青空に、薔薇 ...for Jeanne Hébuterne;流波 rūpa -155 //その、唐突な/まなざし。そっと/猶も、ふいうち/まばたきあえば//07





以下、一部に暴力的あるいは露骨な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。

また、たとえ作品を構成する文章として暴力的・破壊的な表現があったとしても、そのような行為を容認ましてや称揚する意図など一切ないことを、ここにお断りしておきます。またもしそうした一部表現によってわずかにでも傷つけてしまったなら、お詫び申し下げる以外にありません。ただ、ここで試みるのはあくまでもそうした行為、事象のあり得べき可能性自体を破壊しようとするものです。





ハオ・ランが保護する、迦虞夜はさきに現地で準備に追われているらしかった。ハオ・ランを連れて、タクシーを止めた。支払いは清雪の役割だった。ハオ・ランにはじぶんで支払うという感性さえも、もはやない。ただし、ハオ・ラン、そして汪黃鸎もしくは大月英子は富裕層に属した。奇妙な富裕層だった。ある種の保守層が、ことさらに汪黃鸎を母と慕っていたから。汪が基本的には共産主義者だったにもかからわず。すべて、彼等の施しによってまかなわれた。大きな買い物は彼等に持ちかければ良かった。だから、その日の現金については、ほとんど持ち合わせというものがなかった。戦後、帰国直後から見せびらかしたハオ・ランの存在によるひとびとの不均衡な傾倒が、その不均衡な傾向により拍車をかけた。汪をひとびとは讃嘆し、そしてだれにも秘匿した。禁忌のように汪は、ある任意の領域のなかにだけ伝番した。本人が実年齢をすでにわすれるほどに高齢の汪黃鸎は、いま、ハオ・ランの意志をもって渋谷の、しかも円山町の日影のアパートに押し込まれていた。もと、千鳥ヶ淵に同居していた彼女を、夜尿症の加速を理由に追いだしたのだった。…渋谷の谷底あたりで、と。人知れず咲いてればいいんじゃない?老いぼれたどくだみの花は、さ。そう、白雪革命集団の幹部たちに言って。だから時折りの、保守派右傾層の唐突な来訪は、うらぶれた円山町にいびつに映えた。誕生日会は、すでに側近の白雪幹部数人だけで済ますものと告知してあった。老いて朽ちる華美を嫌うという名目で、花等はすべて千鳥ヶ淵に送るよう、通達した。いくつかの、にもかかわらず届けられた花は円山町に、白雪の立ち合いの数人に依って、迷いなく放棄された。嘲笑とともに。松濤とのさかい、セブンイレブンの前でタクシーを止めた。そこから、ローソンの先まで歩いた。ハオ・ランを連れて、清雪はひだりに折れる。電柱の、吉田医院という看板を見た。雑多な円山町に入れば道は細い。いきなり昭和に出逢ったかの気配に時にすれ違い、そのクリニックをも過ぎる。神泉駅の手前、鉄骨造のアパートに辿り着いた。その数歩の階段をあがった一階の、一番手前が汪黃鸎のあてがわれた部屋だった。右手の、あるいは半地下の飲食店用なのかも知れないゴミ箱に、ぶちこまれた花が匂った。あるいは、強烈に澄んだ腐臭にも思わせて。清雪は一応、うすいドアをノックした。蝶番ごと、それはにぶい音をたてた。中には迦虞夜と、そして白雪の数人がいた。嘉鳥はいない。清雪が、名前をしらない美青年がひとり、名前をしらないが、顔は見かけた美青年がひとり、そして玖珠本穗埜果、と、そう、すくなくともじぶんでは名乗っていた男。三十歳程度。清雪は、すくなくとも下が偽名であることは知っている。玖珠本自身が、口をすべらせた。それから安藤ひろむ。清雪の数歳上のはずだった。かれら、そろって美しい男たち以外、迦虞夜はそこにいなかった。簡素すぎる室内に飾りつけなどあるべくもない。料理の匂いがする。しかも左手、ままごとじみたキッチンスペースにはなにもない。たいして興味もなかった清雪は、不審にさえ感じなかった。かれらはすでに、一様に返り見て、それぞれにそれぞれの流儀で、ハオ・ランとその連れに笑んだ。とりたてて言葉をかけるものもなかった。安藤は、あるいは一番気が効いていた。…壬生。と、そう声をかけると、それとなく清雪を紹介する意図を匂わせて、「壬生の、壬生グループの…」言った。「おぼっちゃん。意外。来るとはおもわなかった。ハオ?ハオに連れこまれた?」

