小説 op.2《サイゴンの雪》②…熱帯の町に、雪が降るとき。恋愛小説









Fallin' Snow

ở Sài Gòn

サイゴンの雪









その老人は、その割りにはしっかりした足取りで自分の誕生日に集まった彼の家族の子供たちの間を練り歩いてさえ見せるが、いずれにしても、Hảo が膨大な歴史的な時間を生き抜いて来たには違いない。この老人が子供だったときには、まだフランス人[người Pháp]たちがここを宗主国の君主たちとして練り歩き、ông ởi, おじいさん chào ông ởi,… こんにちは、Lệ Hằng は おじいさん 立ち上がって người[人] 老人に挨拶し、やがて横取りするように pháp[法] 日本人たちがやってきて、実際に、我々は người Pháp[法の人]アジア諸国を白人たちから解放するのだ、と現地でさえ言ったものだった。マルクス主義あるいは北一輝の社会主義に感染した数名の将校を抱えて。白人たちでさえ、最早植民地時代の終焉を予感していたにも拘らず。大東亜共栄圏という名の、Anh ầy là ngươi Nhật, tên Junois そして この人は 老人は 日本人で、私を ジュンさんです。振り向き見るが、大げさにほほえんで、白人の物真似をした出来の悪い植民地は、支配しきる余力もなく敗戦とともに自滅するにまかせた。Quỳnh, クイン、と、思い出したように顔を上げて誰かを呼ぶ老人を Lệ Hằng は、ハノイとサイゴンに政府ができ、アメリカ人[người Mỹ]がソシアリズムから世界を守るためにやってくる。世界最強の国家だったはずの彼らにできたのは、Người[人]結局のところMỹ[美しい]ナパーム弾を撒き散らし、người Mỹ[美しい人]枯葉剤をぶちまけて、

― welcome to việt nam, I’m glad to meet you. 






老人は振り向き見て私に言い、大量の人間と大量の動物と樹木を枯らしめただけの話だった。誰と戦っていたのか、ついに彼らは知らなかった。ハノイ政府とか、べトコンゲリラとか、要するにそういった何か。それは、ひとつの土地の上での、複数の戦争だったに過ぎない。むしろソヴィエトよりも先に没落していたのはアメリカだった。サイゴンという都市が陥落し、もちろん北のベトナム人たちはそれを南部解放とよび、南のベトナム人たちがどこかの国に逃亡したりしたあとに、

