と、首と、左目に眼帯を。


「嫌いに為ったかって?」そ、と、そそ。そ。…そう。

唇の下に貼られた絆創膏が血の汚点をにじませた。そう、…

「それ。」

加奈子は言って笑ったが、別に、と、呟く私に、知ってる。独り語散た。「でも、好きでもないよね?」

「お前は?」

「知ってるでしょ。」別に、と、加奈子は、「好きってわけじゃない」


「好きな人っていたの?」…え?「…今まで。」恥じらうような眼差しに「だれ?」私を捉え、「なに?」どんな?、…て、…ん。









「誰?」と言った私に、んー……、秘密。彼女は言った。見つめた。黒目が瞳孔を開いたまま、そして凝視しているのは知っていた。その向こうに彼女の視野が開け、その中に私は絡娶られ鮮明な像を描いているには違いないが、瞬きもせずに、その一切は気配さえ立たない。匂いさえしない、そのむこう側の現実が、すでに私には永遠に奪われて仕舞ったことを確認させられながらも、まばたく、その、例えば Trang の眼差しのどこかに、もう、そこに彼女がすでに居ないのではないかと、時に私は彼女の喪失を疑う。触れられないその頭部の中で、彼女がすでに破綻していたとしたら?さまざまな死に一気に触れた彼女がすでに、どうしようもない距離の向こうに隔たっていたのだとしたら Danh に冗談で言った、愛に言葉は必要ないから、と言う戯言が、逆巻いた暴力になって、私を攻め立てる。言葉の問題が包み隠して、彼女がもう人間の残骸として、そこに息遣っているだけであることに、気付かないでいるだけなのだとしたら? Danh も否定するとおりに、彼女はまだ壊れては居なかった。そんな事は知っていた。ただ、どうしようもなく不安なのだった。守ってやると言ったところで、守るとは一体、何を言うのだろう?触れることさえできないものを、守ることなどできるわけがなく、そして、にもかかわらず壊してしまうことはた易い。その理不尽さに、私は動揺する。「だいじょうぶ?」言えば、Trang は、耳の中に言葉を確認した後で、だいじょうぶ、と言った。…だいじょうぷじぇっ何が大丈夫で、なにが心配されているのか、私自身にも理解されていないそれらが彼女に理解できるはずもなかったが、Trang は私を明確に理解していた。

私の頬に両手でふれ、微笑をくれる。

まるで女にしか見えない皇紀に言った。「いつまでいるの?」加奈子は窓の向こうを見ていた。「ベトナムに、ですか?」

「いつまで」

「すぐ、帰りますよ。用は終わったので。非=工作員、ですね、彼ら、《近代アジア史研究会》っていうんですけどね。話は終わったし、…日本にも、まだ、残党たちが、ね。たくさん待っていますから。」皇紀は東南アジア風の褐色の肌をしている。何かの混血なのかと疑うほどに、あざやかに陽に灼けているが、華奢に見える体躯は手足が長く、顔立ちは彫刻の造型を砥いで鋭利にしたほどに、無駄がなくシャープだった。色気さえ感じないときがある。或いは、皇紀自体がそれを自らに禁じていただけなのかも知れなかった。うしろでひっつめられた長く、量の多い髪の毛は、サムライのような、と言えばそうに違いなく、単なるポニーテールと言えばそれに他ならない。血色はよく、抽象的にすぎるかも知れないが、誰が見てもその美しさを否定できない。汪がお茶会を開いたときの皇紀は、私たちをぞっとさせた。彼は、あるいは、女装である限りにおいて、彼女は、美しかった。

桃色の更紗のかかった生地に、筆先を触れた程度の描線の散乱だけで花々の散華を暗示したその着付けは、たしかに皇紀の顔立ちを引き立たせて、美しくはあっても個性的ではないその相貌は目立ちすぎることなく寧ろ着付けの陰に隠れさえし乍ら、結局のところは、美しい着物を着た美しい女性がいる、ただ、それだけを、気品を持ってあらわした。見事だと思い、見事だというしかなかった。着付けを着るのでも、着付けに着られるのでもない、存在のごく自然なたたずまいを、ただ、無言のままに装うのだった。傍らに、汪のしかめっ面を見た。汪の不興を買いながら、しかし、彼も、直接それを咎めることはできなかった。有栖川公園に作った即席の茶席の朱の上で、皇紀は美しさの成り立ちとその限界をも示していた。崩壊寸前に至ることはあっても、崩壊さしめない立ち居振る舞いの自由な見えない制限を、皇紀自身が楽しんでいたに違いなかった。

