青空に、薔薇 ...for Jeanne Hébuterne;流波 rūpa -176 //爪に蛇/夢に黴/花が散り/雨。そこに//06
以下、一部に暴力的あるいは露骨な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
また、たとえ作品を構成する文章として暴力的・破壊的な表現があったとしても、そのような行為を容認ましてや称揚する意図など一切ないことを、ここにお断りしておきます。またもしそうした一部表現によってわずかにでも傷つけてしまったなら、お詫び申し下げる以外にありません。ただ、ここで試みるのはあくまでもそうした行為、事象のあり得べき可能性自体を破壊しようとするものです。
清雪なりに、どこから向かうものとも知れなかった安藤藤たちのために、時間をもたせて来たつもりだった。雨が降り、そして稀れに人が行き来するだけだった。もともと人通りの稀薄なあたりだった。警備員さえ、雨。表にはいない。足元。散る、北参道の…飛沫。交差点。その首都高わきの昏い土地は、水滴の微細の充満のなかに、より明確な昏さをきわだたせた。清雪はしかし、藤の来ない可能性について、思いつきもしなかった。傘。まなざしのところどころ、ゆれる傘の色彩と図柄を眺めた。背後に気配がして、振り返ると男と腕を組んだ藤がいた。長身だった。壬生の、正則とくらべてさえも、高かった。思ったよりも若いと清雪は思い、そのときにふと、彼についていかなる像をも思い描いていなかったことに気づいた。藤はうわめに、むしろ無言に諫めるまなざしで、そこに笑んでいた。清雪は、自分が藤のためにほほ笑んだ気がした。口元に、その実感は得られなかった。…この、と。「こちら?」男は清雪から目を離さずに、藤に言った。その、思いのほか上品な声と言葉遣いを清雪は聞いた。藤がむしろ、無理やり長身にあわせた肱に、傘をさしていた。謂く、
端麗。清楚
流れ、よ
ひとことで謂えば
よ。散れ
詳細にすれば
流れ、よ
片目を、ふと
細めて話す
雨つぶ
癖。躾けの失敗
よ。散れ
うすく、眉
流れ、よ
垂直にちかい
そして、くちびる
流れ、よ
下だけがまるで女のように
よ。散れ
ゆたかに、ふくらむ
流れ、よ
ただ、力強い
鼻。そして
雨つぶ
雨にぬれている
よ。散れ
ぼくを見ている
流れ、よ
眼が、そして
いかにも上質な笑みの冷淡とともに、清雪がそれとなく北参道を誘うのを、男は抗いもしない。清雪は、藤が如何なる口実に男をつれだしたのか、ついに思いつけない。男にはあくまでも危機感がなかった。基本、無口な男らしかった。不愉快さはない。造形に、流麗な印象のある顔のせいで、すなおに物静かなハンサムと、そう思わせる。鳥居をくぐるあたりでふと、返り見た清雪は「…見ましたよ」言った。「あなたの、」
「なに?」
「藤の、…」
「まじ?」と、その、思うに四十前のくちびるが、悪びれない声をたてる。「いま、残ってる?あれ、一回」
「流通してる。ちょっと、無理やり入手して、」…さすが、「ネットネイティブ」笑う男に、清雪は笑む。傘には入らない。男は最初、事実、清雪にゆずろうとした。拒絶するともなく、清雪は無視した。藤はそれ以来、清雪から眼をそらしつづけた。そのまなざしの曖昧に、清雪は傷んだ。あくまで、かすかに、やわらかに。あるいは、心地よくなじむように、とでも?清雪は、男が作成したそれら、藤の動画についてはなにも知らなかった。翔は無力だった。あえて「やばいって、思わない?」不遜を、声に匂わせた。「じぶんと藤が、藤にしたこと」
「…って、フジ?…こいつ?」
「そいつとあなたが、そいつにしたこと。やばいでしょ?」
「考え方によるよね。おれ的には、あくまで表現だから」