― Chào ちゃお khongnhichiwa こんにちわ

老人に呼ばれて来た、六十代に見える男が「こんにちは」私に言い、その Quỳnh という名の男は、やがて中国と戦争が始まりカンボジアとさえ戦争が起こった。何やかにやと、Hảo の人生は多忙だった。いずれにしても、long, long, long time and long time ago, やせた、陽に灼けて背の高い Quỳnh は言った、when I was young, I had lived in japan, you know yokoshuka city ? 横須賀基地に?と私は、sure, sorry my Japanese and English is wrong, because I fogot rồi[already]. nhưng, …nói tóm lại, I can’t foget so... 忘れられません …sồng ở Nhật Bản あの頃のことは with Americans, 英語も、and, few Japanese,… 日本語も忘れましたが。サイゴンの?つまり、あなたは、そう、so… as a solder of …south Vietnam, so… govement of Saigon ? 私は、いわゆる《サイゴン政府》のベトナムにおける呼称を知らなかった。Yes, sure. 彼は言った。Omoide desu. omoide. can you undersand ? Omoide. good old omoide. In Nhật bản. 日本の When I was younger. いい想い出です  hiểu không ? わかります? 彼はポケットの中から、私の言っていることが、古い定期入れを取り出したが、わかりますか? 明らかに日本製の、今は存在しないはずの革製品会社らしいローマ字の社名の刻印されたそれは広げられ、巨大な軍用輸送機の横に立っている軍服姿の彼の写真を見せた。カラー写真の色彩は見事に色あせて、すべてが淡い紫色を基調したグラデーションを形作っていた。私の飛行機だ、と彼は言った。手で飛行機の翼を形作って、声を立てて笑い、たしかに、彼は私の視界いっぱいに、滑走する巨大な輸送機の映像を広げさせて見せ、猫は私の足元を不意に滑走し、べトナミーズ・マナーとして、しゃぶられた後好き放題にテーブルの下に落とされた豚肉の骨にありつく。耳を立てて澄ましながら、「私も日本にいました」Lệ Hằng は言った。そう、それで日本語がお上手なんですね。私は Quỳnh が差し出した手を握手に握りながら、自分でもどちらに言った言葉なのか理解できないまま、そして彼は言ったものだ、Lệ Hằng、月の女神の涙と人が呼ぶ、美しい君は「しかし、私は彼のような英雄ではありません。恥ずかしい仕事です。」どんな?「日本にいるベトナム人マフィアに誘われただけです。一度、日本に来なさいと」マフィア?「数多くの、優秀な留学生が日本にはいます。数少い、悪いマフィアは日本にいます。どちらも、目的は同じです。今より、よく生きたいのです。自分の生活を上げるために日本にいます。彼らは違いますが、同じです。Hiểu không ?」わかりますか?と君はいい、私はわかります、ヒュー[Hiểu]、と答えたが、その音声は、few としか聞こえないにしても、ややあって、振り向いた私の視界の中にその少女は、老人たちの肩越しに、料理を配膳して回っていた。日に灼けるがままの褐色の肌が、正午近くの日差しの直射の中に照り、それが、いやおうなく私の目を引いた。痛々しいほど幼さを残した彼女の身体が、em làm gì ? 日差しの中に、ねぇ、何、光を浴びて、してるの? その肌に光をしみこませる。Lệ Hằng に私の兄弟ですと紹介された Tiền ティン の祖父の誕生日だったが、その Tiền という三十すぎの、私にとっては年下だが、Lệ Hằng にとっては年上のどこか荒れた眼差しを持った寡黙な男はいつまでたっても現れない。祖父の誕生日などに興味はないのかもしれないし、祖父の誕生日からは排除されねばならない関係性の中にいるのかもしれなく、あるいは、あいにく多忙なだけなのかも知れない。Lệ Hằng にとっては、ベトナム人たちだけの日常的な祝宴に、日本の友人を連れ来るのが面白かっただけなのだろう。いずれにしても、彼はどこに行っても、自分より年上の人間たちに囲まれていてさえ、ベトナム語で言う、anh、つねに、かれは「兄」だった。不思議なほどに、いつも自分よりやや年長の誰かと話しているように錯覚させてしまう彼は、ボーイッシュな女性が持つ美しさを男性にそのまま与えた、どこか、心情の倒錯的なやわらかさに直接訴えかけてくる美しさを持っていた。日に灼かれる少女は、まだ十六歳かそこらのようにも、十三歳前後にも見えたが、Lệ Hằng に、私のために冷えたビールをもう一本持ってくるように呼び止められて振り向き見た彼女の、戸惑うような視線と並んだ Lệ Hằng は、文字通り、少し年上の彼女の兄のようにさえ見えた。日本へは帰って来ないつもりなんでしょう?と、木田翔は言った。私の後輩にあたり、とはいえ朋輩のようなものだったが、彼の伺うような視線なのかで私がどんな風に見えていたのかは、私にはわからない。確かに、その会社における私の未来などなかったし、それらの障害をはねつけて這い上がるほど、社内における未来に対して飢えてもいなかった。Sao em nói gì vậy ? どこででも生きていけるよ。どうして?翔は何かを言う代わりに、私のグラスに甘い白ワインを注いで、Seri さえも、私に言ったものだった、同じように、ほかの時に、別の場所で、もう帰ってこないの?付き合っていた頃には、むしろ、そんな馴れ馴れしい言い方はしなかった。別れて、兄と妹のような付き合い方に変化した後、彼女はまるで妻か何かのように、つづけて「ずっと、向こうにいる気やん?」でしょう? と言った後、Seri は上目遣いに私を見上げて、何も言わない私に言葉を続けるすべを失う。そうとは限らないよ、と、私は「帰って来いと言われれば帰るしかないだろう?」ワンマンやるの、Seri は、ライブ。渋谷で。四月に。と、「その日だけ日本に帰って来て欲しかったりはする」言った。彼女は歌を歌っていた。いわゆる地下アイドルくずれのシンガーソングライターで、それなりの、中年の男たちの「ファン」を抱えていた。芹沢薫、略してSeri、アニメソングのような、つんのめるようなビートの、ひっつめたようなメロディの曲をかいて、歌い、来れないですよね、遠いから、Seri は独り語散(ごち)、空が青い。









