小説《私小説Ⅳ》②…君が、堕ちて行くとき。
ベトナム。ホー・チ・ミン市に来たとき、はじめてここが、あの《サイゴン》だということを知った。
所属している建築会社が、ここに支社をたちあげたときに。必ずしも意味があるビジネス展開だとは想えなかった。とはいえ、彼らは、…わたしたちは、増殖し続けなければ生きていけなかった。わたしたちは増殖し、他なる増殖を阻止しようとし、ときに成功し、ときに失敗する。
わたしたちは増殖する。Lê Đạng Cảnh レ・ダン・カン という名のベトナム人側の責任者が、そして彼は文法的には流暢な日本語を話したが、発音がめちゃくちゃだった。
ぞこにーきたいでゅえすか?
どこに?
そうでゅえす。
…さいごん?
さいごん?
さいごーん。さーごん。さいごんぐ…「あー、」Cảnhは顔をほころばせ、なぜ、ヒトはやっと何かを了解したとき、一瞬、相手をあざけるような顔つきをしてしまうのだろう?人種を問わず。 - Sài Gòn…
彼はその都市の本当の発音をしてみせ、床をつま先で二三度蹴り、「ここでゅえす」言った。ここが、その、サイゴンですよ。旧名、サイゴン。…ね?
わたしは40歳になっていた。ちょうど、来月、サイゴン解放の40周年記念日で、ここら辺はパーティです、と Cảnh は言った。
十代の頃の、圭輔のあの滑らかな背中の匂いを、わたしは何度嗅いだだろう?
微かに汗ばんだ匂い、若干の獣臭さ。体液を一度あわ立ててから、発行させて、砂糖を振ったような匂い。二十歳になる前の日に、わたしは彼を四つんばいにさせ、一瞬、見惚れた。
朝の、日差しがカーテン越しに差す。やわらかな色彩に満たされる。朝。…まだ何にも穢されていない、色彩の息吹がある。
それが見せかけのものに過ぎないことなど知っている。まだ、シャワーさえ浴びていない、起きぬけのわたしたちのからだは汗ばみ、昨日の夜の、…数時間ほど前の、行為の残骸をへばりつかせ、匂う。
たぶん。わたしも匂う。自分の匂いに麻痺した嗅覚がついに嗅ぎ出さない、わたしの臭気。
ときに、女たちが息をひそめて、わたしに気付かれないように嗅ぎ取って行くもの。発情装置たち。美しく、でたらめな、哺乳類たちの発情様式。
たわむれに、Tシャツで腕を、後ろ手に縛ってみる。見詰め合って、わたしたちは笑う。こういうの好きなの?
…かもね。無意味な行為で、時間の隙間を埋めようとする。わたしたちは愛し合っていたが、愛するという行為が、つまりはどうな行為で、なにをすればいいのか、わたしたちは、まだ、知らない。
膣口と陰茎の卵子細胞覚醒のための行為に逃げることは出来ない。どこにも、卵子など形さえなく、生命、…愛の結晶としてお茶を濁したあの生産物を生み出しえる可能性は一瞬たりともない。
たんぱく質たちの戯れ。
…見た。白い反射光が、圭輔が息遣うたびにその皮膚を舐め、流れ、くずれる。
わたしは耳を澄ます。その、二つの息遣い、そしてこっちを向いた圭輔の眼差しに、…見ないで。
穢いよ。
つぶやいて仕舞いそうになる。
指を立てた。
左手の、薬指。
舐める。
指を伸ばし、その指の腹が、ゆっくりと圭輔の肌を撫ぜる。湿気た触感。潤った、それ。すこしだけべたついていて、皮膚。
つきだされた尻のカーブをなぞる。太ももに落ち、もう一度上がって、…くすぐったいって。
きれい。…すげぇ、綺麗。
見詰め合って交わされる、重ならない会話。睾丸のかたちをなぞる。陰毛の毛羽立ちに触れて、一瞬、指先は戸惑った。
わたしたちはまだ、何も知らない。愛するということが、どういう行為を言うのか?
