小説 op.4-03《愛する人/廃墟の花》⑨…世界が滅ぶまで、君と。
男がかじりついた瞬間に、妹が声を立てて笑った声が、空間に、すっ頓狂な時間のひずみを一瞬、うがった気がした。わたしは知っている。わたしがいま、微笑さえしていたのに。どうしようもない既視感がやまない。果物の球形に光がぎざついて反射し、瑞々しく、光ごと男の口はそれを食いちぎった。
音をたてて。
噛み砕く。…ほら。おいしいよ。顎は咀嚼する。
男が言っている。
笑いかけながら。あなたも、どう?…ね?
…nhe.
…ニェエ。
…ね。その青づいた果物の球形に触れた瞬間に、…それに、指さきが触れようとした一瞬前に、思い出してた。わたしは。妻を殺したときの記憶。
旧東京市街区の廃墟の中。
崩れそうなビルの谷間。
割れたガラスの破片の、路面に点在したおびただしく細やかな反射光の散乱。
死んだ妻の死体を廃墟のビルの壁にかくまう。なぜ?もはや誰も奪い去りはしないのに。誰からも咎められはしないのに。既に多くの人々は死に、いま、死にかけ、やがて死を迎えるに違いない。向こうで《死者たち》の一人が、飛び出した鉄筋に突き刺さったまま、右腕を上下させた。路上の真ん中の巨大なコンクリート片の残骸に、猫がたたずんで、しかし、鳴き声さえ立てない。人間の、人間らしい死。特異種とは違う死。痩せた青白い妻は生きているうちから、もはや、すでに半分死んでした。むこうで爆発音がした。死んだ都市の死にかけのパイプラインが、いつもの自然爆発をしたに違いなかった。また、誰か死んだだろうか?美しい妻。女優さんみたいね?清楚な、端整な。…ほんとに。女優さんみたい。そのやつれた、黒ずんだ口からの垂れた血痕の赤さ。耳から流れていた血が指さきに触れる。なぜ?そんなところから、何故?と、それは最早どうでもいい。彼女は既に死んでいた。息が荒れている。三歳になる子供はわたし自身が殺した。死んでいたから。原爆症なのか、白血病なのか、がんなのか、それは知らない。痩せ、やつれきった身体が、わたしが遅く目覚めたその朝に。ベッドから立ち上がることもできないままに。妻は泣きもしなかった。ただ、悲しんだ。《重度汚染地区》には、すでに、生存の可能性などなかったが、ここよりほかに行くべきあてもなかった。なぜ、こんなところに生き続けたのだろう?離れ難かったから?すべてが崩壊していたにも拘らず。やがて、妻にその時が来るのを待つ。子供の覚醒は早かった。幼さなかったから?数時間後に起き上がろうとした彼の身体に、ガソリンをぶちまけてわたしは火をつける。燃え上がるそれを背後にして、わたしは奥の彼女に言う、逃げよう。彼女は目を伏せていた。怯えて、震えてさえいて。燃えうつる前に。火が。…逃げよう。家屋は既に火を移している。声はしない。子供の声は。行こう。子供をふたたび殺すのはわたしの仕事だった。わたしたちが決めたことだった。彼女がそれを望んでいた。パパに、してもらいたいよ、たぶん。あの子も、きっと。埋葬は?…埋葬は。炎の中に。遠い空を、T.O.M.の巨大な影が、月を隠して、向こうに、音も無く停滞しているのを見やる。月からぶら下がった巨大で平らな黒い影。それ。もうすぐ夜が明けるに違いない。それはいま、沈みかけている。妻は未だ目ざめない。もう、二度と目覚めることは無い。まだ覚醒しない、死んだままの妻。もう二度と、彼女が目覚めることはない。起き上がって、何か、どうでもいい文句を並べ乍らわたしに笑いかけることは。火をつけるべきガソリンも無いわたしは、彼女を抱きかかえて、廃墟を登る。崩れかれたビルの群れ。片っ端から割れたガラス、その破片。