私はホテルの部屋の中で目覚め、社内ではビンズオンと呼ばれ、現地の人間にはビンジュンと舌でなめるように発音される、要するに Bính Dương という Hồ Chí Mình 市周辺の工場と工場用地の広大な更地を晒した町で、熱帯の大気は暑い。日差しに触れるたびに、さすような、熱い、その温度に皮膚は素手で触れられて、Đi ở đâu ? 初めて会ったあのカフェで、あの雨上がりに大気が含んだ奇跡的な涼しさの中で、Lệ Hằng は言ったものだった。どこへ行きましたか?どこへ行きたいですか?カフェの粗末なプラスティックの赤い椅子に座り、静かに微笑みながら、誘わずにいられない、その醒めた媚びのある眼差しの中で、サイゴン、…Saigon?その都市の正確な発音を私は知らない。だから、彼がそれを聞き取り得るのか、私にはわからなかった。私は、だから、何度か繰り返していた。その発音を、Sài Gòn、彼はすぐに聞き取り、修正して Sài Gòn 発音するそれは、英語のそれに限りなく近い。むかし、いくつも見たベトナム戦争の映画で聞いたのに似た、美しい発音、日本人ならだれでも知っている都市、日本兵か中国人にしか見えないベトナム人が米兵捕虜を虐待し、カンボジア以外の何ものでもないベトナムの密林が燃え上がる。サイゴン、地図上のどこにも表記されていないそれ、fall of Saigon 陥落したサイゴン、サイゴン陥落、その日に至る数ヶ月、すでに戦争は終わっていた。かつて、アメリカ兵にとっての歓楽の都市ですらあったはずのそこ。実質的にすでにアメリカが敗北していた後にややあって、その日、最終出国のシグナルは、ラジオから流される、ビング・クロスビーの歌った white christmas だった。その、今日のサイゴンの天気は雪だ、というDJの声を、Quỳnh、飛行気乗りの Quỳnh、あなたの眼差しに移ったその都市はどんな風にその姿を晒したのか?現存する白黒写真の向こうに。その日に、ある米兵経由で日本の無口な、失語症だったかもしれない少女からもらった《Les petit prince》の、少女自身も Quỳnh にとっても読めもしないフランス語の原書をポケットの中に入れたまま、あの日に、ちいさな王子様、君は、何を、「そこなら、あなたはもう行きました」Lệ Hằng のささやく音声を私は聞く、「あなたは、そこから来ました」あの日の王子は焦燥にかられるように、しかし、一平卒に過ぎない彼にも国外逃亡の手立てなどいくらでもあったにもかかわらず、ベトナムは滅びた。彼は残った、あの日に、ベトナムが勝利した 少女はいつも上目遣いに彼を見るだけで、その時に。一切何も言わなかった。ここはベトナムだった。このちいさな王子様は、そのときに、いくつもの星をちりばめたベトナムが生まれ、あの国旗はベトナムは制圧され すでに撤収され、ベトナムは解放され 打ち捨てられた。どこへ行く? 海に投げ捨てられるヘリコプターとともに、ここへ? その日、このまま? この、小さな王子は、さようなら、星の王子たち、さようなら 誰と誰とが Tam biết 戦っている戦争だったのなのか、長い長い幾つもの戦争が立ち上がっては消え去っていく。Hảo は残留した旧日本兵とともに戦ったことさえあった。なぜ日本に帰らないのか? 彼らは言った、ベトナムを愛しているからだ。極端になまったフランス語で。それが嘘だということはすぐに気付いた。彼らのみならずは、Hảo さえも、そこで言われる「ベトナム」になど、行ったことなどないのだから。対立し、時に協調するいくつもの勢力の分布図の範囲が、非公式にそう呼ばれていたに過ぎない。