小説 op.4-02《愛する人④》…きみの革命、僕の涙。





こんなものなの? もとめたのは?

ほしかったものは? こんなもの? こんな? みいだしたかったもの。

たどりつきたかったのは? こんなもの? こんな? この?

これ? 病院から出てくる理沙を待つ。新宿の真ん中の。巨大な、古びた施設。何名もの死にかけのものたち。快癒しかけたものたち。死んだもの。痛めつけられたもの。へし折られたもの。これから切り刻まれるもの。収容されたそれらの集積。そこで求められたもの。生存すること。生き残ること。スマホが鳴って、どこ? わたしは伝えた。彼女を待っている喫茶店の場所を。眼差し。疲れたそぶりはどこにも無く、悲しげなそぶりも、うれしそうな笑顔も。その表情に、理沙はすでに知ってる。何を? 何かを。どうだった? わたしは言い、唇を一度尖らせたあと、できた。理沙が言ったとき、わたしは声を立てて笑った。ふしぎじゃん?「なんで?」お前が、「なんで笑うの?」理沙は言っていた。妊娠するなんてさ。抗議するように。「もう、わかってたけどね。予測、…」髪をかき上げ、「ついてたからさ。」そう。パパになる、と思った。…よかったじゃん。わたしはわたしの声を聞いて、その、その言葉に対する違和感は何なのか? これは? やっと、安心した気がした。父親になれることによって。理沙はわたしに見つめられた。なんなのか?これは。「どうするの?」なに?「はるか」あー。

あの。…そう。あの子。…ん。

ね。…ん?…ねぇ、…。

どうしよっか?笑って、わたしは見つめたのだった。その瞳を。理沙の。笑い、震えるそれ。潤って。愛してる?

なにを? 俺。…俺のこと。…お前?…ん?

うん。…ね。男の子かな?

…え? 女? …かな。って、…さ。あいしてる? …ん。

そっか。んー。

そ。…な。…ん。…んん? …ね。こんなものなの?

わたしたちは話し合う。こんなものなの? 週末の計画。木村の馬鹿さ加減。久雄のくさい体臭。おやじくさい。しんだほうがいいよ、あいつ。クリスマス。何ヵ月後だよ。嫌いなんだよ、ハロウィンは。もはやブルー。タクシーを降り、渋谷。東急の映画館の下の喫茶店が好きだった。お茶しようよ? オッケー。また? いいじゃん。気付き始めたもの。理沙がしようとしていること。制御できないそれを、わたしは圧しとどめることはできた。どうにかして。乞い願って? 殴りつけて? どうにかして。夏の終わりかけた斜めの日差し。どうにか。すでに、理沙自身には、決定された未来だと錯覚されていたにしても。喫茶店を出て道玄坂を降りる。並木道。街路樹。日差し。木漏れ日。空は確か、青かった。晴れていたはずだから。珍しく、理沙が駅に入ろうとする。適当に切符を買って。わたしはそれに従う。既に、何をしようとしたのか、わたしは知っていたはずだった。はるかは何も知らないで眠った。いつかの明け方に。理沙のマンションの中に住み込みながら絵を描いて、それらの水彩画の。










アプリケーションソフトの営業に回りながら。何のコンピューター言語も知らないままに。言語? それら、彼女が知らない言語で構築されたシステムを、はるかは使って、わたしたちは会話した。朝から晩まで。アプリケーションが描き出した日本語のフォントを読解し、日本語はフォントとして書き付けられながら。わたしたちは言葉にまみれた。理沙が身をまげて、そのとき、朝はまだ来なかった。窓越しに光がかすかにさしはじめて、さっき、カーテンは理沙によって開かれたまま、「寝てる」鼻先に近付けられた理沙の皮膚がはるかの呼吸を認識する。みぎ頬の皮膚が。「完全に寝てるよ」笑って、はるかは家出同然だった。両親は疑っていた。理沙との関係を。もっとも、疑いは正解に過ぎなかったが。理沙の性別を認識していなかった両親にとって、娘の行動は単なる不可解で非常識的で病的な惑溺に過ぎなかった。会ったばかりの頃、一樹がわたしたちに公表した行動計画は、わたしたちを笑わせた。哄笑、嘲笑、それらを含んで、純粋に、わたしは一樹を賞賛した。「いいじゃん。」おもしろいじゃない、久雄が言った。やってみれば? クーデター計画。組の事務所の中で、声を立てて笑いさえし乍ら。一樹が本気だということはわたしも知っていたが、なんで? いつだったか、言ったわたしに、「なんで、そんな、右翼とかやってんの?」理由? 一樹が言ったのは、新宿の喫茶店の中だった。風林会館の一階の。クーラーが音を立て、水槽の中の金魚が泳ぐ。その向こうに、目が合った店員がわたしに笑いかけた。「どうでもいいんだよ。理由なんて」はるかはまた、絵を描いているに違いなかった。「理由なんて追いつけないくらいの、行動のスピードが欲しい」あの部屋の中で「その速度が」あ、とはるかが言って、目を開けたのを、…あれ、理沙は「起きてたの? お前?」見咎める。嘘をつかれていたことにあらためて気付いた表情で。「起きてた?」いま、身を起こしかけたはるかが「宇宙意識が通った。…いま。」耳元でささやき、理沙の体の半身を、開け始めた朝日が薄く描きだす。くらい、室内の空間の中で。さわってったよ。いま。…やばっ。…意識体が。茫然とした表情のまま。