夜の暗さが薄れ、差し始めた光に、夜の消滅に先行するように、きらめきを空間に放ち始めて、明けはじめた夜。屋上に上がる。あえぐような息。もうすぐ?わたしが死んだら、覚醒したわたしを誰が埋葬してくれるのだろう?最後の人間たちの一人として。広大な空間。すべてのものが崩壊した、どこまでもつづく廃墟の群れが、空間に荘厳なたたずまいを与えた。空間はなにも崩壊していなかった。人間たちの営為だけが崩壊していた。屋上の、罅割れた床の上に妻は身を横たえて、もう何時間も待っている。何時間も。時間の停滞。待つ。夜明けの光。冬の、冷たい大気の中に。体が震えていた。寒さに。悪寒に。わたしが、その、見つめられていた指先が動き始めるのを認めた瞬間に、時は来たのだった、ときは、と、思う。
わたしは。
わたしの腕に抱かれた彼女の冷たい身体は、そして、その目がふたたび開いて、わたしを見つめた気がした。わたしは手を放した。落とす。地上の一番下に。廃墟のこ高い屋上から。堕ちる。妻の身体は。その、目覚めかけた身体を、ふたたび目覚めないように、完全に破壊するために。もう二度と。何かにぶつかって、撥ねるそれ。もっと。思う。もっと、取り返しがつかないほど、破壊してくれたなら。その、落下が。彼女のために。
妹の、手が触れた。彼女の妹の。わたしの指さきは、果物の新鮮さに触れたまま停滞し、それがかすかに震えているのは知っている。茫然と、そして、涙はない。叫び声も。表情の変化さえ。…どうしたの?そう言っているのは知っている。彼女が。あなた、どうしたの?そして、だいじょうぶかしら、彼?そう、話されているのは知っている。親密な、やさしい気配が、わたしたちの中に流れる。時間がやさしい。わたしたちの時間は。わたしは彼女の唇に触れた。のばされた指先は。その温度に。彼女は、そして、彼はそれを許した。慰めるように、わたしを見つめたままで。
思い出す。なんども。瞬間ごとに。泣き叫びながら、それは悲鳴を上げているようだった。耳元にじかに響いている自分の声は、遠くの、はるかに遠くの背後のほうで聞こえていた。地上に降り立って、わたしは探したのだった。あのとき、妻の死体を。屋上で、何時間かの無駄な時間を過ごしたあとに。体中が重い。骨が痛かった。骨の内部が、そして、歯茎が血を流している気がしていた。確認のために突っ込まれた指はなんども見られたが、それは一切血を付着させていなかった。わたしは血にそまっている。彼女の血に。わたしは悲鳴を上げている。地上、真ん中で罅割れて、大きく競りあがったアスファルトの路面の傍らの凸面に、見つけた。わたしは、叩きつけられて原型をなくしかけた彼女の四肢の、その痙攣するような筋肉の動きを。這う。まさに、生き返ったかのような。叫びながら。泣き叫びながら?いや、わめき散らしながら。悲鳴を上げて。動物の。もはや、単に、追い詰められた動物の声帯の振るえ。ガソリンさえあれば、綺麗に燃やし尽くして仕舞えるのに。わたしは失心しそうな意識を、なんども無理やり覚醒させながら、知っている。砕けたコンクリート片をつかんだ腕が、それは必死に、彼女の身体を叩き潰すために振り下ろされていて、彼女のために。その、わたしの腕は、コンクリート片をつかんだ、それ。血にまみれ、何度もしぶきを上げてわたしの体に触れるのだった。じかに。彼女の血は。彼女の、声。手。あの子、まだ生きてる。ガソリンに火を放った後に、息を切らせたわたしの背中に彼女は言った、まだ、と、生きてるよね、まだ。
…永遠に。
…ずっと、と、「そうだね。」
わたしは言う。
ずっと。
永遠に、思い出の中に。
…いっしょだよね?
