小説 op.3-01《花々を埋葬する/波紋》③…真っ白く、滅び去って行く世界。
消防はまだ来ない。Phậm は沈黙したまま一人で立って煙の行方を見やり、確かに、彼女の視線のうちに、町の照明に赤く染め上げられた夜の雲に、溶け合うことなくやがては煙りは消滅していった。
日曜日だったから、Âu はいなかった。Lệ Huệ の姪に当たる Yên イエン という名の少女が、何かわたしに耳打ちした。それは早口のベトナム語で、わたしには聞き取れなかった。彼女はまだ八歳か、いくつか。あしたの、Lệ huệ の母の命日のパーティーの料理の準備の手伝いに来ていただけだった。わたしは中腰になって、可愛らしい、まだあまりにも幼い Yên の、幼く甘やいだ、香気なのか臭気なのか判断のつかない動物的な体臭と、煙だった破壊的で暴力的な臭気とを、同時にかいだ。わたしが外国人だったからなのか、だれも消火をなど、わたしには求めなかった。どうするという消火プランもない彼らに、必要なのは単に共通言語だった。彼らの消火活動とはただ、わさわさと立ち尽くして、がやがやと議論を交わすこと以外ではなかった。テレビをつければ、何ヶ月か前に、遠い中東で、イスラム国と呼ばれた国家集団が崩壊したというニュースが流れていて、何週間か前に遠くはない近くの、近くはない遠くの朝鮮半島の北部の国家集団が大陸弾道型の核爆弾の開発に成功したと、遠くはない近くの、近くはない遠くの日付のニュースを伝え、今、目の前の視界は煙っているばかりだった。まだ、人間たちの世界は未来を大量に持っていた。抱きしめあうにしても、殺戮しあうにしても。雨が降ればいいのに、Lệ huệ が言い、もう雨は上がってしまったけど。彼女の独り語散るような声を聞きながら、もう一度、と、その日の夜も、すべてが終わった後で、わたしたちは試したのだった。火事騒ぎが終わったあとで、いつ、パパになるの? Anh の子どもたちは Âu が、Phú の家にとりあえず引き取って行った。Anh は Khanh が連れて行った。損害補償をも含めて、これからの打ち合わせに、彼らは忙しい。わたしたちは、いつものように試してみる。Lệ huệ は、彼女が裸にしたわたしの体の上で、わたしの胸に口付けて見せながら自分で服を脱いでいく。
彼女は、わたしの服を脱がせるのに忙しく、自分が裸になるのを忘れていた。十歳年下の彼女はまだ若かった。三十歳になるかならないかの彼女の身体は、痩せていて、おうとつのない曲線の、子どもじみた身体をくねらせて、彼女はわたしの体に触れた。高い小さな通風孔から、赤らんだ雲の光が、ときに、彼女の体の向こうに見える。半ば勃起したそれに強度を与えるために、それに唇を触れてみさえするが、わたしたちの両方は、わたしたちの息遣いの音声を聞いている。彼女の父も、弟も、Yên も、諍い中の親族たちも、眠っているのか、何をしているのか、照明は消され、音声は何も聞こえない。勃起しきらないままのそれを差し込もうとはするものの、軽く閉じられたそこに滑り込んでいくことのできないやわらかいそれは、かたちをまげて彼女のそこの周辺の皮膚をなすりつけるように愛撫する。初めて、子どものかたちを見たとき、わたしは一瞬目を逸らし、再び視線に入れるためには全力での決意が必要だった。なぜ、そんな風な形態が生まれたのだろう?彼女が家事をするのをやめなかったからだろうか?彼女が声を立てて笑ったからだろうか?彼女が菜食日に作る野菜炒めがいつも辛ら過ぎるからだろうか?彼女が魚が好きだからだろうか?