晴れている、というしかないほどに晴れていた。午前の力を増し続ける光が、皇紀たちを直射した。茶席など設けるのに適した気候でも、時間でもなかった。尾上と言うやくざの誕生日のために汪が企画したものだった。全てがでたらめで破調の流儀の中に、皇紀はただ淡々と為し獲る作法を、やや破調に傾き乍ら丁寧にこなすだけだったが、その中に、美、と呼ばれるものの実在は正確な形姿を表そうとしては所詮現実の中に、澱んで消えうせて行った。皇紀はその明滅を、肌そのもので感じていたに違いなかった。

周囲にざわめきが立ち、尾上たちが汪と十年来の親友のように笑う。源薫を殺した尾上を、汪は誰よりも寵愛していた。ことあるごとに呼び出される尾上は汪に媚びた。彼らの話し声と笑い声は、皇紀を前にしたときに、あくまで他人事にすぎなかった。目を閉じて記憶に残そうとして、残像すら残せないほどに、壊れたところのない端整な皇紀は、そして、私が彼女を強姦した時の記憶が、それでも皇紀が壊してしまい獲る人間の独りにすぎないことを思い出させた。

皇紀を壊すのはあまりにもた易かった。そして、今、目の前の皇紀には、触れることさえ困難に思えた。「どう思いますか?」眼もあわせずに皇紀が言った。お茶をたてていた。私が捉えた皇紀の姿の向こうに、夏の葉々をいっぱいに茂らせ、それに自ら埋没してしまったような樹木の連続があった。お互いに無関係のそれらは、ついに無関係にそのそれぞれの空間を支配し、のた打ち回って地をめくりあげさえしている太い根の盛り上がりは、樹肌のような変質を見せ、最早、樹木の群れはお互いに入り混じって、つながりかけてさえいた。それらにとっては当たり前のゆっくりとした、数時間を一秒だと認識したような時間の、その膨大な流れが、それらの正確な文節をさえなし崩しに崩壊させて、にも拘らず、それらは、覚醒した静謐の中にだけ、ただ、在った。「どう?」

…え?、と言った私に、「どう?」再び言った皇紀のその言葉は、明らかに女性の口走ったものに他ならない。

眼舞いさえ覚えながら、眼差しが捕らえている美しい女が皇紀に違いないことを、改めて認識する。麻里子に似ている、と思った。それに気付いたとき、寧ろ、そんな事は既に知っていた。死にかけた、体毛を失った麻里子を見た瞬間に、いま、殺して仕舞おうかと思った。あの、あまりにも抽象的な麻里子。

人間の形姿をただ抽象化した、死にかけの生々しい麻里子。

病気なのだろうか?癌、その麻里子の身体的現象に過ぎないもの。それは、本当に?毎日数千個生産され続けるのが当たり前のがん細胞の異常発生に過ぎないもの。病気と、呼び獲るのだろうか?正体のわからない、最早運命とでも言わなければ納得ができないその、暴力的な現実の中で、麻里子が殺されてしまうならば、寧ろ私が自分でその命を破壊して仕舞いたかった。紅を塗った、皇紀の唇は微笑みもせずに、私の言葉を待つ。お茶が差し出され、「そう、…ですね」そう、…と、私は綺麗ですね、と言った。沈黙があって、茶は眼差しの下のほうで細やかに連なり重なった気泡を潰している。茶を手にする瞬間を逃がして仕舞った、と思った。すべては、最早、手遅れだった。「死ぬでしょうか?」…え?、と、その私の声を、私たちは聞いた。いつか、と、皇紀は言い、樹木さえもが枯れてしまいます。「そうですね」言って、その瞬間、私は茶を手にした。すでに、時を逃がしてしまった緑の液体を。

桜桃会はもともと生花の団体だったと加奈子が言っていた。汪のお抱えだった源薫というベトナム人は毎日花を活け、彼の周囲の側近たちの、いわば重なり合ったでたらめで適当な私語の群れがやがては桜桃会になって行った。薫が死んだ命日は十二月二十四日だった。汪が殺したの、と、加奈子は言った。なんで?「権力争い」尾上じゃないの?

殺させたのよ。でも、ね。

薫さんが汪をあんなふうにしたのよ、と加奈子は言う。薫が日本に来た八十年代末期の日本の、戦後形成された右翼は、薫には理解しやすかった。大日本帝国の敗北した焦土の上に、その、やがて残留日本兵と呼ばれる残党たちは、彼らの国粋主義集団かあるいはソシアリズム集団を形成し、同じ頃、やがてベトナムと呼ばれることになる、旧大日本帝国旧殖民地の当時国籍不明の更地には、やがてベトナム人と呼ばれ、あるいはもとからそうだったと自覚を促されていた集団によっていくつもの国粋主義集団とソシアリズム集団が生まれていた。