生きてるよ。
…心の中に。
…わたしたちの。
…永遠に。…彼女も、まだ。血に染まった手。ちぎれ、潰れた筋肉片に、じかに触れる。その指さきは、そして、生存の確認。筋肉片の、未だに死に絶えない、生存反応。もっと。ふたたび、もっと。もっと、深刻な、絶望的な破壊。もっと。生きている。もっと。守るために。彼女を、守るため。あいした、彼女を。わたしは。守るために。彼女。わたしの、わたしだけの。彼女の。彼女、その愛。その尊厳。もっと。もっと、絶望的なまでの、血と破壊を。もっと。彼女のために。わたしの彼女のために。わたしのために。もっと。わたしたちのために。背後で、獣の声がしている。ずっと。穢らしい、その。
*
* *
もっとゆっくりしていけ、と、その老婆は言っているに違いなかった。あの、姉妹の祖母らしい老婆は。わたしは、なんども手を振って、あるいは彼女たちの手を握り、微笑み交わし、その居住地を出る。歩く。回廊の日差しを浴びる。物音のさざ波。話し声、それらの連鎖を聞く。耳を澄ます。頭のなかに、静けさがある。何もかも、しずかで、わたしは頭の中の静けさにさえ耳を澄ました。
少女はわたしの居住スペースの入り口で、外を見ていた。わたしを待っている気がした。立っているだけに違いなかった。彼女の眼は、わたしを捉えなかった。胸ポケットにあったはずの花は、どこかに捨てられていた。そこには、もう無かった。だから、どうというわけでもなかった。なにも、嘆かれるべきではなかった。無残なまでに悲しかった。
猫には猫の世界がある。猫には猫の尊厳がある。猫のしぐさの何かが、たとえ、人間にも理解可能なジェスチャーに見えたとしても、それが猫の尊厳を冒すことなどついにありえない。…そして。彼女を見つめる。明らかに、死んでしまった女。自分で、死を?なぜ?あるいは、彼女にもわからなかったのかも知れない。それが衝動的なものであったならば。いずれにしても、きみは死んでいる、もういない、そして、きみはいまここにいて、わたしを見ている、と、わたしは、彼女を通り過ぎて、その瞬間に、あの、髪の毛の匂いを嗅ぎながら、その生者とかわりのない、それ。豊かな、芳醇としたその芳香の束なり。部屋の中に入り、そして、わたしは、言葉を失うのだった。視覚が正確にその視界に写るものを理解する前に。
花々が散らされていた。夥しい花々が、部屋の床中に、それは彼女にさしてやったあの花だった。ベッドの上、床の上、隅々にまで、それらの花々は幾重かに重なりさえし乍ら、撒き散らされ、その色彩に、部屋の中は満たされていた。振り向くと、彼女は相変わらず、外を見ていて、わたしは、彼女を後ろから抱きしめる。冷たい死者の不在の体温の冷たさを、わたしは体中に感じた。愛?
何を?
わたしは愛する。
何を?
彼女を?
目の間の?
記憶の?
垣間見られた記憶の中の?
悲しげな記憶として?
自分のものではない、その記憶。
妻を?
彼女を?
誰を?
