小説 op.3-01《花々を埋葬する/波紋》④…真っ白く、滅び去って行く世界。
Cảnh は知っている。いつも、Anh に抱かれるとき Phậm は、恐怖した丸太のように身を固めたまま、瞬間冷凍された蛙のように手足を広げて、人体の失敗した出来損ないのようにしゃくりあげるような呼吸をしながら、Cảnh は知っている、すぐに Anh は射精してしまうのに、妊娠しないのはどちらかに問題があるせいだ。だから、彼らは何も気にしないで、いつも求めるがままに愛し合っていられる。いつも、Phậm は、あまりの恐怖に表情が固まってしまった、そんな表情のままに。Thanh と結婚した後、Phậm はすぐに三人も子どもを生んだのだから、男のほうに問題があったに違いない。Anh の愛撫は明らかに性的な行為に他ならなかったが、彼はそれに性的な意味を自覚していたわけではなかった。娘が初潮を迎えたのは知っていた。娘の浴びた後に、ややあってシャワールームに入ったときに、片付けるのを忘れられた慣れない生理用品の包みが、水洗便器の上に放置してあったから。生理の血の匂いが、匂うような気さえした。ついに、我慢できなくなって、彼は彼女を強姦してしまうかも知れない、と思った。彼は既に知っていた、彼自身が彼女に感じているのは、男の性欲以外の何ものでもないことをなどは。仕切りと言うもののほとんどない不完全な壁にだけ遮られた家屋の中で、とはいえ、隠された秘密として彼らによって繰り返される行為の間中、彼女が、まるで破綻した機械のような、小さな、聞こえないほどの金属質の悲鳴をしかあげないことは、Cảnh はよく知っている。その後、わたしの家の裏の Khoa コア の息子と結婚した Phậm とはよく一緒に家族で食事をしたものだった。翳りのない女だった。屈託もなく笑い、自分の意に染まないことには食って掛かる Phậm。小柄で痩せた、子供を生むと同時にすぐに太ってしまった Phậm。アメリカのアニメのかわいい豚に少し似た Phậm。暴君の Phậm。夫の Thanh タン も為すすべもなく、笑って従うしかないのだった。間違っても美しいとはいえないないが、かわいらしいところのある女だった。豊満すぎる下半身と、シャープな上半身の、いかにも生産力ゆたかな哺乳類ヒト科雌種。犬が駆け回るように歩く女だった。多くの人間が昼寝している昼下がりに、眠らないわたしはときに道すがら、Anh の家で、彼女たちの部屋から聞こえる金属質の女の悲鳴のような声を聞いたものだった。わたしだって気付いてはいた。Thanhに愛される時にも、Phậm は硬直した蛙のように身を固めたのか? Cảnh の放火は刑事処理されなかった。火事のあと、Cảnh と姉は Phú の家に引き取られていったが、事実上、Phú と Âu のやがて、すぐに破綻することになる実質的な夫婦生活は始まったのだった。数週間後には Phú は家に寄り付かなくなり、毎日、町のどこかしらで彼に呼び出された誰かと飲んでいた。Anh は、借家を引き払ってどこかに行ってしまった。Lệ Huệ は、Anh は実家に帰ったらしいと言っていたが、詳細は知らない。Cảnh も十六歳まで Phú と Âu のもとですごしていたが、サイゴンで就職すると言って、見かけなくなってしまった。あれから、町で見かける Cảnh は、まるで無表情な、人形のような表情を曝した抜け殻のようにしか見えなかった。何らかの精神疾患を疑ったほうが話の早い、どうしようもなく無気力な。たとえば彼が大声で笑うことなど、わたしたちの誰にも想像できないのだった。