小説 op.1《蘭陵王》④ Lan Lăng Vương 仮面の美少年は、涙する。



この小説は、雅楽の《蘭陵王》をモティーフにしています。

雅楽《蘭陵王》は、もともと林邑楽、つまり、ベトナムから伝わってきた曲だ、と言うことなのですが、

現在、ベトナムにはその片鱗さえ残ってはいません。

また、ベトナムにも雅楽、という伝統音楽はあるのですが、あくまでも、

みやびやかな音楽=雅楽、なので、日本の、

雅正なる音楽(正統クラシック音楽)=雅楽という意味ではありません。

そう言う意味では、日本の雅楽は孤独な音楽だといえます。

漢や唐の外国音楽であるから日本音楽ではなく、

その外国にもはや現存しないから、外国に起源を求めることも出来ない。

そういう孤独な音楽。

その孤独さに、わたしは惹かれてしまいます。

ちなみに、今日、4月30日は、《サイゴン陥落》の日です。

もちろんベトナムでは《サイゴン解放》の日、国民の祝日です。

2018.04.30. Seno-Lê Ma









人々の群れの中に、私は義父の姿を見つける。Thanh タン というこの丸っこい体躯の大柄な男は、いつものようにまるで演説をしているような口調で、くだらない雑談に耽り込む。あれもまた、誰かの命日のパーティだった。私が同じように、Hồ に差し出した Bánh mì を彼が撥ねつけたのは。昼間から酒宴は始まり、いくつもの、いつもの顔がいつものようにビールを開ける。私はわざと酔った振りをし、たった一人の外国人らしい善良な笑みを作り乍ら、一度席をはずす。Thanh の立てた演説調の笑い声に目を逸らし、奥のトイレの前で、Say chưa おばに 酔っ払いました 差し出された Bánh mì を私は隅で外を眺めていた Hồ に、半分ちぎって差し出したが、彼はわずかに眉を動かした後、見向きもせずに撥ねつけて、庭の奥に走っていく。おばが甲高い声で叱り付け、奥で鶏の鳴き声と羽撃きが一気に立つ。フェンスの破れた隙間から走り出て行ったに違いなかったが、Thô の家の入り口の向こうに数台のバイクが止まって、明らかに彼への追悼には無縁の十四、五歳から二十歳前後のまちまちな少年たちがクラクションを、そして Ho ! と Hồ を呼ぶ。Em đi.... 行くよ、と私に笑いかけ、その集団のほうに走っていくのを、私は見つめたが、Thành の演説調の笑い声が未だ聞こえ続けているにも拘らず、そして、痩せた、華奢な、むしろ女性的なその Hồ の身体はしずかに、しなやかに、ココナッツの木立の下を通り抜け、木漏れ日の斑な光と影の中に明滅する。いつものように少年たちの数人がバイクを叩き、尻を後ろにずらせば、どれを選ぶかは Hồ の権限だった。それが自分のものであるかのように、一台の前の座席にまたがってエンジンを吹かすと、Hồ の為のヘルメットが廻され、後ろにまたがっている左腕に刺青を這わせた色白な少年は、いつくしむように Hồ に被せてやる。笑い声がたち、間歇的な話し声の連なりの後、バイクの群れは走り出すのだが、私が日本から持ってきた三本の竹笛を交互に手にして、吹いてみろ、と Hồ は無言のままに言った。まだ、彼が少年らしいあどけなさをあからさまに残していた頃だ。昼寝をしていた私の部屋に忍び込み、ベッドのふちに腰掛けたHồの手から龍笛を抜き出して、吹けば、それほど広くない空間の中で、のた打ち回るように響きあう。