「逆です」ささやく。笑みもなく、「むずがってるハオさんを、連れこんだだけ」数人が、ようやく稀薄な笑い声をたててやった。ふたりに背を向けていたかれらの向こう、そのきれぎれに老いさらばえた老婆が見えた。医療用ベッドに寝かされていた。そして上半身をベッドごと浅く立てて、そこに一応はすわり姿を見せていた。横たわっているにひとしいそれに、老婆が唐突に左手をあげかけた。手を振ろうとした意図が見えた。清雪はそう思った。あるいは、錯覚かも知れない、と。まばたく清雪をハオ・ランは捨て置いた。「まだ、生きてる?」言った。とりたてて冷淡さえもつくらずに、ただ淡々と、ハオ・ランは。そして、ふと、鼻に息を「くさくない?」吸い込んだ。「ね、」

「ここ?」

「くさいよ。壬生くん、…ここ」なぜ?清雪は思う。なぜ、いまさら汪ごときを、あなたは憎もうとするのだろう。ベッドに近づくハオ・ランのために、男たちはそっと、身を避けてやった。せまい空間に、四人の男たちの体臭が、清雪にはいま、沈殿しているかに想えた。その、あるいは容赦なく誘惑的な沈殿を、いま赤裸々な異物としてハオ・ランの、濡れた獣毛の惡臭だけが乱した。あざわらい、蹴散らし、穢してしかも、気づかないかの無慈悲さで。清雪は、ふと、汪に笑みかけた。ハオ・ランの膝のあたりに、投げ出された老婆の指先が、二、三度ふるえるのを見た。その左ゆび。つまりは、「…英子。おまえ、」汪黃鸎の。「何歳?」耳もとに言ったハオ・ランに、汪黃鸎はおくれて、その虹彩をもたげた。瞳孔に、しろく、うすい濁りがあった。霞。澱み。しろ目は極度に分厚いしろみを、しかも黄み走ってさらす。しかし、と。まだ、見えている。清雪は、なぜか、その靄がかる眼光にかなしみを知った。謂く、

   まるで、あなたの

   最後の時を

   待つ時の

   そんな。そんなふうにも


   まるで、滅びの

   消滅の時を

   見守る時の

   そんな。そんなふうにも


   まるで、あなたの

   死にかけた時を

   たしかめる時の

   そんな。そんなふうにも

謂く、

   最後の時を

      言わせない。いま

    生き延びたものは

     ふさいであげよう

   消滅の時を

      頸を絞めて、って

    死を、ひたすらに

     口を。…ね、そしたら

   死にかけの時を

      お願いよ、って

    見た。大量に、死を

     黙れって。ほら

   そんな。ね、そんな


   あたたかな、…ほら

   やさしげな、…いま

   いとしげな、…きみが

   せつなげな、…まばたき

謂く、

   あたたかな、…ほら

      ゆう、る、っと

    睫毛さえ

     すべる

   やさしげな、…いま

      溶け始めたかに

    老いた

     ひたいに

   いとしげな、…きみが

      瞳孔が

    その尖端さえ

     汗が、なぜ?

   せつなげな、…まばたき


   見る。見られて

   見つめられ、見て

   返り見られ、見て

   おぼろげにひかりは


   ふれたよ。見て

   あなたに、頬に

   皴を、冷淡に

   きわ立たせていて


   ゆれたよ。見て

   あなたに、翳り

   皴に、にじみ

   ほら、いま、消えて

謂く、

   ふれたよ

      老人に、くちびるは

    もういいよ。さあ!

     ひだり。そのこゆび

   あなたに

      なぜ?なぜ?なぜ?