日向の死体の発見には三日か四日間ほどかかったらしかった。警察の尋問を一樹が受けたのはその一週間近くあとだったから。遺体はビルの屋上に捨ておかれたままだった。だれも、その後の遺体の始末など、考え付かないことだったから。結婚したばかりの日向の妻は妊娠していた。多恵子という名の、その女が一樹に会いに来たとき、根掘り葉掘り聞いたと言った。何をやっていたんですか? あなたたちの会って、何を? 誰かに恨みをかうようなことでもしていたのか? 刑法に抵触するようなことはあったのか? 会の実態は何か? 彼らは、ただ、身体を鍛えていただけだった。自衛隊に体験入隊しさえして。自衛官が言った。本気で、隊に入ればいいんですよ。真似事じゃなくて。本当に入って、本当の自衛防衛の最前線でね、お互いに、切磋琢磨できれば。日向は感謝の意を伝えながら、わたしたちは、彼が、彼らを軽蔑さえしていたのを知っていた。家畜だよ。彼らは。日向は言った。軍隊ってのはさ、いつも家畜だ。政体の家畜だよ。はるかがわたしに目配せする。部屋の中で、もう朝は空けていた。美樹矢(みきや)の店でシャンパンを開けて、理沙が酔いつぶれた、その朝だった。理沙は眠り始めたばかりだった。わたしは床の上に寝転がって、「なんで? …なんで、」背中にフローリングの「そんなとこで寝るの?」硬い触感がある。なんか、熱いじゃん。夏だった。…だってさ。

ばか? いいけど。ベッドの中。理沙は笑って、ややあって、その笑い声の記憶が風化しないうちに、すでに彼女は寝ていた。わたしに聞き取られた理沙の寝息。未だに眠りつく前に、わたしは既に寝ていたようなものだった、そのまどろみの中に、わたしは知っていた。伺うように、いつか目を覚ましていたはるかは、彼女は目覚めていた。目を閉じたまま。わたしたちが酔いつぶれたままに、部屋に入って行った瞬間には。転がり込むようにして。眠れなかったのかも知れない。一人で理沙の部屋にいることの、取り残された嫉妬と、寂しさと、そして目覚めたまま、意識して寝たふりをしたわけでもなくて、はるかは目だけを閉じる。聞き耳を立てたわけでもなく。何してるの? 理沙が言った。お前、何してんの? 眠りに落ちる前に、寝るんだよ。フローリングの温度、そしてそこで? こっちこいよ。立てられ続けたクーラーのかすかな騒音は、はるかいんじゃん。誰にも聞き取られているわけではなかった。いいじゃん。ベッドの上、はるかの横に、さ、…ね? こいよ。理沙が音も立てずに滑り込んで、いいよ。…な。理沙はあくびをする。眠っている理沙の上に身を屈めてはるかは彼女を見ていた。わたしはそれに気付き乍ら、なにやってんの? 沈黙の時間の停滞の中で、わたしとはるかは聞いたに違いない。わたしたちの、三つの、重なり合わない呼吸の音響を。それらが空間の低いところにまどろんで、すぐに消え去っていくのに注意さえされないまま、「寝てる?」はるかが言った。わたしが寝ていないことに気付いていたはるかは、見向きもせずに、「理沙ちゃんって、寝てる?」覆いかぶさって見つめらながら、理沙はただ息遣うだけだったが、そのかすかに開かれた唇を、わたしは見なかった。そらされた眼はフローリングの咬み合わないピッチを数えた。「起きてるの?」…ん? そのはるかの声を、「いつから?」無視したわたしの問いかけは無視されて、なんかさ…言う。「なに?」なんかさ、はるかは言った。すき。悲しくて仕方がないんだと、自分に対してだけ精一杯表現しているはるかの眼差しを、わたしは見なかった。うつむいたその背中を見つめ、胡坐をかいて座ったままに、組まれた足がフローリングの触感を、…なんでさ、「なんで、理沙じゃなきゃ駄目なんだろ?」理沙じゃさ、ないとさ、「なんかさ」…わかんないんだよね。なんでか。理沙がいないと、「なんで?…て。」でもさ、でもでもでも。「…じゃない?」どこがいいのかよく「たっぱ、…理沙なのかなって」わかんないんだけど、やっぱ、「理沙なのかな?…って」なに、え? と、わたしの、「何言ってんの?」声に初めて振り返って、「どう思う?」