驚いたのは、ヒンがそれなりの資産家の一人息子だったことだった。十代のうちに親子関係など崩壊するだけ崩壊していたわたしは、《近代兵器とホロコースと原爆と無差別大量破壊と世界大戦》の二十世紀の後半の、90年代の歌舞伎町でホストをやっていた。あまりにも日本的な職種。女たちはだまされたと自分にさえ嘘をついて、男たちを買っていく。倒錯した売春の一変形であるのは違いない。それでも Lệ Huệ はあくまで、諦めきれないままに、もう一度唇をつけるに違いない。萎えきったわたしのそれに。ヒンが時に知的障害を抱えているかのように見えたのは、当時合法ドラッグと呼ばれていた新手の未登録麻薬の障害だったのだろうか、単なる精神障害だったのだろうか?見事なまでに知性を感じさせない、けれどもその外観だけは美しい男だった。Lệ Huệ はもはや決して勃起しようとはしないそれに、頬ずりさえしてみせ、もっと早くからわたしたちは気付くべきだったかもしれない。ヒンの育ちのよさを。彼は上品な貴族的なたたずまいさえ湛えた、女たちが見た夢のように美しい男だったのだから。とはいえ、その出自は単に彼の父親がお金持ちの社長だという以外の何ものをも保障しなかった。声をたてて、Lệ Huệ が笑うのを、わたしは体の下のほうに聞いた。彼女の頭を手のひらに撫ぜてやりながら、病院の安置所の目の前に、ヒンの両親はただ、言葉をも見つけられないまま、うなだれているだけだった。父親のほうだけは、かすかに、すこしヒンに似ているように思った。ずっと、何も言葉は無かった。こっけいなものをもてあそぶように、やがてはいたずらをするように、Lệ Huệ の愛撫は、ついに、惰性の手のひら遊びのように、至近距離の額の真ん中を打ち抜き、貫通した弾丸は、彼の死体の顔にびっくりした表情を残したまま、ヒンは固まっていた。最後までおちゃらけた死に方だな、と、彼の死体に最初に会ったとき、かたわらで有紀という、女のような名前の、沖縄生まれのやくざがわたしの耳もとに言った。出来損ないの木彫り彫刻のような、図太いだけがとりえの大きな体躯をわたしにくっつけるように接近させたまま。彼の口臭さえ感じ、今、ヒンの両親は沈黙のままに、息子の亡骸を見つめるが、わたしだって知っている、ヒンは中学の頃から手が付けられなかった。高校にさえ行かなかったが、彼の人生の中で、一度も《ボス》になど為ったことはない。中学のとき、彼が《おれの舎弟》と呼んだのは小学生たちだった。小さな、こっけいな私設暴力団。学校の中、あるいはその周辺では、学年下の集団にさえリンチされ、16歳の頃には前歯はなかった。それさえも、彼の美しさの個性になったが、彼の美しさは誰をも魅了することはなかった。それは単なる奇矯なまがい物だった。誰が彼を愛してやったことがあるだろう?夢見られたような美しささえ、奇矯な滑稽さにしてしまう彼のどうしようもない出来損ないの個性を?どちらかと言うと鈍重なだけの両親の顔を見比べると、その部分部分が微妙に重なり合った、奇跡的な均衡の結果に、彼の顔の美しさが成立したことがよくわかる。魔法にかかったように、両親のどちらとも本質的には似ていなかったが、確かに、あからさまに彼らを交配させた形姿に他ならない。彼らの何が気に入らなかったのか?それとも、彼が生息した世界の何が気に食わなかったのか、何もできはしないくせに、何かを破壊し、侮辱するためだけに彼は生きた。或いは、そう言えた。彼が見た風景を、わたしはかつて見たことはなく、彼が見た風景を、彼は記憶として忘却し、でたらめに消費しながら生きた。わたしと同じように。有紀と同じように。わたしたちと同じように。貧乏でヒモにさえなれない美しい馬鹿のヒン。不意に声を立てて笑う。口をいっぱいに広げて、最早、小さく萎えきってしまったそれを、Lệ Huệ が全部くわえ込んだときに、ヒンの額を銃弾が打ち抜き、向こうに血が飛んだ。喚声が立つこともない。風林開館の喫茶店の中は、静止した時間が一瞬流れた。まばらな客も、店員も、まさかここで本当に人が死ぬとは思わなかった。夢のように、久原寿夫が言葉を切る前に発砲された銃弾は、彼の頭上のはるか上を打ちぬいただけで、しかし、至近距離のそれは威嚇射撃ではなかった。ヒンは久原の額を狙ったのに、それてしまったのだった。失敗に気付いたヒンが、一瞬笑ったように久原は思った。耳が痛い、と、久原も、ヒンも思っていた。空気を切る弾道と、火薬の耳元での音響が、触れてもいないのに、こんなにも鼓膜を傷つけることを、彼らは彼らそれぞれに知った。ややあって、すぐにヒンの手から銃を奪うと久原は、いや、とヒンは思った。…触れたんだ。確かに、耳に。久原は撃った。振動する空気が、鼓膜に触れたんだから。それは、至近距離の発砲は、当然のようにヒイの額を撃ち抜いた。まだ、誰も叫びださない。いや、と久原は、むしろ、俺が叫びだす前に、Lệ Huệ の口の中で、彼女の粘膜の柔らかさに、彼女はゆっくりと再び勃起しかけたそれを口から出していく。それ以上硬くはならない。そのまま、彼女が愛撫を続ければ、すぐに射精してしまうに違いない。