無慈悲なまでに、…そして、ん、と圭輔が言った、鼻でだけ。わたしの指先が、前触れもなく肛門に侵入したときに。
体内の体温。
指先の触感。
…すき?
わたしは言い、圭輔は答えないままに、抜き出した指先に付着した匂いを嗅ぐ。
老いさらばえた腐臭さえ漂う。
熱帯の日差しがアスファルトに反射する。
わたしは息遣う。ベトナム人たちが、わたしを目で追った。わたしは美しい。そんな事は知っている。
わたしが立ち寄ったあらゆる場所で、人々が、男たちさえ、現地の言葉で、露骨にわたしの噂をしているのは、すぐに察知された。
日本よりあけすけな眼差しがわたしを捉え、…ハンサム、と、カフェの美しくはない女が必死に媚を作って、一言だけ言って、わたしにコーヒーを提供した。
眼差し。…見ればいい。もっと。
もっと、もっと、見ればいい。あなたたちの視線の前で、わたしは腐り堕ちて行く。腐臭さえたてながら。わたしは穢い。
もっと近くで。至近距離で。鼻さえ、触れそうなほどの。
…なんだったら、オナニーでも?
どう?
35歳になった愛が、どこかの風俗店に働いているらしいのは、フェイス・ブックで知った。
突然来た友達申請の、ポートレートは花の画像だった。記憶にない名前。聞いたことの無い名前。
杉原美香。
開くと、つぶやくような短文の、《しんじられるかしんじられないかわかんねーから しんじてやってるだけなのに って、おもった。》意味不明な文字しかない記事の群れの中に、《あんたのことがすきなんか どうかなんか わかるわけねーじゃんすきなんだから》見たこともない老けた40女の写真が数枚だけ確認できた。
あきらかに個室風俗の個室の中で、《はつねつしそうで こわいから ねる。》ある老いさらばえた女が、めがめをかけた丸顔の男と二人でピースをして、《きょうははれた。あしたはあめだ。あいたい。しにたい。》笑っていた。男は、まるで外国人のように見えた。日本人に違いないのだが、《しあわせになるくすりはかれしのえがおなんだなってゆうじじつにきづいてしまった》妙な違和感ばかりを感じさせる顔立ちだった。
理由はわからない。
女の眼差しは、うつろだった。《すきすきこうせんでてるけーおんなうざころす》光の加減でそう見えただけだったのかも知れない。口元には、《きてきてきって きてきてきって》あきらかな生気がみなぎっていた。
薄暗い写真だった。
暗い照明の中で、《くらくてごめんな やみちゅうごめんな しんでくれるから やんでてごめんな》無理やりとったポートレート。
《今日も、出勤だよ!》キャプションはそれだけ。めずらしく、日本語の意味がわかる文章だった。
良識を疑う。見せていいものと悪いものがあるだろう、と。
風俗の個室の中の、ポートレート。フェイス・ブックはなにを検閲しているのだろう?
何もしないでフェイスブックを閉じたあと、それが愛だったことに気付いた。
愛の本名など知らなかったし、二十年近く、連絡など取っていなかった。愛の本名が、美香だったことを、20年近くたって、知ったことになる。何の感慨もない。もっとも、それも源氏名なのかもしれない。
あのめがねの男は、愛=美香のリスト・カットの始末を、喜んでしてくれるのだろうか?
血を拭き取り、病院に連れて行くか、手当てをしてやるか。
そして抱きしめてやるか、これ見よがしな虐待を加えてやるのか。
不意に、胸が苦しく、いますぐに自分の心臓を取り出して、握りつぶして仕舞いたくなる。
穢らしい。
世界。…この、あまりにも穢らしい、増殖する細胞と分子の集合体たちの、穢れた世界。
わたしと Cảnh が同い歳だったことを知った。それは9月の、二人だけの飲み会だった。もちろん、日本料理屋。日本人街のレタントン通りの、日本人資本の、従業員に日本語が通じる、日本国内と同じ料金を取る店。Cảnh の好みだった。
もちろん、現地の貨幣価値から言えば、一握りの富裕層しか通えない、非現実的な店舗に過ぎない。
そのわりには、客の半数以上を、現地の人間が占めていたので、それが、社会主義国家、あるいは、アジアの国家、の当然の姿なのかも知れない。店内はざわめく。歓談する人々の声。
たんよううぃでしょ。
…なに?