彼のいまが、放火するまでの過程の産物なのか、放火の結果なのか、新しい住居での、夫婦のののしりあいの絶えない環境の産物なのか、そのどちらなのか、わたしは疑うしかなかった。そのどちらでもあるとは思えなかった。そのどちらかでしかない気がした。どうしようもなく、彼はすべてを失っていた。風さえ、彼の体を通り抜けていきそうな Cảnh。日差しさえ通過しそうな Cảnh。影さえできそうにない Cảnh。そして彼の褐色に日焼けした肌は瑞々しく、長身の、筋肉質の体躯は重力を軽蔑する権利を獲得したしなやかさで、…Chú khỏe không ? 彼は お元気ですか? 見とれるほどに美しい男になっていた。最後に会った時だ。まだ十五、六で、子どもに過ぎないのだが、対等な友人として迎え入れなければ気がすまなくさせる、なにかの意図的なプロパガンダのような理想的な青年の香気さえ感じさせた。川沿いのカフェの中だった。わたしは彼の美しい真っ白い肌を盗み見た。町の中央部のカフェには外国人観光客がたむろした。Cảnh とすれ違ったとき、わたしにかけられた声に振り向いた彼は、そしてわたしは突き刺すような微笑を浮かべた Cảnh を見た。わたしたちは挨拶を交わし、その時、その姉はもう Thanh と結婚していたし、結婚式での Cảnh の美青年振りには、新婦などかすんで見る影もなかったものだった。一緒に、コーヒーを、どう? 彼を誘うと、いや、友達と一緒だから…、断るが、Uống rồi そのとき、初めて Cám ơm chú わたしは …ありがとう、おじさん。彼を取り囲んだその友人たちの存在を意識した。Cảnh は草食動物のような顔を曝した取り巻きの少年たちに囲まれていた。そして、彼が美しい発音の英語でわたしに話しかけていたことに気付いた。それはわたしにどうしようもない違和感と、彼への喪失感を感じさせた。妙に痛々しい英語の会話の間中、彼の友人たちはわたしに媚びるような、脆弱な子どもの眼差しをなげて愛想笑いし、沈黙し、…元気そうだね、と、やがてわたしは Cảnh とベトナム風に握手して別れるのだが、確かに、彼は父親と似ているところがすこしもなかった。久しぶりに娘の結婚式に顔を出した、あのころと変わったところの何もない Anh は、相変わらず純粋な犠牲者のような伏目がちなたたずまいの中に、ただ、乾杯の酒を機械的に飲み続けているだけだった。彼は、あの Phậm とさえ、どこも似てはいない気がした。Anh がその能力を欠くなら、二人の子どもを彼が為したことは、つじつまが合わないのだった。あるいは、娘を愛した瞬間にその能力を失ったのか?それともひそかな避妊がなされ、毎日のような行為に一度も失敗はなかったのか?あるいは、単純に、父親は別なのか。結婚式のときに、久しぶりに会った Âu は、笑顔で顔を崩しながら、相変わらず清楚で上品なたたずまいを見せるばかりで、周囲の、香水まみれで厚化粧の女たちの中にあって、しずかに一輪だけ咲いた百合の花のようにさえ見える。老いさらばえることなど細胞自体が許してくれないのだとばかりに、とてもわたしよりも年上であるようには思えない。変な冗談を言ったら、上品に、怒り狂った猫のように噛み付かれるか、少女のようにあられもなく泣き出してしまいそうだっだ。
Lệ Huệ が時に言う、雪を見てみたいと。日本へ行けば、見えるんでしょう?本当の雪を見たいの。本物の雪を。と、…知らないくせに。わたしは言う、すべてが白い、白さのうちに白濁した雪の色彩が持つ、あらゆる生命体にとって破壊的なあの凍りついた温度をなど?
