簡単な自己紹介。および、フーコーの短い引用
自分の人生を話す、というのは、とても難しい、ですよね?
しかも、尋常ではないくらい、ものすごく。
しかし、自分のプロフィールを書くことなら、意外に簡単なので、とりあえず。
1974年生まれ。…結構、いい年齢ですね(笑)。
15歳くらいのとき、トラウマの発覚期、というのを経験しました。
発覚期、換言すれば、あ、俺って、《虐待》されてたんじゃないの?というのに、自分で気付く時期、ですね。
たいした《虐待》ではありません。
ほんのささいなもの。微妙で、微細で、繊細なもの。
そして、執拗なもの。
そうなると、なんか、こう、…壊れますよね(笑)。いろいろなものが、ね(笑)。
笑っちゃいけないのですが、笑うしかないことでもありますね。
24歳のとき、大学院の近代文学で修士を取りました。父親の会社が倒産しました。生きて行くために水商売を始めました。
ぽんぽんぽんと書きましたが、無茶な経歴です。
歌舞伎町とか、六本木とか。10年ばかり、ですね。
今にして想うと、けばけばしい生活(笑)。すさんだ、といのとはちょっと違う、なにか、荒れたもの。そういう、いわゆる夜の生活ですね。
もっとも、夜の街の中で、僕も、誰も、彼も、みんなまじめに生きてるんですけどね。
本当に。
まじめに生き、まじめに愛し、まじめに傷付き、まじめに傷つけ、まじめに騙し、まじめに貶めてる感じ。
実家には7年くらい帰らなかったし、連絡も取りませんでした。
換言すれば、人間のくずだった、とも言いいますね。いや、本当に(笑い)。
水商売を上がって、不動産屋さんに拾われました。
いつまでも水商売じゃない、というのと、単純に飽きたんですね。
夜の生活に。
そして、昼の世界でどれだけ出来るか、試してやろうか、といううぬぼれもありました。
結構、頑張ってましたよ。
最初はなれなくて大変でしたが。
そんななか、わたしを拾ってくれた不動産屋さんの、美人の専務さんに、諭されたことがありました。
お叱り項目は3つです。
1、実家に一回くらい帰れ。
2、普通の人間になってみろ、と。
3、いつまでも穴倉の中にいるな、と。
うるさいので、いやいや実家に帰ったんです。
休みをくれましたしね。専務さんが。勝手に。しかも独断で。
もう、従うしかない(笑)。
で、7年ぶりに実家に帰ったとき、誰の電話番号も知らなかったので、実家があったはずの場所に直接行ったら、他の人が住んでいた(笑)。借家だったから。
これには、ほんとうにもう笑うしかなかったですね。
近所の人に聞いて、いろんな人に連絡とってもらって、やっと電話番号を聞きだせました。
探し出すのに3時間ぐらいかかりました。
ところで、実際、穴倉の中にいるな、といわれても、リアリティはなかっですね。まったく。
けど、なんとなく、気付き始めたんです。実家が見つからなくて、本当に役立たずで人のお世話になっているときに。
やさしく非難されますしね、みんなに。
もう若くもありませんでしたしね。
自分では、その職種に応じて、良くも悪くもそれなりに器用に生きていたので、かならずしも穴倉の中にいた気はしなかったんですが、しかし、やっぱり、不動産屋で《普通の人》と話すと、なんか、浮くのも事実なんですね。
当時の不動産ファンドとかの偉い人とか、そういう尖がった人と話すぶんにはそれなりにそん色ないんですが(…いや、本当に)、普通の人と話してると、なんか、違う。
この感じ、うまくいえません。
自分が、優れた人間だった、と言いたいんじゃないですよ。
ベンチャー系のトップを走ってる人のいかがわしさ・きなくささって、なんか、自分たちと似ていた。
反して、《普通の人たち》。なんか、チキンを相手にしてる感じがするんですね。
所詮、出してるスピードが違うんだよ、みたいな。
そういうことを、その、年配で、人格者で、品があって、美人だった専務さんに言ったら、それはお前が100%間違いだ、と言われた。
その、《普通の人間》にもされないヤツが偉そうなことを言うな。ごくまっとうな《普通の人間》なってから文句を言え、と。
結局、なれなかったんですね。
その時は。
で、懲戒免職になったんです(笑)。
単純に、黒いお金の流用をしたんですね。
その時も、その専務さんには、なんとなく、守っていただきました。
いま、曲がりなりにも生きているのは、その人のおかげかも知れません。
もう、いまは、その方は、空の上で遊んでいらっしゃいますが。
そして、ほぼ同時にリーマンショックが来て、当時の尖がった《普通じゃない人》たちはみんな、駄目になっていきましたね。