たんようび。「…ありがと」わたしは Cảnh にお礼を言い、彼にだけ、自分の誕生日を教えていたことを思い出した。「北島さん、誕生日パーティ、するなって言うから…」
「…だって、めんどくさいもん」
「だめよ。…」じゃんとたんよううぅわいわあないちょ。「…そうだね。ベトナムでは、みんな、誕生日は、ちゃんと祝うの?」
「もちろん」Cảnh がうなずき、わたしは瓶のサッポロ・ビールを Cảnh についでやった。「盛大だよ。」
…そう。いいね。
「むかし、わたしが子どもの頃は、すごく貧しかった。…ベトナムはね、とても貧しくて。」なひぃもーりませんでゅえった「何もありませんでした。でも、…」微笑みながら、わたしは Cảnh の話を聞く。「でもね、誕生日だけは、みんなでお祝いする。」相槌を打ち、目線が合う。「これ、いいことです。…ね?」向こうの席に座った女。「…でも、日本は、あんまりそうじゃないね。もっとも、」ベトナム人の、やや肥満した「日本は日本だからね。」あきらかな富裕層の中年女。「…先進国でしょ?」目の前の男は「むかし、わたしたちの、…なに?」主人に違いない。「わたしたちの、」女がわたしを見る。「同じ歳の、」覗き見するように「同じ、…」
「…世代。」わたしが言うと、陽気な Cảnh は指を鳴らす。
「そう、世代。わたしたちの世代は貧しくて、建築の勉強なんて、本を読むだけ。」椅子に深くもたれ、わたしは「教科書だけ、…ね?」Cảnh の左耳の向こうの「先生は黒板に書いて、」女を見詰めた。「この機械はこうやって、」女はあきらかに戸惑い、「…あの機械は…、」惑って、「ほら、」女は「なにも物はないから、」眼を伏せるしかない。「ぜんぶ説明だけ。」何回も、伺うように「ロシアとか、中国とか、」覗き見しながら。「外国に留学して、」はゆぃめてぇほおんぐものおきかい、「はじめて本物の機械、見ました。…ね?」見ろ、もっと。「でも、いま、ね、」見たいんだろう?「Lap Top, …Smart phone, …mobile, …ね。」従業員が新しい皿を提供し「だんだんと、ね、」うざったいほどの「better, better, better, もっとね、」媚態を作る。その「better に。ね。…もっと、」顔に、「もっと better. 」体中に「将来は、ね。」媚態を。「日本、来たから。」征服は浴衣。「ベトナムに。」安っぽい、「タイランドとか、」水色の「マレイシアとか、」薄手の。「日本来たら、」…腐る。「よくなるから。」視線の中で、「…ね。もっと、」公然と、「もっと、ね」
「…おれ、会社、辞めようかな、って。」…え?と、あっけに取られた Cảnh が、かすかに目を剥いて、わたしを見ていた。ぢょずぃたんでゅえしか「…どうしたんですか?」
「ここで、暮らすよ。」
「ここ?」…そう、と、わたしはうなづき、ややあって、一瞬、声を立てて笑った。
わたしは腐って行く。
公共の視線の中で。しずかに。美しいわたしは、穢らしく、腐り堕ちていく。
眼差しが、わたしの穢れた自己崩壊を見つめて、媚を売る。
わたしは本気だった。とっさに口走っただけに過ぎなかったものの。
生活に困ることなどありえない。わたしは知っている。人間は必ず、美しいものに対しては本質的無力で、そして、自分だけを愛するものに対して、女は絶対的に無力だ。
まるで奴隷のように。最上位の女王様はつねに、最下層の奴隷だ。
まるで、隷従するためだけに生まれてきたかのように。
34歳の幸人が父親を殺したことを知ったのは、警察を通してだった。なにを裏付けなければならないのかは知らない。いずれにしても、彼らはわたしの証言をほしがった。
大学を出てから、まったく交流はなかった。32歳のわたしが、34歳の父親殺しの犯罪者と、大学時代に交友関係があったことをすぐさま照会してしまえる警察に、一瞬に、苦い恐怖感のようなものを感じた。
要するに、彼らが聞きたかったのは、幸人と幸子の関係の裏づけと、事実関係の照会、らしかった。
誰も彼もが、根も葉もない勝手なことばっかり言うので、もう、収拾がつかないんですよ、と、50代の小柄な警官が言った。
二人組みの、もう一人の方は長身で、若い。絵に描いたような、コンビのように想えた。
一瞬あって、わたしは不意に声を立てて笑いそうになった。ちょっとまって。…そうだったら、なぜ、あなたはわたしだけが、根も葉もある言葉を吐く、と知っているんですか? もしそうでないとしたら、あなたはみずから進んで更に新しい根も葉もない言葉を無意味に収集しようとしているにすぎない。…わかりますか?