いずれにしても、かつて、Phậm と Anh は、あからさまに、関係があることを人々に気配で伝え続けてやまなかったのだった。雪さえ溶かしてしまいそうなほどに。彼らは夫婦だった。カフェの中にすれ違う一瞬の眼差しに、触れ合いそうになる体の接近の一瞬の皮膚感覚に、かけられそうになる声の開きかけた唇の一瞬に、掛けられた声に振り向き見た眼差しの交錯した一瞬のためらいに、明らかに Phậm は Anh の幼い妻であって、彼はどうしようもなく何かの被害者だった。そして、ただ、自らを趣味のように、責めていた。皇国の消滅後、《新しいベトナム人》たちによる本格的な現地ゲリラ兵への教育が始まったが、ベトナム人側からの要求は、決して体罰を加えてはならない、と言うことだったという。日本で、サムライたり獲ない百姓上がりの兵士たちが、サムライたるべく繰り返した鉄拳制裁は有名だったのだ。多くの日本兵たちがベトミンへの合流を果たした。これから始まる戦闘の結果は、全く予想できなかった。正規軍隊とゲリラ兵の戦闘が、単純な火力の格差だけを考えても、非常な困難が付きまとうことなど誰にでも予想できた。レ・チ・ゴが彼の部下に残留を強制することは無かった。皇国の兵隊としての彼らの戦争はすでに終わっているのだ。残れ、とも、来い、とも、言えない。むしろレ・チ・ゴは志願者を拒絶する。彼らが来るにせよ、帰るにせよ、一度、彼らは拒絶されなければならない。そして、何の正当性も無く合流しなければならない。決断するのは、あくまでも自分自身でなければならない。軍人とゲリラとの違い。軍人は撃てと言われるまで撃ってはならない。撃ち始めたならば、何が何でも勝利しなければならない。常なる勝利は守られねばならない。軍人に敗北は許されない。ゲリラにおいて、発砲を選択するのは個人であって、例え一敗地にまみれようとも、それは、戦争が始まる前にすでに敗北していた彼らの敗地が、また一つ増えただけに過ぎない。勝利は、獲得された僥倖に他ならない。軍人は勝利を守るために戦い、ゲリラは敗北を帳消しにするために戦う。彼らは、軍人からゲリラ兵にならなければならなかった。何人もの離隊者が発生し、多くの顔見知りの合流を、レ・チ・ゴは見守る。やがてそれら独立戦線は国家を形成する政治団体となっていくが、ベトナムという国家が姿をあらわし始めたその時に、それに加担した《新しいベトナム人》たちの多くが、ベトナム人たちの社会主義国家についてどう思ったのか、肯定したのか懐疑したのか、それは、とはいえ、あるいは、それは話の枝葉にすぎないのかもしれない。戦争に参加したとき、統治する対象、確保された領土すら明確には持っていなかった組織に政治もなにもいまだなく、彼らは外国人傭兵として、あくまでゲリラ兵として参戦しただけなのだから。そもそも、それは政治的な問題ではなかった。フランスを相手に戦争を始めようとしている彼らにひそかに届けられた米軍製の新品のジープを試し乗りした後に、一個小隊をひきつれたレ・チ・ゴは少しは慣れた丘陵地に演習に出向く。やがて彼らが深刻な戦闘をそのジープの送り先と交えることなど、誰もいまだ予想してはいない。ジープを乗り回したときのベトナム人たちの鼻にかかった歓声がいまだ耳に残り、高い樹木は日差しを覆い隠し、それでももれてくる木漏れ日が彼らの粗末な軍服を灼いていく。
樹木の、葉の、日差しの、汗の、皮膚の、粗い布生地の、あらゆる匂いが混濁したまま、鼻の中に入りこむ前に疾走する風が洗い流してしまう。何も持たざる彼らはごく貧しく、誰の目にも明らかに正規軍隊とはいえない。止まれ、と言ったレ・チ・ゴに部隊は従った。彼らは耳を澄まし、誰かが口笛を一瞬に鳴らしたのを、Nguyễn Hồ Ba グイン・ホー・バー は威嚇するような眼差しに非難した。目の前に道をふさいだ倒木があって、途中までの鮮やかな切れ目が半ばから暴力的にへし折った明らかに人為的な倒木が、レ・チ・ゴの不審を呼ぶ。まだ、ここまでフランス兵が来ているとは思えなかった。来ていても不思議はなかった。そして、目の前の倒木は人為的なものに他ならなかった。倒木を排除しようとした何人かの兵隊を抑えて、一人だけ従えたレ・チ・ゴは倒木に近づき、人の気配はない。澄まされた耳にさまざまな音声が入り込み、その、かすかにつらなりあった森林地帯の音響は、巨大な騒音の塊として彼に知覚され、それらの狭間に彼が感じたのは、単なる何重にも重なり合う不安の気配に過ぎなかった。この樹木の名前はなんだろう?彼は思った。
彼の傍らに繁茂する巨大な樹木の群れを、それは日本で見かけることのない、蔦に垂れ下がるような花を赤く、逆光に大量に茂らせたままだった。頭の上からも垂れ下がった根が地面を何重にも重なって穿つ。蝶が飛び立つ。退避、とレ・チ・ゴが命じた瞬間に、思ってもいなかった左の谷間から、殺到した銃弾が複数彼を貫いた。
