青空に、薔薇 ...for Jeanne Hébuterne;流波 rūpa -173 //爪に蛇/夢に黴/花が散り/雨。そこに//03
以下、一部に暴力的あるいは露骨な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
また、たとえ作品を構成する文章として暴力的・破壊的な表現があったとしても、そのような行為を容認ましてや称揚する意図など一切ないことを、ここにお断りしておきます。またもしそうした一部表現によってわずかにでも傷つけてしまったなら、お詫び申し下げる以外にありません。ただ、ここで試みるのはあくまでもそうした行為、事象のあり得べき可能性自体を破壊しようとするものです。
「いつ?」ようやく、清雪は言った。その声が発さ、…渇く、と。同時に、希求を訴えている気がした。清雪は、まなざしをながして仕舞いかける。苦闘。須臾。流してしまえば、敦子をさらに傷つける気がした。または、喪失を意味するにも。敦子か、あるいは自分自身をか。とまれ、清雪のまなざしのなか、敦子はすなおな笑みを見せていた。「鎌倉で、」
「場所なんか。だから、…」
「二週間前、くらい。まだ、正式に、まだ先生からは、来ていいよ、って。まだ、だから修行していいよ、って、そんなふうには、まだ、なってない。でも、…いや、だから、ね?よくしていただいてるの。そこの先生…住職に。もうすこし、ちょっと、考えてごらんよって。考えて、で、考えて、良く、で、よく考えて、それでも決心かわらないなら、それだったら、ぼく、ね?ぼくが責任もって、」
「どこ?」
「ほら」敦子はかさねてわらった。謂く、
微笑。きみ
きみの、それ
きみの、だれ?
きみは、たしかに
いま、すこしは自然に
そう。それがあなたの
なに?なに?なに?
ば、ばかっ、かっ
すこしは素直に
しあわせのひとつの
ぼく、いま、見て、見
なに噓言ってんの?カス
すこしは楽に
かたちだったなら
なに?なに?なに?
かっ、かばっ、ば
いま、すこしすこやかに
きみは、たしかに
きみの、だれ?
きみの、それ
微笑。きみ
ささやく。「鶴岡八幡宮、あるでしょ。雪の下よ。あそこの、家の裏、あるじゃない?おっきな、」
「うちが、」笑う清雪に「裏なんじゃない?かの、高名な八幡宮の」敦子はもはや恥じらいもしない。あまりにも切実に「あそこの、あれ、参道?表の、ほら、うちの前、鶴岡文庫あるじゃない。ひだり行って、ちょっと、で、まっすぐ行って、あの道。ね?あれ、海の方に、…ほら。わかる?神社。あの、池こえた正面の道、まっすぐ、まっすぐ、まっすぐって、ほどでもない。すこし、行くと、…ね?知ってる?海、出るの」
「由比が浜?」
「まで、行かないの。行きそうになっちゃう。あそこ。いっつも。でも、その角。一の鳥居の先くらいじゃない?そこ、左に折れるの…行けば、解る。駅からも近いのよ。だから、うちより。駅ちか。…まっすぐ行くと、なんか、朽ちた門の板張りの、なんか、緑のお寺さん、あるの…そこ、ね?」
「なに?」
「新田義貞。知ってる?」
「後醍醐天皇の?」
「天皇じゃない。さむらいでしょ。…和歌のひとでしょ?その天皇。じゃなくて、勇敢なさむらいの…そのひとが、建てたんだって。だから、古いんじゃない?わたしは、疎いから良く知らないけど、新田っていうくらいだもん。広島の、しかも戦後の偽名の壬生とは違うわよ」
「なんでそんな寺、知ってたの?観光名所ってほどでもないでしょ?」
「姉、と…」ふいに、唐突に敦子は、眉を翳らせた。「ふたりが、まだ雪の下に住んでて、そのころ、あそびに行って、…あそこ、もともと姉のための御屋敷だから、ね。あのやくざなんか…でも、お邪魔、しちゃったよね。わたし。姉の。で、自転車で。だって、神宮…八幡宮から、すぐじゃない?だから、ぶらぶらしてて、あ、お寺。…って。…宮島にも、どこにも、お寺なんていくらでもある、じゃない?けど、それで、…ん。なんでかな?思い出したの。いま…で、二週間、…三週間、前。かな?…でも、安心して。先生とは、連絡取り合わ、せ、さ、せ、て」と、ふと、笑う。敦子は「連絡させていただいてる。とても」むしろ藤に「いい方。決意は、もう、」と、「かわらない」見返した清雪に、耳打ちめかしてそう言った。謂く、
匂いは?…と
ぼくは、そこは
海。潮の匂いは
漏れ込むだろうか?