わたしは愛する。涙は無い。わたしは愛した。悲しみ、その気配だけが、悲しみ。耳の奥に、音響のように聞こえる。幸せにしよう、と、わたしは思う。幸せに。それが、わたしにできること。わたしがすべきこと。それだけが。幸せに。…誰を?きみを。…永遠に、幸せを、と、キミに、思う、わたしは、…永遠に。ただ、永遠に、と。
兵士を殺したのはわたしだった。一人、煙草を吸いながら歩いてきた彼を手招きし、《花園》の中に導く。口笛を吹き、笑いかけ、微笑んで、呼び寄せて。わたしは果物ナイフで彼の喉を裂き、殺す。まだ死にきってはいない。四肢は痙攣していた。同じことだった。助かりはしないのだから。いま、彼の身体が、生存維持が可能なリミットを越えて、にも拘らず、かろうじて行き続けていた。惨めな気がする。こうやってしか、死ぬことさえできないということが。死による破壊は、なぜ、こうまで、いつも、穢らしいのか。銃器と、刃物を奪う。花の匂いがする。
回廊の奥で、発砲の音声がした。ややあって、怒号が立って、乱射される複数の銃器の音響が遠くを満たした。わたしは軍用ナイフと機関銃を持って、そのまま歩く。すれ違う人々が怯えた眼差しを向ける。それはわたしに向けられた感情ではなかった。どこかの発砲音に怯えたそれへの同意を促しているにすぎない。発砲音が連なって、連鎖していく。手も施しようのない何かが、向こうで決壊していた。革命?暴動?モーターバイクの音。喚声。叫喚。わたしとは無関係なそれ。わたしを巻き込む可能性も否定しきれないままに残して。混乱が起こっていた。わたしは、やがて、身を潜めるようにして、回廊を走る。身を屈めて。そうするのが、作法であるかのように。息をひそめる。彼らの混乱とすれ違う。もはや彼らはわたしを見なかった。彼らは戦っていた。射殺された人々が死んでいく。煙る。発砲の、爆破された火薬、そして吹き飛ばされた手榴弾の匂い。炎、黒煙、そして飛び散った微かに焼けた肉片の臭気。煙った大気の下で、片足を失った男が這って、早口にわたしに何かを言った。背後をモーターバイクが通り過ぎ、それらの連なった、数台の音響、右手で、腹を押さえた男が血にまみれて何かを口走っていたが、銃弾が彼の頭部ごとなぎ倒した。死。ふいに訪れた彼のブラックアウト。通り過ぎ、走る。音を立てないように。千切れた腕が床の上で痙攣していた?復活?片腕だけのラザロ。…見てる?と、わたしは、不意に、思い出す。見てるかもしれない、彼は。わたしを。この混乱と同時に。見ているに違いなかった。彼は。予測しながら。わたしの行方を、いま。レ・ハンの自動ドアは、遮断されないまま、わたしの進入を許す。次のドアも。白い無意味な空間の中の観葉植物と、ソファー。戯れに発砲してみる。銃声が響く。跳ね返った銃弾が孤を描く。空間の中に反響し、空間を切り裂いた音。それらは。手に、火薬の匂いがついた、と思った。その煙が触れた腕にさえも。
開かれた自動ドアの向こうに、レ・ハンはいない。美しく、あかるく、清潔な空間に、わたしは一瞥をだけくれた。右手、あの棚のわきを通り抜けて、身を潜め乍ら彼のベッドルームに侵入する。消された照明の部屋の中に、壁の左上方の採光窓からの光が、優しくレ・ハンと少年たちとを照らしだしていた。やわらかな影と、それが際立てた繊細な光に浮かび上がって、レ・ハンはうつむいていた。何も考えられてはいなかった。思考能力さえ失っている気がした。その、残骸のような優しい形姿。いま、レ・ハンは全裸で、少年の一人をひざに抱えていた。「どうしたの?」レ・ハンは言った。「理解できない」何が?しずけさに、わたしは耳を澄ました。頭の中のしずけさに。「何が?…何が起こったの?何?」少年の一人が声を立てて笑った。「何が起こってるの?」わたしの発砲した銃弾がレ・ハンの左肩を打ち抜き、瞬間、少年が声を立てて泣き出すのをわたしは見る。そして見た。彼が少年を抱きしめようとしたのを。泣き叫ぶ少年を、その涙と、その声とを非難するように。…いけない、と、彼は、きみは泣いてはいけない。傷ついてはいけない。
つぶやかれていた。レ・ハンのしぐさに。