わたしは知っている、ずっと、わたしは彼女のいつもの愛撫に、背骨を溶かすような快感に包まれて、もはや、わたしは自分のかすかにあらい息遣いの音をしか、聞いていられないというのに。わたしのそれは、ずっと、快感の熱い温度で内側からいぶられているままだった。何の用もなさないそれは。最後にもう一度 Lệ Huệ はそれに口付けて、もう一度試すに違いない。飽きもせず、諦めもせず、そして Lệ huệ が激しく咳き込んだので、白い雨の中からわたしたちは立ち去って、室内に入ったものの、花々の埋葬は中断された。退屈紛れの戯れのような、それは、その、細かい雨が降りやむことなく視界の向こうを白濁させ続け、寒いでしょう? Lệ Huệ は lạnh không ? 言った。自分のほうがより多く濡れたというのに。雨に大量に含まれているはずの放射能は、又再びわたしと彼女の遺伝子を破壊していくのだろうか?わたしの体を拭きながら咳き込み続ける彼女が、そのまにまに何か言おうとするのを制して、彼女の背中をなぜてやる。彼女は従うことなくわたしに言葉を投げ、それは咳の狭間のノイズになって、わたしは彼女を抱きしめるしかない。水滴を含んだ衣類も、身体も、すべてがつめたい。暖かいのは、皮膚の内側だけだった。お互いの、皮膚を擦り付けるようにして、Phậm と Anh が肉体関係を重ねているのは誰もが知っていた。誰も彼らを非難することも、迫害することも、とりあえずはなかった。誰もが口を憚る由々しき問題に他ならなかったから。仕方がない、と、わたしたちはいつか思ったのだった。彼らは、幸せではないのだから。Phậm がまだ初潮を迎える前から、いずれにしても始まっていたそれらの日々の淡いふれあいの関係が、結局のところ、いわゆる最後の一線を越えたのがいつか、Cảnh にはわからない。秘密だから、と Phậm は彼に約束させた。知ってるでしょう?でも、秘密だから、と、それを彼に言うときの、彼女の、むしろ誇らしげな表情に Cảnh は嫉妬する。彼の父を奪ったからか?彼女は、彼が知らないことを知っていた。性のことではない。或いは、それだけではない。Anh はもとから無口な世慣れない男だったから、何を思っていたのかは誰も知らない。誰に対しても無口な男だった。とはいえ、罪の意識に苛まれ続けていたのは知れた。彼はまるで罪人のような顔を曝して、一日中自分のカフェをうろついていた。ときに、店先にぶら下げられたかごの鳥の水を替えてやり、間接光に当ててやって。彼に、娘たちの名前を、Phậm… 誰かが口にしたとき、彼は必ず顔を背け、Phậm… 聞こえなかったふりをしようとしているのが Phậm… いつものことだった。たとえ、あなたの娘は何歳になったのか?あなたの娘の名前は何だっけ?あなたの娘にちょっと家事を手伝って欲しいんだが、それら、それとはまったく無関係な話の中で、彼女の名前が呼ばれたに過ぎないにも拘らず。Tシャツとショート・パンツだけで、その痩せた体の褐色の肌を直射日光にさらした Phậm が、通りすがりに挨拶したので、わたしはこんにちは、と、わざと日本語で答えたら、彼女は声をたてて笑った。ヒンが発砲した理由はばかげていた。当時、彼の《ボス(そう、彼は久原のことを呼んでいた)》だった久原が、彼の女を《侮辱した(そう、彼は有紀に言った)》からだ。正論を言ったのは、むしろ久原のほうだった。千葉のフィリピン・パブの女に、乞われたわけでもなく有り金のすべてをつぎ込んでいた。あいつら金が目当てだから、金やらないと逃げる、と彼は言っていた。久原に助けを求めたのは女の方だった。彼の自分へののめり込み方は、金のつぎ込み方をも含めて、明らかに常軌を逸している。何とか助けてあげて欲しい。何度久原が諌めても納まらないばかりか、彼女の告げ口を、むしろ、裏切って自分を捨てようと画策していると言って、かならず不調に終わる久原との話し合いの後には、決まって凄惨な暴力が彼女に加えられた。あるいは、久原から電話やiメールで呼び出されるたびに。久原にも、救けてくんない?ヒンはわたしにも、有紀にも、彼の友人たちの誰かにも、ときに、電話してきたものだった。どうしたの?