百年近くも。あの日本兵が46年に戦死したことを、Hảo は思い出す、知ったのは九十年代になってからだった。今日の「ホーチミンシティが、サイゴンです。」天気は「あなたはそこから来ましたね?」雪です。サイゴンの、今日の天気は雪です。冬には雪さえ降る海の向こうの国から。「ここへ。」あそこが?「サイゴンはホーチミンシティの古い名前ですから」陥落した、にもかかわらず、ベトナム人の誰もにいまだにその名で呼ばれ続ける都市。フランス人たちが作った古い教会の周辺に広がった、無数のバイクの群れを蓄えた都市、見栄えがするのはそのわずかな中心部だけで、それ以外には広大な、雑多にうねる道路と不細工な低層ビル郡とおびただしい家屋を乱立させた、荒れた、その、そして、笹村は言った、「ベトナムにはもう慣れましたか?」必須科目になっている日本語を無理やりしゃべる現地法人の従業員たちに、私には聞き取れないひどい英語でわめき散らした後、ええ、もう、小声の私の応答を聞きながら、笹村は日本人用の小部屋に入って行く。「いつも悩まされるんです。教育にね。従業員の」笹村の眼鏡越しの視線はいつも、他人を針で突き刺すように、じっと注がれた。彼が誰かに話しかける間中、誰かはその視線の不愉快な細かい針に刺され続けることになる。「彼女たち、椅子の上に胡坐をかいたりするでしょ。」笹村は笑った。「私の前じゃやりませんけどね。知ってるよ。私がいなくなると、いつもあれをやるんだよ。どう思う?」ああ、と言って私は笑い、文化の違いじゃないですか?「いや」吐き捨てるように彼は言って、沈黙し、ややあって、唐突に笹村は言った。「君はね、勘違いしちゃいけない。ここで君は私の指示に従わなければならない。いいですか?君は自分の立場を知っていますか?言いたくはないが、不正行為の果てに、左遷されて来たんです。東南アジアだよ?こんなとこ地の果てみたいなもんだよ。にもかかわらず、それでも温情処置だよ。懲戒免職ものなんだから。もっとも、」何の表情を変えるわけでもない私から視線をはずし、大した興味もなさげにパソコンを起動させながら「誰もがやっていることだけどね。違う?」私は彼の言うことが正しいことは知っていたから、「でも、俺は、やらないんだ」笹村は声を立てて笑い、私は何を言うわけでもなく、何かの表情が私の顔を乱すわけでもない。あなたは正しい。あなたの言うとおりだ。それ以外の何ものでもない。「ほら、このデータを見ればいい。」自分の横に立ったままの私にエクセルデータを指差しながら、「どうして彼らがやれと言われたことすらできないのかわからない。」計算にミスがありますか?「いや。書式が違う。」笹村はデータを閉じた。笹村はこの現地法人の立ち上げからここにいるので、5年近くこっちにいることになる。当たり前のように、彼は一切の現地語が話せない。その前に中国にいたときもそうだったろう。《日本人部屋》に笹村を残して出てきた私に、「どうでしたか?」どですぃたか「彼は何を言ってたんですか?」なにのいますか Duy ユイ と言う名の、若い「課長」が嘲笑的な笑みとともに話しかけてきて、私は不意に声を立てて笑って仕舞う。「なぜ、日本人は、いつもあんなに怒ってるんですか?」え? 聞き返し、「…知らないよ。」そう、…ねぇ、「What does it means in Vietnamese ?、知りません」Tôi không biết と、Duy は彼特有の鼻にかかった笑い声を立てた。そして、トイコンビッ、彼の発音を真似た私の背中を優しくなぜ、いつものように。親しみをこめて。