ひびきは?…と
ぼくは、そこは
海。波のひびきは
漏れ込むだろうか?
…と。とまれ
と。ともあれ、と
とまれ、と、と、と
とまれ、と
まばたく。「髪は、その時に?」
「まさか。先生も、半信半疑だった。先生さえ、特に、ほら。壬生。…雪の下の、地元じゃない?姉もいたし、その、噂には聞いただろうし、親父さん。その事も、大親父さん。その、それから、あの、不良の…なに?いま、半グレ?…って?あんな雅秀さんたちもいるじゃない?」
「ただのパシリでしょ。雪の下なんて」
「ともかく、特にいま、雪の下がやんちゃにしてるじゃない?…どうせ。地獄に落ちればいい。それもあって、東京の壬生っていうと、…でも、わかっていただけるのね。すぐよ。すぐ。すぐ、おやさしくなられて、」
「なにも、云わなかったの?雪の下は?」
「彼等なんか…顔も合わせなかった。…関係ないから。…で、こっち帰って来て、一週間くらい、すこしお勉強して、…浄土宗なの。あそこ。南無阿弥陀仏。それの、おすすめいただいた本とか、で。…うん。なんか、ばっさり」敦子はひとり吹き出して笑った。「でも、最初、ほら、自分で勝手に鋏いれるじゃない?な、もん、だから、さ、…もう、ぼろぼろ。さすがにこれはって。で、美容院いっちゃった。お願い。これ、直して、って。そしたら、ものすごく恐縮されて。壬生さん、申し訳ないけど、理髪店行かれた方が本職よって。…だよね?で、」
「もう、いいよ」思わず、清雪は言った。その須臾、…え?と。あざやかな驚愕が敦子の虹彩に、そして清雪は口をつぐんだ。謂く、
見ていられない、と
もう、これ以上
あなたを、と
耳打ちすれば?
幸せそうな、あなた
あなたを、あなたをは
見ていられない、とか?
耳打ちすれば?
まどう。ぼくは
まなざしが
ゆらぐ。かたむく
顎も。まなざしも
瞬間、敦子に茫然があって、翳りがあって、そして、ややあって眉はゆるんだ。一秒をもかぞえなかったはずの須臾を、ひきのばされきった緩慢のなかに、清雪はそこに見ていた。眉。だから、ゆるみ。あるいは、それは赦しを意味して想えた。あるいは歎きを。後悔を。逡巡を。不確かなよろこび、または懺悔を。すでに敦子は顔中を、うかべた笑みの、拒否のないやさしい沈黙の隔たりにただ、うずめこませでいた。あいかわらず、と。なんの緩衝も持たない声の、その敦子を清雪は意外に思った。「やさしいのね」そして、ささやきおわるとすぐにぶれ、ゆらぎはじめた不確かなこころに、敦子の瞳孔は伸縮をさらす。唐突なひとりわらいが「でも、」浮かびかけ「…ね?」つぶやく。なにも、怒りの翳もなく「なんか、嫌なもの。ほら、こう、髪の毛ない女、こんなふうなのが、それでも電車にのったりするじゃない?そりゃ、ときには新宿にも行くしさ。で、そしたら」
「なに?」
「目が。おじさんたち。ぶしつけ。若い子たち。女の子も、なにも、ね。でも、やっぱ、おじさんよ。…もう、おばさんだけど。わたしも。でも、」
「蹴っ飛ばしちゃえば?」
「この、かよわい足で?」云って、敦子はふと、憧憬のある曖昧な色めきを、「でも、いいのよ」さらした。「そんなこと、こんなこと、なにも」
「なんで?むかつくんでしょ?」
「知ってる?歌。いとおしや、見るも涙もとどまらず、親もなき子が、母をたづねる、…これ、実朝、…か。鎌倉。あそこ、ゆかりの歌人。の、だから、源の実朝?そのひと、知ってる?薄幸なひとだった。…らしい、だから、…で、その、」
「だれに?その、歌。寺の?」
「じゃなくて、」失語、と。そう思わせるほど、唐突。ひらいたままの口蓋が、沈黙を。すぐさまに、笑みにくずれる間をも待たずに「姉よ。好きだった。姉が。私と違って、頭、良かったから。ものがちがった。あんな、あんなふうになっちゃったけど、悔しいけど、姉は、でも、で、姉が。…べつに、髪を刈ったから、だからそれでそう思う、そういうわけじゃないけど、ぜんぜん、でも、結局、しあわせって、人さまだけのもの」