罅割れ、明らかに、空間が狭すぎるのだった。心の中だけで舌打してすぐに口を離し、私が彼に笛を差し出すと、手のひらの中で遊ばせた後で、息を吹き込んでみるが、もちろん、鳴りはしない。管は Hồ が吹き込んだ息音だけをその中に反響させ、Hồ は私に返し乍ら、駄目だよ、と無言の中に手を振った。甲高い彼の笑い声が、彼が今笑っていることを私に伝える。Hồ の美しい顔は表情豊かな曲線のゆえに、どんな表情を今しているのか察しさせにくい。とても美しく、気弱で高貴な女性のように美しい、複雑な顔。泣きじゃくっているときのある一瞬に微笑んだような、Thồ なんか、と、くだらない奴だよ、Bính は言ったのだった。いつだったか、週末の飲み会のどれかで、めずらしく赤らんだ顔で私に微笑みかけ、スマホ画面に、スライドさせる画像データの中から Thồ と私が並んだ画像を見つけ出した後、彼らが中国人たちを語るときによく見せる、侮蔑の上に差別を混ぜて見下しきった後に見下しぬいたような顔をして、He hate him. と Nam は屈託のない笑顔で笑い乍ら言うが、Bính は私の手を叩き、気をつけろ、と彼は耳元に言う。Take care to your family. 彼が珍しく使う英単語の羅列になぜか笑い出してしまい乍ら、お前の家族に気をつけるのか、お前の家族を気をつけるのかわからないまま、私は No problem と言った。Nam が Bính の手を叩き、囃し立てるように、そして、Thô の妻はふたたび泣き叫ぶ。間歇的に、彼女は、今日、これから何度この発作を繰り返すのか? Thô は裕福な男ではなかった。広大な敷地の上に三棟建ての屋敷を構え乍ら、彼自身はむしろ、貧しくはない程度の金銭しか持たなかった。多くのものが Thô に媚び、Bính は言った、本当だよ、と、諂い、Sure. そして多くのものが彼を重罪者のように扱った。多くの子どもを作り、何人かの子どもとの関係は悪化し、何人かの子どもとの関係はとりあえず彼をあしざまにしはしない程度ではある。いずれにしても、町のこの区画は Thô のファミリーたちが密集している区画だった。Thô は歩けば誰かとすれ違った。すべての人間は彼を知っていて、彼はすべての人間を知っていた。時にさまよいこむ韓国からの観光客以外をは。 Thô は、と Bính は言った、いわゆる「南ベトナム」の末端の将校にすぎなかったが、「北ベトナム」の捕虜になったとき、片っ端から情報を漏らした。北側の領土に住んでいた彼の当時の女に会いに行った帰りに一時拘束されたにすぎないが、Thô はうまく立ち回ったのだった。Thô はサイゴンに帰り、そ知らぬふりでひとしきり彼らの戦争に勤務し乍ら、相変わらずハノイに情報を流し続けた。 サイゴンのほうに対してどうだったのかは、わからない。最も穢い裏切り者だとも言えた。あなたは息子だ、とThôは言った。朝早くのカフェで、you are my son, と Thô は、yêu... ã... mai... sáng... 必ずしも必要としているわけではない杖を壁に立てかけ、ホイアン市に3度目に行った時、それは Nam に誘われた週末の小旅行だったが、ホイアンは初めてか? Nam が振り向きざま、私に言った。









