小説 op.4-01《永遠、死、自由 Ⅳ》…まだ見たことのない風景を、見ようよ。
これは、不死の細胞を持った生命体《穢死丸》の物語の続編です。
細胞が限界なく再生するために、不死である、という発想は、
単純にトカゲの尻尾や、植物をみて考えたものですが、
もしもトカゲの再生が、切り落とされ失われたしっぽだけではなくて、
しっぽから本体まで再生できたら?と考えたのです。
もし、そういう生命体が動物にいたとしたら、《愛する》ことによって、
繁殖するのではなくて、《殺しあう》ことによって繁殖するのではないか、と。
生命の倫理体系そのものについて考えようとしたのです。
《愛する》ことによって繁殖するにもかかわらず《殺しあ》い続ける人間種と、
《殺しあう》ことによって繁殖するにもかかわらず《愛し》続ける《穢死丸》種の交錯。
もっとも、本当は、《穢死丸》種そのものの同士の恋愛を書くべきだったかもしれません。
それは、この作品の世界観が完成した後に、書かれるべきだと思ったので、
この作品では書かれていません。
いま、考えています。もちろんそれは、
この作品を解体する作品になるはずです。
2018.05.27. Seno-Le Ma
永遠、死、自由 Ⅳ
貴様、知っているか?レ・チ・ゴが言った。俺はついに見つけたぞ、…何を?…永遠を。太陽とつながった海を。
今、おれはそれを目にした。彼は言った。ダナン。かつて仏人たちがトゥーランと呼んだ海岸沿いの町で、今、わたしたちはその海辺で、海を見ていた。仏軍から略奪した戦車を止め、ベトナム人兵士は無線機の故障を整備する。日は既に沈んだ。今、貴様も見たろう?いま。海の反対側、山のほうに日は沈んでいった。その瞬間、さっきまで見えていた海は最早見えない。貴様も見たろう?
海も太陽と一緒になって立ち去ってしまった。…あれは、この瞬間の歌だよ。知っていたか?レ・チ・ゴは声を立てて笑い、俺は今、知った。そう、…日没の歌だったんだ。そう言った。ふいに、茫然としながら。大日本帝国はまだ海の向こうで戦争をしていた。
どうしたの?言ったわたしを振り向いて、山田セバスチャンは「殺しに行くの。」答えた。黒い肌を持った日本人。父親はイギリス人の黒人だった。「誰を?」
「朝鮮人」まじで?わたしは声を立てて笑い乍ら、本気なの?言った。「本気だよ。…なんか、やっぱ、だめでしょ。朝鮮人も。あんなこと、やっちゃ。」2057年。春。4月15日に始まった。《琉球国》における在琉球国朝鮮人大量虐殺。それは「大洗濯」と呼ばれたが、いったい何万人の人間たちを殺してしまったのだろう?わたしが見たのは、神宮公園に走りこんだ《朝鮮人》たちの一団が、取り囲んだ《日本人》たちの群れに、なにか早口な英語を話しながら、口に咥えて手榴弾を爆破した姿だった。日本人たちから奪った手榴弾に違いない。路上に散乱した死体は、もはやどれが朝鮮人で、どれが、日本人かわからなかった。2056年の韓国人男性による柳沢優花という名の日本人女性の監禁・強姦事件に端を発した、朝鮮人排斥運動は、急激に沈静化していった。
裕人がうなされた気配がした。わたしが振り向き見ると、ベンチでうたたねしていたはずの裕人は眼を覚まし、わたしを見ていた。もはや、何も見ていないような彼の眼差しが、ただ、わたしを不安にさせた。
世界を破綻させたのが、イスラム教でもなければユダヤ教でもなく、ましてやキリスト教でもなかったのは驚きだった。生体細胞の《コジマ・コーディング》による不死の可能性によって宗教は既に実態として崩壊していた。わかくして何ものかに惨殺された小島正俊という偽名の在日本朝鮮人の伝説的な研究によって、人々は不死と、妊娠-出産の哺乳類システムからの脱却を遂げる可能性を獲得して以後、もはや、かつての伝統的常識は超克された迷信でしかなかった。いくつもの可能性があった。既存の人類の生態を根本的に脱却し獲る可能性。初期の生体医療と言う名目での小規模活用から始まり、人々は新しい生態システムの構築を、なし崩しに模索した。2079年のチベット仏教カルト新派による対中国テロの結果が、獲得された新しいDNAシステムをまで破壊させるに至るまでは。彼らが《破壊と死を回復する》の名目の下に暴発させた核兵器の連鎖的爆発が、地上を、あるいは、既存のシステムを完全に破綻した。不死の可能性にふれた彼らは、ふたたび無数に口を開けた不意の死の可能性にさらされた。もとから国家など存在しないのも同然だった。誰も死に得ないとき、戦争行為事態が不可能であって、もはや、国家の実態は単なるファンド化されたコミュニティに過ぎない。税金は投資に過ぎず、国家の実態は投資資金の運営団体に過ぎない。すべての領土は非国有化され、個人、あるいは企業団体による私的所有権における国籍をもつに過ぎなかった。もはや、実質的に国境はなかった。
何度目かの夢に眼を覚まして、優花が言った。「あいつら、殺したい」
「殺しちゃえよ」わたしは言った。…本当に、と、その、優花の声を聞き、わたしが殺しても、…ねぇ。「嫌いにならない?」
「なんで?」
「あたしのこと。」
「なんで?」お前は、…。わたしは言う。見たじゃない?おれが殺したの。「誰を?…おトモダチ?」