やがて、…anh, あの少女が、anh tên gì ? 、彼女が言ったとき、その猫の鳴き声のような耳に残る音声を、私は何度か耳の中に木魂させ、その、意味がわからない以上、語としての像を作ることのついにない音声のやわらかさを、…え? What’s? 何? 私が、em nói gì ?  何て、彼女に 言ったの? 二度目に会ったとき、愛していますか? Hảo は わたしを、不在だった。あなたは。自転車で親戚のうちに行ったのだと Lệ Hằng は家族たちの話を通訳した。彼は出て行きました。子供たちに会っています。その日二度目の不意の豪雨のあと、雨上がりの晴れ上がった、周囲の空気が瑞々しさをたたえて、私は息を吸い込み、Bính Dương 市の空は澄んで青い。この家を訪問した目的を失なったにもかかわらず、 Lệ Hằng は気に留めることもなく、庭を走る子供たちの遊び相手になってやりながら、そして不意に後ろから近づいてきたあの褐色の少女の、やわらかく瞳孔の開かれた眼差しに映っているはずの自分の姿を私は探した。彼女の瞳の向こうに。その肌の色彩の上に日差しは落ち、彼女は伏目がちににこりともせずに、何か言葉を探しているようだったが、それは私も同じことだった。このベトナム人の少女が、教育らしい教育を受けてはいないことは知れた。高校に通っているなら、時間の浅い午前中の今、ここにいるわけがなく、そして、彼女が母国語以外の言葉を知らないことも見て取れた。片言の英語さえも。何か言葉を探すたびに唇は開きかけ、ややあって、形を成さないまま、かすかな半開きの形のまま静止し、その唇は静かに呼吸だけを吸い込んでいく。私は、指を伸ばし、彼女の唇に触れようとした。拒まれもしないままに、指先はた易く彼女の下唇を捕らえ、指先に、唇はしずかにかたちを崩す。彼女は私を愛するだろうと、私は、乾いた湿気を帯びた大気が風さえ吹かさないまま周囲に滞留し、彼女は確かに、私を愛していたのだった。すでに。彼女は、ふと、近付けられた指先の匂いを嗅いで、私を上目遣いに見上げた。私は彼女の視界を埋め尽くしているはずの私の姿を探してみる。その黒目に映った反射の中に。見いだせないことなど承知の上で。「あなたも彼女を愛しています」子どもの世話をするのに飽きた Lệ Hằng はかすかに息を乱しながら、背後から私の背中をやさしく撫ぜ、言った。文法的に間違ったのか、意図通りなのか、私には判断がつかなかったが、彼の言うことに間違いはなかった。Em, nước cho anh ấy, …anh ơi đẹp của em とLệ Hằng は彼女に言い、彼は声を立てて笑い乍ら、エンヌックチョーアナイ、アノイデップクアエン、その音声だけを私は耳に聞く。彼女があからさまに顔を紅潮させてそっぽを向き、走って奥に駆け込むのを目で追う。濡れた大気の質感が私の全身をうざったいほどにつつみこみ、Lệ Hằng の女性的で華奢なその手のひらが愛撫するように私の背中を撫ぜるのにまかせ、彼女は?と言いかけた私は、Lệ Hằng の何を思っているのか予想させない純粋に美しい微笑みに見入る。「彼女は何歳ですか?ベトナム人は若く見えます。私には何歳なのか、よくわかりません」いいえ、と彼は言った「ベトナム人は、日本人に対して同じことを言います。彼女も、私にそう尋ねました。昨日。」不意に深刻な顔つきをし、Lệ Hằng は思いあぐねたようにしばらく沈黙したが、…じゅうはち?しち?、Fifteen, と彼は言い、私は彼が日本語の数字の数え方を苦手にしているのを知った。Khó… と言って、…コー、彼は笑うが、難しい、と彼は言ったのだった。私はそれを理解した。何が難しいのか、彼は説明さえせず、庭に落ちる陽光の、乾ききらない水滴の群れをあざやかに反射した細やかな白い光の点在に、奥から戻ってきた彼女は大きめのグラスにいっぱいの水を私に差し出し、uống đi...  目を伏せたまま触れ合いそうな距離でそう言って、私は彼女の手のひらごとグラスに触れて、氷に冷え切った水を飲み干した。彼女の両手をグラスの水滴は濡らし、乾いた喉に流れ込んだ水が私の体内を濡らしていくのに、彼女は気付いた。雨期にはまだ間がある。雨期に於いて、半年近く、南部では一日の中に必ず土砂降りの雨が降る。たとえどんなに晴れ上がった朝であっても、ややあって滝のような、空からの洪水に濡れ、路面中に水溜りは広がって、夥しいバイクの群れがそれを跳ね上げて、「結婚式の前夜祭があります」と Lệ Hằng はささやくように言ったが、唐突にドアが開いて、当然のように《日本人部屋》に入ってきた彼を、笹村も止めようがなかった。もちろん笹村は初対面だった。「水沢さんは、これから私の友人の結婚式の前夜祭に出ますから、今日は帰ります。」笹村に当たり前のように親密な笑顔で言いながら、ややあって、「日本語が、お上手ですね。」と笹村は無意味な言葉を投げかけるしかなかった。Lệ Hằng は、よく、セキュリティに留められずに、ここまでこれましたね、という笹村の言葉に振り向き見て、「歩けば、道はできます」と Lệ Hằng は屈託もなく笑いかけながら言った。「これは、日本人の言葉です。知っていますか?行きましょう。すこし、遅刻しています。」会社の社屋の外に出ると、彼にチップを握らされたに違いないセキュリティーは立ち上がって Lệ Hằng に愛想を振りまき、私は笑うしかなかい。これはあなたの流儀ですか?「ええ。私の流儀です」