わたしはバイクの後ろで、3回目だと言い、声を立てて笑うのだが、旧同潤会アパートに似ていなくもない古い建物が並び、それらの中にはかつての青山のそれのように新しいショップが入っている。30%の白人と、40%の中国人と、30%の韓国人が、旅行者として街を埋め尽くす。なぜか黒人を見たことがない。街の中で現地の人間が頻繁にバイクのクラクションを鳴らし、ざわめきあった声の群れがうずまいて、私は Nam にひかれるままにの友人の家を訪ねるが、彼は小柄で、日に灼け、右の眉に傷がある。肩を抱き合いながら歓待し、歓待され、そこはカフェとジュースを売っている。その男は、Tín ティン という名だった。昼下がりの陽光が街に差す。Nam は煙草に火をつけ、私に廻し、ビールが抜かれるときには、目の前の、外国人旅行者用のこ洒落たカフェに白人の太った若くはない夫婦が座っていて、多くの白人たちはここで、とてもエレガントな眼差しのうちに現地の野生の猿の生態をに眺めて楽しみもする。他文化に対するリスペクトを常に表現して見せ乍ら、現地の猿たちのあわただしい動きと喚声に一瞥をくれ、それらは檻の中の虐待された野生動物たちを眺める動物愛護団体のボランティアたちのように。中国人と韓国人たちはいまだ彼らの差別主義にエレガントさを致命的に欠いた後進国にすぎず、わずかばかりの日本人たちは、いつでも、どこでも、自らの周囲1メートル四方を日本にして仕舞い乍ら、檻つきの猿のように小刻みな歩調で街を歩いていく。そして、ベトナム人たちは外国人のそれぞれの流儀にいちいち付き合っている暇はない。Nam は、私に Tín を紹介しながら、大学のとき一緒だったんだ、と言った。Nam は山間部に発電プラントを作り、Tín は都市の電線を整備している。ラオスに近い山の上の現場から、朝、ダナン市に帰ってきたばかりの Nam は、かつて、若い頃、ロシアに留学していた。ソヴィエト政府が崩壊して、少し経った頃だ。Long time no see と、唐突に言われ、そして、肩を叩かれて振り向くと、Thổ トー が微笑んでいた。Thô の孫の一人だった。シンガポールに留学した経験もあるこの Thổ という男が、今、この家の経済を支えていた。祭壇作りはまだ終わっていないし、今日中に終わるのかどうかさえわからない。組み上げられ、誰かが文句を言い、解体され、ばらされ、組みなおされて、Tín に Nam は言った、...日本人だよ、彼は。そして、これは彼がわたしを誰かに紹介するときのいつものやり方だったが、今まで出会った多くの人間たちがそうだったように、アジノモト、ホンダ、スズキ、と日本企業の名前を笑い乍ら Tín は連呼してみせ、笑って、私は Dạ… Dạ… あなたは父に会いましたか?と Thổ は言い、会ったには違いない。私は不意に、Chưa と言った。...まだです。こっちへ、と手招きされるまま、Thô の折り曲げられた手首に窓越しの陽光が反射する。三十過ぎの、年齢よりも落ち着いたこの男に、悲しいですね。ええ、悲しいです。Thổ のよく教育された英語音声は教材テープのように美しい。それが英語だと意識できないほどに。ややあって、奥から、痩せてか弱げな老人に手を引かれて僧侶が出て来た時、 Nam たちは立ち上がって彼を歓待する。菜食日のある国だった。何をするわけでもなく茶飲みに立ち寄ったにすぎないとしても、彼らにとって、僧侶は僧侶だった。私も彼らに倣うが、くすんだ淡いオレンジの僧侶服に身を包んだ彼は、縁なしの眼鏡越しに私たちに笑いかけ、Nam は又、やがて彼はわたしに言われてそれをきっぱりとやめてしまうのだが、彼は日本人だと言い出すに違いない。再び仏間の奥に行き、淡い日差しの中で Thô の妻はいじけたように白い喪服のふちを撫ぜて平らにしようとし乍ら、You are welcome. と言ったのだろう、何かベトナム語の音声の塊が彼の口から発せられて、私は僧侶の手をとる。Thô の顔は相変わらず何かに驚いたように口を開け、そして、この口に鼻を押し付けたなら彼の体内の死臭は漂ってくるのだろうか?僧侶の肩越しに、隣の画廊が目に入る。ホイアン、この、洋服、アオヤイ、小物、絵、あらゆる売却し得る商品を歴史的な建築にぶち込んだ小さな観光都市。私の父は言いました、と Thổ は言った。あなたは友人だと。何故、彼は死んだのですか? と下手な英語で私が言うのを彼は聞く。私は低い花壇をまたいで壁中、四段にわたって飾られ尽くした絵の群れの中に、一枚だけ、あの、サイゴンの、海に降る雪の絵があるのを見つけた。