シェリル、死にそうなんだよ。
ヒンの声はいつでも震えていた。どうして?わたしが言うのを、ヒイが携帯電話の向こうで聞く。息を殺して、耳を澄まし、彼は、あいつ、もう、二日間もトイレに閉じ込められてんの。救けてやってくんない? 誰が彼女を監禁したのかはわかっている。ヒン以外にはいない。彼女はヒイ以外に、少なくとも彼と出会ってからは、肌さえ許そうとしなかった。戯れに触ることをさえ。ヒンと待ち合わせ、彼に連れられて彼の部屋に行ったとき、ユニットバスのドアを開けると、鍵も掛けられていないそこに彼女は監禁され、衰弱し、それはしおれかかった植物のように。その身体は未だにふくよかに肉付いたまま、湿気た密室に汗ばんだ体臭の臭気さえ立てて、殴打の後の血痕すら顔から拭わないままに、ただ、その身体はわなないて、彼女は言った。救けて、と、片言のなまりの強い日本語で、たしけちぇ、ヒンさんは悪くないです。救けてください。シェリルと言う名の彼女はたしけちぇくじゃさい… それでも逃げ出すことなく、ヒンと同棲していたが、ヒンが死んだとき、彼女は彼の部屋を逃げ出してしまった。誰もが彼女を探した。見つからなかった。自殺してしまったのかも知れない。なぜ?多くのうわさが流れた。久原の情婦だった。あるいは、久原に金をわたして、ヒイの殺害を要求していた。あるいは、久原に殺されるのを恐れて、逃げたらしい。あるいは、フィリピンマフィアの女だった。あるいは、ヒンは、彼女のために久原の組の金にさえ手を出していたらしい。あるいは、東南アジアのマフィアが一斉拘束されたから、それと一緒に拘束されてしまった。あるいは、フィリピン製の覚醒剤を密売していたから。ヒロポン=覚醒剤をレ・チ・ゴはインドネシアで体験したが、体には合わなかった。いずれにしても、まだ、それは必要ではなかった。例えば左足が消し飛んでしまえば、大量のそれを必要とするには違いない。多くの兵士がそれを使用しているのは知っていた。たしかに、末端の、そして最前線の、自分の或いは他人の死と負傷とそれに伴う大量の苦痛とに常にすれすれに接近したところで、彼らからそれを奪い取ることなど絵空事に過ぎなかったが、それの極端な蔓延は自殺に等しい。苦痛と恐怖が人体から奪い去られたとき、人体の防衛機能は破綻する。とはいえ、わたしの腕が吹き飛んだとき、果たして、あの生臭い臭気に満ちた野戦病院で、群れをなすうめき声の中にのまれ、それを使用しないで済ますことなどできるものだろうか?死と負傷と苦痛にたいして、レ・チ・ゴには、一平卒とは違う距離があった。彼は将校だったから。たった一つの作戦の失敗と敗走が、彼を命の危険にさらすことはあっても、たった一回の射撃の失敗が、彼に死を即時与えることはない。基本的には。…必ずしも。国体と呼ばれようが何と呼ばれようが、いかなるものであっても組織体に、その内部においてすら、こそ、平等はなく、階級的ではない国体などあり獲ない。かつ、ある国体とある国体が共存することは無い。それはそれそのものが闘争の装置だから。例えそれが対話しあうときであっても、まさにその瞬間にこそ。言葉こそはエレガントな殲滅装置だった。レ・チ・ゴは、多くの下層階級の兵士が血にまみれながら、むしろ一つの国体として死んで行こうとするのを見た。個人の死ではあってはならなかった。なぜ?個人の死であったならば、死は恐怖あるいは悲惨あるいは苦痛そのものに他ならなかったからなのか?救いようのない惨殺そのものに?いずれにしても、皇国産の覚醒剤が、今や、インドシナのあらゆる傀儡政権の内部を冴え蝕んでいることくらいは、レ・チ・ゴだって知っている。差別的で下卑た哄笑とともに日本兵専用の売春施設で、あるいは街の中で、ときに軍旗に違反しながらも不名誉な性病をさえ移され、移し、そのバクテリアの繁栄にだけ貢献し、そして死ぬときは国体そのものとして死んで行く。ひとたび戦争が始まってしまえば、どうなるのだろう?まともな戦闘経験のない、このベトナムの日本兵たちは?八紘一宇も北一輝も等しく美しい。なぜならそれは詩だから。詩は、当然にして無数の死の可能性を背景にして、死をはついには孕みこまない、偽態としてで発生した、むしろ死の経験を一切拒否する仮想された花だ。死が、詩として偽装されなければならない困難さを伴ってさえいるのに、なぜ、わたしたちは死の可能性を求めたのか?銃を手にして。むしろ死そのものがついにわたしたちの生を完成するかのように。ノイズを排除した、夢見られた美しい空間の中で。血と泥と怒号と轟音にまみれて。
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