「歩けば、道ができますか?」ええ、と Lệ Hằng は言い、「少しだけお金も要るけどね」笑う。社屋の門の外で待機していた彼の6人ばかりの取り巻きの一人のバイクの後ろに乗るように指示された私は、その後ろで、滑走する風景の中、先導する Lệ Hằng を目で追った。雨のために一気に成長した竹林を両方に抱いた土の道を走り、山影などあるはずもなく、どこまでも広がる広大な大陸の平野を、時にギザついた樹木の陰を並べた地平線を遠くに見せて風景は視界の中に滑走し、立ち止まった犬が横目で通り過ぎるバイクを見やったまま、その騒音に片耳を立てた。人間のために切り開かれた平野に、唐突に、無防備なほどに荒れた森林地帯が出現し、時にそれらを切り裂くように向こうまで見渡す限りの田園風景が広がる。日差しが濡れた土の上を直射するが、その香りさえ嗅がせないままに、私たちは通り過ぎていく。一般的な日本人にとっては、コンクリート作りの廃屋のようにしか見えないクオリティの平屋家屋が立ち並んだ細い道を曲がりくねって、土ぼこりが立ち、その家はあったが、レース地の派手な装飾布が張り巡らされたその家は、すぐにそこが彼の目的地であることを知らせた。車道の半分にまではみ出した装飾の中で、結婚式の式礼は既に始まっていて、両家の親族たちが中央に立っている新郎と新婦に金の指輪と封筒に入れた金銭を手渡していたが、Lệ Hằng が、Cảnh カン、と新郎にその名を呼びかけるまでもなく、白いスーツを着込んだ彼は Lệ Hằng を振り向き見て手を差し伸べた。一人の老人が Cảnh に金銭を渡しそこねていた。Lệ Hằng は人々の密集に割って入るように Cảnh の手をとり、おそらくは自分より年上の Cảnh がまるで年少者のように諂った笑顔を作って、両手でその手を握るのに任せたが、Lệ Hằng の乱暴な登場に、文句を言う人間は誰もいなかった。ベトナム流儀で、ông, bà , 要するに翁たちは翁らしく前面に席を埋め、con 要するに子たちは子たちらしくその後ろの席に固まってかしこまっていた。入り口近くの空席を占領し、自分の隣に私を誘って、Lệ Hằng は、彼は私の友人です、私に耳打ちし、その友人の発音は、yêu điên と 愚かな 聞こえたが 愛、もう一度発音を試みた後、Lệ Hằng は諦めて hiểu không ? わかるでしょう?言って …khó、「難しいね」彼は笑った。一応の式礼が終わるとテーブルの上に料理が出てきて、お決まりのビールが出されるのだが、奥から出てきたあの少女が給仕に追われるのを私は目で追った。彼女は忙しいですね、Lệ Hằng が私にビールを注ぎなら耳元に言い、そのとき彼がその気もなく私に嗅がせた彼の体臭の柔らかな檜のそれに動物的な色気を加えたような香気は、私の鼻腔を占領する。あなたの友人 yêu điên は、今、とても忙しい。彼女は con gái、少女だから、仕方がない。厨房を仕切っているらしい年長の太った女性が出てきて彼女に早口に指図するのだが、無理よ、と言ったらしく、彼女はすねたように小さく叫んで、周囲の翁 ông たちは声を立てて笑った。私の友人 yêu điên は今、忙しい。Cảnh とその妻の Thiến ティエン が席を回って、私たちの前にたどり着き、Lệ Hằng の取り巻きの一人が新婦のグラスにビールを注ぐ。私たちは乾杯し、夫のうしろにはにかんだように隠れさえする妻の前で、新郎はもう一度固く Lệ Hằng の手をとり、膨大な感謝の言葉を彼に投げかける。Lệ Hằng は時々首を振り乍ら không, といいえ 否定句をさしはさむだけで、微笑みながら彼の言葉を聞いていた。取り巻きの Trang チャン、このボディビルダーのような体躯の、30過ぎの刺青だらけの男が、再び新郎のグラスにビールを注ぐので、新婦は笑いながら文句を言い、いずれにせよ彼らは今日、幸せなのには違いない。乾杯の前に、em,..em ơi, と Lệ Hằng が エムオイ 不意に口を開くと、私たちは彼の言葉に耳を澄ませ、ややあって、chúc may măn、彼は言った。幸多かれ。