小説 op.1《蘭陵王》③ Lan Lăng Vương 仮面の美少年は、涙する。
いま、ベトナムに暮らしているのですが、
外国にいると、自分が明らかに日本人であることに気付きます。
…恐ろしいくらいに。
周りからも、日本にいる以上に、《日本人であること》が求められますし。
海外移住して、良くも悪くも、初めてわたしは《日本人》になった気がしました。
Seno-Lê Ma. Đà Nẵng, Viêt Nảm. 2018.04.28.
ほんの数十年前まで、単なる海沿いの地方都市のひとつに過ぎなかったここは、政府の方針によって、観光地として急速に整備され、再開発されていた。ラオスから流れ込み町を分断する川は、泥色の濁流をしずかに湛えながら、そこには、かつて一本の華奢な橋しか掛けられていなかったものの、今、それぞれにライトアップされた六本の橋を持つ。いまだに終わりなき再開発の途上であって、中心部からほんの少し離れれば、突然に買収されたままの広大な更地が雑草をけなげに茂らせて広がり、この新しく美しい瀟洒な観光地をあらあらしく分断する。建築中の大規模施設とその周囲の未整備な廃墟のような更地は交わることなく共存しあう。もはや、かつてのダナン市はどこにも存在しない。と同時に、夏草の照り返しの中に、そこはいまだ開発中なのだから、ダナン市の現在などいまだ存在し得てはいないのだ。ならば、私が住んでいるダナン市は、どこに?、そして、それは何なのか?
この、画家の住んでいる家は、いくつかの、これらの更地、唐突な廃墟の先にあった。住所のメモ書きを時々、胸ポケットから出して確認し、そして道に迷い乍ら、Namは私を彼の住居に連れて行く。昼下がりの深い時刻で、日差しはやや落ち着きつつあり、すべての街路樹の根元には白いペンキがぬられている。間口の狭く、奥に細長い真新しい住居の前のプラスティックの赤い椅子に身を投げて、画家は、時々右手だけを上下させていた。この男が画家だということはすぐにわかる。He ? と Nam は私に言い、Dạ... わたしは答える。彼か? そうです。私は知っている。彼の顔を。現実に目にする彼の顔は、デジタル画像の、どこか凄惨な印象はなく、人間の顔の単なるファニーな出来損ないのように見える。駐めたバイクから降りながら、Chào chú ơi と Nam は彼に挨拶するが、彼は何も答えない。何も見てはいない。何も聞いてはいない。Nam の、握手に差し出された手は空中に静止するだけで、にもかかわらず何度か声はかけられ、Nam は泣きそうなほどに大袈裟に顔をゆがめてわたしを振り向き見る、だめだよ、彼は生きているだけだ、と。
私は知っている。
Nam はそう言った。画家は老け込んだ四十代にも見え、若々しいというわけではないが、人間が何の悩みも感情も無く適切に生命管理をされながら六十年生長したらこうなるのかも知れない、実年齢を推測しにくい、つるんとした顔立ちをしている。ただ、その顔立ちが、樹木の肌のように、自由にゆがんでいるだけだ。髪の毛はほとんど剥げ落ちているが、加齢のためのそれなのか、身体の障害あるいは治療の副産物なのか、もともとそうだったのか、私にはわからなかった。彼の顔を容赦なく覗き込んだ後、Nam は言った、Broken…
何が? 何が壊れている? 彼の顔か、その内部機能か、それらのすべてか。もちろん、彼に知性などあるはずがない。真っ白い目を片方だけ薄くひらいたまま、右手だけが上下に揺らされる。かつて、一度でも Water ! とすら叫んだことなどありえない、見事なまでに知性を欠いた、でたらめに成長した樹木のような有機体が見の前にいた。障害のあるらしい左手は胸元に硬直したまま動かさず、左足は根元から無い。子どものころに家にいた、当時の「分裂症」の叔父を懐かしく思い出す。彼は懐かしいほどに人間だった。背を丸め、当時のブラウン管テレビに向かって対話し続ける彼に、いったいどれほどの切実さで精緻な知性がやどっていたことか、思い知らされ、思い出される、お前を殺してしまうぞと一方的に彼らが言うのだと、彼は彼の対話の結果を伝えた。時に理解を示さない私を哀れみさえし乍ら、彼は為すすべもなく、Xấu ! ひどい、Nam は言い捨てた後、開け放たれた入り口の向こうに声をかける。誰かいないのか?思い出したように、私はヘルメットを頭からはずし、ゆっくりと足を引きずり乍ら奥から出てきた老婆は Nam と二言三言話して、私に一瞬目をくれた。気弱な、人のよさそうな、そして虚弱な笑みを浮かべ、樹木の細く弱い枝のように。