Thổ は首を横に振り、I don’t know, but… 口ごもり、言葉を捜すが、彼が、英単語を探しているわけではないことは、すぐにわかる。サイゴンで、あの、サイゴン、現存政府の象徴的な人物の名を冠された、にも拘らず、誰もがサイゴンと呼ぶ都市。わたしたちは知らない、Thổ は言う、誰がいつどのように死ぬのか。何故死ぬのか。しかし、嘗て、南ベトナムの首都で、歴史的なあの日に陥落し、いまや存在しないはずの都市、サイゴン。私たちは唯、彼が死んでしまったことだけを知っています。ならば、人々がサイゴンと呼ぶサイゴンはいったいどこにあるのか? サイゴンとは、どこなのか? 私は微笑み乍ら、Thổ の肩にやさしく触れ、この、これ見よがしなほどに紳士的で教育された男の、サイゴンの、その中心に立ち乍ら、そして、サイゴンの路面に触れながら、しかし、ここにはサイゴンなど最早存在してはいない。まかせる。彼が親密に、やさしく、私を抱きしめるのに、わたしはまかせる。その絵はサイゴンのそれとは完全に違う表情を持っていた。それを明確に言うことができない、明確な意志によって描き分けられているとはいえない、同じタッチ、同じ技法、同じ主題、しかし、それは明らかにサイゴンのそれとは違っている。ややあって、Nam が背後から、気に入ったのか? と言い、わたしは笑いかける。画廊の番をしている少女に何かが話しかけられ、奥から出てきた五十代の、ベトナムではめずらしい長髪の男性がややあって、短いやり取りの後、持って来た古い新聞の切抜きに、私は彼を知っている。サイゴンのスマホで見たのと同じ顔だった。崩れた顔が、紙に印刷された白黒写真の中で、より凄惨な印象を与える。損壊され、破壊され、惨めに曝された顔。Nam がわたしに言った。彼はダナン市に住んでいるらしい。すぐ近くだ。彼はバイクのハンドルを廻す手つきをして、行ってみるか?私は言った。行ってみよう。いつ? ...そう、来週の週末に? 画廊の主人は私に画家のアドレスを書いたメモを渡し、彼は画家なのか? と Nam に言ったに違いない。Không と Nam は言い、彼は好きなんだ、絵が。そうか。だって彼は日本人だから、と彼は言っているの違いない。やはり、雪が降っている。海に。白く、雪が降っていた。波が半ば凍りつきかけたように、静かに、さざ波しかたててはいない。むしろ、しずか過ぎる雪の中で、色彩さえ失いかけ、本来の青さも、あのべたつく潮の気も、それらを持ち得ていた記憶をかすかに暗示させたにすぎない。痕跡として。かろうじてそれは海であることを識別させる空間に雪が降っている。それ以外には何もなかった。いずれにせよ、裏切り者と呼ばれ、事実に於いてそうであり、功労者と呼ばれ、事実そうであった Thô[粗]あるいは Thơ[詩]と言う名の一人の老人が、ほとんど金を残すこともなく、ただ、広がった敷地の隅の小さな平屋の中で死んだことを、眼差しの内に何度目かに確認する。不意に雲がちになったかと思うと、水という水をすべてぶちまけたような豪雨に包まれ、南部の雨期のような雨が降る。屋根のトタンを打ち付けるそれが立てた轟音に包まれて、Xấu ! ひどいその背後の女声を聞く。ココナッツの葉々の雨の中の激しい上下は、そして木立がざわつく。屋外のあらゆる場所で立てられた音が、ばらばらの塊のまま耳の中に木魂し、私は音響そのものを持て余してトイレに立つ。Thô が書いたものなのかもしれない発音記号つきのアルファベットの書の前を通り過ぎ、私は一度顔を洗って鏡に映す。蛇口から水滴が撥ね、排水溝に水流は音を立てて流れ込み、やわらかい白い日差しは水の上を這うが、片時たりとも崩れ続けてやまない。私は美しい。おいさらばえたものの。鏡の中のそれが証明していた。私は、私の泣きながら微笑んだような顔を濡らした水滴をそでで拭う。気候のため水が少し生暖かい。不意に鍵の壊れたドアが開き、顔を上げた一瞬、その女と目が合った。もう若くはないその女は丸い鼻を一度、驚いて豚のように鳴らし、その見開かれた黒目が私を見つめ、逸らそうともしないままに彼女が早口に何か言い訳するが、私に聞き取れないことは本人もすでに知っている。ややあって独(ひと)り語散(ごち)乍ら、困りはてた笑みとともにようやくドアを閉め、私は水を止めた。サイゴンでよく出会った雨期の雨に似ている。それは、不意に、世界のすべてを洗い流さずにはおかないような豪雨を叩き付ける。いまだ、都市整備が都市の規模に追い付いていないそこは、その度に路面中に波紋にまみれた泥水を氾濫させるが、ドアを開ければ、彼女がどんな風にしているのか、私にはわかっている。そのとおりに、ドアのすぐ横に崩れるように座り込んで、すがりつくように床に手をつき、彼女は荒く、小さく、息を吐く。瞳孔を開ききらせたままに、発情期の雄犬のように、その昏い瞳で私を見上げたまま、視線を外すことさえできない。今、この瞬間には、立って、まともに歩くことすらできないはずだった。私は美しい。私はそれを知っている。雨上がりの路面を踏み乍ら、家に帰る。









