エッセイ:アオザイとカール・マルクス


ベトナムに住み始めて、4年目になる。


ベトナム語はなかなかうまくならない。英語に逃げてしまうせいでもある。

テレビを見ていた。7時から放送されている、毎日の普通のニュース番組だ。

どこの国で何があった、どこの国の企業がなにをした、ベトナムのどこで何があった、…と。


言語の問題で、かならずしも、何を言っているのか全く理解できないわけでもなく、すべて理解できるわけでもない。


ニュース・キャスターは二人いて、男と女、男はスーツを、女は伝統衣装の《アオザイ》を着ている。いつものことだ。清楚で、端整な顔立ちで、非常に知的な雰囲気の女性で、30代、なのだろうか。


《アオザイ》といえば、有名な伝統衣装なので、そのデザインくらい、いちいち説明しなくてもだれもが思い浮かべられるはずだ。言うまでもなく、よく言えば女性の身体美の表現に優れた、悪く言えばセクシーすぎなくもない衣装ではある。

その日のニュースが一通り終わって、特集コーナーになると、その、セクシー極まりない《アオザイ》姿の、知的で清楚な女性キャスターがいきなり、神妙な顔になって、派手な髭づらのカール・マルクスの紹介を始める。


今日は、カール・マルクスの何かの記念日らしい。


マルクスの白黒写真が大写しになって、切々とベトナム語でマルクスの事跡の説明が始まる。

ここでは、マルクスが、誰もが知っている有名な人物であるには違いなく、そして、ゴールデンタイムの毎日のニュース番組で、何かの記念日のたびに紹介されてしかるべき人物として、認識されているにも、違いないのだろう。


もちろん、日本では考えられないことではある。


よく聞くと、《共産党宣言》の初版が出版された日らしい。

なんだ、そんなことか、と想った。

日本では、考えられないだろう。マルクスの命日だったとしても、マルクスなど、無視されるに決まっている。

夕方のニュース番組で、「今日は革命思想家、カール・マルクスさんの何十回めの命日です…」と始まったら、どうなるのだろう?

クレームだらけで、いろんなサーバーが堕ちるのではないか。


マルクスといえば、どちらかといえば、今や通用しない昔の危険思想家、というのが、むしろ一般的なイメージだろう。

例えばいまさらマルクスで論文や批評を書く人がいたら、それは、相当尖がった物言いを始める人に、決まっている。

要するに、日本では、そういう特殊な人なのだが、ここでは、一般的な人、なのだ。


もちろん、ベトナムが基本的には社会主義の国だということは知っている。

町にも、いわゆる《共産主義アート》があふれる。

若者たちがこぶしを握り、明日のほうを向いて、例えば、《ベトナムを世界最先進国にしよう!》とか、《APECベトナムを成功させよう!》とか、スローガンを叫んでいる。

それはそうなのだが、その、清楚な女性キャスターの顔立ちと、身にまとった《アオザイ》のセクシーさと、カール・マルクスの髭づらの三位一体の取り合わせが、妙に滑稽だった。


一人でにやにやしていたら、妻が、どうしたの?と、ベトナム語で言った。不審そうな顔をして。どうやって、説明すればいいだろう?

お前、マルクスは好きか?

そう、まったく前後のつながりを欠く答えを返したら、

知らないわよ。そんな事。

そう言って、不審そうな表情を、なかなか引っ込めない。


ところで、《アオザイ》はセクシーだ、と言った。

けれど、あれは、非常に考え抜かれたデザインだと想う。実際、あれほどセクシーな印象があるにも拘らず、あれほど肌の露出が無い衣装もめずらしい。

出ているのは、首から上、手のひら、そして、高いスリットのため、微妙にちらちら見えなくもないわき腹だけ、だ。

そのわき腹にしても、動くたびにちらちらしないでもないというだけであって、常時露出しているわけではない。


よく考えると、《アオザイ》のガードは固い。


しかも、その鉄壁のガードの固さ故に、痩せ身でさえあれば、からだのラインなど、下着でいくらでも矯正できてしまう。肥満の問題は、隠しようがないが。

実際、ベトナムで一般的な《アオザイ》用ブラは、びっくりするくらい詰め物がされている。もともと、のっぺりしている体形のアジア人。曲線美は、作り出してなんぼ、なのだ。


《アオザイ》着用の女性を見て、ベトナム人女性は、アジア人種、いや、ひょっとしたら世界の全人種のなかで一番スタイルがいいんじゃないか、と言った日本人がいた。わたしはおかしくてたまらなかった。


そう言う意味では、女性に非常に優しいセクシー表現だと想う。何もそこまで露出しなくても、と想ってしまう、そして上手な嘘のつきようのない、例えばレッドカーペットの、ヌーディなパーティ・ドレスに比べれば。

そんな事を考えていると、余計、無意味ににやにやしてしまう。妻は不審の度を強める。


説明のしようも、言い訳のしようもない。


どうしようもないから、想いあぐねて、頬にキスする。不審はとけない。さしあたって、他にできることもなにもない。



Seno-Lê Ma




Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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