「なに?」

「幸せになれるかな?」

「なにが?」

「うちら」

「いつ?」

「どう思う?」

「いまは?」はるかの調った、作り物じみた顔は、「いま、おまえは、」整形の産物ではなかった。会社でも「どうなんだよ。お前、」彼女に反感を持った女たちは、その整形をわざと確定事実として噂したが、「幸せなの?」幸せって、なに?、と、こどものころは気持ち悪がられたと言った。あまりにもはっきりした顔立ちだったから。なに? はるかが言った。やばい。なに? …どうしたの? やばい。まじ…なにがだよ。ささやき、小さく、笑い声が、それらの聞き取れないほどの音響は、殺しちゃいそう。なんか。何を? …だれを? ほんと、やばい。切なくて。何が? 死んじゃうかも。木村の着服を風間に密告したのはわたしだったが、風間自身、そんな事は既に気付いていたにも拘らず、いつ? …いつ死んじゃうんだよ。なにも答えないまま、はるかは、本当なの? わたしをはがいじめにして風間は店の事務所に連れ込んだ。まるで、木村の《犯罪》を初めて知ったかのように、いつか。わかんないけどさ。このまま、さ、「…全部教えろよ。」その、自白を強制するかのような風間の声を聞きながら、わたしは木村を、切な過ぎるから。…だって。なんか。…さ。失脚させようとしたのではなかった。すでに失脚しているようなものだった。風間たちの、使い勝手のいい、いつ裏切るかも知れないペットに過ぎない木村は、なぜ? わたしにはそれがわからないままに、わたしを昇進させようとした風間との会話に中に、なぜ? わたしの唐突としたあらいざらいの暴露は、「全部、綺麗に言ってくれよ。」風間が、上目遣いにわたしを見つめ続け、なんで? なぜ、そんなに、自分に対してまで見事な嘘をつけるのか? もう知っているくせに。すべて。なにもかも。自分も、誰もが、風間のそれらの反応のすべてが完璧に嘘に過ぎないことさえ、とっくに知っているのに、見事に綺麗な嘘をつく。指を切れ、と、久雄が言った。風間ちゃんが言ってるからな…。指とっといてくれって。久雄は悲しげに哀れんだ、弱者に過ぎない人間への耐えられない同情に駆られた眼差しのうちに木村を捉え、…やくざたち。彼らが力を持っていることを、同情的な眼差しのうちに、彼らへのやさしさとして認めてあげた人たちの中でしか、もはや力を持てない滅びかけの人種たち。いくら滅びかけても、滅びきることの無い人たち。社会的底辺というものの、常に滅びかけの永遠。まじっすか? 木村の怯えた目が、そして、うなずく久雄から、わたしは目を逸らした。木村は気づいていたはずだ。わたしがここにいることの意味を。無関係なはずのわたしが、無関係ではないことの意味を。本職じゃないんすよ。俺。ふつう、なくないすか? そんなん、犯罪すよ。泣き出しそうな目を、わたしは直視した。しかたないやろ。おまえも犯罪者やんか。声を立てて笑う。久雄。誰からの尊敬も受けない、末端のやくざ。社会の哀れむべき底辺の、末端の末端における、吹き溜まりの人間くずにして、小さな権力者。いま、ここで、彼が求めたことは絶対なのだった。嘘だろ? わたしは思った。風間が指を求めた? それは久雄の嘘に違いない。坊主頭の、脳みその半分が損傷して腐ってしまっていたか、先天的に単なる馬鹿であるかに違いない差崎という名のやくざが、病的に痩せた長身をへし折るようにして、意味のわからないまま周囲に媚を売り散らしていた。差崎が薄い笑顔で、盆の上に白布と短刀を用意した。部厚い木のテーブル。かんべんしてくださいよ。まじで、木村の声を、犯罪っすよ。聞く。わたしたちは。そして木村に、いま、逃げるすべはなく、久雄は彼を見つめ、差崎は木村にまで媚を売った。病みきった媚。人間のくずたち。わたしは? わたしもくずに違いなく、理沙も。会社の金、身銭、借財、正当な、不当な、いずれにせよ獲得された金銭を、単に彼女の綺麗な色気づいた嘘はかき集めて、濫費され、どこかに消えて行く。クズの中のクズ。誰もがその美しさに嫉妬する、クズの中のクズ。掃き溜めの中の汚物の女王。「客にやられたことあんの。薬のまされて。…なんかさ、」木村はややあって、短刀を取るが、「…錠剤? わかんないけど。頭ん中、なんか、壊れて。」それは久雄と差崎に散々煽られた末だった。短刀を握ったその「意識あったけど。ホテル連れ込まれてさ。やられてんの。俺。ばかじゃね?」手は震えはしなかったが、思い切るのに、さらに「やりたかったら、やらせてやるよ。でもさ、そういうの、」長い時間を要した。