そういうことなのかな、と。
なんか、本当に変わろうと想いました。
自分を変えようと。
バイクに例えると、
40キロとか50キロとかで普通に公道を走る事ができない人間の出す140キロは、
交通規則を守れる人間の出す140キロには及ばない。
世界観の厚みが違う。
見てる風景が違う。
…たぶん。
それから、本当に《普通》になろうと想って、飲食店で働いたり、飲食コンサルティングの会社で働いたり。
で、何年か前に、ベトナムに来て、定住し始めたんです。
いま、日本語教師です。ベトナムで日本語を教えています。
結構、優秀だと想うんですけどね。
最初から最後まで全部、会話で教える、という。
会話徹底型。
もっとも、免許・資格、ないんですけどね(笑)。
結局《普通》じゃないという。
もっとも、これは、医学の世界でも、《ブラック・ジャック》とか、古くからいますからね。
美しい日本のつつましい伝統と言うことで(笑)。
ちなみに、その、ながーい紆余曲折上り下がりの間、小説家になりたいと想ったことは一度もありませんでした。
なぜ、いきなり、このごろ小説など書いているのかと言われれば、なんか、書ける気がしたから、と、それ以外には、ありません。
というか、デヴィッド・ボウイさんが亡くなったとき、あと5年で世界が滅びる、というシュチュエーションで、仮面をかぶったトランスジェンダーの美少年が涙を流す、という場面が降ってきたので(笑)。
その場面を書くためだけに、いろいろな小道具・小細工を整えたのが最初の《蘭陵王》です。
自分が書いたものを読んで、これ名作!と想ったことは、残念ながらまだありません。(もっとも、おもしろいなとは想いますよ。…いや、わたしはね。あくまでも、自分自身はね。笑)
とはいえ、やっぱりいろいろな経験をしましたし、
いろんな時代をそれなりに生きてきたので、人間も時代も、比較が出来るというか。
なんか、昔に比べて余裕があります。
なんか、書けそうな気がしたんです。
それに、小説って、言葉にならないものを、ちゃんと記録できますよね。
言葉にならない・出来ないもの、
あるいは、いいとも悪いともいえないもの、
あるいは、悪いものに他ならないにも拘らず・悪いといわなければならないにも拘らず、それを悪いと言うことに、どこかで痛みを伴ってしまうもの。
なにも、共感などないのに。
正当化できないことなど、120%論理的に知っているのに。
そういう、めんどくさい、そして、やわらかい、そして、付きまとって逃げ切ることの出来ない、なにか。
そんなものを、優れた作家の作品は確実に記録している。
ドストエフスキーでも、バロウズでも。
だから、彼らの小説は、おもしろいとか、ためになるとか、勉強になるとか言うより、なんか、痛い。
小説を読む、という行為に惹かれるのは、そういう、いわば、やわらかく鋭い痛みを与えてくれるから、という以外にはありません。
わたしは。
ちなみに、日本語の辞書は、基本的に《あいうえお》順に並んでいますから、辞書を開いて最初に覚える言葉は、《あい》つまり、愛、ですよね。
…愛。
愛と言う事態、愛するという動詞の、具体的な意味も、実は、あまりにも膨大で、あまりにも難解で、あまりにも複雑すぎるために、かならずしも説明する事ができません。
すくなくとも、わたしには。
にもかかわらず、当たり前だが、わたしたちはそれに塗れて生きています。
…愛。
例えば、愛。そういった、言葉にならないもの。説明しきれないものが残す痕跡を、トレースできたらいいな、と想っています。
もっとも、職業作家になりたいわけではないので、それに対して何か努力をしているわけでもないのですが。
いま、ネットがあるので、それで生計を立てようとしない限り、自由に、ネットに流しちゃえばいいんじゃない?という気がします。
フーコーは言っています。
《ただ、私は爆発物としての書物を書きたいと思う。つまり、誰かがそれを書く、あるいは読む、まさにその瞬間に役に立って、あとは消えてなくなってしまう、そういった書物です。》
そういうもののを、書いて、消費されて、消えうせてしまいたい。
もし、読んでいただけた方の、なにかの起爆剤になれたら、例えそれが一瞬であっても、嬉しいと想います。…
ところで、お前は普通になれたのか?
―前よりは、まともだと想いますよ。たぶん、ね。
2018.05.29
Seno-Le Ma,
Da Nang, V.N.
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