    窓、ぶち割って

     シーツに、置かれ

   ゆれたよ

      いたましいのだろう?

    飛び出そうぜ。さあ!

     擦り傷。かすかな

   あなたに


   見ていた。わたしも

   たぶん、だれも

   だれもが、しかも

   眼。あなた。その

謂く、

   見ていた。わたしも

      たしかに、あきらかに

    まだ、目が

     溢れ返った!…そう

   たぶん、だれも

      そのみぎの目に

    見える。目が

     色彩が!…そう、きみは

   だれもが、しかも

      色彩を。しかも

    あなたは

     情熱を以て、…なぜ?

   眼。あなた。その


   老いぼれの

   眼。眼。眼。それ

   なぜ?いまにさえ

   訴えるのだろう?


   なにを、猶も?

   いまこそ、なにを

   もう、言葉。口を

   こぼれだしさえできないいまも

謂く、

   老いぼれの

      あるいは、猶も

    男たちは、みんな

     餓える。むしろ

   眼。眼。眼。それ

      愛、と。愛。愛

    見下ろす。だから

     赤裸々な欲望

   なにを、猶も?

      自嘲。いま猶も

    その見上げたまなざしが

     欲情。留保なき

   いまこそ、なにを


   見ていた。わたしも

   たぶん、だれも

   だれもが、しかも

   眼。あなた。その

謂く、

   見ていた。わたしも

      なぜ、しかも

    まだ、瞼が

     形態を、そこに

   たぶん、だれも

      もう、ないでしょ、と

    猶もひらかれるという困難を経験しうるという事実のな

     さぐる。どうしようもない

   だれもが、しかも

      見るべきものなど、と

    あなたは

     情熱を以て、…なぜ?

   眼。あなた。その


   うるおいすぎの

   眼。眼。眼。それ

   なぜ?いまにさえ

   求めているのだろう?


   なにを、猶も?

   いまこそ?なにを

   もう、なにも。どこも

   目指すことさえできないいまも

謂く、

   うるおいすぎの

      嘲笑した。ふと

    男たち。そこに

     目舞いさえも

   眼。眼。眼。それ

      愛、と。愛。愛

    横ならびに、だから

     思えなかった。時間が

   なにを、猶も?

      あなたたちは、まだ知らない

    まなざしの右のあやういそこに

     厖大に消費されてしまっていたとは

   いまこそ?なにを


   見ていた。わたしも

   たぶん、だれも

   だれもが、しかも

   眼。あなた。その

謂く、

   見ていた。わたしも

      かろうじて、とは言い切れない

    まだ、睫毛が

     洪水のように

   たぶん、だれも

      そんな明晰を

    燃えあがってはいな

     なすすべもない暴力として、ただ

   だれもが、しかも

      ほのめかしながらも

    あなたは

     情熱を以て、…なぜ?

   眼。あなた。その


   老いぼれの

   眼。眼。眼。それ

   なぜ?いまにさえ

   闘うのだろう?


   なにを、猶も?

   いまこそ、なにを

   もう、感情。顔を

   かたむけることさえできないいまも

謂く、

   老いぼれの

      どうしようもなく

    男たちに、みんなに

     渇く。むしろ

   眼。眼。眼。それ

      愛、と。愛。愛

    与えた。横眼の

     激情じみた、せつなさが

   なにを、猶も?

      咬みつきさえできれば

    そっと、まなざしを、あえてやさしく

     網膜にさえ、溶け

   いまこそ、なにを


   見る。見られて

   見つめられ、見て

   返り見られ、見て

   冴えのあるひかりは


   ふれたよ。見て

   あなたに、眉間に

   白髪を、眉に

   きわ立たせていて


   ゆれたよ。見て

   あなたに、翳り

   毛先に、綺羅り

   ほら、いま、消えた

謂く、

   ふれたよ

      いま、くちびるが

    見ていればいい

     見るな。そら

   あなたに

      なにか、を

    もう、自分では立ち上がれないのだから

     逸らせ。み、み

   ゆれたよ

      なに、を?

    死ななないでいい

     見るな。落ちろ。お

   あなたに








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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