一時間以上の、まじめ腐った顔をした嗜虐的な停滞した時間が「やっていいよって言ったらさ、勃たなかったりして。そういうの、」暇なの? お前ら? ひま? 笑ってしまえば。すべて「欲しくないんですみたいな? 何かの社長。」笑ってしまえばいいのに。突きつけられた「ベンチャーかなんかじゃん? まだ若いからさ。」暴力的なまでに正しい倫理の顕現として「ホストみたいなの。見た目。ばかじゃね? って。」抜かれたままの短刀は、見つめられ、目を逸らされ、それらの長い、やがて振り下ろされた短刀は木村の骨に触れただけで、切断できないままに。歯を食いしばって、木村は何も言えない。それは、許してください、と、もうなんども、その言葉の無数のヴァリエーションをわめき散らした後だったが、停滞したままの腕はそれ以上何もできずに、痛み。感じられた。木村の指の痛みが。刃物に食い込まれた指先は微動だにしない。すこしの動きが、いま、すべてを破綻させてしまう危機感に怯えていたように。一樹の視線が、人間の底辺のくずの指先を、じっと見つめた。無表情なままに。…なめんなよ。ふいに、「水商売の人間、なめんなよ」木村が叫んで、刃物を握った右腕に力がこめられたが、何も動かない。それは停止したまま、なにも更には傷つけることなく、みたか!、と木村はさけんだ。眼は血走った。久雄が声を立てて笑った。もういいよ。手当てしたげて。差崎が包帯を用意しながら、幼稚園児をあやすように、よくやったねぇ、えらいじゃんか、えらいじゃんか、それらを繰り返す。木村が高揚した笑みだけを漏らしていた。極端に高揚しすぎて、もはや無表情でしかなくなった、その。たまにね、と、はるかは時に、言った。差崎はなぜ、あんなにも陽気なのか? …宇宙意識がふれるの。何もかも、この世界に悲しみなど、ぽんッて。何も、…まじ。…ぽんッて、ね。…触れんの。存在したことさえないとばかりに。えらいじゃんか。すごいねぇ「あたまおかしいの?」声を立てて笑う理沙にわざと抗議のこぶしを振りかざして、はるかが、きれいだよ「えー、でも。ほんとは、」すっごいきれいで、なんか、なんにも「理沙もわかってるんだって。」みえないんだけど、あるじゃん?「だって前さ。高校ん時、ね。だよね? …って、」気配が見える感じ? まじ「…だよねって。言うの。理沙。」きれい。まじ「わかってんだって。」やばっ、「あーって。ね?」…じゃん?「この子わかってんだぁって。」でもさ。思うんだ。救われてないんだなって。みんな、結局。はるかはいつも舌をかむように話した。思考の速度に、みんな、感じないわけじゃん? 見ようとしないじゃん? 口が追いつかないかのように早口に話しながら、常に繰り返される同じ話は、結局、ふれようとしないじゃん? 知らないだけなんじゃん? みんな。やっぱ、まだ、さ。みんな、話し半ばに聞き取ろうとする努力を放棄され、さ、わたしたちは、救われてないんだなって、なんか、すごい、さ、悲しいんだよね。いっつも。いーっも、聞きはしなかったのだった。だれも。はるかの話などをは。にも拘らず、ふっと、かなしくなんの。めっちゃ。悲しくって、だってさ、救われてないじゃん? みんな。わたしもさ。ね? 結局、そこから生まれてきたんだし、そこが、なに? ほんとのわたしたちのさ、本当なんだけど、けど、救われないわけじゃん? わたしも。結局は。かなしいよね。でも、素敵なんだよねって。そう思うの。素敵な。みんな。救われてないけど。ぜんぶ。素敵だったの。ほんとは。「あいつらさ、みんな、」木村が言った。…ほんとに。「ぶっ殺すからさ。俺。」久雄の事務所を出た後で、風林会館の喫茶店に入ったわたしたちは、「まじで。あいつらさ…頭おかしいでしょ。」見る。わたしは、彼の指の「第一。まじで、」大袈裟な包帯を、いずれにしても「やっていいことと悪いこと無い?」木村はそれから、一回家に帰ってくると言ったきり、行方をくらましてしまうのだが、風間たちに、不都合のすべては木村のせいにして処理されていった。一週間もたたないうちに、木村は驚くほどいびつな詐欺師になりおおせていた。周囲からの罵詈雑言にちかい誹謗中傷と共に。それらが所詮無意味な戯れの戯言に過ぎなかったにしても。「お前、どう思う?」木村は言ったものだった。お前どう思う? あいつら。「馬鹿でしょ? じゃない?」一樹とか、久雄さんとか、「…て、思わない? やばいよ。」本気でお前、「あそこらへんはさ。」あんなやつらと付き合ってんの? …本気って、何ですか? わたしは言った。