わたしは微笑んで、大変ですね。そう言った。
わたしは彼らを部屋に上げて、そしてコーヒーを入れようとしたが、たかが一杯のコーヒーをかたくなに断った。
水だけを差し出したが、手にも触れようとはしない。
かりに、彼らの母親くらいの年配の女が、そんな流儀は日本人の礼儀にもとる、と、言い出したらどうするのだろう? 出されたものくらいちゃんといただけ、と。
幸人の母親はもう死んでいたらしかった。彼が二十五歳のときに。祖母はまだ存命だが、老人介護施設に入っている。祖父は数年前に癌で死んだ。父親は幸人が殺した。妹は幸人が逮捕拘留された日に、部屋で首を吊って死んでいた。参考尋問の出頭の時刻に現れなかったので、不審に想った警官が発見した。
父親の死体は悲惨だった。言い争ったあと、殴り合い、柱に頭をぶつけて、しゃがみこんだ父親の頭に、椅子を何度も打ちつけたらしかった。木製の椅子の残骸が血まみれで転がり、脳漿交じりの血は部屋中に飛散した。
頭部はもはや、残骸しか残ってはいなかった。
どんな表情をして、彼はそれをやったのか、あたりまえだが、警官は何も言わなかった。終わったあと、どんな表情をしたのか? それを聞いてみたかった。
きっかけは、30過ぎても結婚しない、彼ら二人をなじったことだった。彼らが、そういう関係であることは、父親も知っていた。その2月、犯行の半年前、結婚の承認をもとられてもいた。もちろん、父親は、自分の承認以前に、法律の承認さえ取れないじゃないかと、一蹴した。
父親の死を幸子は見ていた。
彼女が、どんなふうに、それを見ていたのか、警察は、もちろん語って聞かせてはくれない。
事が終わったあと、隣のうちに幸子は行って、兄が、父を殺してしまいました。通報してくださいますか? …そう言った。
なぜ、自分でしないのか、その久田扶美香という名の、二十八歳の奥さんは訝った。旦那のほうは、まだ帰ってきていなかった。7月7日。夕方6時53分。あと7分で、7が三つ揃った。
「幸人くんに、関係を告白されたことはあります。」
「…なんと?」
「愛し合っている、と。」
「どんな風に。」
「穢れた関係だと。彼と妹は、ね。…それだけ。」
「それだけ。」
「そう、それだけ。」
「それ以外には?」
「あとは、わたしの推測にしかなりませんよ。」
「いいですよ。参考までに」
「…ひっくり返しちゃうようですけど、」
「…ええ。」
「プラトニックだったんじゃないですか?」
「プラトニック?」
「そう。…純潔を守った、関係。…肉体関係は、なし。」
「どうして?」
「いや。推測ですよ。さっき言ったように。感覚的に、としか言えない。けど、肉体関係があるとは思えなかった。」
「そう…」
「おれには、ですよ。わたしには、…ね。」
「そう…。でも、失礼ですが、…あなた様の経歴、ですけどね」年上の警官が、わたしに気を使いながら言う。「5年くらい、ホスト? されてますね。歌舞伎町。大学生のとき、…ね? 大学を出てからも、一年くらい。就職浪人してたから、…ですか?」
「…ええ。よくご存知ですね。」
「少しだけ、耳にしたので…」全部吐いちまえよ、知ってることを、と、その胸倉をつかんで、壁に頭をたたきつけてやりたくなった。
警官は、必死に、わたしに気を使っていた。「そういう経験の、カン、ですか?」