「敦子ママだって」
「それは、あなたの他人の敦子ママよ。そのひとに、彼女にだけ願われたもの。じぶんなんか、最終的にはどうでもいいのよ。いつでも、人様の、他人のしあわせだけ祈るのよ。それが、しあわせの、そのほんとうの実体のぜんぶのすべてじゃない?…あなたのもの。あなたたちのもの。わたしのじゃない。わたしは、わたしに欲しいとは思えない。どうしても、思い切れない…好き。わたしは、あなたの、あなたたちの、みなさんの、みんなの、そのしあわせでいられるしあわせが、好き。…って、だから、そう思う」敦子のまなざしに、清雪は情熱の昏さを探った。眼はただ、緩衝材を欠く稀薄をさらすだけだった。清雪はふと、敦子をすなおに「山は裂け、」憐れんだ。「海は褪せなん世なりとも、君にふた心わがあらめやも」清雪は、そう言った。敦子は、眼をほそめ、そして一瞬、聞き返そうと、促しかけたのが清雪に、知れた。眼を、清雪はそらした。「恋の歌?」そう、やがてしずかに、敦子。感情のゆらぎも、かたむきもなく、つぶやき。清雪は聞く。「残念」ふと、「ちょっと、…ちょっとだけ、違う」思い出したような声に、清雪は笑んだ。そうささやいた。敦子のために。せめても。謂く、
覚えてる?まだ
きみは、まだ
しだいに稀薄に
なってゆく記憶に
謂く、
覚えてる?まだ
風化。もう
花。な、花
もろく、だから
きみは、まだ
化石化してさえ、もろ
の、ように、無数の
指先。あるいは吹いた息にも
しだいに稀薄に
もろく、だから
花。な、花
さらさらと。しろい
なってゆく記憶に
嫌い。さくらは
云った。そう、ぼくは
なぜ?きみは
嫌い?春は
さくらのために
うつくしくなり
あざやかに
うつくしいさくらに
うつくしされた
あざやかに
さくらが咲いた
その春のために
あなたは、ぼくを
諫めるように
たしなめるように
不思議そうにも
謂く、
あなたは、ぼくを
いつ?だったろう
オッケー、と。ぼくは
記憶には、如何なる様態での
諫めるように
どこ?だったろう
思った。だって、きみさえも
明快さがあるのだろう?猶も
たしなめるように
記憶には、あまい、匂いが、しかも
楽しそうだったんだから
親しで、しかも
不思議そうにも
嫌い。春は
云った。そう、ぼくは
なぜ?きみは
嫌い?さくらは
わずかな日々に
咲き誇り
こぼれんばかりに
肩にさえも
足元にさえも
うずめんばかりに
散り誇り
その日々のために
あなたは、ぼくを
諫めるように
たしなめるように
不思議そうにも
謂く、
あなたは、ぼくを
知ってる。ぼくは
あ、と。ん
感情のな、ない
諫めるように
右眼に、うすく
その肩ごしに
なぜ?…な
たしなめるように
うすい涙を
逆光。だから
感傷のな、ない
不思議そうにも
ずぶといんだよ
ぼくたちの
滅びのあとも
咲き乱れるんだよ
もしも、願いが叶うなら
さくら。その花
ふまれた花が
朽ちたあと、ぼくは
藤むらさき。花
瀧の下。そこ
昏がりに、ぼくは
死んでしまおう
藤むらさき。花
いつ、その
もっと。も
尖端。そして
瀧の下。そこ
色彩は、地表を
もっと、近くへ
全体に、いま
空の下。そこ
ふれるだろう?
もっと。も
唐突な突風
藤さえ滅びた
生まれ変わろう
昏やみに、ぼくは
空の下。そこ
藤さえ滅びた
崩壊のあと、ぼくは
屍の枯れ木が
さくら。その花
石になるまで
覚えてる?まだ
きみは、まだ
しだいに稀薄に
なってゆく記憶に
謂く、
覚えてる?まだ
ぶうが。ぼう
なな。な、なな
ぼろづ、らなら
きみは、まだ
化石化してさえ、もろ
の、ように、無数の
指先。あるいは吹いた息にも
しだいに稀薄に
ぼろづ、らなら
なな。な、なな
ななななと。ならい
なってゆく記憶に
聞こえていますか?
ささやき。声が
声。ささやきが
聞こえていますか?
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