「…ああいうのはさ、まあ、いいんだけどさ」行方不明になって、新しく発覚したのは店の中で手をつけた女たちの数だった。公然の関係だった二人のほかに、あと四人の女が、彼に手を付けられていた。そのうち二人は、彼といっしょにどこかへ行ってしまった。久雄が、こんどどっかの街に現れたら、まじで未来ないからな、あいつ。そう笑い乍ら言ったが、それが本気であるはずも無かった。一年半後、池袋に現れた木村と、久雄はつるんで夜の街を徘徊していたのだから。俺がちょっと、あいつに店持たせてやろうかと思うんだよ。久雄は言い、金策に走ったようだったが、久雄ではまとまった金など作れなかった。所詮は、盛り場の飲食店で、一晩いくらの金をばら撒く以上の金銭など獲得できる男ではなかった。理沙とわたしが交際している事実を、茜祢(あかね)によって暴露されたとき、たしかに、それはすでにインターネットの掲示板で、少し前からアップされ続けていた公然の事実ではあった。茜祢が酔った降りをして、理沙の客に告げ口したのだった。いーよね。いつも更衣室でラブラブしてるもんね。逆上した客は、もう若くは無いアパレル会社の社長だったが、木村に土下座を迫ったものだった。沢村光輝と言う名の、彼は、わたしたちの無能と不義理をののしり、わたしを人間のくずだと名指しし、そして理沙をなじることだけは、彼にはできなかった。理沙の嘘まみれの薄汚さをののしろうとした彼の口吻は、結局は、わたしと木村の低脳な無能さの批判に終始するしかなかった。あの子がかわいそうだろう、と。あの子のつらさ、わかってやれよ。お前らなんかに騙されて。…いいようにされて。何を言っていて、何を怒っているのか、もはや、自分でもわからなくなっていた。絶望のふちに陥ったことを、むしろ目を背けることでやり過ごそうとするかのように、言葉が言葉を生み、とめどなく彼はしゃべり続けた。店の前の道路の電柱の横で、わたしは土下座させられ、時に頭の上から彼のののしり声を浴びながら、木村はいらだつでもあきれ果てるでもなく、ただ、彼は飽きていた。なんども相槌を打って、沢村に同意し続け乍ら。二度と手、出すなよ。更衣室と、事務室を兼ねた部屋のドアを開けた瞬間、早口にささやいたその声が言い終わられないうちに、木村はわたしをソファーセットになげつけて、その音響。一瞬遅れて、そして痛み。テーブルや、ソファーをたたき散らしたわたしの身体が、うめいて、背骨の痛みは全身の皮膚の下につめたい汗をかかせた。悲鳴が立った。理沙もいた。更衣室から、いくつもの女たちの顔がのぞき、とりなすように駆け寄ったりもし、誰かに電話をかけたりも、ささやきあったりもし、それらの、無数の行為の集合。無数のかさなった話し声の。「なめてんの?」うずくまったままのわたしを覗き込んで、引っつかまれた髪の毛が引き上げられたが、木村だって知っていた。すでに。木村に理沙とわたしとの関係を密告したのは、そもそもが理沙自身だった。キャバクラの中で誰かに手を出していない男は、誰からも男として見られない、無能なその他大勢にすぎなかった。あー、俺さ。…理沙を抱いた、あるいは理沙に抱かれた? その次の日に、理沙は言った。出勤して、「…男、できたから」木村と顔を合わせた瞬間に、「まじ? だれ?」かわいいじゃん、今日も。…ねぇ「…潤。」あんたばか? あきすけな告白。「まじなの? 食っちゃったの?」理沙は声を立てて笑った。「なめてんの?」木村が耳元で言うのをわたしは聞き、すみません、というしかないままに、理沙は更衣室の向こうから他人のように見つめ、何も手はださなかった。怒り狂った木村は、「まじ、なめてんだろ?」…知ってますよね? あなただって。その木村の怒り狂った表情を、…てか、だれだって。じょうだんみたいなものでしたよね? だれもが。たしか? じょうだんにしてましたよね? 知ってる? あの日、木村は言った。すぐさま、傍らの愛に、「潤ちゃん食われたよ。ついに。理沙に」笑い声が立って、童貞卒業おめでとー。囃し立てる声の向こうに、濃い桜色の壁には無数の花の装飾。だから? だから木村を裏切ったのだろうか? わたしは? 誰もが、知っている事実を密告することによって? 留めに入った従業員の男たち。二人の。留めに入るふりをし乍ら、むしろあおり、囃し立てる女たち。わたしは楽しまれていた。音響、喚声。理沙が何も言わないまま更衣室を出て行く。ふいに、…アフター。平田さんと。振り返って言った。見上げた木村は言った。ごめんな。