「そう。おトモダチ」わたしが声を立てて笑うのを、優花は見る。伺うように、わたしを見つめ、その痛みを伴った視線をやめさせるためにわたしは何か話題を探そうとしたが、(その《痛み》は、わたしが勝手に感じたに過ぎないにしても、…)病室の花瓶の花の赤い色彩以外に眼に留まるものさえなく、「なんで?」言った。「…なんで、バラなんか、飾ったんだろ?」...病室なんかに。わたしは優花を見つめ返す勇気がなかった。その日、最初の優花の自殺未遂が、看護師によって食い止められた。
旧-東京都地域小区分F34の廃墟の、崩れかけのビルの傾いたてっぺんにたたずむ穢死丸を見つける。夕方の斜めの日が差す。そこまでの距離の数百メートルを、わたしは今、歩ききることは出来ない。再生途上の下半身は、そんな自由など与えない。苦痛に失神しては、苦痛によって目覚めさせられる、不毛なくりかえしがいつまで続くのかわからない。唾が出て止まらず、喉は渇いていた。主よ、と例えば、あの日わたしが殺したフランス兵なら言うのだろうか?主よ。あの、水田地帯を越えた、山際の林の中で。人体の生存システムが見せた、一つの可能にしてあり獲べき思考様式に過ぎなかったそれ、かつて宗教と呼ばれたもの。2035年の非コード化領域の超=覚醒化以降、わたしたちはそれを知った。《インマゼール=サザーランド氏症例》。ラザロはもはや、復活さえ出来ない。死ぬことさえ出来ないのだから。あと何度失神し、あと何度目覚めればよいのか?引きちぎられ、縦につき刺さった巨大なコンクリートスラグに押しつぶして切断された穢死丸の下半身は、既に赤子程度の上半身再生を遂げている。この、同じ、すさまじい苦痛の中で。彼を殺さなければならない。
我那覇直人の処刑が渋谷中央広場で行われた。彼は彼の全面を取り囲んだ機関銃の群れに一礼し、目を閉じた。禿げ上がった頭を隠したいつもの軍帽はなかった。躊躇するな。わたしは英雄として死んで行く。彼が不意に、銃を向けた琉球軍兵士たちにそう命じたとき、取り囲んだ群衆からブーイングが起こったが、何に対するブーイングだったのか?その場でぶちまけられたガソリンが彼の死体を焼き、公式には墓さえ作られはしなかった。罪禍は公金着服。裁判は三年に及んだ。
あの日、山田セバスチャンの血まみれの死体と対面したとき、わたしは彼を殺したすべてのものを憎んだ。彼がつかんでいた数本の頭髪の主、かれが殺したすべての人間たちのすべて、殺そうとしたすべての人間たちのすべて、かれを殺したすべての人間たちのすべて、かれを殺そうとしたすべての人間たちのすべて。
殴打され、陥没した頭部が半分だけ山田セバスチャンの面影を残した。
彼の千切れた右小指が発見されたのは二日後だった。死斑が、あざやかな褐色の山田セバスチャンの皮膚の色彩の鮮度を奪い、それは単に痙攣し続ける穢らしい黒い肉片に過ぎない。
G.I.向けの芸者だった《ハナ》は、鼻にかかった声で笑う。英語、わかるのか?言ったわたしに、声を立てて笑い乍ら言った。簡単よ。アイ・ラブ・ユーだけ。で、笑っていれば、勝手に好きにしてくれるわよ。ジェントルマン気取りでさ。…ね?
空中都市、T.O.M.が向こうの空に見えた。50年代から建築され続けていたそれ。月の近くに浮かんだ黒いでたらめな形態。それはもはや人に見上げられない。《非核化》以降の北京では。あの2079年の《北京事件》がもたらした全地球規模での核兵器完全破棄。爆心地近くの完全な赤土の荒野に、いるのはわたしと穢死丸だけだった。背後に穢死丸が付き纏っているのは知っていた。息をひそめて。気配さえ消そうとして。足元を、猫が滑走した。茶色い猫だった。十歩先に立ち止まって、振り向いて鳴いた。
赤土化された地表の上にヒト種は既にいない。ただ単なる熱量だけが大気を支配する。太陽が大きい。やがて飲み込まれるのだろうか?崩れかけの、あの巨大な力の塊りの中に?わたしは穢死丸を探す。限界を超えた重力が、生きてあるさなかから生命力を奪っていく気がする。《それ》が、眠る私の右足にへばりついて、わたしの右足を同化していくのを、わたしはかつて右足と呼ばれたそれを切り落とし、その苦痛になれることだけは出来ない。
目覚め続けた痛点が、苦痛の存在を指示する。
目も耳もない《それ》が知的な何かを持っていることは知っている。
そのシステムをわたしはまだ知らない。
優花が言った、空、飛びたい?「なんで?」こたえなよ。
飛びたい?
飛びたくない?
わたしは優花の頬に手のひらを当ててやらなければならない「どうやって?」やさしく。モートン・フェルドマン。指先がピアノに触れた音がした。飛べばいいんだよ。
ポンって、踏み出せば。
ポンって、
山が燃えていた。わたしは穢死丸の首筋に噛み付き、噛み千切ろうとするが、叫びながら身を離した彼の躯体を突き刺すために刀に手をのばしたとき、その右手首がすでに切り射落とされていたことに気付いた。手首は、向うで、刀を握ったまま、今、ゆっくりと再生している。見上げれば東(ひんがし)
野炎(のにかげろひの)
立所見而(たつみえて)
反見為者(かえりみすれば)
月西渡(つきかたぶきぬ)
2018.11.19.
Seno-Lê Ma
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