ぶちまけるだけぶちまけて、空っぽに成った空が見事に晴れ上がり、流れ残った水滴の群れを煌かせ、それは妻の母の家だった。狭くはない、奥まった敷地に入る路地を抜け、白い家屋の影をくぐる。妻を呼ぶが、気配さえない。家屋の中に、誰の気配もなく、寝室の中には誰もいない。まだ9時にもなってはいない。私は知らない。Thô は眠っている。Thô は目を覚ます。三十歳になったばかりの彼は Lanh を思い出す。Lanh は必ずしも美しいわけではない。だが、彼は彼の女の一人なのだから、彼はあの女に会いに行かなければならない。寝息を立てまま、Thô は身を曲げ、窓越しの浅い日差しが彼の足元を差した。Lanh はやがて韓国兵だったか何だったかに射殺されてしまったが、Lanh は Thô を待っている。 Lanh と待ち合わせた川沿いの橋の袂に向かって自転車をこぐ。反乱と呼ぶべきなのか、革命と呼ぶべきなのか、独立戦争と呼ぶべきなのか、統一戦争と呼ぶべきなのか、長い殺し合いが起こっているさなかには違いないが、蝶さえ舞う農道を通り抜け、不意に現れた軍服の男に Thô は舌打ちして、サイゴンの将校だといえば正にそうなのだが、すべての軍人が今この瞬間に戦争をしていることなどありえない。すさんだ目つきで Thô を犯罪者のように詰問する彼らに彼は、不意に、人違いだ、と Thô は言った。誰かが密告したに違いない。何のために?女たちの狂った嫉妬のせいかもしれず、Lanh の周りの男たちが Thô を売ったのかもしれない。誰もが誰かに協力し、誰もがそれ自身の必然性と倫理をた易く獲得し、誰かもが何かを望んでいる。誰も信用してはならない。ハノイに行ったきり帰ってこない旦那の留守の間に自分になびいてきた Lanh をも含めて。誰がなぜ密告したのか知らないが、彼がサイゴンの将校であることは事実だった。アメリカが手を引いてしまった後、暇つぶしのように彼は書を書いたものだった。Thô の拘束を察知した Lanh はどこかへ逃げて仕舞った。母猫が子猫を残して逃げ去るように。彼女は知っている。子猫ばかりが生き残ったとしてもそれは死期の遅延に過ぎないが、自分が生き残りさえすれば、いくらでも子猫など生産し得る。その決断は、この意味に於いては否定しようもなく正しい、と、Thô は思ったものだ、例えば、日陰で涼み乍ら、敷地をゆっくりと横断するいつのまにか住み着いた猫を眺めながら。書を書くまにまに。私は妻を探すのを諦め、外に出ると、やや、かすかに湿気を帯びた雨上がりの大気が押し寄せてきた。Hồ はずぶ濡れになったに違いない。或いは、気の利く彼の従者たちが彼に合羽を差し出しただろうか? ベトナム人たちが必ずバイクのシートの下に保管しているそれを、たとえ一着しかなく、自分がずぶ濡れにならなければならないとしても、びしゃびしゃと、雨期のサイゴンのあの懐かしくすらある雨のように降りしきった突然の雨の中、庁舎に連れて行かれた Thô は、例えば沈黙、例えば闘争、いくつかの選択肢があるには違いないが、まるで俺は今、犯罪者のようだ。しかし、たしかに、彼はすぐさま彼らにとっては。話し出す。彼らに、自分の知っているありったけを。口を割らされたのではなかった。