いいよ。理沙が答えるのをわたしは聞く。抵抗しないままに、結局、唇が切れる程度には殴られたのだった。脆弱な、やわらかい、く、ち、び、る、その組織、少しの暴力で、暴力をむしろ自己破壊によって拒絶しようとしたかのように、簡単に壊れてしまうやわらかな部分。「やられた?」部屋に帰ってきた理沙が言った。やられた。わたしは理沙の部屋に住んでいた。

…めっちゃ?

かなり。「…ね。」ん?

やばいね。…

…だね、「…あー、」

けどさ。…んん。「ん?」

…なに?

よかったのに…やっちゃえば、

…「良かったのに?」ん。…なんで?

…やんなかったの?

あー、…ね。

なんで?

てか、…さ。

こわかった?…「あ、…」さからえない?「ん」まもりたかった?

…なにを?

おれを。…ね?

なにいってんの?

…わらっちゃうよね。まじ。そ、…

守りたいでしょ。

…なにを?

女。…じゃん?…自分の女、じゃん。自分の、…てさ、…守りたいでしょ。やっぱ。だから、やられたんでしょ? 違う? わたしを見つめながら、「わかるよ」理沙が言う「俺もそうだもん」声を、わたしと理沙は、「やっぱ…」聞く。すれすれの距離に、耳元の、その聴覚のうちに、それらの声を。「守ってやりたいじゃん。自分の女って」美しい女。単なる、幼稚な男の子。くそガキ。夢見るほどに美しい、時に扇情的な女。軽蔑を湛えた、舌っ足らずなほどに幼稚な感性の男。理沙。初めて彼女が素肌を曝したときに、わたしは見とれたものだった。

あるいは、誰もが。彼女を抱いた、わたしたちの誰もが。褐色の滑らかな肌。タトゥー。乳房の、乳首の周辺に輪を描いた花と蝶。星のかたちをなぞるように、乳首をくまどった、そして、腰から腹部にかけて駆け上がる曲線を描いた、抱きしめた二本の腕のような、タトゥー。その、翼をかたちどった、野蛮な蝶と花。あざやかな色彩は、肌の色に埋もれて、やわらかく、くすむ。太ももを巻いて描かれた、花を散らされた茎と葉、散る花々。黒い隈取と乱れた色彩。左腕の龍のタトゥー。しなやかな身体。初めて会った瞬間、彼女の性別を意識しないままわたしが彼女を愛して仕舞った瞬間に、彼女は不意に、沸き起こった越境の可能性に戸惑った。同性愛? そうではなくて。…バイセクシャル。それは、決断を必要とする。その境界線を、いま、越境するかどうか? 性別はともかくも、男しか愛さないもの、女しか愛さないものの、それらいわば《ストレート》の性愛者にとって、愛に触れることは、直接、愛情そのものが彼に、彼女に、じかにふれて、彼は…彼女は、ついに、すでにその対象を愛していたのだ。あくまでも、自然に。だが、バイセクシャルにとって、その瞬間は突きつけられた刃の存在を意味する。刃に触れる。決断を迫られ、決断を迫る。転がり落ちることを許可するか、あるいは踏みとどまるのか? 生まれつきの、あるいは性別としてのバイセクシャルなど存在しない。それはいつでも後天的な決断の産物に過ぎない。馴れ合う女たちや、男たちの友情ごっこに撒き散らされた、同性愛の可能性の上に常にだれもが生きていながら、あえて決断を下したものしか、その風景には触れない。おなべのバイセクシュアル。男でしかいられない女の身体が下したバイセクシュアリティ。理沙は決断したに違いなかった。いつかはしらない。わたしが愛したのは誰だったのか? そのあまりにも美しい身体の、その女性を愛したのか、或いは、彼女のしぐさ、まなざし、言葉、それらのすべてが暗示した彼女の隠された、あけすけに明示されていた性別を愛したのか? 理沙。彼女はどこにいたのか? その身体の中で、身体の行為として、わたしにふれたそれらのしぐさ、まなざし、言葉の群れ、それらの点在。彼女はどこにいたのか? 愛する。何を? 愛する。いつ? 愛した。どこで?