彼らはまるで、それが重要な箴言でもあるかのように、ばらばらな流儀で Lệ Hằng を讃えてみせながらグラスを合わせる。私たちが人目を引く奇妙な集団だったのには違いなかった。小柄な、誰かに夢見られたかのように美しい Lệ Hằng を取り巻いて、数人の、筋肉以外に興味はないかのような体躯の男たちが場違いなTシャツ姿で、そして日本人が一人、ひょろ長く足を組んで座っていて、トランスジェンダーらしい小柄の短髪の女性がきっちりと男性用のスーツを着てかしこまる。韓国のシンガーを小柄にして痩せさせたような金髪の10代の少年が、女性的な気配の内にどこか不遜な顔つきで警戒を解かないままの猫のように、Lệ Hằng の影で周囲の酒宴を見張っていた。無言のまま少年は猫背になって、この世界に笑いかけるべきものなど存在しないとでも言うように息を潜めていたが、不意に私のグラスに手を伸ばし、ビールを飲みほした。まだ10代前半の子どもには違いないが、明らかに飲み慣れている風だったので、取り立てて違和感があるわけでもない。そして、痛ましいほどに幼い。彼の中性的でさえある雰囲気は、おもにその年齢によるのかも知れない。「あなたの友人も忙しいですね。」私は各席を回って乾杯する新郎を指差し、言ったが、自分の何気なく指差したこの行為が、ここでは文化的に妥当なのかどうか、指は、ややあって戸惑う。ええ、忙しい。とっても。私の友人 yêu điên も忙しい、と Lệ Hằngは言い、何度繰り返してもうまくいかない日本語の jing の発音に、彼は思わず笑った。向こうで、囃し立てられるまま Cảnh の頬に Thiến が口付けて見せた瞬間に、大きな歓声が立つ。「私の日本語の発音はおかしいです。ですが、これは日本人が悪いですよ。あなたたちほど自分たちの言葉について知らない人たちはいません。」簡単ですよ、と私は言った、あ、い、う、え、Lệ Hằng は一瞬大きく声を立てて笑って「日本人はみなさん、そう言います。あ、い、う、え、お、ですが、たとえば、《愛します》の《あ》と、《不安です》の《あ》は同じですか?」Thiến は夫に寄りかかりながら「《本》の《ん》と《本を読む》の《ん》と《本物》の《ん》は同じんですか?」Thiến はいつも妊婦のように歩く「アルファベットだったら」よく肥えて、重い重心が「別の書き方をします。ひらがなほど」地面にへばりついているようにさえ「読みにくい字はありません。同じ字ですが、」見える。「読み方がいくつも違いますから。」ベトナム語のほうが難しいですよ。いくつも母音があるでしょう?a, á, à, â, ă,…「あなたは練習しないからです。簡単です。」私は Lệ Hằng の「書いてあるとおりを読みます。」音声を、「それだけです。」彼の音声は、日本語を話すときには擦れるようにややピッチが低くなり、ベトナム語を話すときには音としてくっきりと鳴らされる。それは甲高くはないが高めのアルトに近く、私は彼に頬を寄せるようにして彼の話を聞く。彼はいつでも、誰にでも、内緒の打ち明け話をするような話し方を、よく通る声で、する。彼は、秘密めかしながら、誰に対しても一度も、秘密など作ったことなどないに違いない。彼にとって他人とは、自分に諂う卑怯者か目を背けて彼を見なかったことにする卑怯者か、その二種類でしかないのかも知れない。彼の眼差しほどに他人への慈愛に満ちた眼差しは見たこともなかったが、その眼差しから何らかの他者への尊敬が伺われることもまた、一度もなかった。金髪の少年の頭を撫ぜてやる手をとめて、Lệ Hằng は Cảnh を指差し、ふと、もっと若いころ、と、「彼は私の恋人でした」言った。私は無数の白い、名前さえわからない花々の装飾を見やりながら、Lệ Hằngは、









「あなたは、…」私は Lệ Hằng に何か言おうとして口ごもり、急ごしらえの祭壇の花々は荒々しいほど無造作に飾り立てられていて、白く、暴力的なまでにただ、白い。





Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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