Lanh は今、目の前で笑っていた。冗談めかして唐突に Long time no see you... と彼女に笑いかけたために、振り返って、Thô の死を疑っていなかった Lanh は彼が解放されて不意に現れたときに、そして Thô を訝るように見るベトミン兵たちにあの時、自分が今言っていることはすべて本当だと悟らせるためだけに、Long time no see you ? 彼は言った、文法的に、とThô は思ったものだった、何故、何の前置詞もそこにはないのだろう? ...本当だ、と Thô は、文法的に間違っているのではないか? あなたたちは信じなければ為らない。なぜ、まだ生きてるの? 罵るように叫んで Lanh は、私はベトミンの支持者だ。わめき散らすようにベトミン兵たちに叫ぶが、けれど、米兵たちがみんなこれを言うのだから、いいか?、友よ、文法的に正しいと言わざるを得ない。...いいか? 南ベトナムで生活するすべての者がサイゴンを支持しているとは限らない。にも拘らず、...Bạn bè 友よ、サイゴンに、生きてたの? サイゴン政府は、なんで? 黄色いチンパンジーどもめ。何をしたの? 存在しているのだ。...彼らに。AK銃を振り回す気の狂ったサルども、皆殺しにしたの? 政府が行う戦争と、私が 彼ら全部を? 行う戦争とは 卑怯なあなたごときが? 違う。逃げてばかりの 何故だろう? とThôは思った。ならば、政府とは何か? ベトナムはそこにある。なぜならベトナム人というカテゴリーが存在するから。だが、政府もそこにあり、それとこれとはどこかで食い違っている。食い違っていないならば、なぜ、ベトナムで戦争など起こり得るのか? そんなことはどうでもいい、と思い、Thô は筆をおき、政府が気に食わなければ出来上がった書を眺めたのだが、放棄してしまえ昔ダラット[Đà Lạt]で見たそんなものあの老人の美しい書とは比べようもないそれは、どこが、どう違うのか、いまだに Thô にはわからなかった。いくつもの戦争が私のそれを含め、と、いつも、どこかで行われている、Thô は思い、いくつもの政府といくつものベトナム人たちによって。Thô は放免される。ベトミン兵士たちは彼を信じたし、握手さえし乍ら、Long time no see you... 拘束はわずか3日間に過ぎなかったとしても Lanh は、そしてすべての者が君を生かしてやまないと言った君は、ならば、何がお前を殺してしまったのか? たとえ老いさらばえた丸太あるいは猩猩の自然死に過ぎなかったとしても、何がお前を殺したのか? その何かは、「すべてのもの」に含まれないとでも言うつもりなのか? 雨後の湿気の中で、私は私の体から立ち上る芳香に半ば窒息しそうになり乍ら、クラクションの音がした。振り向くと、Hồ が小路の木立の影に立っていた。




Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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