…なにを? 初めて会った日の営業終了後に、理沙が言った。更衣室を出て、店のソファーの上に胡坐をかいてスマホを散々いじった挙句に、酔っ払っちゃったからさ、…

何? 木村が振り向く。一杯のアルコールも口にしていないくせに。潤ちゃん、借りていい? …なんで? 木村の何か企んだような笑い声。いつも、木村は「送らせるから。潤ちゃんに。俺を」そんな笑い方をした。何のたくらみも無いときでさえ。「いいよ。」だれもが気付いていた。理沙のたくらみには。だれもが、わたしさえも。行為が終わったあとに、そのぎこちない行為の意味、なれない、ぎこちなさ。吐き気がするほどの欲望にまみれながら。ぎくしゃくした、理沙の。言った。「俺さ、」耳元で、おなべなの。笑う。声を立てて、もはや、自分自身をすら哄笑するような、理不尽な、軽蔑的な笑い声。わかる? …わかんないよ。「わかってよ。」ねぇ、理沙が言った。わかってよ。唇に触れる。指先は。わたしの、その。言葉を、わかった? なぞるように、…わかる。

…「わかるよ。」ばか。打ち消す、理沙の、わかるわけ無いじゃん。アルト、鼻にかかった、「うそつかないで」声。…すき? なんで? …ね。すき? …すき。…だれを? …おまえ…おまえを。だれ? …だれ?、それ。…だれ?