サイゴンから中国にわたった薫にとって彼の故国はあるソシアリズム集団に征服された国にほかならなかった。ベトナムの正統国家を標榜したその、ある政府は、彼らの国体を不当にも維持していた。独立戦争を経なかった日本はまだ、逆説的に誰にも支配されては居なかった。日本政府を名乗る政府が永田町を占拠していた。かつ、アメリカ軍は残留し、基地を造り、同盟の名の下に軍事的にはアメリカの傘下にあった。かつ、非合法ソシアリズム集団も、非合法右翼集団もそれぞれに彼らの歴史と倫理を構築した。薫にとっては日本は、まだ《ベトナム》になってはいないその猶予にある入り組んだ更地に他ならなかった。《ベトナム》は彼を追放し、彼は《ベトナム》を棄て、そして、日本はまだ誰をも追放できていなかった。ベトナム語と中国語は、そして中国語と韓国語は明らかな類縁性のある家族言語に他ならないないが、日本語は中国語をとりこみながら、どこまでも孤立した言語にほかならず、奇妙な、日本人にしか理解できない文化が栄えた。鎖国がそれを補強していたが、戦争の後、それらの固有文化はすでに失われていて、誰もが反動主義者としてあえて日本人になろうとする限りにおいて、その文化の固有性をかろうじて継承しているにすぎなかった。源薫にとって、多くの日本生まれの人間たち同様、それらの固有文化は理解し難く、難解で、誰のものでもない限りにおいて、誰のものにでもなり得るた易ささえ持ち、隔絶したその共有の困難さは、彼に、容易に執拗な美しさを感じさせた。象徴たる天皇は、象徴にほかならず政治的には無効に過ぎないが故に、その限りにおいて、《右翼》を実体化させた。天皇が政治的存在であるならば、政治はあくまでも彼の営為にほかならず、それは彼が組織した政府にすぎないが、彼に政治性が否定された以上、彼に象徴させれた国民は《右翼》として政治集団あるいは言論集団にならざるを獲ない。象徴天皇制において初めて《右翼》は可能になる。彼らは大日本帝国が壊滅してしまったその故国なき移民に他ならない限りにおいて、戦後の日本国にたいしてそもそもが外国人であって、その事情は源薫にとっても、なんら変わりはない。日本における移民に他ならない彼らは《右翼》として、彼らの革命を求め、準備をした。「人を殺したことがありますか?」汪が言った。茶を飲んだ後、樹木の下で休み、今、離れた向こうの視線の先で、皇紀は尾上たちに茶を振舞っていた。「いえ、」…まだ、と言いかけて、何を言わせたいんですか?、と、それは口にされることなく喉の奥にだけ反覆される。ないの?うなずく私を見て、「戦争なら、いっぱい殺したよ。ベトナムでね。生き残ってるって言うことは、そう言うこと。勝っても負けてもね、生き残ってるって言うことは、殺したって言うこと。でも、個人で、…ね。わたしは一人だけ殺した。聞かなかった?」









「誰に?」

「加奈子さんに、」と言って、汪は私の腰を抱き、彼女はなんでも知ってるから、…ね。笑う。なんにでも、よせばいいのに、首だけ突っ込んで、…ね?、で、何にもしないの。「でしょう?」笑う汪の切れ長の細い眼はいつも、その瞬間に潰れてしまうので、彼が本当に笑っているのかどうか、結局は誰にも分からない。「薫さんを殺したことがあります。十年位前。フィリピンで。覚醒剤の製造のね、拠点つくったり、フィリピン人連れてきたり、忙しかったからね。由紀乃さんの旦那さんも一緒よ。逃げちゃったよ。私が奪ったんじゃないよ。みんな誤解する。私は彼女、守ったよ。…ね?震えたよ。迷ったよ。何回も、考え直したよ。でも、ね、自分が正しかったよ。セブ島の山の中。綺麗だったね。日本より綺麗だと思う。もっと、ごちゃごちゃしててね。」

「何があったんですか?」

「何かあってからするのは素人だよ。由紀乃さんたちを守るためだよ。彼女たちには普通の、幸せな女の人になってもらいたかったから。そうしたかったからよ。」夏の日差しにまばたく。有栖川公園の、所詮人工の自然樹木の濫立の中に、思い出したように、私に再び聞き出され始めた蝉の羽音の木魂しが茂った樹木のどこからか聞こえていて、確かに、これらの音響はすでに執拗に私に聞かれ続けていたのだった。私はしずかに息を吐いて、いまさらのように心を落ち着かせようとし乍ら、しずかですね、そう言って掻霧之(かききらし)

雨零夜乎(あめのふるよを)

杜鵑(ほととぎす)

鳴而去成(なきてゆくなり)

哀怜其鳥(あはれそのとり)(巻九 詠杜鵑一首 反歌)





2018.02.20-28

Seno-Le Ma





Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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