「…ええ。そうかもしれませんね。ただ、…どっちにしても、彼らはそんな深い関係じゃないと想う。…ぼくは、ね。あくまでも。妹っ子っていうんですか? シスコンっていうか、そういう義人が、過保護にかわいがってただけ、なんじゃないですか? …そんな気さえ、しますね。基本的にはただの仲良し兄妹だった、と。たとえ、それが、ぼくらみたいな他人の眼にどう見えたかはともかく。義人君自体が、何でか知らないけど、それらしいことを匂わしたりしてたことも、事実には違いないんだけれども。彼ら、そうじゃないよ。デキてないですよ。」それは嘘だった。
招待された幸子の誕生日パーティで、幸子はあきらかに女だった。幸人に、まるで自分の夫であるかのような、必要以上にか弱く、わがままな目線を送った。あなたは永遠にわたしの幸せのために生きなければならない。なぜなら、わたしがあなたの幸せのために生きてあげるのだから、と、あたりまえのように永遠の義務を確信された容赦のない眼差し。
ときに、わたしに執拗に色目を使いながら、幸子は、彼女が幸人のものであることを、隠そうともしていなかった。その眼差し、仕草さ、話しかける言葉遣いに、ほんの少しの、身体的な距離感に。
娘の誕生日のホームパーティを、友人たちを招待して開くくらいなのだから、幸人たちの父親は資産家だったに違いない。世田谷の戸建て住宅も広々とした、いかにも金の掛かっていそうな住居だった。
犬を飼っていた。レトリバー。世慣れした、礼儀正しく、やさしげな父親だった。母親は若干の陰のある人だったが、おとなしく無口なタイプの人間が一様に感じさせる類のそれ、にすぎない。
あんな家庭で、どうして、と、不思議な違和感さえ感じた。
色気づいた、あの兄妹のほうが、むしろ、いびつだった。
水。…ふいに、わたしは口走った。「水、飲まないんですか?」
警官は一瞬、いぶかしげな顔をし、わたしを見た。
自分のくちばしった言葉の無意味さに、ふと、わたしは微笑んだ。
寝返りを打った妻の腕がわたしの胸元に覆いかぶさって、耳元に寝息がかかり、想い出した。わたしは、夢を見ていた。いまさっきまで。大陸のどこかで、誰かがクーデターを起こした。爆弾が飛び交って、さまざまなヒトの、さまざまな肉体の断片が、血を撒き散らしながら散乱した。
匂い。空爆の匂い。戦争。たぶん、きっと、おそらくは、戦争が起こるに違いないのかもしれないわけにはいかないわけでもない、…そうかもしれない。
戦場に雪が降っている。降り積もることの無い雪。
降っても、降っても、地に触れた瞬間に溶ける。視界の向こうまで、真っ白い降雪がすきまないほど、埋め尽くしているというのに。
その瞬間、気付いた。これは、雪ではない、と。なにか、もっと別のもの。ヒトたちが、滅びて仕舞ったことを知らせるために降っているに過ぎない、と。
…弔う気さえ、ないくせいに。
わたしたちは、再び殺しあうかもしれない。あるいは、わたしたいがヒトで、ヒトであるわたしたちなのだとしたら、わたしたちはヒトとして既に、もう、戦争を続けている。この地球上の数箇所で。さまざまな紛争地帯。暴動。ときに、空爆。わたしたちは、戦争をするだろう。そう想った。夢の中で。わたしたちは、わたしたちが滅びて仕舞うまで殺しあうだろう。
いつか、と、目覚めたまどろみの中で、空を巨大な爆弾が焼き尽くすだろう。わたしは目を開く。その、焦げた匂いが、あきらかな現実としてわたしの鼻をくすぐった。見つめる。わたしたちは絶滅していた。すでに。
…無慈悲なまでに、繁殖をやめないわたしたちは。
2018.04.30.-05.01
Seno-Lê Ma
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