レハンはややあって気づき、思い直して、泣き叫ぶ少年を泣き叫んだままに脇にどかして、その右手は指図する。あっちにいけ、と。まるで、少年が自分の穢れた血に触れるのを拒否するかのように。レ・ハンは息を詰めた。銃弾が彼の腹部を破壊した瞬間に。ベッドに倒れ付したレ・ハンは血に染まっていた。「なぜ?」彼は、「どうして?」わたしを見向きもしないまま、その視線が天井に投げ捨てられていた。「あなたは日本人の恥だから」わたしが言った声に、彼は笑った。「わたしは、…」
「あなたの狂った独裁政権を崩壊させるため」いま、レハンは笑うしかなかった。事実、彼は笑っていた。骨に砕けた銃弾の痛みに、そして傷ついた筋肉と、神経と、脊髄が、最早彼に自由な表情を許さなかったにしても。痛みが固まりになって彼に襲いかかったが、それ以上の感情が、彼を支配した。何か言おうとした。彼が、それを言う前にわたしのナイフは彼の喉を突き刺した。骨を傷付け、欠き、砕き乍ら。
痙攣するレハンの身体は、留保なく彼がもう死ぬことを明示した。もう死んでいるのかも知れなかった。ただ、明らかなのは、彼の四肢の筋肉が間歇的に痙攣していることだけだ。傍らの少年と目が合う。十数人の少年たちがわたしを見ている。彼らのひとり、壁ぎわの小柄な彼が、不意に、笑いだし乍ら、駆け寄ってきて、わたしに触れる。無邪気なその笑顔。完全に許して、認めたような、OK、と、ただ、無根拠にそう呟かれたようなその笑顔と、声が、やがて、彼らの集団は、わたしかわるがわる近寄って、触れた。邪気の無い笑い声を立てて。お互いに連鎖するように、笑い声が反響して連なり、わたしは彼らを見つめる。はじめて経験するゲームに、戯れに、共感して喚声を上げたような、その。
その笑顔と声を、わたしは聞く。見た。
見る。銃器はすでに投げ捨てられていた。レ・ハンのベッドの上に。
立ち去るしかなかった。彼らはついてこない。そこで戯れ続けるまま、背後に彼らの歓声を聞く。
外は銃声に溢れていた。今度の暴動は深刻だった。人々はあても無く逃げ惑うか、戦うか、殺すか、殺されるか、それは最早戦争だった。何人もの人間が死ぬ。そして、すでに死んでいて、いま、死に瀕していた。省みられない男の、血を干からびさせかけた死体が口を開けたまま、彼の身体は人々に踏みあらされた。立て込める煙をかいくぐって、住居に帰る。少女は部屋の中にいる。花々の散乱の真ん中に立って。花々さえ見ないで。彼女はわたしを見た。
思う。
わたしは想起していた。
在りし日の彼女。
はにかむようにしか笑えない少女だった。
少しだけ端のめくれた唇を、笑いを恥じるようにいびつにまげてしか、彼女は笑えなかった。
手を触れる。
彼女の手に、感じた。
わたしの皮膚は、その冷え切った温度を。
きみを、守ろう。
怒号と音響の連なり。匂い。破壊される有機体と、無機物の、それらの散り乱れた匂いの、識別できない塊り。わたしは走れない少女の手をとって、歩く。混乱した人々の中を、それらの音声と、汗ばんだ温度と、音声の群れのはざまを。
歩く。
ヘリの格納庫に辿り着き、ふと、あの少女は?と思った。あの、少女の妹、あるいは、あの男。彼らは、死んで仕舞ったのだろうか?
殺されて?
…どこかで。
格納庫は、静まり返っていた。背後からの反響以外には。一人の男がヘリの陰にうずくまって、一人で泣きじゃくっていた。
わたしは少女の髪を撫でてやった。少女はわたしに身を預けていた。
シャッターの解放ボタンを押す。
上がっていく。
外気が一気に中に進入し、空気の凍った匂いがする。
肺の中まで、冷たく、浄化して仕舞うような。
そして、おそらくは放射能に汚染されているに違い、その、大量の外気。
光が差し込む。
その不意の逆光に目を細め乍ら、わたしたちは歩き始める。
その、世界。この世界の外の、その、世界の中に。少女の身体が一瞬、震えた気がした。寒さに?白い世界。鳥が遠い向こうで、舞った。地平線の果てまでも、純白の、雪に包まれた世界。わたしたちは歩きだすしかなかった。その色彩、純白の中へ。
2018.01.12.-16.
Seno-Lê Ma
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