「犯罪じゃん?」
「知ってる。けど、法律がすべてじゃないよね?…と、いう、意見もあるでしょ?知ってる?ヌードだって、あれ、むかし、犯罪じゃん?」清雪は笑った。さらに言いかけた清雪に。ふいに、「…ね?」男は「聞いていい?ひとつだけ」
「なに?」
「カホからも聞いた。壬生くん、でしょ。今日、こうやって、…で、ちょっと、謎なんだけど、さ。おれ的に。べつに、おれ的には、壬生くんが、さ。あえて言える範囲でいいんだけど。壬生くん的には、なにに、いま、ぶち切れてんの?…というか、いま、切れてる?そういう、感じ?それマジ?」しだいに、声は問い詰めるどころか沈鬱に冴えた。滑稽と鬱が、きれいに水平におなじひびきを聞かせた。清雪は、ふと、不思議に思った。かたむけた頸に、男を見ていた。雨と葉がざわめきつづけた。雨はたしかに厖大だった。葉もたしかに厖大だった。ぬれきった前髪が雫をおぼした。藤は男のかたわらに、見開いた眼に清雪を見つめた。口蓋を、ひろげかけていた。ずっとそうだった。それに気づいた。鼻が?歯を、雨がときにぬらした。謂く、
聞こえなかったことにした
きみの名
たぶん、ほんとうの
名は
気づかなかったことにした
理由は?
たぶん、雨の音だけを
耳は
好きだ!大好きだ!
犠牲者、の
見ろよ。ぼくから
傷つけてほしい?
そう、叫んでやろうか?
つもり?ってか
眼をそらさずに
同意だろ?とか?
おれだ!おれだけだ!
荷担したんじゃん?
やめろよ。そこで
引き裂かれたい?
そう、泣いてやろうか?
鳥居をくぐって、右手の最初の燈篭をすぎたあたりだった。茂みに入った樹木の翳りに、清雪は口を右手に押さえた男を見ていた。足元に、男はくずれた胡坐にようやく上半身を保って、四肢から流れる血は雨に流れた。着衣の生地が、黝ずんでにじむ。二十箇所にまではいたらない。四肢を十数箇所刺された男は、のけぞった顎に清雪を見た。右手が掻き毟るように、両頬をにぎって、しかも血管をうかせていることに、男は気づかない。清雪はそして、引き攣りのあるその側頭で、アイスピックの血をふいた。より汚すに似て、ただ、にじますだけの鉄を雨が、さわがしく洗った。男はなにも言わなかった。葉と幹と草の、自由な翳りのむこうに参拝のひとびとの影が見えていた。返り見た。背後の樹木に、…その名前を清雪は知らない。もたれるすれすれに立ち尽くした藤が、ただ、まっすぐに清雪を見ていた。清雪はせめて笑いかけてやった。両手を完全に弛緩させたまま藤は、そこに覆われるすべもない顔面に滂沱の涙をながしていた。はげしい嗚咽に肩が震えた。頸すじに、そして飛沫は散った。謂く、
雨を、雨さえも?
あ、あ。あめ
あ、あ、あ
雨さえも、雨を?
雨が、雨を
あう。は、は
はじき、ます。です
ち、ち、ち
は、は、は
き、はじき、き
はじく、です。ます
と、と、と
は、は、は
あう。は、は
はじき、ます。です
ち、ち、ち
雨を、雨が
泣きやむのを待った。ひざのななめに、男が鼻だけにえづく。溺れる。雨に。そしてじぶんの血に、と。清雪はふと思う。藤は泣きやみそうになかった。清雪は、藤の足元に傘をひろった。差した。持たせた。息をひそめたまなざしに、藤をうながした立ち去り際、思い直して片膝をついた清雪は男の、右ふくらはぎにそのアイスピックを突き刺して捨てた。謂く、
雨を、雨が
ち、ち、ち
はじき、ます。です
あう。は、は
は、は、は
と、と、と
はじく、です。ます
き、はじき、き
は、は、は
ち、ち、ち
はじき、ます。です
あう。は、は
雨が、雨を
雨さえも、雨を?
あ、
雨を、雨さえも?
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