彼女は Nam と握手し、私もその手を握り、日本人だよ、と Nam は言う。声を掛けられて奥から出てきた三十代の夫婦と子どもが、おびえた一瞥の後、また、それらの植物のような微笑の中で、差し出された手を私たちは握り、彼らも思ったはずだった、植物のようにやさしげな、と。私は微笑んでいて、握手を交わし、Người Nhật、Nam は彼らに言う、日本人です。声を立てて彼は笑い、私は彼らの前で日本人になる。片言の、だれでも知っている日本語を混ぜて挨拶し、こんにちは 善良な笑みを浮かべてありがとう 礼儀正しくお辞儀し、「謝謝」という夫がかけた言葉を妻は早口に訂正して笑うが、Nam に木の葉がふるえたような笑い声の中で話しかける彼らの言葉は私にはわからない。私は今、知っている。そのときに、私は、明らかに彼らはサリバン先生ではなく画家はヘレンケラーではない。自然状態ならば、普通に間引かれていたはずの生命体が、今も、こうして生きている。誰かしらが彼を介護し、彼は自分が何をされているのか、何をされたのかさえ何も知らない。アジノモト、ホンダ、という単語が時に聞こえ、私は笑いながら、Nam と彼らを交互に見やり、お前は知っているか? 海を手に掴むことはできない。彼らは画家の叔父の娘夫婦なのだ、と Nam は私に言い、私はうなづき、もう一度彼らの手を握り、たとえ、お前が海の中で溺れ死んだとしても、と、その瞬間にさえも、お前は海をその手に掴むことはできない。お前は知っているか? 彼らは Nam に、彼は生まれたときから、と言い、Nam は私に通訳する、あんな感じだ、と、ずっと、今まで、変わることなく、彼らは言った、統一戦争のとき、60年代の終わりに。Nam はそう言い乍ら Bomb ! と手のひらをはじいて見せ、彼は言った、まだ彼は十歳になるかならないかだったが、と Nam は、お前は何を語る? 画家の右手はやさしく上下し、若かったからこそ助かったんだ、と、Nam が彼らの言うことを言うが、語って見せろ。…と、私は、それを聞き乍ら、画家の髪の毛の何本かは白髪だ。お前は、何を語る? 海をいつかは、だが掴めもしないくせに、何かを語るすべさえないにしても、「いや」、と彼らは言った、không phải… 生まれたときから目も、と言い、その壊れた英語の発音とともに Nam は自分の目をふさいで見せるが、耳も、口も、と、もっと日差しか強ければいい、そして、こんなやさしい日差しの中では。彼は言った、何も見えないし、何も聞こえないし、生まれたときから、お前は何を語る?このやさしい日差しの中で、何も見えない静寂の中に、一言だってしゃべったことはないよ、と Nam は彼らの言うことを言う、生まれてから今まで、と、一言の音声をさえ、もちろん、存在しはしない。お前に知性など。かけらさえも。彼らの声を立てて笑った善良な笑い声が、語りうる記憶さえ一切持たないには違いない乍らお前は、そして、例えば、ここで、私がお前の喉を切り裂いたとしたら、今、彼の父親は若くして死んでしまったが、いつ?と Nam は言った、彼に彼の祖父が絵筆を取らせたのは、と彼は彼らの言うことを言い、彼らが Nam に言ったのは、何を語る?Dạ… Dạ… 今ここでお前の喉を、もう十年も前になるがと彼は言い、もちろんお前には知性などありはしないのだから、không… Không phải いいえ違います、それは、何もせずに唯そこにいるよりは、しかし何もわかりはしないだろう、お前は。しかし、はるかにましだろうと考えたからだったが、Không phải là… お前の体は違うんだよ記憶するに違いないこの引き裂かれた喉の強烈な痛みを、何日かかって絵らしいものが、と Nam は言った、できあがったので、その忘れ得ないはずの苦痛を、毎日同じ時間に彼を座らせキャンパスの前に、私たちは、ありもしないお前の知性ではなく体の痛点そのものが確かに感じ取り記憶したこの苦痛を、毎日、絵筆を取らせれば彼はいつも絵を描くようになり、と彼らは、知性ではなく、おそらく、体そのものが覚えたのだろうその動きを、私は知っている、同じような絵らしきものを描くようになったが、お前の体そのものは記憶せざるを得なかった。そして、と、Nam は彼らの言うことを言い、例えば、しかし、私たちは祖父が死んだ後も、こうして私が再びいつかここに来て、少なからず、お金はもちろんかかるのだが、再び、ここで、私が、と、しかし、それは祖父の望み、と、Nam は、祖父の命じたことなのだし私たちは、かつてと同じようにお前の喉を同じように私が掻き切ったならば、いずれにしても、彼は絵を描き続けるのだから、間違いなく、お前の体そのものは思い出すだろう、私たちは絵を描かせるようにしているし、その苦痛を、お前の体は、再び、今では売却された少しばかりのお金で、その思い出された記憶とともに再び自分の血にまみれながら、彼は自分の食費くらいは出せるようになったのは、と彼は言い、何を語り始めるのか? その時に、祖父のおかげと言っていい。お前は? 今、この時に、あなたは画家ですか? と彼が言うのをNamはこぼれるような笑顔とともに伝え、私も首を振った。彼は絵が好きなんだ、と Nam は彼らに言ったに違いない。日本人だから。