『皇国改造計画私案』


皇国制裁計画、下記の如し。

クーデターによる国会制圧。憲法停止。全法令停止。総理大臣以下内閣一時拘束。その他全国会議員刺殺。

全国に戒厳令を敷く。

自衛隊解散。

米・中・韓にわたる全条例破棄。

現行内閣傀儡化により新憲法施行。

施行の上一ヶ月以内において当該傀儡内閣員の全処刑。

売国奴矯正不可及び不要也。

現行ビザ全停止。全異国民・全異人種の身柄拘束及び強制送還。あるいは場合により屠殺。大使館員含む。

クーデターと同時なる前報道機関完全制圧。一時全廃。

完全鎖国。

一、現行自衛隊解散の上再教育及び再組織化。

政府傀儡の家畜軍隊は不要也。皇国同体皇国恂死の自主的且つ主体的非正規義勇軍と為す。

一、全米軍基地の武力排除。米兵全屠殺。

一、全朝鮮人、全米国人、全支那人身柄拘束・監禁

在日・混血児含む。順次屠殺。

一、選挙権の一時完全破棄

一、烏合民主主義の拒否。選民議会制による完全なる国体運営

 普通選挙権の完全停止。選挙権は国民選別の上再貸与のこと。

一、私有財産全没収及び全資産国有化。

一、天皇は国民の総代表なり。

一、二院制の維持

一、国民自由の完全なる回復。

人類平等・人類等価値概念に基づく人権主義的全規制・自主検閲の完全排除。

いわゆる人種差別的価値観等の規制完全破棄。皇国純潔路線徹底化のため。

家畜的全国民の精神革命急務なり。

以上。皇国解放会。義士一同。


極く早い段階で、一樹たちの彼らいわく《言論活動》は終わっていた。それらは既に、禁忌ですらあった。言論に手を染めてはならない。言論操作に身をやつした家畜にはなるな。「考えてみろよ。言論ってのはさ、結局、自分の家畜をつくろうとして、彼らの家畜に成り下がることを意味するんだよ。政治家といっしょだろ。選挙のたびに頭下げて回るだろ? 家畜みたいに。なんで? 国民みんな、自分の家畜にするためさ。違うか? 政治家という人種を議会民主主義において存在させるということは、その本質においてそういうことだ。理論家。それはいい。理論。それもいい。けど、理論家が言論人に、理論が言論になることは許されない。家畜に堕すことを意味する。理論を語ることは許されない。理論はただ、沈黙だけを要する。沈黙だけを。ただ、」…沈黙だけに。ふれる。沈黙したまま。理沙のまぶたに触れた指先が、触れられたまぶたの触感を、わたしはそれを感じた。その指先に。彼女が、結局は、なにも言えなかった事実だけ、愛してる、と、そのひとことさ。「いろんなやつがいるよな? 朝鮮人批判、支那人批判、米軍批判。けどさ、思うだろ? なぜ、やつらは朝鮮を劣等民族だと言いながら、彼らと共存するんだ? なぜ、彼らと同じ空気を吸っているんだ? なぜ、彼らの生存を許すんだ? なぜ、抹殺してしまわないんだ? 朝鮮人だってそうだろ? 日本が戦争犯罪者なら、なぜ、彼らは日本人を抹殺しないんだ? その血統を根絶やしにしないんだ? なぜかわかるか? 彼らがしょせん家畜に過ぎないからだよ。しょせん劣等民に過ぎないからだよ。翻って言えば、いまのままでは和人も俺たちも劣等民だよ。同じことだ。これは命がけの勝負だ。いったい、誰が本当の優等民だったかというね。言葉は聞き飽きた。言葉は腐り落ちた。最早、すべては」なんの言うべき言葉さえ見つからずに、もはや、わたしは見つめなければならないのだろうか? 理沙を見つめながら、その、しぐさ、眼差し、それら、そして気配さえもが、発話を強制していた。強制されながら、わたしは言葉を、捜してる理沙が、いま、言葉を捜していたのは知っていた。沈黙をかき消しうる、言葉、なにか、言葉の群れ。音声。ささやかれる、明確なそれ。沈黙を制圧し獲る?「国家が存続することが重要なんじゃない。国益? なんだ、それ? 政府の人間の合言葉だよ、国益。国益。国益。なんだ、それ。だれの、いつの、どこの国益だ? 何のための国益だ? 国家の未来が重要なんじゃない。国体が存在したこと、それ自体が重要なんだ。その記憶じゃない。誰かに記憶されたいんじゃない。されるべきでもない。存在した孤独な事実だけだ。未来の構築? 知ったことか。過去の伝統? 知ったことか。現在の、存在した事実だけが高貴だ。あしたも存在することが重要なんじゃない。あしたも維持することが重要なんじゃない。ましてや明日を築くことが重要なんじゃない。そんなことは時間という概念の錯覚に過ぎない。倒錯的な概念だよ。未来は不在であって、未来から現在は構築されえない。絶対的にだよ。過去はもちろん不在であり、過去の持続は現在に想起された、ようするにまったき現在の存在に過ぎない。現在を、現在において焼き尽くせ。まさに、いま、あれ! 存在しろ! 発狂しそうな強度でね。国がほろぶって? ふざけるな。ほろぶってなんだ? 未来が無くなるってことだろ? 未来なんていう幻想に、穢らしい幻想に手を触れるな。あれ! いま! いま! あれ! いま、」耳を澄ます。停滞した時間、言葉も見出せないままに、…いま。そのまぶたの温度は既に感じられていた。唇に。そっと、ふれられたそれに。無数のいま。いま、わたしは気付いた、いま、ふれた彼女の皮膚の温度に、いま、覚醒感をさえ伴って、なにも覚醒などしなかった。いま、おもいだしたその触感を、なにも覚醒されなどしなかった。いま、わたしはふれていた、すでに、いま、木村に殴られた唇に、理沙は触れた、自慰めいた誇りをさえ感じて。彼女のために傷ついた男の皮膚のために、彼女が愛する男の、自分を愛する男の皮膚に、その指先を、痛い? ふれて、痛い? だいじょうぶ? いたい?

いたくない? …ん? …どう?「…ってさ、」いたい?

…ね、いたい? ん。…んん、…ね、

いたい? 何を言って欲しい? いま。何を言えばいい? いま。何がしたい? いま。これだったの? ほしかったものは、これなの? ほしいのは。もとめたのは、これ? …なの? 死のうとしたことがあった。高校生のころ。






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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