視界はただ、白い色彩をだけ映し出す。
Lệ Huệ にとってはどうか、わたしは知らない。その色彩はわたしだけのものかも知れず、彼女とわたしだけのものなのかも知れるず、人間たちの視界固有の必然なのかもしれなければ、猫の視界にどんな風景は広がっているのかは、わたしもフェも知らない。庭を二匹の猫が互いに追いかけあうように距離の戯れを演じながら、疾走し、停滞し、細かな雨はその体毛にふれる。そして、はじかれて玉になる。黒地に斑らな三毛と、灰色に近い三毛の体毛。人間たちの、あるいは既存の生命体たちの世界が崩壊するのは、あっという間だった。2024年の、日本政府による核兵器の沖縄基地配備の政府決定の後、それは韓国政府の自国への核配備をも後押しする結果になったが、かの地の議会は紛糾し、それらの動きは北朝鮮のさらなる軍備拡大を誘発した。混乱する議論の果てに韓国政府が核配備の決定を先延ばしにし続ける中、誰もがアメリカ主導の決定だったと疑わなかった日本政府の決定が、その実態は、あくまで日本政府主導で推し進めたものだったことは、今や明らかにされている。それは結局のところ、いわゆる《核による均衡》を強制的にもたらしはしたように見えたものの、沖縄で何度もの暴動を誘発し、降って沸いた独立運動をくすぶらせ続けた。国連は組織としてすでに無効だったし、その解体および再構築の必要性さえ、議論されていた。核配備を容認する発言は二人の広島県知事を失脚させたが、北朝鮮の軍備拡大はその国内における経済的な圧迫をいよいよ強制せざるを獲なかったものの、中東への兵器輸出は《王朝》を潤しつづけた。中国はその巨大な人口によって繁栄したが、周辺諸国に対して彼らは政治的には何の実行力も持てなかった。2029年夏の、末端の軍人たちの蜂起した軍事クーデターが、北朝鮮の《王朝》の息の根を止めた。いまだロシアも中国も何の援助も弾圧も施し獲ないうちに、彼らはついには、世界の約半分を相手にした神経戦を演じるよりは、彼らの既存体制の革命のほうを選んだのだった。貧民の救済と言う美しい名目さえあった彼らを制止し獲るものは存在しない。
九月の缶詰工場視察を狙ったたった一人の首領の暗殺は、体制を見事に崩壊したが、直後の中国政府による、裏切りに他ならなかった鎮圧軍事介入は、わずかな局地戦だけを誘発したものの、そして韓国政府はむしろ《王朝》体制の維持を望んでいた。もはやそれは手遅れだったし、彼らにできることは何もなかった。彼らはいち早く軍事的・政治的非介入の声明を出しただけだった。アメリカと日本の連合部隊が海を取り囲んだ。日本でも《人民主導の革命の英雄たち》と呼ばれた一週間の後で、いまや、クーデター部隊は国際的ならず者と呼ばれ、《旧=北朝鮮》国内において社会主義革命の真正なる復興のスローガンの下に繰り広げられた反体制派の粛清は陰惨を極めたが、いずれにしても革命政府がいつか、誰かに制圧されるのは目に見えていた。日米連合軍は何もしなかった。それはむしろ単なる軍事演習を他人の海で繰り返しているように見えた。十月以降の《半島解放方針》によって、ピョンヤンにまでふたたび中国軍が迫ったときに、《朝鮮真性社会主義軍》の実質的リーダーだった金高文による《10.02決断》が下され、核兵器は北京に、ややおくれて東京に向けて発射された。中国は沈黙し、日本の核兵器は発射された。直後、金高文は《朝鮮真性社会主義軍》の非公式決議によるたった二時間の拘束および処刑に至る最期の瞬間まで、《10.02決断》の戦略的勝利を疑っていなかったという。それらは生態系の留保なき破綻をのみ意味した。わたしたちが最早生き残れないことは、わたしたちの誰もが知っていた。わたしの視界が、日に日に白濁していったのは、放射能のせいなのかも知れない。核兵器の応戦決断によって世界破壊の張本人として糾弾された日本の、その国土が極端に悲惨な状況に陥っているのは知っていた。その現状はほとんどまともに伝えられなかった。重度汚染地帯として、最早立ち入り獲ない場所に過ぎなかったから。日本、中国、朝鮮半島全土の石棺化さえ議論されたものだった。かつて日本と呼ばれた国家の政府は、オーストリアに貸与された日本国民避難領で、その後処理にだけ負われた。それだけがかれらの存在理由だった。重度汚染地帯化による国土の実質的崩壊は原子力発電所の維持の破綻をも意味し、結局のところ、すべては崩壊していくしかなかった。
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