ややあって、通りすがりに老婆の手をとって握手をしてやり乍ら、私たちは3階の仏間とアトリエと彼の住居を兼ねた部屋に行き、本当に、どれも同じ絵ばかりだよ、と彼らは Nam に言った。開け放たれた道路沿いの窓から入り込む風がカーテンを揺らし、流しっぱなしの念仏の音声はひくく響きつづけるが、そこにあったのは、天井の高いベトナム風の建築の両方の壁中を埋め尽くした、あの、絵だった。すべての海に雪が降っていた。同じように、すべての絵は純白で、同じ絵など一枚もない。すべての絵が、全く、差異している。私は息を飲む。最早何ものによっても統御不能なそれらの、そして、何も聞こえはしない沈黙だけがそれぞれの差異だけを晒して、そこを支配する。いかなる類似さえない。個性を見いだす余地もない。私は想起する、揮、綺、畿、…という同音の日本語漢字の羅列はそれ自体としては意味を持たない。それらが同じ音を表音し得るという以外何ら無意味は線形の羅列にすぎないにも拘らず、それらが表意文字である限りにおいて、私たちはそれらの意味上の差異を指摘し得る。だが、日本語としてはそれらはその単独に於いて無意味な線形にすぎないのだから、その意味に差異の根拠を求めることはできない。起源としての中国漢字にその根拠を求めたとしても、現実的にいまや全く別のものなのだから、目の前にあるその意味上の差異を正当化することはできない。にも拘らず、揮、綺、畿、…はそれぞれに全く差異していることを、私たちは知っている。私はそれらの群れを見つめているのだった。視線を縦にずらしても、横にずらしても、楊、曜、耀、…この、無言の明らかな単なる差異が目を覆いつくし、膨大なこれらの集積が、もはや、何の絵であるのかさえこの目に捉えきれないまま、私には、息を飲み、立ちつくす。
夥しい白のグラデーション、色彩さえ、単なる差異としてしか視線に触れ得ないこれら。崩壊しえるのだろうか? この世界が崩壊するあの時に、これらも? You know ? と Thô は不意に身をかがめ、言ったものだった、私の手をかるく叩き乍ら、誰かの別の命日のパーティで、You know ? 私は、 yêu nhỏ ? 思い出す、彼はもしも猫が、と言った If… cát... hằng... màu... 猫[cat]がねずみを hant したとき、彼は、色づいた[màu]月の女神[hằng]を切断[cát]する。it’s not giữ... ỳ... thể...それは犯罪[Guilty]ではない、と、彼は意識[ỳ thể]を保管[giữ ]する。yêu... nhỏ... ? [小さく愛します]彼は自らの顎を指先で叩くが、そのこぶしは空手家のそれのように潰れていて、 it’s giật... ã... lửa... chết... それはただのランチだ死の炎を引く。わかりますか?と彼は言い、私は、そして、số... かれは so… 数[số]ええっと…。彼は言った、 phát... ý... giữ... ý... thể... 意識を保管した仏。何が犯罪ですか?[what is guilty/what a guilty ]if, と彼は言った、私はあなたを殺します、と、それは私が生きるためです、彼は言い、あなたは今ピストルを持っています、彼は、もしも、ですから、私はあなたを殺しました、yêu nhỏ ? 彼は言った、それは犯罪ではありません。Số… so… 数、意識を保管した仏 何が犯罪ですか?殺人とは犯罪であるとするならば、いまだかつて誰も、誰をも殺し得たことなどないと言うことになる、唯の一度さえも、猫の狩りが犯罪ではありえないように、それは論理的に不可能なのだ、と彼は言った。頭上から不意にばら撒かれた爆弾の群れでさえも、Few horn ? わかったか? hiểu không ? わずかばかりのラッパ。笑い乍ら同意すればいいのか、むしろ深刻に頷けばいいのか、結局のところはかりあぐねた私は、しかし、ややあって、すぐさま乾杯の音頭がわたしたちを包む。Thô は何事もなかったように曾孫の頭を撫ぜ、誰かがつけた煙草の煙が空間に二本たつ。事実、まだ何事もない。仏間の階段に座っている私に、不意に Hồ は Bánh mì[パン]をちぎって差し出すのだった。わたしは微笑んで、Ăn chưa ? まだ食べていないんだろう?という Hồ の手から、それを受け取る。Hồ の頬の隅についていた、乾いた白いペンキをそっとはがそうとして手を伸ばす私を、Hồ はそのまま受け入れていた。庭の隅の日陰に呼び集められた楽員が咥え煙草のままエレキギターとキーボードで追悼の音楽を弾くが、ブルース・スケールを中国音階で壊したような、どこが始まりでどこが終わりなのかわからない長い旋律線が、流しっぱなしの念仏と混濁して耳の低いところに響く。
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